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 私たちの生活拠点は、颯斗(はやと)さんの家。

 駅にほど近い場所にある高層マンションの、最上階。ワンフロアまるごとが、私がこれから暮らす家だ。


 マンションというよりホテルみたいな雰囲気で、エントランスフロアには高級感のあるラウンジと、ホテルのフロントのような受付カウンターがある。

 エレベーターで上に到着してICキーでロックを外して中に入ると、広々とした玄関がある。


「あの……お邪魔します」


 ぎこちなく頭を下げると、颯斗さんは綺麗にお辞儀を返してくれた。


「今日からは『ただいま』だな」


 手を差し出されて自分の手を重ねると、上向きに手のひらを返される。

 そして、小さなキャンディが手のひらに乗せられた。


 なぜキャンディ?

 子供扱い……?


「ありがとうございます?」

「どういたしまして」


 夫婦の寝室、キッチンにバスルーム、颯斗さんの部屋に、私の部屋……。

 夫婦の寝室を見たときはドキリとしたけど、お互いの部屋に一台ずつベッドがあるので、ちょっと安心。

 

「よかった。さすがに一緒に寝るのは……」

「一緒に寝るつもりだが? 契約書にも書いてる」

「うそぉ」 

  

 契約書を見ると、本当に書いてあった。

 

 ひと通り見て自分の部屋に荷物を置いて整理していると、あっという間に時間が過ぎていく。


「私、お世話になってばかりではいられません。家事は慣れてますから、お任せください!」

「家事は俺も得意だ。任せてくれてもいいぞ」

「交代制にしましょうか?」

 

 相談していると、だんだんと状況に慣れていく。

 

「食べ物の好き嫌いを把握しておきたいから、教えてくれるか?」

「私、好き嫌いありません。なんでも食べられます!」

「俺もだ。気が合うな」

   

 颯斗(はやと)さんは料理を作って人に食べてもらうのが趣味らしく、再び私に美味しい料理を振る舞ってくれた。

 

「なんでもできるんですね」

「そうでもない。女性の相手は苦手だ」

「それは冗談ですか? とてもお得意そうです……」

 

 食べている姿を嬉しそうに見つめられると、少し恥ずかしい。

 愛情に満ちている表情に思えてしまって、愛されているのだと勘違いしてしまいそうになる。

 

「あの……あまり見ないでください。恥ずかしいです」 

果絵(かえ)にそんな可愛く恥じらう姿を見せられたら、押し倒してしまいそうになるな」

「……っ?」


 彼の手が私の口の端を掠めていって、そこに付いていたらしきご飯粒を取っていく。

 カァッと頬が熱くなった。

 言われた言葉は色気があるけど、ご飯粒をつけてる私には色気が皆無。

 からかわれてる気がする。

 

「い……嫌がることはしない契約です……」

「確かに」


 もじもじと言えば、颯斗さんは素直に頷いて、直後に「風呂は一緒に入るか?」という爆弾発言をした。

 

「結構です!」


 全力で遠慮すると、楽しそうに笑っている。

 

 この人は誰にでもこうなんだろうか。

 ぜんぜん『冷血』ではないけど、この調子だと会う女性は全員たぶらかされちゃうのでは……?

 想い人がいるくせに、女性を誘惑して弄ぶ罪な人みたい。

 

 食事の後は、ひとりでバスルームを使わせてもらった。

 

 バスルームはベージュ色のタイルがエレガントで、落ち着いた雰囲気だ。

 浴槽も大きくて、お湯に全身を浸して暖めると、ゆったりと手足を伸ばして寛げる。最高だ。

 

「気持ちいい……」

  

 特別な一日を緊張気味に過ごしたことで、疲れが蓄積していたのだろう。

 なんだかすごく眠くなって、私は目を閉じていた。


 そして――眠ってしまったらしい。

 

 気付けば、バスローブを着せられてベッドに寝かされていた。

 しかも、隣には颯斗さんがいて、逞しい腕に囚われている。


「……きゃっ!」 


 驚いて逃れようとすると、落ち着かせるように後頭部に手のひらが置かれた。

 

「起きたのか。まだ夜中だが、もう一度眠れそうか? 風呂から出てこないから見に行ったら寝てるから驚いたぞ」

「運んでくれたんですか? ……なんで一緒に寝てるんですか」

「俺が一緒に寝たかったから」


 一瞬、噂の『俺様』『サイコパス』という言葉が思い浮かんだ。

 

 颯斗さんは身を起こし、ウォーターサーバーからグラスに水を注いだ。

 水が注がれる濡れた音が、なんだか艶めかしく感じてしまう。


「起きたなら水分を取った方がいい。どうぞ」

「……介抱、ありがとうございます」

  

 お風呂で寝てしまうとは。

 そして、たぶんバッチリ裸を見られてしまっているのでは?


「み……見ました? 裸……」


 颯斗さんは当然の温度感で頷いた。


「君があまりに無防備で、我慢できなくなりそうだった」

   

 肉食の獣が捕食対象を前にしたような眼差しに、身が強張る。

 心臓の音が聞こえてしまいそうなくらい騒いで、動揺する頭が、変な言葉を発想してしまう。


「……私、颯斗さんは想い人に一途だと思ってました」

「俺は一途で、君しか眼中にない」

「皆にそう言ってるんですか? 颯斗さん、サイコパスとか冷血って噂あるの知ってます? ……っ!」


 グラスを置いて背を向けると、背後から抱きしめられて、うなじにキスが落とされる。

 思わず、おおげさに肩が震えた。

 

「そんなに怖がらなくても、無理強いはしない。おやすみ」

   

 囁かれた声は優しく聞こえた。


「……おやすみ、なさい」

「君と結婚できて、俺は幸せだよ。ありがとう」 


 颯斗さんに掠れた声でうっとりと囁かれて、じっとりと体温が上がる。


 勘違いしてはいけない。

 彼には、一途にずっと想い続けてる人がいる。

 では、今さっきかけられた言葉の意味は?


 私はしばらく考えて、思った。

 

 『君(みたいに都合のいい女性)と契約結婚できて、俺は幸せだよ』――という意味だったりして?

 

 この人を好きになってはいけない。

 これは、あくまでビジネスだ。

 

「いい契約をしてくださって、こちらこそありがとうございます」

  

 私は心の中で「よきビジネスパートナーであろう」と念じつつ、ぎゅっと目を閉じて眠った。

 

「――……俺の理性が試されすぎている……」

 

 眠りに落ちる間際、そんな囁きが聞こえた気がした。

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