9「反省会」
赤で縁取られたレンズの奥に潜む赤目が怒りを滲ませてこちらを見つめている。腕を組み、少し怖い笑顔を見せるのはMaveRickのリーダー、蛇だ。
その前で並び、身体を小さくして座っているのは菊理、ロゼ、小雛の三人だ。
リーダーなんてのは名ばかりと言いつつも、メンバーのやらかしはすべて蛇に報告される。
「勝手に任務を受けたことを咎める気はあらへんよ。MaveRickは自由を謳う組織や、そこを縛る気はない。自分らの好きにしたらええ」
全身から怒りを漂わせながらも、蛇の語調は軽く柔らかい。声音にも嘘はなくて、それなのに音に押し潰されるような感覚で菊理の身体は小さくなるばかりである。軽いのにとても重い声だ。
横目で見れば、ロゼと小雛も同じ様子で俯いている。これがリーダーを任された者が持つ空気感なのだろうか。
「……ただ、組織である以上、守らなあかんこともある。それは分かるな?」
俯いたまま、並ぶ三人は深く頷いて応える。三人が三人とも自分の非を自覚し、深く反省している。
自分勝手な振る舞いで他のメンバーに迷惑をかけてしまったこと、弁明のしようがない。
「自由は好き勝手とは違う。組織に所属しとる意味をちゃんと考え」
「言いたいことは全部リーダーが言ってくれたから私からは何か言うつもりはないわ。三人に大きな怪我がなくてよかった」
厳しく告げる蛇に続く先生の言葉。紫の目が心から三人を案じているのが伝わってきて、反省している心をさらに締めあげる。蛇が厳しいことを言うのだって、菊理たちを心配してくれているからだ。
向けられる声音にはどちらも案じる気持ちが深く込められていて、菊理の耳は申し訳なさで震える。
「二人はわたくしが無理矢理誘ったんですの。罰するならわたくしだけにしてくださいまし」
言い出しっぺとして誰よりも責任を感じているロゼは真摯な眼差しを向ける。
じっと見つめ返す蛇は乱暴な手付きで頭で掻き、深く息を吐き出した。
「蛇さん、私も同罪です。私も罰してくださいっ」
「ぼ、ボクも」
「分かった。ロゼ、自分は一ヵ月、任務に参加することを禁止する。あと、三人は一週間、拠点の掃除をすること」
ロゼだけに責任を押し付けたくない二人の考えを尊重した罰を告げる。
厳しいことを言いながらも、なんだかんだ蛇は優しいのだ。優しいからこんなふうに怒ってくれたとも言える。
「大事にならへんかったんは龍が手を回してくれたお陰や。ちゃんと感謝せえよ」
璃尤は最初の会議のときから、菊理たちの計画を把握していたらしい。
そこから蛇を説得して、三人の意思を尊重させる形で見守ってくれていたのだ。クラウンにも声をかけ、失敗して危険な状況になったら助けに入り込めるよう、手を回してもくれていた。
「璃尤さん、ありがとうございます。ほんっとうに感謝してます」
「そのお礼は何度目だい? 自分は自分のしたいようにしただけだ」
離れた位置で怒られる三人を見守っていた璃尤が肩を竦めて答える。照れているようにも見えるその仕草は菊理たちが感謝を告げるたびに璃尤が見せているものだ。
感謝されるのが苦手なのかもしれない。いつもクールで冷静な璃尤の弱点を見つけた気分である。
「それよりもそろそろ本題に入ったらどうだい?」
「せやな。――任務のときに現れたっちゅう二人組について報告を」
蛇の一言により空気が張り詰める。先走った三人への説教は実のところ、ほんのついでだ。
この場に当事者である三人が、璃尤や先生、クラウンたち、他のメンバーが集められているのは任務の際に現れた二人の少女について話しをするためだ。
彼女たちの登場によって任務の難易度が跳ね上がった。名乗りあげた以上の情報はなく、改めて璃尤が調べるということであの場はお開きとなった。
昨日の今日で情報が集まっているとも思えないが、
「一先ず、彼女たちの素性は分かったよ」
なんてことのない口調で告げられた言葉に菊理の予想は大きく裏切られた。驚きである。
目をぱちくりさせて驚きを示すのは菊理だけで、他のメンバーは元から知っていたように動かない。
MaveRickの情報担当への信頼をまとって注がれる視線に促され、璃尤は言葉を続ける。
「二人は隣町の中学校に通っているようだね。吸血鬼と名乗った彼女、かなり目立つ言動をしているから見つけるのが難しくなかったよ」
璃尤は他者の記憶を覗くことができるという。今回は見た目から推測した年齢と、本人たちが呼び合っていた名前を参考に近くから中学校の関係者を攻めっていったらしい。
その結果、吸血鬼――実赤と呼ばれていた少女の言動が引っ掛かって情報を得られた。
「吸血鬼、本名は千逆実赤。元々は品行方正、目立たないタイプの子だったようだね。それが中学にあがると同時に吸血鬼と自称するようになった。所謂、中二病だね」
「能力が伴っとるんなら中二病やって笑ってられへんけどな」
中二病とは何なのだろう。病とつくからには病気なのだろうが、クラウンと戦っていた彼女の姿は病気を患っていたようには見えなかった。病名からも症状は想像できない。
共通認識として語り合う璃尤と蛇を見て、有名な病気なのだろうかと首を傾げる。
「続いて幽霊、本名は誘木千巫。彼女の方は情報が少ないね。自分が掴めたのは千逆実赤と一緒にいることが多い、というくらいだね。かなり影の薄い子のようだ。はっきりと認識されている記憶がほとんどない」
その言葉が素直に頷けてしまうほど、千巫という名の少女は音も薄かった。
聴覚に自信がある菊理でも認識しないと聞き逃してしまいそうだった。声も、その人自身が持っている音もとても小さい。
「プライベートでも変わりませんのね。素性を隠す気がないということですの?」
「さてね。うちとの方針の違いという奴だろうさ」
MaveRickは任務時、コードネームで呼び合っている。それ以外でも本名で呼ぶことは少なく、それは他者に素性を隠す意味もあったのだと今気付いた。
「……確か〈不明〉やったな」
「残念ながらそちらについての情報はまだ集められていない。名前だけではどうにも……」
「レムレース……ローマ神話に登場する悪霊ですね。形のない、恨みを持った霊魂。一説には満たされることなく放浪する地下世界の神とも言われています」
悩ましげな表情を見せる璃尤の横でアンネの淡々とした機械音声が紡ぐ。
アンネは知識が豊富だ。インターネットで仕入れたものらしく、いろんな雑学をよく教えてくれる。
インターネットは嘘と本当を見抜く能力さえあれば、情報収集にとても役立つものなのだという。
「分からんことは一先ず後や。龍、それにアンネ、二人は引き続き調査を頼むで」
眼鏡の奥に潜む赤目を受けてMaveRickの情報担当、璃尤とアンネはそれぞれ頷く。
「くー様、戦ってみてどうやった?」
「ピンクの子はそれなりに楽しめたわ。余裕があれば、もっと楽しませてくれたでしょうね」
「くー様がそこまで言うなんて厄介な相手みたいやな」
クラウンはMaveRickの中で一番強いと聞いている。実際に戦っているところを見て、なるほどお納得した。
繰り広げられている戦闘を目で追うことはできなかったが、耳はすべての音を拾っていた。脳の処理が追いつかないほどの音の重なりはなんというか、すごかった。
「そういえば時間切れと言っていたね。彼女の強さには制限がある、というのがくー様の見立てかい?」
「名乗りを聞けば明白。他者の血を吸って己を強化しているのでしょうね。血の効果が切れれば、ただの人」
「ふむ、イチの血が吸われるのを阻止できたのはファインプレーだったということか」
自身の記憶を掘り起こす璃尤と同じく、菊理もそのときの記憶を辿る。
千巫との会話の中で確かにそんなことを言っていた。二人が来てくれなかったらロゼの血が吸われてもっと酷いことになっていたかもしれない。自分たちの迂闊を改めて自覚する。
「幽霊の方は?」
「武器は細い糸。戦闘時じゃ、うっかり見落としてしまいそうな代物だったよ。くー様が指摘していなければ、気付くのが遅れていただろうね」
「ん、姿が見えなかった。本物の幽霊みたいで……でも、見えないだけ。触るのはできた」
「背中に乗っているのに見えなくて驚きでした」
蛇の問いかけに、璃尤、小雛、菊理が順に答える。
思い返してみても、触れられているのに下手人が見えないというのは奇妙な体験だった。
千巫と相対していた時間は紅桜よりも小雛と菊理の方が長い。見たもの、聞いたものをたどたどしく語る二人に蛇は悩ましい表情を見せている。
「見えへん相手に見えへん武器か。厄介な相手やな」
息を吐き出すような声に、部屋の空気も重くなる。
対峙したロゼや小雛は足りない力に目を伏せる。菊理もほとんど役に立てなかった自分の力不足に悲しい気持ちが湧いてくる。
聞くこと以外に菊理が力になれることがあればいいのに。
「ま、暗くなってもしゃあない。敵対するて決まっとるわけやないし、今はまた遭遇する可能性を警戒するに留めとったらええやろ」
必要以上に落ち込まないよう、明るい声で告げる蛇。その前向きな音は好ましく、落ち込みそうだった気持ちを前に向ける。
「猫」
すっと温度を消した声が部屋の奥へ投げかけられる。
隅の方で膝を抱えて丸くなっていた人物が顔をあげる。猫耳フードを目深に被り、乱れた前髪とで顔を隠してその人物は暗い黄色の目で蛇をじっと見つめる。
眠たげな空気を全身にまとい、「今起きました」と言わんばかりの態度である。
「現場の確認を頼むわ。件の二人が戻っとっても深追いはせんようにな」
「分かった」
頷くや否や、猫は立ち上がり、部屋から出ていく。その行動の速さは驚きの一言だ。
抽象的にも思える蛇の指示をすべてとして猫は順ずる姿勢のみを見せる。
そこにあるのは、メンバーの中でもっとも付き合いの長い二人の確かな信頼だった。
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人気のない道を一人の少女が歩いている。特筆する特徴のない見た目の少女だ。
癖のない黒髪は肩甲骨を隠すくらいの長さで、ただ流れるに任せている。顔立ちはクラス内で上位に名前があがるくらいには整っている。
実を包むのは六湊町にある女子校の制服。強いて言うなら、質の良い生地で仕立てられたセーラー服が彼女の特徴だ。
「今日も世界は変わりなく、無意味に回ってる――なんてね」
感情のない独り言を手に持つ冷たい飲み物で流し込む。
有名チェーン店の期間限定商品だ。たっぷりと盛られた生クリームと氷混じりの甘い飲み物。太めのストローで吸い上げれば、ざくざくとした食感を味わった先に冷たく甘い飲み物が喉に落ちた。
ゆっくりと歩みを進めていた少女はふと足を止めて、目の前に立つ建物を見上げる。
昨夜起こったことなど知らないとでもいうように仕事に勤しむ人々を見つめる。
「土曜日だってのに大人は大変だね」
他人事のように紡ぐ。遠目に見える人々の中に昨日の渦中にいた田上専務もいる。
表情はあまりよろしくない。不正の情報が外部に漏れた以上、今は火消しに大忙しといったところだろう。今はどれだけ自分にかかる被害を減らせるか、頭を悩ませているはずだ。
愚かしい。くだらない。つまらない。甘い蜜が甘いだけだと思ったら大間違いだ。
ばれたときに降りかかるリスクなど最初から分かっていただろうに。
そんな退屈な大人の事情にそれ以上の興味はなく、視線を外す。紙のストローを咥え、口の中で甘い液体を躍らせる。同じ甘いでもこちらの方が断然いい。
「想定よりも早く会っちゃったなあ。まあでもいっか。――早く始めちゃえばいい」
唇は弧を描いたまま、笑声を零す。これから起こること、世界が自分の期待に応えてくれる未来を想像して柔らかく笑う。
と、少女の表情が色を変えた。
魅せるように作り込まれた顔に人間味が宿り、くるりと踵を返す。ふわりと人工的に作られた甘い香りを漂わせながら。
姉から借りた香水が少女自身の臭いを包み込んでいる。これは彼女への対策だ。
彼女は鼻が利く。ここにいたことを気がつかれは困るので、趣味でもない香水を全身に纏っている。
「貴方はどんな反応を見せてくれるかな……ねえ、琥珀?」
脳裏に浮かべた少女は変わらずの表情を浮かべている。何を考えているか分からない無表情に近い顔。
長い付き合いでも彼女の考えはいまいち分からない。
だからこれから先、彼女がどう行動するか、まったく想像できない。楽しみでもあり、怖くもある。
それでも少女が求めている答えはきっとその先にあると思うから。
――甘い香りだけが残った場に、猫耳フードを深く被った少女が現れる。表情の乏しい少女は鼻腔に侵入した香りに首を傾げた。