2 花園中納言女
「サスケ!」ヨイチが小声でサスケを促す。
サスケははっと我に帰って女を持ち上げて肩に担ぐ、その体は驚くほど軽かった。
素早く裏庭に降りて屋敷の土塀に移動する。サスケはヨイチの背中を踏み台にして塀の上に登る。
その時、それまで静かだった女が突然叫んだ。
「だれかたすけて!」
女の高い声が静まり返った通りに響き渡る。
ちょうど運悪く、通りの角から見回りの兵士が三人、姿を現した。女を肩に担いでまさに、塀の上に足を掛けている格好のサスケを見つけて大声で叫び声を上げる。
「鬼だ、鬼が出た!」
サスケはひらりと塀から飛び降りヨイチもそれに続く。そして兄弟は全速力で街の外壁に向かって走り出す。
兵士の一人が呼子を吹いた。それまで静かだった通りはにわかに騒がしくなり、街のあちこちで怒鳴り声や呼子の音が聞こえた。ヨイチは腰の刀を右手で構えて先に立って通りを駆け抜ける。
区画を二つほど過ぎたあたりの曲がり角で兵士の集団と鉢合わせした。改めて近くで見ると兵士たちはみな小柄で、顔がちょうどサスケの腹のあたりの高さだった。
兵士たちは目の前に突然現れたサスケとヨイチを見上げると恐怖で顔を引きつらせ悲鳴を上げ、ある者は腰を抜かしてその場に座り込み、別の者はくるりと踵を返して刀を放り出し一目散に逃げ出した。
兄弟はその隙を見て走り抜け、先ほど越えてきた都の外壁に到着する。ヨイチがサスケに背中を貸そうとした時、後ろから武士の一団が追いついてきた。その武士たちは刀を青眼に構え気合の叫びを上げながら勇敢に襲いかかってくる。
ヨイチは向き直ると武士たちをぐっと睨みつけ、街中に低く響き渡る大声で雄叫びを上げた。武士たちが一瞬ひるむ、ヨイチが大きく前に踏み込んで大刀を左下段から強烈に横になぎ払う。鈍い金属音が短く連続して、前の二人の武士の刀がほぼ同時に中程で真っ二つに折れた。
武士の集団はヨイチの反撃に後ずさりをする。その隙をみてヨイチは刀を兵たちに向けたまま壁際に下がり、右膝を折って左膝を立てた。サスケは女を肩に担いだままヨイチが立てた左膝を踏み台にして、巨体に似合わない素早い動きでふわりと壁の上辺に飛び乗る。そしてすぐさま向き直り女を抱えていない右手でヨイチを引っ張り上げた。
壁の上から見下ろすと、武士たちは二人の軽々とした身のこなしを唖然とした表情で見上げている。兄弟は壁から街の外に飛び降り、背の高い草むらに身を隠すと一目散に里の方角に向かって走り去った。
山歩きに慣れたヨイチとサスケは追っ手を完全に引き離した。女は最初は声を上げて暴れていたが、サスケの鉄のように固い腕に完全に自由を奪われて観念したのか、徐々に大人しくなった。
兄弟は山道を夜通し駆け、夜が明けて日が傾いた頃に大江山に帰り着いた。里の入り口の川辺で女を下ろして一息つく。ヨイチは緊張が解けて疲れが出たのか、少しぐったりしているように見えた。
「名前は?」サスケが女に尋ねる。
「私は花園中納言女です」
女は姿勢を正し、小さいが凛とした声ではっきりと答える。心に直接染み込んでくるような声音だった。
「はなぞの?」
ヨイチが聞き返すと女は毅然と首を縦に振る。
「兄者、ここに捨てて行こう」サスケが川を指差して言うとヨイチが「そうだな」と応える。
中納言女は自分が捨てられると思ったのか、ひどく怯えた表情になった。サスケは女をうつ伏せに押さえつけて帯を解いた。中納言女は弱々しく抵抗したが、サスケは有無を言わさず衣服をすべて剥ぎ取る。
中納言女の夜着の内側には大量のシラミが張り付いていた。サスケはその着物を川に投げ捨てる。
仰向けにすると女は恥ずかしそうに胸を隠した。中納言女の体は異様にやせ細っており、その両腕は骸骨のように細く、胸には肋骨が浮き出ている。肌はかさかさで所々擦り傷ができて黒く膿んでいる。
サスケは今度は自分の着物を脱いだ。筋肉質の浅黒い上半身が露になる。半日以上、中納言女をかついでいたので、女のシラミが着物に移っていた。全裸になり、やはり同じように服を川に投げ込む。
すぐ横でヨイチも裸になって服を川に投げ込んだ。サスケは中納言女を抱き上げるとそのまま川に飛び込んだ。
サスケは中納言女を左手で支えながら仰向けに川に浮かせて、右手で女の髪を洗い始めた。ノミとシラミを洗い流すためだった。中納言女はサスケの腕に体を預け胸を隠したまま大人しく目を閉じている。ヨイチも少し離れた流れで自分の髪を洗っている。
サスケが女を洗い終わるとヨイチが先に川から上がり、サスケは女をヨイチに手渡し、今度は自分の髪を洗い川から上がった。
サスケは次に荷物から布を取り出して中納言女の体を手早く拭いてやると、裸のまま女を担いで歩き出した。
村に入ると畑仕事をしていた四男のギスケと末っ子のトシゾウが気がついて近寄って来た。物珍しそうにサスケが担いでいる中納言女を眺めている。二人は母以外の女を見るのは生まれて初めてだった。
「おいギスケ、家に戻ってお湯を沸かしておいてくれ」
サスケが言うとギスケは「わかった」とうなずき走り出す。
「トシゾウは着物を出しておいてくれ。おまえが子供の頃に着ていた小さいやつだ」
サスケが言うとトシゾウは黙って頷きギスケの後を追って駆け出した。
サスケたちが家に着くと三男のリョウマが夕食の支度をしていた、サスケが担いでいる裸の女を見て目を丸くする。
「腹がへった、飯を頼む」
ヨイチが土間に座り込んで言う。
リョウマが炊いた飯を握って渡すと、ヨイチはそれを一口で食べ、裸のまま土間に横になり、いびきをかいて眠り始めた。
リョウマはあと二つ、握り飯を握ってサスケに渡す。サスケは一つを自分の口に咥えながらもう一つを中納言女に手渡した。中納言女は握り飯を恐る恐る受け取ると、小さく唇を開けて口に含んだ。
戸口からギスケが顔を出す、手にに持ったタライからは湯気が立ち上っている。
「そこに置いてくれ、あと手ぬぐいを何枚か頼む」
ギスケは手回し良く用意していた新しい手ぬぐいを懐から取り出してサスケに渡す。
サスケは土間にあぐらをかいて座り中納言女を腿の上に座らせると、手ぬぐいをお湯につけて絞り、まずは丁寧に女の顔を拭きはじめた。中納言女の顔はところどころ泥がこびりついていたが、サスケが拭き取ると見違えるように綺麗になった。
サスケは次に肩、胸、背中、腰と順番に上から下へ丁寧に女の体を拭いて行く。最後に足を念入りに拭くと抱え上げて床の上に座らせ、トシゾウのお古を着せてやる。
中納言女はサスケにされるがままに目を閉じてじっとしていた。弟たちは兄が突然連れ帰ってきた女を取り囲んで、物珍しそうに観察している。
「その女、逃げないように見張っておけ」
サスケは弟たちに指示するとどっと疲れを感じてそのまま床に倒れこむように眠りに落ちた。