1 平安の都
1 平安の都
大江山の斜面に朝日が差し始める頃、長らく病に臥せっていた母のシズネが息を引き取った。
サスケは兄のヨイチと三人の弟の五人で母の亡骸を裏山に運び、丁重に葬った。末っ子のトシゾウはその間、大きな体を震わせてずっと泣き続けていた。
「兄者、これからどうする」
サスケが分厚い肩を力なく落として、途方にくれた口調でいう。
長男のヨイチは巨体を震わせながら「平安の都から女をさらってくるしかなかろう」と吐き捨てるように言った。
三人の弟が不安そうに長兄の顔を見る。サスケは兄の言葉にピクリと反応したが返事はせず、まだ泣きじゃくるトシゾウの肩を支えるように抱いた。
兄弟はとぼとぼと歩いて山を降り里に帰り着いた。山あいの村は午前中の日差しに包まれて、十棟ほどのあばら屋がうたた寝でもするようにのんびりと佇んでいる。
村には昔は四十人ほどの村人が住んでいたという。しかしある時を境に里に女が産まれなくなった。後継を残すことができなくなった家は次々に断絶し、最後にサスケたちキドの本家だけが残された。母のシズネは里の最後の女だった。
兄のヨイチは家に帰るとすぐさま旅支度を始めた。恐らく以前から心を決めていたのだろう、黙々と支度をするヨイチの表情からは固くて悲壮な決心が読み取れた。荷物をずだ袋に詰めて背負い、最後に床の間に置いてあるキド家に代々伝わっている大刀を丁重に取り上げて腰に差す。
「俺も行く」
サスケは完全には納得していない表情で支度を始める。
昼前、サスケは弟たちにいつもどおり野良仕事と薪集めをやっておくように言い含め、ヨイチと共に里を出た。
山を二つ越えて平野に出る頃にはとっぷりと日が落ち、あたりはしっとりとした暗闇に包まれた。目の前の小高い丘に登るとそこは一面にツユクサの青い花が咲いており、その向こうの闇に、巨大な平安の都がうっそうと浮かび上がって見えた。
兄弟は地面に伏せて都の様子を伺った。都は四周を外壁に囲まれており、その内側は碁盤の目のように南北に整然と道が引かれている。道で区切られた区画のそれぞれには、何千という家屋の黒い影がひしめくように並んでおり、そのひとつひとつに人が住んでいると想像しただけでサスケは軽いめまいを覚えた。
街の方から風に乗ってうっすらと異臭が漂って来る。サスケは顔をしかめた。平安の民は非常に不衛生で所構わず排泄をするという噂だった。
「どうする? 兄者」サスケが臭いに耐えかねて手で鼻を覆いながら問う。
「行ってみよう」答えたヨイチの声はかすかに震えていた。
兄のヨイチは子供の頃に一度、叔父に連れられて都に来たことがあるという。
ヨイチの話では、都の住人は大人でもみな子供のように小柄なのだそうだ。しかし性格は凶暴で戦いを好むとのことだった。
兄弟は物音を立てないよう慎重に草むらをかき分けて進む。外壁の近くまで行って様子を伺うと見回りの兵士が数人、酔った笑い声を上げながら目の前を通り過ぎていった。兵士たちは確かに子供のように背が低かったが、サスケにはそれほど凶暴な人種のようには見えなかった。
二人は素早く外壁の際に移動する。外壁はなんとか超えられそうな高さだった。ヨイチがサスケの背中を踏み台にして壁の上辺に飛び付き、その後、サスケに手を差し伸べて引き上げる。
壁の内側に降り立つと、先ほどの異臭がさらに強烈に鼻を突く。里では兄弟が順番で便所の掃除をしていたが、誰かが何日か掃除をさぼったときのまさにその不快な臭いだった。サスケは吐き気をもよおして鼻を覆った。
兄弟は建物の陰に隠れながら慎重に様子を伺い先に進んだ。夜はすっかり更けて真夜中になっている。街の中に整然と伸びる通りはどこもしんと静まり返っており、ときおり見回りの兵士の一団が酔声を上げながら通り過ぎるだけだった。
「どこかの家に入ってみよう」ヨイチが小声で言う。
サスケは緊張して返事をする代わりにごくりと唾を飲み込んだ。
薄暗い街路を進むうち、左右に長い土塀で区切られた一角が現れた。塀の内側には松明が灯されているようで、夜空に炎の光が浮き上がって見えている。
二人は辺りに人影が無いことを確認すると素早く土塀に駆け寄り、ひらりと塀を越えて内側に忍び込んだ。
そこは恐らく貴族の屋敷なのだろう、敷地の中にはかがり火の炎に照らされた立派な建物が建っていた。二人はかがり火の光を避けて建物の裏手に回る。
建物の裏は縁側になっており、小ぢんまりした庭に面していた。開け放たれた障子の内側を伺うと部屋の中に蚊帳が張られており、その中に人が寝ている気配がした。
ヨイチが腰の刀を抜き放つ。刃に月の光が反射して銀色に光った。ヨイチは音を立てないように足を忍ばせて縁側に上がり部屋に忍び込む。サスケも周囲を警戒しながら足音を殺してその後に続く。
部屋に入り蚊帳を持ち上げると、何かの良い香りがふわりと漂う。中には布団が敷かれており、一人の女が寝息をたてていた。
兄弟は目で合図をしてうなずき合う。サスケは慎重に女の傍に移動し、布団の中に手を差し込んで女を抱きかかえる。先ほどの甘い香りがサスケの鼻腔に強く広がる、その時、女がぱちりと目を開いた。
目が合った。
女は騒ぐ様子もなく、不思議そうにサスケを見上げている。月明かりに照らされた女の顔は、サスケが今まで見て来たものの何よりも何倍も美しかった。胸の奥から暖かいものが沸き起こり、酔った時のように頭の芯が痺れてそのまま女を抱きしめたい衝動に駆られた。