野望の代償1
「リリベル王女、俺がお前を愛する事は決してない」
これがリンゲージ王国の王女である私リリベルが婚約者である隣国ダーティン王国の王太子ゴルドとの初顔合わせの席でその本人から送られた最初の言葉だった。
王子の隣でやれやれと苦笑いをしている初老の男性はこの婚約を纏めた張本人であるダーティン王国の国王ベルモンドだ。
そもそもこの婚約はあくまで両国の関係を強める事を目的とした政治的な理由によって結ばれたもの。
ベルモンドにとっては私たちが形だけでも婚姻を結べばそれでよく、お互いの愛情の有無など心底どうでもいい話なのだ。
ゴルド王子が私を拒絶した理由は見当が付いている。
噂ではゴルド王子には昔将来を約束したという貴族のご令嬢がいたという。
それを国同士の都合で無理やり二人の仲を引き裂かれたのだ。ゴルド王子にとってはいい迷惑だっただろう。
かくいう私も同じような境遇で、この縁談が持ちかけられる前は幼馴染であり今は私専属の護衛騎士として隣に控えているスレインという青年が私の婚約者の候補に挙がっていた。
まだその話がスレイン本人の耳に入っていなかったのは彼にとっては不幸中の幸いといったところか。
祖国の為に身を捧げるのが王侯貴族の務めと言われればそれまでだが、王族といえども人間だ。感情はある。
せめて表向きだけでも仲睦まじい振りを演じて貰いたいものだがゴルド王子にその気がない以上私にはどうする事もできない。
そもそも両国の代表が集まっているこの席でそれを公言するのは一国の王子としてどうかと思う。
その余りの言い草にリンゲージ王国の国王であるお父様は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
まさに一触即発の状況だ。
しかしここで事を荒立ててしまえば国際問題に発展するだろう。
お父様は血気に逸って今にも腰の鞘から剣を抜いてゴルド王子に飛びかかろうと身構える近衛騎士たちを目で制し、ゆっくりと口を開いた。
「……何はともあれ目出度い事だ。今はまだお互いの気持ちの整理がついていないのであろうが夫婦として暮らすうちにいずれは打ち解けるであろう」
ベルモンドもその言葉に頷き同調の意を示す。
「左様ですな。それでは本日のところはこれまでと致しましょう。祝賀パーティーの日程は後程改めてという事で」
両国王の宣言によって今日の席は気まずい空気のままお開きとなった。
◇◇◇◇
小国が乱立するここバルシオン半島は各国間の絶妙な力関係によって百年間大きな戦争もなく平和な時代が続いていた。
しかし今から二十年前、野心家であるベルモンドがダーティン王国の王に即位した事でその均衡が崩れた。
ベルモンドは後継者や王妃が定まっていない近隣国家に着目し、言葉巧みに自らの息の掛かった者を養子縁組や王族の配偶者として次々と送りこみ、徐々にその支配下に取り込んでいった。
彼の政略は奏功し、気がつけばベルモンドの一派は半島での一大勢力となりその発言力は確固たるものとなっていた。
「リリベル、どうか無力な父を許しておくれ」
王宮に戻ってきたお父様の第一声は謝罪の言葉だった。
聞き返すまでもなく私とゴルド王子との婚約の事に他ならないが、私はお父様を恨んでなどいない。
事の発端は先月行われた年に一度行われる王室会議だ。
ベルモンドが近隣諸国との親交を深めるというという名目でゴルド王子の婚約者の意見を募り、その結果多数決によって小国リンゲージ王国の王女である私リリベルがその相手に決まったのである。
元々南方の小国であるリンゲージ王国と北方のダーティン王国にはほとんど国交がない。
両国の繋がりを強固にする事で南方へ勢力を伸ばす為の足掛かりを得たダーティン王国の勢力はさらに強大となるだろう。
全てはベルモンドの息のかかった者たちによる出来レースである事は明らかだ。
当人の知らぬ間に望まぬ婚約を結ばされた事に不満が無いといえば嘘になるが、私も王室の一員である以上それを受け入れる覚悟はできている。
お父様をお恨みする理由なんてどこにあるのでしょうか。
「くそっ、なぜリリベル様があのような男に嫁がねばならんのだ!」
スレインが苛立ちを露わにしながら壁を叩いた。
彼の気持ちはよく分かる。私も同じ気持ちだから。
しかし一介の騎士である彼にできる事は何もない。
その自身の不甲斐なさが一層彼を苛立たせる。
「スレイン、私は王族としての責務を全うするだけです。この婚姻によってリンゲージ王国が豊かになるというのなら私は喜んでこの身を捧げましょう」
「だからといってあなたひとりが犠牲になる事はないではありませんか。私は絶対に反対です!」
スレインは腕を組みながらうろうろと歩き回り、何とかこの婚約を取り消せないかと思考を巡らせている。
かといって既に決定された婚約を反故にしてしまえば面子を潰されたダーティン王国とそれに従属する多くの国々との関係の悪化は免れないだろう。
万一戦争に発展すれば被害を被るのは無垢な民たちだ。
それが分かっているからこそスレインも強硬策を主張できないでいるのだ。
民衆を守りつつこの婚約をなかったことにする。
そんな都合のいい方法があるのだろうか。
普通に考えればまずあり得ない話だが、それでも諦めないスレインの姿を見て私ももう少し抵抗してみようと考えを改めた。
ダメで元々だ、足掻けるだけ足掻いてみよう。
「スレイン、もう一度お父様に掛けあってきます」
「それが宜しいかと思います。そういえば今陛下は客間でアッシナー公との会談をされているはずです」
「アッシナー公? それはまた珍しいわね」
アッシナー公はリンゲージ王国の南を流れるコヤナー川を越えた先にある豊かな大地を統治している人物だ。
これまでリンゲージ王国とアッシナー公国はこれといった交流は無かった。
それが突然来訪したという事は恐らく私とゴルド王子との婚約が関係しているだろう事は想像に難くない。
それならば私もちゃんと挨拶をするべきだろう。
「失礼致します」
客間に入ると立派な髭を蓄えた強面の男がお父様と談笑をしていた。
「リリベルか、今呼びに行こうとしていたところだ」
「はいお父様。お初にお目にかかりますアッシナー公」
「こちらこそお初にお目にかかりますリリベル王女。成る程、噂通り美しいお方だ」
「はあ、有難うございます」
「本日はゴルド王子との婚約のお祝いの品々を持参しました。どうぞお納めください。特にこの菓子は我が国の特産物でこのとろけるような甘味が何ともいえず──」
アッシナー公は大げさな身ぶり手ぶりをしながら笑顔で話を続けるが私は直ぐに違和感を覚えた。
目が笑っていないのだ。
それはまるで値踏みするような不快感を伴う鋭い眼差し。
彼が私を祝いに来たというのが建前であるという事はひと目で分かる。
私は適当に話を合わせながらその真意を探った。
ひとしきり談笑が終わってアッシーナ公が帰った後も毎日のように今まで碌に交流が無かった国々からの婚約祝いの使者がやってくるようになった。
考えてみれば当然だ。
今回の婚約によってリンゲージ王国とダーティン王国は深い繋がりを持つ事になる。
今やダーティン王国がここバルシオン半島の覇者である事は誰もが知っている。
つまりリンゲージ王国と親交を深める事はダーティン王国との親交を深める事になるのだ。
近隣諸国の人たちも今後の立ち回りを模索しているところなのだろう。
「ねえスレイン、この状況を上手く利用できないかしら?」




