繰り返される婚約破棄4
カリーナの虚言にアンティオラの男遊び。
殿下に言い寄った者たちのスキャンダル暴露がこうも連続すれば誰が裏で糸を引いているのかは馬鹿でも気が付きます。
「全てはフレッド様の描いたシナリオ通りに進んでいるという事ですね。映像を記録する魔道具をトークン子爵に渡したのも、このパーティーに平民のハッサンさんが参加できるように許可を出したのもこうなる事を予想して」
それを聞いてフレッド殿下は感心したように笑みを浮かべる。
「ふふっ、察しがいいな。まあ大体そんなところだ」
「その言い方ですとまだ何かあるのでしょうか?」
「それは見てのお楽しみという事で」
そう言うとフレッド殿下はテーブルの上に並べられている皿から赤い紐状の食べ物にフォークを絡めとって口に運んだ。
「おお、これも絶品だ。ナポリタンというらしい。エスリーン嬢も食べてみるといい」
「それでは頂戴します」
フレッド殿下に勧められて私も同じようにフォークで口に運び咀嚼する。
忽ち口中に広がる甘味を帯びた酸味が舌を楽しませる。
「本当、とてもおいしいです」
「そうだろう。次はこっちのサラダもどうだ」
「是非とも」
普段フレッド殿下とは言葉を交わす事は殆どありませんでしたが、今ではまるで気心の知れた旧友と演劇を楽しんでいるかのように気軽に会話をしています。
しかし胃袋が満たされるにつれて徐々に冷静になってきました。
やがて一つの懸念が脳裏に浮かびます。
「でもフレッド様、今日のパーティーの出来事がスティング帝国に漏れた時の事を考えると少し心配になりますよね。今日一日で王室とアイン男爵家、トークン子爵家との関係が悪化してしまったでしょう? 帝国に付け入る隙を与える事になりませんか?」
「それに兄上のせいで私たち王家とあなたたちアッカード侯爵家の関係もそうとう拗れてしまったしね」
「あ、いえ、そんな事は……」
私が嫌悪感を抱いているのはあくまでゴードン殿下個人であり、むしろフレッド殿下に対しては親近感を覚えている。
首を横に振って否定をするとフレッド殿下は「気にするな」と言わんばかりに軽く頷き言いました。
「ちなみにこの会場にも帝国のスパイが潜り込んでいるぞ」
「え? それって大丈夫なの──」
「おっと、次のショーが始まったぞ」
フレッド殿下は私の問い掛けを遮り会場の中央を指差します。
つられて会場の中央に視線を移すとひとりの見目麗しい女性がおぼつかない足取りでゴードン殿下の近くを通りがかるのが見えました。
「おお……」
「美しい……」
肩まで伸びた銀色の髪に端整な顔立ち。
身に纏っているドレスは派手さこそないが気品溢れる優雅な刺繍が施されている。
今日ゴードン殿下の前に現れた令嬢たちとは別次元の美しさに多くの紳士たちが彼女に見惚れ感嘆の溜息を漏らす。
胸元に描かれた双頭の蛇の紋章はこの国で唯一王家に比肩する力を持つシード公爵家のものだ。
そういえばシード公爵には病気がちでいつも屋敷の中に引き籠っている娘がいるという噂を耳にした事があります。
彼女がその本人だとしたらもう外に出られる程度には良くなったという事でしょうか。
しかしもしここで彼女に余計なストレスを与え、それが原因で体調を崩されては元も子もありません。
参列者たちは皆ハラハラとしながら彼女を刺激しないように遠巻きに眺めるばかり。
そんな彼女に空気を読まずに喰いついたのは他でもないゴードン殿下でした。
「なんと美しい女性だ。名は何という?」
「あっ……これは失礼しました。お初にお目にかかります。シード公爵の娘ジュデッサと申します」
ジュデッサと名乗ったその女性が頬を染めながら上目使いに答えると忽ちゴードン殿下の鼻の下がだらしなく伸びていきます。
彼女のたったひとつの動作でゴードン殿下は完全にハートを撃ち抜かれてしまったようです。
「まさにあなたこそが私の運命の女性だ。どうか私の妻になって貰えないだろうか」
たった今ドロテアと婚約をしたばかりだというのに舌の根も乾かない内に口説き始める始末。
「えっ……急にそんな事を言われましても困ってしまいます……」
ジュデッサは恥ずかしそうにもじもじしているが、決してゴードン殿下を拒絶するでもなくまんざらでもない様子です。
そのやり取りをドロテアはしばし呆然と眺めていたが、はっと我に返りゴードン殿下に詰め寄りました。
「ゴードン様。それでは私との婚約はどうなるのです!」
しかしゴードン殿下の心はまるで煩いハエを追っ払うように手をひらひらさせながら言いました。
「うるさい! そんなものは破棄だ破棄! 私は漸く真実の愛を見つけたんだ、邪魔をするな!」
「そんな……」
「ええい、目障りだ、誰か早くこの女を外に連れて行け!」
「ははっ!」
忽ちゴマスリ貴族たちがドロテアを取り囲み連行していきます。
「二分十三秒。見て下さい、すばらしい記録が出ました!」
そう言って時間が記された魔道具を私に見せつけるフレッド殿下は本当に楽しそうです。
その後もジュデッサは戸惑う素振りを見せていましたがしつこく食い下がるゴードンに対してついには首を縦に振りました。
「承知致しましたゴードン様。こんな私で宜しければ」
「おお、私との婚約を受けてくれるか! 聞いたか皆の者、これでジュデッサは我が婚約者と決まった! さあ今夜は無礼講だ! 最後までパーティーを楽しんでくれ」
ジュデッサを口説き落とせた事が余程嬉しかったのか、ゴードン殿下はいつにない程のハイテンションで身体全体を使ってその喜びを表現しています。
参列者の反応も様々で、ある者は呆れながらも食事や歓談を続け、ある者はもう付き合いきれないと退出し、またある者はゴードン殿下とジュデッサの婚約を祝福しています。
そんな会場の様子を私はフレッド殿下とおしゃべりをしながら眺めていました。
「エスリーン嬢、本日のパーティーは楽しんでもらえたかな?」
「そうですね、お陰で沈んでいた気分が軽くなりました。ただあんなに一方的に婚約を反故にされたドロテアさんは少し気の毒でしたね。……私も人の事は言えませんけど」
「ああ、彼女もカリーナやアンティオラと似た様な人間だからいちいち気にする必要はないぞ」
「え? そうなんですか?」
「まあドロテア嬢だけでなくライス伯爵家そのものの問題なんだがな。私が調べた限りではライス伯爵は私腹を肥やす為に民衆たちから法外な税を絞り取っているようだ。ドロテアのドレスに散りばめられた宝石の数々を見ただろう? あのドレスを一着仕立てる資金を得る為だけにどれだけの民衆を泣かせてきたか……」
確かにいち伯爵家の令嬢に過ぎないドロテアには明らかに身分不相応の代物です。
いくらハーブの生産によって領内の運営が上手くいっているとはいえ限度というものがあります。
「この件については既に王室直属の監察官が動いているので直に片付くだろう。近日中にライス伯爵は領有権を剥奪され代わりに良識ある者を領主を立てることになるだろうな」
「民衆たちの為にも是非そうしてあげて下さい」
「さて、今日の出し物はここまでだ。この後は純粋に食事を楽しもう」
「それでは遠慮なく」
私はグラスに入ったワインをぐいっと飲み干し、新たに出来上がったばかりの料理が並べられた隣のテーブルへと移動する。
まだ何か忘れてる気がしますが程良く酔いが回った私の脳はこれ以上難しい思考を続ける事を拒絶しました。
フレッド殿下の言う通り、その後は深夜までこれといった騒ぎが起きる事もなく、異常なテンションの中でこのパーティーはお開きとなりました。