56──終わる世界······
次話から新章になります。
誰かの声がした。
そして例えようのない不気味な気配がした。
いや、俺は知ってる。この気配を。
受け入れ難く、度しがたいこの不気味で不快な気配だけは忘れる訳がない。
シュユ、ペール、カミラ。
あの三人を醜い化け物に変えてしまったこの力の気配だけは間違えようのない。
戦慄が傷だらけの記憶を呼び覚ます。
「いやー、なかなかの反応をしてくれるじゃないか。そこまで思い入れのある子達だったのかな?」
声が近くに降りてきた。
見上げると、重い灰色の空から一人の影がするするとゆっくり降りて来ていた。
「邪魔になるだろうと思って先に始末したんだけど、勿体なかったかな」
微笑むような笑みを浮かべる謎の人物。
それが声の主だった。
「イルスっ!!」
キエラが俺の肩にしがみついた。その体が震えている。
恐らく、キエラも感じているのだろう。この人物から漂う、例えようのない悪意を。
「おやおや、そんなに怯えなくても大丈夫さ。少なくとも君はそこまで苦しまないよ」
そいつは男だった。若い男だ。多分、今の姿の俺と変わらないくらい。
男その物にはこれと言った特徴は無い。どこにでも居そうで、どこへ行ってもすぐに消えそうな、そんな印象の人間。
だが、どこにも居なさそうな気配。
もちろん、この世界にこんな奴は居なかった。ゲームプレイ時に存在しなかった。
異様な気配の謎の男。何かの司祭? のようなデザインの黒衣を纏っているのだけが特徴だ。
手に握られている黒の剣が俺の目に入った。
「いや~。まさか僕の力を分け与えたあの三人を全部倒すなんてね。観てる側からしたらワクワクするような展開だったよ」
まるで旧知の友に語りかけるような馴れ馴れしくて親しげな口調。
激しい生理的嫌悪が止まらない。
その男は音も無く地面に降り立つと、ニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「しかし、おかしいなあ。イルス、君はそんな強くなかったはずなんだが、どうしてそこまでやれたんだ? それに、彼女達を通して見た光景の中の君は、こう、何て言うのかなあ。同一人物とは思えない意気込みと言うか、パッション······そう、パッション、情熱だ! それを感じたよ」
「············お前は誰だ」
「おっと、そこからかい? おかしいねえ、自己紹介はもう以前に済ませたはずなんだが」
まあいいか、と言って肩をすくめる男。
「僕の名前は──まあ、名前なんてどうだっていいんだが、ここではシリウスと名乗る事にしたよ。イルス君」
「シリウス?」
やはりそんな名前のキャラは居ない。聞いた事もない。
「うん? 呆けた顔をしているね。それに雰囲気が大人しくなったかい? 初めて会った時は随分と馬鹿みたいだったんだが。おっと、気を悪くしないでくれよ。悪い事じゃあない」
「······お前が、シュユ達が言っていた“あの方”とかいう奴か?」
「イエス。まあ、呼び方はともかくとしてだ。僕が彼女らに『崩壊の力』を授けた。間違いないよ」
「·················」
「イ、イルス······」
この世界でも、現実の人生でも、自分の人生という中でこれ程まで誰かに憎悪の念を抱いた事があっただろうか。
血や内臓が口から吐き出そうだ。
「······キエラ、下がってろ」
「でも、イルスっ······」
「下がってろ!!」
「!!」
こいつだけは許せない。こいつだけは。
「······」
「どうしたんだい? いきなり怒鳴ったりして。見ろよ、彼女が怖がってるじゃないか」
呑気に言いながら、好奇の目を俺に向けてくる。
「ふーむ。本当に雰囲気が違うね。まるで別人だ。なるほど? 僕が君に興味を抱いたのはもしかしてそこからかな?」
「······」
「なあ、睨んでないで会話を楽しもうじゃないか。僕はね、人と話すのが大好きなんだ。語らうのは良いものだよ。人間の内面を見せ合う事ほど美しい鑑賞はない。特に、目の前で可愛らしい少女達をあっけなく殺されて、しかも今の今まで君の大切な思い出も醜く歪めてきた人物が居るんだ。どう思う? 遠慮しないで本音で答えてくれよ。それとも、もっと沢山の人間を苦しめた方が君の心が動いてくれて──」
「ふざけんなああああああああ!!!」
こいつの口を止めてやる。こいつの言葉を止めてやる。こいつの息を止めてやる。
こいつを終らせてやる。
「ああああぁぁ!!」
殴りかかった。恐らく、人生で初めて誰かに本気で殴りかかった。
拳は何も無い空気をから回った。
「ハッハハハハハ!! 素晴らしいよ! なんて魅力的なパッションなんだ!!」
から回る俺のすぐ側で、笑いと興奮を生み出しているシリウス。
「本当に興味が尽きないよ君は。ますます気に入った。久しぶりに良い友達になれそうだ!! だが、しかし。一方で何故かは分からないけど君には同時に敵意を抱くねえ。始末した方が良いと本能が訴えてる。不思議だ」
「うるせええええええぇっ!!」
こいつは! こいつだけは······!!
『死ニトウナイッ!!』
『死ニタクナイッス······』
『死ニタクナンカナイヨォ!!』
もう倒れて動かないカーリー。
二度と目を開けてくれないレン。
妹を庇って消えたローナ。
絶望したまま息絶えたメル。
「お前がっ!! お前がこの世界をっ!! 全部っ! 全部お前がああああああ!!」
「ハハハハハハハハハッ!! アッハハハハ!! 素晴らしい! 本当に素晴らしい!!リゲルも素晴らしかったが、君はもっと素晴らしいよ!」
「!! リゲルだとっ?!」
「おや? 覚えてないのかい? 君を救おうとしてあんなにボロボロになったあの姿を? あれも実に情熱的だったねえ。あの涙は忘れられないよ。最高に美しかったからね。ああいう生の感情こそ、僕の求める物だから。最後まで君を救おうとして自らを犠牲にしたあの美しさは堪らない」
「っ!!」
「ま、いいさ」
──ドッ──
「ガッ······」
腹に鈍い衝撃。息が止まる。意識が飛びそうだ。
シリウスの、邪悪な笑みと、尽き出された拳。
腹を殴られた。
それだけだ。
「グハッ······」
世界が回る。視界が灰色で一杯になった。
仰向けに倒れてるらしい。
「ぐっ、くそ······」
ただの腹パンだ。なのに体から力が抜けてしまったかのようだ。
「ぐっ······な、なんで······」
「ただのパンチでこんなにダメージが? かい? それこそ崩壊の力さ。見た目じゃなくて根本から力を奪うんだよ」
「······お前が奪ったのは力じゃねえっ! もっと、大切な物だっ······!」
なけなしの力を振り絞ってまた殴る。
だがそれも空回りに終わった。
「やれやれ、もっと話がしたいのにねえ。仕方ない。少し大人しくして貰おうか」
──ザシュ──
「!?? がっ! がああああああっ!!?」
また耐え難い苦痛が全身を貫いた。
腕が······動かない。
「こ、これはっ······!」
腕に黒いナイフが刺さっていた。腕の皮を切り裂き、肉を容易く貫いていた。
その威力は絶大だった。俺の腕はどれだけの意思を加えようと動かない。
「まったく。少しはさ──」
──ザシュ──
「があっ?!!」
「人の話を聞こうって言う気持ちが──」
──ズッ──
「ぐあっ!?」
「無いのかな」
──ザグッ──
意識が······飛びそうだ······
痛みと言う言葉では足りない。
どんな体験や言葉も、この苦痛を表現する事は出来ない。
もう、何も分からなくなる······
「イルスーっ!!!」
キエ······ラ······
駄目だ······こっちに来るな······
逃げろ······
せめて、お前だけは······
「おやあ? 君も加わりたいのかい?」
「あぐっ?!」
「どうしようか? 串刺し······それともこのままこの綺麗な首を捻切ろうか」
止め······ろ······
「離しっ······て······あがっ············かッ······」
「可愛いねえ。君みたいな子を見てると、こう、何て言うのかな。劣情? ちょっと自分で情けなくなる性癖みたいなのがね」
手を······離せ······キエラから······
「決めた! 君には最期の愛の言葉を彼に囁いて貰おう! そうだ、それがいい! フフフ、いつだって、愛を語らい愛に胸を裂かれる人間は美しいからね。偽りようのない感情の海さ。さて。この綺麗な身体を傷付けるのは忍びないが、失礼するよ」
──ザシュッ──
キ············
「キエラああぁっ!!」
ふわり、と。
俺の体に何かが覆い被さった。
身体の温もりだけじゃない。
ドロドロとして、ぬめりのある温かい何かが俺の胸の中に広がった。
もう、目もほとんど見えない。それが何かちゃんと見えない。
でも、声が聞こえた。
「イ、イルス······ごめん······ね······あた······し······最期まで役に······立てなくて······」
「キ······エ······」
「ごめん······ね············」
温もりが、力を失ってしまった。俺の胸の中で、ぐったりとした。
それは、もう動かない、
「キエ······ラ? キエラ?」
どうなったんだ? キエラ。返事をしてくれ。なあ、おい。キエラ? キエラ······。
「おや、ちょっと短かったなあ。もう少し急所からずらして刺すべきだったか。ま、いっか。イルス君の反応が楽しみだ。聞こえてるよね? さあ、感情の赴くままに振る舞ってくれ。君が今抱く素直な感情のままに。自由に、ね」
みんな。みんな死んだ。
キエラも。殺された。
「君だって人間だろう? ほら、感情は大切にしなくちゃ。神が我々に与えたもうた最大の宝は、僕らの胸の中から溢れる心の揺らぎなんだから」
こいつが。全部。みんなこいつが─────
「····································あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
「おおっ?!」
この身がバラバラになろうとも。
こいつだけは、許せない。
こいつ、だけは。
「ハッハハハハハハハ!! 良い顔だ! 感じるよ、君の感情の揺らぎを! 良い、実に良い! その濁りの無い無垢な感情がっ!! これだ! これこそ僕が求めて止まないものだ!!」
「がああああああああああっっ!!!」
もう自分が何をしてるのかも分からない。
「あがあああああああああっっっ!!!」
許さない。こいつだけは。
絶対に。許せないんだ。
「アッハハハハハハハハ!!! 最高だったよ、イルス君!! 君は本当に素晴らしい感情の群像劇を見せてくれた! 最期は劇的に終らせてあげないとね!」
目が、少し見えた。
身体の感覚がほとんど無いけど。その光景はいやにゆっくりと見えた。
「さようなら、イルス君! 最期まで僕を満足させてくれた君には感謝を!! なあに、心配いらないさ。僕の手の中で永遠に感情を震わせ続ける事になるからね!! それまでおやすみ!」
──ズサッザシュッズドッ──
「───────ぁ──────」
宙を俺の腕が舞っている。
血の雨が······降っている············。
闇が············降りてきた············
お疲れ様です。次話に続きます。




