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酒呑童子の災難  作者: 荒里あゆむ
3/4

3 三日月の夜


 半月が過ぎた。


 都からさらってきた中納言女は不思議と逃げ出す様子もなく、さらわれた境遇に悲しむ様子もなく、まるで昔からキドの里にいる家族のように普通に過ごしていた。

 与えられた食事をきちんと残さずに食べ、よく眠り、よく笑った。弟たちはまるで妹でもできたかのように、中納言女の面倒を見、また可愛がった。


 三男のリョウマは食事を作るときには彼女の小さい口を思いやって、彼女の皿だけは肉を細かく刻んだり、よく煮込んだりして食べやすくして出すようにした。しばらくすると、やせ細っていた中納言女の体は少しずつふっくらとし、顔色も良くなってきた。


 四男のギスケは中納言女とよく話をした。中納言女は無口で自分から何かを話すということは全くなく、またギスケが話しかけても頷いたり小首をかしげたり鼻根にしわを寄せたり遠くを見つめる目をしたりするだけで、会話というよりもギスケが一方的に喋っている状態に近かった。


 しかしギスケの話は中納言女にとっては楽しいらしく、彼女はしばしば声を上げて笑った。

 あまり楽しそうに笑うので、ギスケは中納言女に『笑美』というあだ名をつけた。それから兄弟はみな中納言女のことを親しみを込めて「えみ」と呼ぶようになった。中納言女もその名前が気に入ったようで、呼ばれると「はい」と気持ちのよい返事を返した。


 末っ子のトシゾウは笑美をよく外に連れ出した。末っ子と言ってもトシゾウは兄弟の中で一番背が高かったので、笑美と並んで歩く姿はまるで父親と幼児のようだった。

 トシゾウは兄弟の中で一番、笑美が家に来たことを喜んでいる様子だった。いつもより早起きをして畑仕事を終わらせると急いで走って家に帰り、笑美を連れて遊びに行くのがトシゾウの日課になった。


 笑美は泳げなかった。トシゾウは熱心に川で泳ぎ方を教えたが、なかなかうまくならない。結局、トシゾウが泳ぎ笑美が川辺でそれを眺める日常に落ち着いたが、笑美はトシゾウが泳ぐのを見るのが好きな様子で、いつもにこにこしながらトシゾウが飛沫を上げるのを見つめていた。


 トシゾウは笑美を山にも連れて行った。山菜の取り方や毒草の見分け方、木の実や薪の拾い方などを教えた。花がたくさん咲いているところに連れて行った時は、笑美は珍しく興奮して何度も「きれい」と声を上げた。


 笑美はそのうち家の仕事を進んで手伝うようになった。リョウマの食事の支度を手伝ったり、川で洗濯をしたり、薪拾いを手伝ったりした。

 サスケは弟たちが笑美と打ち解けていくのをみて気が重くなった。さらに数日ほど経ったある日、ヨイチが言った。


「サスケ、そろそろいいだろう」


 その夜、弟たちが寝静まったのを見計らって、サスケは笑美を揺り起した。笑美はぱちりと目を開き、彼女をさらった夜と同じ目でサスケを見上げる。


 サスケは笑美を抱き上げて家を出た。今度は肩に担ぐのではなく、赤ん坊を抱きかかえるように胸に抱いた。

 サスケのいつもとは違う雰囲気を察したのだろう、笑美の体が緊張しているのをサスケは背中に回した手の感触で感じた。


 サスケは少し離れた隣家に向かった。その家はキバの家族の家だったが、十年前に血が絶えて以来、空き家になっている。サスケは玄関の戸を開けて土間に上がった。


 部屋の中ではヨイチが布団の上に座って待っていた。すでに着物を脱いで裸になっている。蝋燭の炎に照らされて、ヨイチの岩のように盛り上がった筋肉が茶褐色に浮かび上がっている。笑美はこれから何が起きるのかと不安な表情でサスケを見上げた。サスケはその視線を避けるように前を向いたまま彼女を床に座らせると、ゆっくりと諭すような口調で語った。


「俺たちの里は呪われていて、もう何十年も女が生まれていないんだ。だから君には申し訳ないのだが、兄者の子を生んでもらいたい」

 笑美の顔にさっと悲しみの色が浮かんだ。唇を固く結んで、今にも泣き出しそうな顔でサスケの顔を見つめている。サスケは笑美の目を見ることができなかった。気まずい沈黙が流れた後、笑美は諦めたように小さく頷いた。


 サスケは笑美を置いて逃げるように家から出た。中の物音を聞きたくなくて、家からすこし離れたところにある大石の上に腰かけて、夜空を見上げて待った。上弦の三日月がちょうどサスケの頭の真上に上がっている。草むらから虫の声が聞こえた。「もう夏か」サスケは家の中でこれから起こることを頭から追い払うように、ぼそりと呟いた。


 しばらくして、家からヨイチが一人で出てきた。ヨイチはサスケに歩み寄ると力なく言う。

「隠門が小さすぎて入らんかった」がっくりと肩を落としている。

「お前が試せ、俺より体が小さいから大丈夫かもしれん」

 サスケは頷くと立ち上がって空き家に向かった。体が小さいといっても、兄のヨイチより拳一つ分くらい背が低いくらいだったので難しいのではとサスケは思ったが黙っていた。


 空き家に入ると、笑美が布団の上で裸で正座をしていた。傍に彼女の夜着がきちんと畳んで置いてある。布団には血が付いていた。

 笑美がサスケを見上げた。泣きはらしたのだろう、目が赤かった。しかし、その表情は強い覚悟の光をたたえるように、むしろ安らかで、まっすぐにサスケを見つめている。


 サスケは胸の奥から何か熱湯のような流れが噴き出るの感じて、思わず笑美に駆け寄るとその小さい体を抱きしめた。

「すまん」無意識に謝罪の言葉が口から漏れた。

 笑美の腕がサスケの背中に回され、意外に強い力で抱きしめ返して来る。笑美はサスケの耳元に口を近づけて小声でいった。


「いいのです、どうぞ私をお抱き下さい」

 サスケの目から涙がこぼれた。

 サスケは「すまん、すまん」と何度もうわ言のように謝り続けた。


 その謝罪の言葉に反するように、サスケの股間の物は健康な青年の生理現象に従って硬くなっていた。笑美はそれに気づいて、サスケから体を離すと仰向けになり、脚を開いてサスケを見つめた。

 サスケは驚いて笑美を見下ろした。暗がりに笑美の透けるように白い肌が浮かび上がっている。笑美は、まるでこの世の全てを包み受け入れるような優しい目でサスケを見上げている。また一筋、サスケの目から涙がこぼれた。


 サスケは決心した。笑美を抱き起こして言う。

「おまえはここに居てはいけない。都に帰してやる、兄者には俺から話す」

そう言って布団の横に畳んである衣服を拾い、笑美の肩に掛けた。


 サスケは笑美を抱えて家の外に出た。家の前ではヨイチが待っていた。サスケは兄のヨイチに自分もダメだったと嘘をついた。ヨイチは弟たちにも試させると言ったが、サスケは猛反対した。笑美を可愛がっている弟たちを巻き込むべきではないと思った。


「では、別の女をさらいに行くしかない。今度はもっと体の大きな女を連れてくる」ヨイチは苦しげな顔でいう。


「兄者、もうやめよう。これは里の運命だ、受け入れるしかないと思う」

「だめだ、俺は諦めない。キドの血筋は絶対に絶やさない。母者の最後の言葉は『里を守れ』だった。だから長男の俺には責任がある。お前が行かないのなら俺一人でも行く」


 長兄の責任を持ち出されては、サスケはもうそれ以上反論はできなかった。

「分かった、納得はできないが兄者に従おう。ただ、笑美は都に帰そう、もう彼女をここに置いておく理由はない」

 サスケの言葉にヨイチは頷きながら「次の新月の日に出発する。準備をしておけ」といった。


 笑美は兄弟が会話をする間、抱きかかえられたままじっとサスケの顔を見つめていた。その表情は肯定でも否定でもなく、一見無表情に見えて何かを訴えているようにも感じられたが、サスケにはその気持ちを正確に推し量ることはできなかった。


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