繰り返される婚約破棄6
パーティーに出かける準備が終わり、フレッド殿下と王室の馬車の客車に乗り込みます。
その後ろをお父様とお母様を乗せたアッカード侯爵家の馬車が続く。
一週間前、ゴードン殿下と私の婚約のお披露目パーティーではお父様とお母様は病を理由に欠席していました。
今思えばふたりは単純に気乗りがしなかったので適当な理由をつけてボイコットしただけのような気がします。
──だから今夜は前回の分まで異世界のサービスをお父様とお母様にも楽しんで貰わないと。
そんな事を考えながら馬車に揺られていると一つの疑問が湧きあがりました。
「あの……フレッド様、前回あれだけの騒ぎをして大丈夫だったんですか? こう言ってはなんですけど、出入り禁止になってもおかしくなかったような」
「そうだな、あれから王室から異世界パーティー会場のオーナーへ正式にお詫びをしたんだが、よくある事だと笑って許してくれたんだ。あの器の大きさは私たちも見習わなければいけないな」
「そうだったんですか。でもその温情に甘えて同じ事を繰り返してはいけません」
「それは大丈夫だ。何せ今日は兄上がいないから」
「え? ゴードン殿下は来ないんですか?」
「ええ。兄上は今離宮に幽閉されているからね」
「幽閉!?」
驚愕し呆然とする私にフレッド殿下は落ちついた様子で一週間前のパーティーから今日までに王宮で起きた事件を語り始めました。
「あのパーティーの翌日からジュデッサは毎日王宮へと招かれ兄上とお茶を楽しんでいたんだが、五日目になって突然ゴードン殿下の前から姿を眩ませたんだ。どこにいたと思う?」
「その聞き方ですとゴードン殿下に愛想を尽かして実家に帰ったというオチでもなさそうですね。彼女がいるはずがない場所……いてはいけない場所? あっ、もしかして……」
フレッド殿下はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そう、王国の機密文書が保管されている地下倉庫の入り口で私の臣下たちがジュデッサを捕縛したんだ。もう分かっただろう。彼女はスティング帝国が内通していたシード公爵を通して王宮に送りこんだスパイだったんだ」
「そういえばパーティー会場に帝国のスパイが潜り込んでいると言っていましたね。あの時既に彼女の正体を掴んでいたんですね」
「ああ。泳がされているとも知らずにご苦労な事だ。兄上を誑かせて手に入れた地下倉庫の鍵をしっかり所持していたから偶然迷い込んでしまったという言い逃れもできない。そのまま厳しく取り調べをさせて貰ったよ」
結局シード公爵は帝国へ有益な情報を伝える事ができなかったばかりかフレッド殿下の手の者による偽の情報を帝国に流してしまった為に完全に信用をなくし、今では帝国から役立たずは不要とばかりに梯子を外され完全に孤立している状態ということです。
「まあ窮鼠猫を噛むという異世界の諺もあるからね。いきなりシード公爵家を取り潰そうとすれば公爵が自暴自棄になって反乱を起こす可能性もあるからそうならない程度に徐々に力を削いでいくさ」
そう言って笑うフレッド殿下は噂に違わぬ腹黒さだと思う。
結果としてあのパーティー以降シード公爵家以外にもアイン男爵家、トークン子爵家、ライス伯爵家が没落し、そして帝国のスパイにいい様に利用され王室の面目を潰した罪でゴードン殿下が廃嫡の上離宮に幽閉処分となった。
そして繰り上がりで王太子の座に就いたのがフレッド殿下である。
彼らは皆フレッド殿下の掌の上で転がされていたのだ。
「しかしひとつだけ残念だったのが……」
フレッド殿下がふと寂しそうな顔を見せた。
「父上は何とか愚かな兄上を救済できないかと相当悩まれていたんだ。日頃の素行を見ていれば分かるだろうが、どう考えても次の王となる器ではない。となれば兄上を廃嫡するしかないが、かといって父親として兄上を簡単に見捨てる事はできなかったのだろう」
「陛下の心中お察しします」
「政略結婚とはいえあなたと兄上が結婚する事で王国内がまとまればそれでよし。国内の統治は弟である私や臣下たちに任せておけばいいから最悪兄上はお飾りの王として即位してもいい。だからあのパーティーで兄上に最後のチャンスを与えるつもりで私は父上と二人で王国に不利益をもたらす者たちを兄上ごと一掃する計画を練ったんだ。……その結果は知っての通りだがな」
もしゴードン殿下がカリーナに唆されず私との婚約を継続していればその後の展開は全く違ったはずです。
アンティオラやドロテアがゴードン殿下に言い寄る事もなく、恐らくジュデッサもゴードン殿下への色仕掛けは困難と判断して諦めて出直すしかなかったでしょう。
尤も既にフレッド殿下に正体を見破られている以上出直したところでどう転んでも失敗するのは目に見えていますが。
ゴードン殿下が私への婚約破棄を宣言した時に陛下が見せたあの困惑の表情は、ゴードン殿下を救う事はもう不可能だと理解した諦めの気持ちの表れだったのでしょう。
しかし為政者として私情に駆られて判断を誤る事は許されない。
だから心を鬼にしてゴードン殿下を切り捨てる決断をした。
あそこでパーティーの継続を宣言するという事はもう後戻りはできないという事を意味するからです。
「すまない。これからパーティーだというのに辛気臭い話になってしまったな」
「あ、いえ……」
客車内に沈黙が訪れます。
しかし困りました。
私も貴族の端くれ、お父様からそれなりに腹芸のなんたるかを伝授されているつもりですがフレッド殿下のしていた事は私の想像の遥か上です。
そんな私が王室の一員としてちゃんとやっていけるのか正直自信が無くなってきました。
自分の手落ちでいずれこの国の王となるフレッド殿下の足を引っ張る事だけは許されません。
それは即ち国家の進退に影響します。
責任は重大だ。
プレッシャーで心が押し潰されそうになり呼吸が早くなります。
その異変に気付いたフレッド殿下が心配そうに私の背中を優しく擦りながら言いました。
「どうした? 緊張しているのか? 落ちついて深呼吸をしてごらん」
「フレッド殿下、私に次期国王となるフレッド様の妃が務まりますでしょうか? 今からでも考え直した方が……」
「急に何を言い出すんだ?」
「だって私、侯爵家に生まれただけの取り立ててこれといった特技もないどこにでもいる普通の女ですよ。王国には私よりもずっと聡明な女性が星の数程いらっしゃいますよね?」
「そう自分を卑下する事はない。あなたもこの国に蔓延る多くの腐った貴族達の姿を見ただろう。自らの野望や快楽の為に虚言を吐き不貞を働き領民に対する慈悲の心もなく、権力に媚び諂うばかり。あんな連中を見てどう思った?」
「それは……」
「勿論貴族にもそんな者ばかりではないが、少なくとも今まで私に言い寄ってきたのはそんな者ばかりだった。まあ人間誰もが少なからずそういうところがあるのだがあなたは違った。先日のパーティーで私が心の底から楽しめたのはそんなあなたが隣にいてくれたからなんだ」
「フレッド様は私の事を買いかぶり過ぎです。私はカリーナが断罪されるのを見ていい気味とか思っちゃいましたよ? 私は決してフレッド様が思っている様な人格者ではありません」
「それは当たり前だ。あなたにはカリーナを憎む正当な権利があった。逆にあそこで何も思わなかったのならそれは人間ではなく感情のない人形だ」
「フレッド様……」
「だからあの日の言葉をあなたに返そう。私はエスリーンとの時間が永遠に続けばいいのにと心から思う。だから改めて私の婚約者になってくれ」
「……はい。こんな私で宜しければ」
「エスリーン、愛してる」
フレッド殿下は私の身体をそっと抱き寄せる。
馬車に揺られながら私は思った。
──このまま時が止まり、永遠にパーティー会場に着かなければいいのに。