死者が呼ぶ声
大学生の佐野裕貴は事故によって長く入院していた。春になりようやく退院することができた。
5分で読めるホラー小説です
二ヶ月も入院していたので季節は春を迎え、大学はフレッシュな新入生で賑やかだった。俺は学生でひしめき合うキャンパスを横切り、情報サロンがある管理棟へと向かっていた。
四年生になり本腰を入れ就職活動に専念しなければならないのに、大怪我で春休みを棒に振り、出遅れてしまった感は否めず正直少し焦っていた。
こうして元気に退院したのに誰ひとり電話一本、LINE一つ寄越さず、友達甲斐が無く薄情にも思ったが、皆就職戦線に勝ち抜くことで頭がいっぱいなのだろう。俺も負けてはいられない。
ネットでは手に入らない有用な資料は片っ端から鞄に詰めて帰ってきた。せっかく行ったのに、サロンにも、構内にも、見知った顔はなかったから拍子抜けしてしまった。
学生寮に戻るのも二ヶ月ぶりだ。
『佐野裕貴』と書かれた郵便受けを覗いてみる。中は空っぽだった。留守中の郵便は寮長さんが管理しているはずで、大声で呼んでみたが返事はなかった。この時間帯だから犬の散歩にでも出掛けているのだろう。俺はまた後で訊ねてみようと思い、部屋へ向かった。
寮の奥は薄暗く西日も届かない。しかし照明が灯る時間には早く、長い廊下にはどんよりと夕刻の気配が横たわっていた。
向こうから真っ直ぐ人影が近付いてくる。寮生のひとりだろう。すれ違いざま挨拶しようとして俺は息を飲んだ。信じられず、何度もまばたきしてしまった。
一瞬にしてゾーッと全身が寒くなり、大きく避けるように壁に背をつけ、通り過ぎるのを見送った。俺は泡を食って、脇目も振らず、階段を上がり三階にある自分の部屋へ逃げ込んだ。
──そんな馬鹿な。今のは二年生の中村だ。
頭の整理がつかず、恐怖のあまり足はガクガク震えている。中村はもう死んだはずだ。
不意に異様な気配を感じた。窓に近付きカーテンを開け、俺はあっと言ってそのまま後ろのベッドに倒れてしまった。ベランダにいたのは同じ四年の石黒だった。
中村同様、石黒も事故で死んだはずだ。窓に貼り付き石黒はしきりになにかをつぶやいている。聞こえずとも口の動きですぐに分かった。サノ……サノ……と、俺の名を何度も繰り返している。こっちに来いと言わんばかりに呼び掛けられているようだった。
その時、部屋のドアが叩かれた。等間隔にドン、ドン、ドンと音は続いた。それはもう一人の仕業だろうと直感し、こわごわドアに耳を当てると、かすかにサノ……サノ……と聞こえてくる。やはりそうだ。寮で一番親交があった渡辺の声だ。
サノ……モドッテキタ……オマエヲツレニ
俺は震え上がった。なにかを喋ろうとしても得体の知れない恐怖に声を奪われてしまった。呼吸は浅くなり全速力で走ったかのように息が苦しい。洗面の鏡に映った顔は恐怖で無様なまでに老け込んでしまっている。俺はベッドに入り頭まで毛布をかぶった。歯の根が合わず、奥歯のガチガチが止まらなかった。
二ヶ月前、俺たちは長野へスキー旅行に出掛けた。そこであってはならない悲惨な事故が起きた。居眠り運転が原因でツアーバスがトンネルの壁に激突。二十数名もの多くの命が奪われてしまった。可哀想に寮の三人は即死であった。俺もその事故で重傷を負ったが、数少ない生き残りだ。三人は助かった俺を許せず、でてきたに違いない。スキーに誘った俺を恨んで呪い殺すつもりだろう。まるで死神だ。死神に目をつけられてしまっている。
俺はその晩まんじりともせず、震えながら朝を迎えた。
それ以来、三人はところ構わず俺の前に現れた。電車の中や面接会場についてきては恨めしそうに立っている。寮で入浴中、湯船に頭が浮かんでいるのをみて心臓が止まりそうになった。
毎日執拗につきまとわれ、俺はノイローゼになってしまった。げっそりし、心身に限界を感じていた時だ。住職を招き、故人の供養を行うとの通知が寮の掲示板にある。それを見て、俺は少し気持ちが楽になったような気がした。
三人の遺族も参加し慰霊の日を迎えた。お坊さんは亡くなった各人の部屋に入り経文を唱え、寮生の俺達も総出で手を合わせ彼らの冥福を祈った。そこはかとなく俺を恨むのはお門違いだ、事故は俺のせいじゃないと訴えた。若くして命を落とし無念なのは分かるが、未練は捨て、安らかな眠りにつくことを願った。
三階へ向かった。寮長は次の部屋を案内した。
──こ、これは、いったい?!
気がつけば、うちの両親の姿がある。俺はどういうことかわけがわからなかった。ずっと母さんは泣いている。おもむろに母さんは涙を飲んでいった。
「裕貴、お願い。もう成仏して頂戴」
──そ、そんな、まさか俺はもう……
住職が手を合わせた。
「摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多……」
からだが透けている。不思議と恐怖は感じなかった。やがて俺の肉体は宙空に拡散し、周囲の空気に消えてしまった。
怖い話ではないと思います。
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