沈黙の歌姫1
女神の祝福を受けたアーダン聖王国。
この国では長きに亘る平和と共に多くの文化が花開き人々はその繁栄を謳歌していた。
今日は建国三百周年を祝うパーティーが異世界のニッポンという国にある会場で行われている。
王国中の有力貴族や近隣諸国から招かれたゲストたちが集まって異世界の珍しい料理を楽しんでいた。
「オーズ殿、本日はこのような素晴らしい席にお招きいただき有り難うございます」
「これはリウム陛下、ようこそいらっしゃいました。本日は存分にお楽しみください」
会場の中央で優雅な佇まいで参列者たちから羨望の眼差しを浴びているのはここアーダン聖王国の王太子であるオーズ殿下と隣国エルウィンの若き王であるリウム陛下のふたりだ。
エルウィンは平和なアーダン聖王国とは異なり多くの魔物が棲息する暗黒の大森林と領土を接しており、魔物に対抗する為に結成された勇敢な騎士団を有する軍事大国である。
リウム陛下自身も領内を荒らしたグリフォンの討伐など多くの武勇伝を持つ人物だ。
お互い簡単な挨拶を交わした後で徐にリウム陛下がオーズ殿下に訊ねた。
「ところでオーズ殿は最近聖女様とご婚約をされたとか。差し支えなければ私にもご挨拶をさせて頂けないだろうか」
「ああ、あれですか……」
一国の王が友好国の王太子の婚約者に挨拶を求める。
通常ならば取り立てて珍しい光景ではない。
しかしオーズ殿下は一瞬気まずそうに眉をしかめ、不自然に間をおいた後に答えた。
「いえ、それには及びませんよ。婚約者と言ってもこの国のしきたりによって定められた形式的なものなので。それにあれは聖女といっても下賤な生まれで最低限の礼儀も知らぬ女。お会いになられても陛下のお気を悪くされるだけかと」
「……ああ、そうでしたか。承知しました」
リウム陛下は残念そうな表情を浮かべ、オーズ殿下に一礼をするとその場を離れた。
会場の参列者たちはその様子を気にする事もなく談笑と食事を楽しんでいる。
さて、たった今オーズ殿下より酷い言われようでご紹介に上がったのがオーズ殿下の婚約者である私ミューティアである。
礼儀も知らぬ下賤な生まれの女という評価については正しくオーズ殿下の仰る通りでそれについては反論の余地はない。
寒門の出である私がオーズ殿下の婚約者として定められこのパーティーに出席できているのは、何の因果か女神の神託によってアーダン聖王国の聖女に選ばれてしまった人間だからに他ならない。
聖女とは女神の代理としてその歌声で人々の心身を癒す役割を与えられた女性の事である。
この国では聖女となった者は出自に関わらず国王の妻となることが慣例となっている。
そして聖女を娶る事で王は民衆から聖王と呼ばれ神格化され、その支配力を盤石なものとするのだ。
早い話が聖女とは王家の箔を付ける為の道具に過ぎないのであるが、この国ではいちいちそんな事に疑問を持つ人間はいない。
私も過去の例に漏れずにやがてこの国の王に即位する事が決定されている王太子オーズ殿下の婚約者に定められていた。
しかし幼い頃に流行り病で両親を亡くし町外れの小さな孤児院で充分な教育を受ける事もできず育てられてきた私は王侯貴族のマナーや教養などまるで身につけていない。
文字の読み書きだって満足にできないレベルである。
当然他の参列者たちとの共通の話題もなく、誰とも接する事なくこそこそと隠れるようにひとり会場の端で食事をしていた。
勿論私にだってそれを恥じる心もあれば向上心だってある。
いずれは立派な王妃となる為に礼儀作法や学問についての勉強をしようと思ってはいるのだが、聖女となった私を取り巻く環境がそれを許さなかった。
聖女の毎日は多忙を極める。
朝日が昇るよりも早く礼拝堂の女神像の前に待機し、救いを求めてひっきりなしにやってくる民衆に向けて癒しの歌を披露し続けなくてはならない。
そのお務めは昼ごはんを食べる時間すら取れない程忙しく、深夜帰宅した時には疲労と眠気でへとへとになっている。
そのままベッドで気を失うように眠りにつき、翌日はまた朝日が昇るよりも早く寝惚け眼を擦りながら礼拝堂へ向かわねばならない。
教養を身につける時間的余裕なんてどこにあるというのか。
しかしこの国の民衆たちはそんな私の事情などまるでお構いなしだ。
聖女なら民衆への奉仕は当然の義務であると考えている彼らには私を労わる気持ちは全くないらしく、逆に私自身の体調の不良などで癒しの効果が少なかったりすると容赦ない罵詈雑言を投げつけてくる始末。
もし私が貴族の生まれだったとしたらこんなにも酷使されることもなく、また民衆たちの態度も違ったのだろうが、孤児だった私を敬う者なんてこの国には誰ひとりとしていなかった。
きっとオーズ殿下が即位して私が正式に王妃となってからもそれは変わらない。
オーズ殿下の寵愛を受ける事になるのは私ではなく殿下の第二、第三夫人となる貴族の令嬢たちだ。
最近は私がこのまま過労で倒れたらどうなるだろうかという事をよく考える。
きっと女神の神託によって私の代わりとなる新たな聖女が現れるだけだろう。
いわば私は使い捨ての聖女だ。
だからと言って身寄りのない私は役目を放棄して逃げる事もできない。
考えれば考える程絶望感に苛まれた。
そんな辛い日々が続いていたある日、ついに私の身体に変調が訪れた。
今朝目を覚ますと声が出なくなっていたのだ。
喉を酷使し過ぎた為かストレスが原因かもしくはその両方かは分からないがとにかく私の声が出ない事には癒しの歌を歌う事ができない。
今日は建国三百周年のパーティーに参列する為に聖女の努めは休めるが、今日一日で治らないと大変な事になる。
私が癒しの歌を歌えなくなったと民衆たちが知れば暴動を起こしかねないだろう。
何せ私が死ねば代わりとなる新たな聖女が現れるのだ。
役立たずとなった私が聖女を引退して無事に余生を送る事を許される可能性は皆無だろう。
そんな最悪の事態を思い浮かべながら会場の端っこで喉に良いというハーブティーを飲んでいると、煌びやかなドレスを身の纏った一人の女性が私に近付き声を掛けてきた。
「あら聖女様。こんなところでおひとりでどうなさったのですか?」
彼女の名はルリカ・フォン・グロリア。
代々優れた音楽家を輩出したグロリア公爵家の令嬢であり、その美しい歌声は多くの殿方を魅了してやまないという。
私は極力失礼が無いように見よう見まねで覚えた作法で礼をする。
しかしそれは逆効果だったようだ。
「何ですのその品のない所作は。私を馬鹿にしているのかしら?」
「……!」
声を出せない私は弁解する事もできずにフルフルと首を横に振るがルリカは私が一言もしゃべらないのが気に入らないのか苛立ちを露わにするばかり。
「何か仰ったらどうなの? 平民風情が聖女としてちやほやされてるからってちょっと調子に乗っているのではなくて?」
勿論そんなつもりは毛頭ない。
単純に声が出ないだけなのだ。
「……」
私は身ぶり手ぶりでそれを伝えようとするが一向に伝わらないのがもどかしい。
「なんだなんだ?」
「揉め事か?」
その不穏な空気は忽ち会場内に広がり参列者たちの視線が私たちに集まる。
そして彼らの隙間を掻い潜るように近付いてきた一人の青年が私たちに強い口調で問い質した。
「おい、何をやっているんだお前たちは」
見れば私の婚約者である王太子オーズ殿下だ。
──オーズ様ならこの状況を収めてくれるはず。
ふいに現れた助け船に私は安堵し胸を撫で下ろす。
しかし次の瞬間ルリカは態度を一変し、馴れ馴れしくオーズ様の腕にその豊満な胸を押しつけるようにしがみつきながら猫なで声を発した。
「オーズ様ぁ。私大衆の面前でミューティアさんに恥をかかされましたの、しくしく……」
「何だと? 一体何をされたんだ!」
「ミューティアさんがおひとりで食事をされていたのが見えましたのでご挨拶に伺ったんですけどぉ、私の事無視するんですぅ。きっと女神に選ばれた聖女様にとってはちょっと歌が得意なだけの私なんて挨拶を交わす価値もない虫けらのような物なのですわ」
ルリカは上目使いをしながら涙声でそう訴えると忽ちオーズ殿下の顔が険しくなる。
「何だと!? おいミューティア、お前何様のつもりだ。無礼にも程があるだろう。今ここで彼女に謝罪しろ!」
「……!」
「何とか言ったらどうだ!」
誤解だ。
声が出ない私は懸命に身ぶり手ぶりでその事を伝えようとするが、オーズ様も一向に分かってくれる様子はなく顔を顰めるばかり。
むしろ首を横に振りながら口をパクパクさせて喉を指差すなどの分かりやすいジェスチャーしてるつもりなのにどうして伝わらないんだろうという疑問が湧き上がってくる。
一向に言葉を発さない私に対して業を煮やしたオーズ様は「はぁ」と大きな溜息をついた後に語尾を荒げながら言った。
「ミューティア! お前のような身の程を弁えず自惚れた女を妻に娶る事は出来ん。お前との婚約は破棄させて貰う!」
「!?」