沈黙の歌姫3
「あれは三年前の話だ。当時はまだ王位継承候補のひとりに過ぎなかった私は民を守る為に度々魔獣の討伐に取り組んでいた。ある時領内に侵入したグリフォンと戦いなんとか打ち倒す事が出たがその代償として歩く事も困難な程の大怪我を負ってしまったんだ。我がエルウィンは武門の国。満足に戦えなくなった者が王位を継承する事はできない。私は絶望に打ちひしがれたよ」
リウム陛下はそう言いながらまるでその時の痛みを思い出したかのように自身の身体のあちこちをゆっくりと擦りながら続けた。
「そんなある日、アーダン聖王国で新たに聖女となった者の評判を耳にした私は藁をも掴む思いで臣下に支えられながらこの国の礼拝堂へと足を運び、君の美しい歌声を聞いたんだ。その結果は見ての通りだ」
今のリウム陛下はどう見ても健康そのものだ。
それはつまり私の癒しの歌の効果によって無事完治したという事である。
そういえば私が聖女になって間もない頃、礼拝堂に全身包帯まみれの方が騎士たちに付き添われながら礼拝堂にやってきたのを見た記憶がある。
「まさかあの時の患者さんがリウム陛下だったなんて……今の今まで気が付かずに申し訳ありません」
「ふふっ、あの状態ではあれが私だったと分からなくても無理はないな。しかしそれを言うなら君も同じだ」
「どういう事でしょう?」
「あの日私が見た君はまるで女神の生き写しかと思えるほど美しく輝いて見えた。それが今日の君はどうだ。肌も髪の毛も荒れ放題、眼の下にはくっきりとクマができているし顔色も悪い。まるで病人ではないか」
「それは……」
聖女に定められた当初の私はこれで人々の為に働ける事を誇りに思い、多少の無理はものともせずに前向きな気持ちで努めていたはずだ。
それが今では過労に次ぐ過労、民衆からの心ない罵倒の数々によって心身共に限界でいつ倒れてもおかしくない状態だった。
現に今朝私の声が出なくなるという症状が現れた。
あんな日々が続けば近い内に私は間違いなく倒れていただろう。
リウム陛下の言葉でその事実を実感した瞬間私は恐怖のあまり身体が震え目からは止め処なく涙が溢れ出てきた。
「うっ……ううっ……」
リウム陛下はそんな私の今までの境遇を労わるように優しく頭を撫でながら囁いた。
「君の癒しの歌の力を借りたいというのはただの建前。私はあの時のせめてもの恩返しに君をあの劣悪な環境から解放してあげたかったのさ」
◇◇◇◇
リウム陛下の恩人としてエルウィンの王宮に迎え入れられた私は王宮内の一室と付き人が与えられ何不自由ない生活を送っていた。
何よりも嬉しかったのがリウム陛下がわざわざ私の為に自身の教育係だった爺やを今度は私の教育係となるよう手配してくれた事だ。
今までしたくてもできなかった勉強による知識の吸収は想像以上に楽しく、私はすっかりのめり込んでいった。
リウム陛下はここでは私は働かなくても良いと言うが、ただ世話になりっぱなしでは私の気が済まないので日に一度無理のない範囲で人々の前で癒しの歌声を披露する事にした。
その日から民衆たちは日頃の労働の疲れが消え、魔物との戦いで負傷した騎士たちの傷は瞬く間に塞がり、寝たきりだった病人たちはまるで生まれ変わったように元気に走り回るようになった。
アーダン聖王国では日常の光景だが、聖女が存在しないエルウィンの人々はこの奇跡の光景に歓喜し、ついには私を女神のように崇め始めた。
そんなある日、リウム陛下が一通の手紙を携えて私の部屋にやってきた。
「ミューティア、この手紙を見てみろ。君がいなくなった後のアーダン聖王国が面白い事になってるぞ」
「面白い事?」
私はリウム陛下から手紙を受け取りその内容に目を通す。
爺やの教育の賜物で今ではすっかり文字の読み書きもできるようになっていた。
差し出し人はオーズ殿下だ。
そこにはまず私が去った後のアーダン聖王国の様子が綴られていた。
真の聖女として持ち上げられていたルリカの歌声には癒しの効果は全く現れず、それどころか美しいと評判だった彼女の歌声は日に日に効くに堪えない酷い物に変わっていったそうだ。
「これはどういう事なんでしょう? 彼女の歌声は本当に綺麗でしたのに」
理由が分からずに小首を傾げる私にリウム陛下はいたずらっぽく笑みを浮かべながら答えた。
「簡単な話だ。彼女の歌声が美しかったのは君の癒しの歌の恩恵によるものだったのさ。それを彼女は自分の力だと勘違いしてしまっていたんだ」
「成る程」
まもなくルリカは国民たちの総意で失脚したそうだが、その後も現聖女である私がここに健在している為かアーダン聖王国では次の聖女を定める女神の神託が降りる事はなく、癒しの歌声の奇跡に与れないと気付いた民衆たちの不満が爆発しついには暴動に発展する。
アーダン聖王国はその鎮圧を画策するも長く続いた平和のせいで暴徒に対するノウハウがない聖王国軍は後手に回るばかり。
それは暴徒たちも同じ事で、いざ暴動を起こしたものの落としどころが分からず長期化し、更なる暴動が広がっていくばかりだった。
進退極まった聖王陛下は事態を収める為にこの状況を作り出した張本人であるオーズ殿下に聖女である私をエルウィンから取り戻す交渉をするよう命じ、この手紙をしたためたそうだ。
「それでどうするミューティア。私としては君にはこのままここに居て欲しいんだが」
「ご心配なく。私は帰る気なんてありませんよ。この国の人には良くして頂きましたし、またあの地獄のような暮らしに戻るのは御免です」
「いや、勿論それもあるが……」
「何でしょう?」
リウム陛下は恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。
「君にはずっと私の隣にいて欲しいんだ」
「え? それはどういう……」
「そのままの意味だ。私は初めて君を見たあの時からずっと君の事ばかり考えていた。どうか私の妻となってくれなんだろうか」
「……ええっ!? 正気ですか!?」
思いもしなかった告白に頭が真っ白になった私は今まで必死で覚えてきた淑女の言葉遣いも忘れて大変失礼な言葉を口にした事実に気がつかない。
しかしリウム陛下はそれを気にする様子もなく真剣な眼差しで私の目を見つめ続ける。
彼の言葉が嘘偽りのない本心からのものである事は教養が乏しい私にもはっきりと分かった。
私が困惑しながらもそのプロポーズを承諾するのは時間の問題だった。
◇◇◇◇
そして程なくエルウィンの王妃となった私がアーダン聖王国に戻る事はなく、打つ手が無くなったアーダン聖王国は暴徒と化した民衆によって国としての機能を失い瞬く間に崩壊した。
オーズ殿下やルリカ、そこに住んでいた人々がその後どうなったのかは誰にも分からない。
かつてアーダン聖王国と呼ばれていた土地にはただ見渡す限りの廃墟が並んでいるばかりである。
そして今日はエルウィンの建国百周年を祝うパーティーが異世界パーティー会場で催されている。
宴が酣になった頃、私はスタッフさんから譲って頂いたのど飴を口にして喉を潤わせた後、会場の中央に設置されたカラオケと呼ばれる魔道具の前に立ち、マイクという魔道具を手にした。
参列者たちのボルテージは最高潮。
盛大な拍手が送られる。
私はコホンと咳払いをしてマイクを口の前に持つ。
「この国の皆さんには大変よくしていただきの感謝の言葉もありません。だから私の気持ちを歌にしました。それでは聴いて下さい。タイトルはジエンド・オブ・サイレンスです」




