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8「見守りの根回し」

 扉越しに聞こえた声に璃尤は伸ばした手を止めた。菊理のように特別耳がいいわけではないが胸を支配する昂揚感のままに語る声は容易に聞き取れる。

 ほとんどロゼの声しか聞こえない状態でも、会話の内容を把握するのは難しくない。なにせ、話の主導権を握っているのはロゼであり、重要な部分はすべて彼女の口から放たれているのだから。


「やれやれ、聞かれてはいけない話だろうに……。こういう、抜けているところがイチのいいところではあるが、一人前扱いしてほしいのなら見直してほしいものだね」


 肩を竦め、息を吐き出す。中にはロゼの他に菊理と小雛もいるようだ。ロゼが丸め込みやすい面子を選んで話しているのだろう。他のメンバーだとこうはいかない。


「さて、自分はどうするべきかな」


 璃尤はMaveRickにそれなりの愛着を持っている。メンバーのことも気に入っていて、万が一にも見殺しにするような事態は避けたいのが本音だ。


 だからといって、ここで三人の話し合いに待ったをかけるのは下策だ。三人を止めるにしろ、念のために同行するにしろ、璃尤では力不足。琴巳を呼んで止めてもらっても、きっとロゼは諦めることはしない。また隙を見て同じ計画を立てることだろう。

 メンバーの中でもっとも関わり合いが深い赤い少女の性格を思い出し、息を吐く。


「ここは好きにさせてあげるとしよう。失敗も経験だ。一度痛い目を見た方がイチも自分の力を正しく理解できるだろう」


 成長を妨げるのではなく見守ることこそ、璃尤のすべきことだ。となると、失敗したときのための根回しが必要だ。戦闘が自信がない璃尤の代わりに場を打開できる力を持った者を。






 そうして璃尤が声をかけたのが、戦場を美しく舞う青髪の少女だ。戦場というのはいささか大袈裟かもしれないが、彼女相手だとついつい大仰な言い回しを使いたくなる。


 手入れの行き届いた青い髪をサイドテールに結い上げ美しい少女。切れ長の紫の目を縁取る睫毛は長く、端正な顔立ちは年齢に似合わない色香を纏っている。

 左目の下には涙のペイントが施され、生来の妖しさとは別の謎めいた印象を周囲に与える。

 MaveRick随一の戦闘力を誇る道化(クラウン)倉幻紅桜(くらげんくおう)だ。


「くー様が引き受けてくれたのは意外だったが、こう見るとそうでもないのかもしれないね」


 人間を超えた身体能力を見せる紅桜と相対しているのは薄いピンク髪を二つに括った少女だ。

 年は中学生くらいだろうか。可愛らしい容姿に反して、紅桜にも引けをとらない身体能力で渡り合っている。驚くべきことだ。


 能力を別にしても、紅桜の身体能力は高く、それに追いつける彼女は何者だろうと考える。

 身体つきに似合わない動きから察するに彼女もまた能力者だろう。


「いい動きね。久しぶりに楽しませてもらえそうだわ」


「お主のような者がここにいるとはな。妾としては嬉しくない事態じゃの」


「私は嬉しいわよ。ここまで遊べる相手は滅多にいないもの」


 形の整った唇に愉悦が乗るのを璃尤は見て取った。璃尤は苦笑を浮かべた。

 紅桜が戦闘を楽しみ始めている。それだけの評価を下される相手は珍しいと思いつつ、その事実は少し面倒だとも考える。スイッチが入る前にするべきことをしてしまおう。


人形(ドール)、あそこで逃げようとしている男を捕まえてもらえるかい? 聞き手(リスナー)薔薇(ローズ)の方を頼むよ。そこにいる彼女への警戒も怠らずにね」


「わかっ、た」


「任されましたっ!」


 一先ず紅桜から視線を外した璃尤は二人へ指示を下し、人形の手に四肢を拘束された男たちへ歩み寄る。奇抜な衣装を纏う者ばかりの中で、むしろ目立つスーツ姿の男。

 それなりに質のいいスーツに身を包んだ男はオカルトじみた方法で逃亡を阻止され、困惑と恐怖を映し出している。


「田上専務だったかな。やあ、初めまして」


「お前らは何だ。誰の差し金だ…っ!」


「残念ながらその質問には答えられない。守秘義務という奴だ。君も組織の中で生きている人間ならば、これの大切を理解しているだろう?」


 向けられる感情的な声を真っ向から受け入れて、流れるまま言葉を返す。

 恐怖心というものとは線が薄い性質だ。たとえ、彼が力任せの行動を見せても、璃尤は変わらない態度で同じような言葉を紡いだだろう。


「自分の方からも聞きたいことがいくつかあるけれど、どれも火急の今に聞くことではなくてね。早々に用件を済ませてもらうよ」


 優先すべきことの順位はきちんと見極めて璃尤は田上へ歩み寄った。

 仄かな警戒心を抱きつつ、大したことはできないだろうと冷静に判断を下す。

 彼を拘束している人形の手は見た目以上に解くのが難しい。四肢を締め付ける無機物たちは成人男性でも振りほどけない腕力を有している。


「失礼するよ」


 真正面から向き合い、璃尤は徐にその手の伸ばした。

 男に間違えられることの多い容姿の中で、数少ない女性らしさを見せる細い指。それがスーツをまさぐり、目的のものを拾い上げる。


「うちの末っ子たちの侵入を知って、慌ててポケットに隠した、と言ったところかな」


 言葉とともに見せびらかすのはSDカードだ。これに依頼にあった不正の証拠だ。

 ロゼたちは紙の資料を探していたようだが、データを手に入れた方が手っ取り早い。社員の記憶をいくつか覗き、彼の性格を照らし合わせて隠し場所に見当をつけた。

 得体の知れない能力を使う者が相手なら、手元にある方が安心と思ったのだろう。


「それが本物だと何故分かる」


「自分相手には無意味な質問だね。見た(・・)から知っている。それが本物でないとしても別の証拠の在処をね」


 黒だった銀目に瞬かせて答えれば、不気味なものを見るような目が向けられる。

 心外だなと思う。他のメンバーはともかく璃尤は一般人とそう変わりはない。

 怪物には程遠い凡人だと、璃尤は自分をそう称しているというのに。


「さて、目的は果たした。田上専務、君への用はもうない。拘束は解いてあげるよ。それから――」


 視線を田上から外し、今もなお、激しい戦闘を繰り広げている二人へ向ける。

 用はなくなったと言っても、ここで終わりとはいかない。正体不明の少女二人のことも気になるし、ここまで派手に姿を見られた以上、田上ともこのまま別れるわけにはいかない。


道化(クラウン)、戦闘中に悪いけれど――おっと」


 記憶の処理は璃尤の専門外。出来る人を頼るために向けた目が迫る塊を見つけ、驚きとともに数歩後ろに下がった。

 紙一重で塊が眼前に駆け抜け、派手な音が鳴った。煽りを受けて乱れた髪を軽く梳きながら、音の出所を見遣る。


 質のいいスーツをまとった男と地雷系と称されるようなワンピースをまとった少女が折り重なるように倒れている。璃尤が捉えた塊はどうやら吹き飛ばされた少女だったらしい。

 避けきれなかった田上と見事ぶつかったようだ。気付かなければ、璃尤もあそこに加わっていたことだろう。ぞっとしない。


「無事、とは決して言い難い有り様だが、死んではいないだろうね?」


 小柄な少女といえども、あの速度で飛んできたら明確な殺人兵器だ。打ち所が悪くて死んだどころの話ではなくなる。

 ここで死人を出してしまったら、後処理が面倒になる。ただえさえ、ロゼの独断専行でご立腹のリーダーを怒らせる要素を増やしたくないものである。


 近付いて脈を確認。息もある、問題はなさそうだ。


「私の名を呼んだかしら?」


「ああ。彼の記憶処理を頼みたい」


「心得ました。では、こちらを――種も仕掛けもございません、と」


 妖しい空気を脱ぎ捨て、嫋やかさをまとった紅桜。その指先に小さなカラーボールが生まれる。ぎゅっとそれを握れば、カラーボールは紅桜の拳から姿を消す。

 原理不明の紅桜の力が記憶を消し去った、のだろう。言葉通り、種がないのか気になるところだが、異能の原理を説いても仕方がない。


「こちらは目的を果たした。道化(クラウン)の方は?」


「――なかなか面白い相手だったわね。とても惜しい」


 嫋やかさを消し、妖しさを纏い直した紅桜は紫の目を横に流した。

 表情に特別なものを宿さず、美しい所作で手を突き出す。そのまま上から下へ、細い指が宙をなぞった。


「悪くない趣向ね。私でなければ、気付かなかったでしょうね」


 細い指が何かを掴んでいる。目を凝らしてみれば、細い糸が辛うじて見て取れた。

 鋭利なそれが紅桜に牙を剥いたのだと理解するのは難しくなく、下手人へ目を向ける。

 ひ弱で震えて見える目が、しかし鋭くこちらを睨みつけている。弱く強い目だ。


「実赤ちゃんを、傷つけるのは……ゆ、許さ、ない」


 実赤というのは田上に重なる形で倒れている少女のことだろう。

 友愛か、もっと別の何かか、恐怖を全身にまといながらも薄水色の少女は譲らぬ瞳で紅桜と相対する。

 少女の掌が向けられている。光が反射したのを辛うじて見て取り、糸が放たれたのだと判断する。


「種の分かっている芸ほど退屈なものはないわ。私を楽しませるには程遠い」


 妖艶さを奏でる声が一息で糸を切り捨てる。少女が放った糸とは比べ物にならない鋭利さを輝きに閉じ込めたナイフが紅桜の手に握られている。

 ナイフを抜く素振りはなかった。例のごとく、種も仕掛けもない、という奴だろう。


 攻撃が一切通じない現状でも少女は折れることを知らない。次なる攻撃を仕掛けようとする少女は仲間思いを通り越した何かを感じさせる。


「千巫、それ以上はそなたが傷付くだけじゃ。引くがよい」


 場を打った声に千巫と呼ばれた少女がはっと息を呑む。薄青の目が波打って一点へ目を向けられるのと同時に璃尤もまた、薄ピンクの少女、実赤を見た。


「驚いた。あれで無事だなんて随分頑丈なんだね」


 紅桜と渡り合えるだけの身体能力を持っているのだから、不思議はないのかもしれない。

 人外じみた人間の相手をできるのは当然人外レベルの人間だ。


「このまま第二ラウンドに突入かな」


「そうはならないわ。時間切れ、タイムリミットよ」


 心当たりのない言葉に眉根を寄せる。こちらにないのであれば、紅桜の言葉が示すのは敵対する二人の少女の方ということになる。事実、薄ピンクの髪を揺らしながら心当たりを顔に映している。


「気付かれておったか。赤女を吸血できておれば、状況も変わっただろうが」


「……実赤ちゃん、私の血を吸う?」


「否。まだ少しの猶予はある。このまま撤退するのが最善であろうよ。――千巫」


「う、ん。わかった」


 地を蹴り、実赤は千巫という名の少女と並び立つ。

 撤退の意思を示す二人を止める理由は璃尤にはない。無意味な戦闘は避けたいのが本音で、懸念事項である紅桜の興味が失せているようだ。ならば、ここで璃尤が気にすることは一つだけ。


「こちらに君たちを引き止める意思はない。ただ一つ確認させてもらいたい。君たちは何者だい?」


 そこを明らかにしないまま、見送ることができない。

 璃尤の覗ける記憶の範囲に二人に関する情報はなかった。もっと深く潜れば別だろうが、その前に手掛かりくらいは欲しい。

 問いを受けて互いに見合わせた赤と薄青の目が同時に璃尤へと注がれた。


「わ、たしは……れ、〈不明(レムレース)〉の幽霊」


「妾は〈不明(レムレース)〉の吸血鬼じゃ。また会うときまで覚えておくがよい」


 意外にも気前よく答えた二人はその手を絡め、手を繋ぐ。二人の姿が消えた。

 気配自体は完全に消えたわけではない。透明になった状態で逃げるつもりなのだろう。


 気付いても止める気はないので指摘せず、MaveRickの末っ子たちの方へ意識を向ける。

 指示に従ったのち、不安げに事態を見守っていた二人と、まだ攻撃のダメージから立ち直れていないロゼへ。


「怪我は大丈夫かい? 酷いようであれば、先生に吸い取ってもらうといい」


「心配は不要です。っそれよりもいつからわたくしの完璧な作戦に気付いていましたの?」


「完璧という部分に思うところはあるが、今指摘するのはやめよう。質問の答えは、最初から、だ。知られたくないことであれば、もっと周りに気を配ることをおすすめするよ」


 痛みを呑み込んでロゼは不服そうに唇を噛む。言いたいことはあるが、自分の非を理解しているので何も言えないといった感じだ。

 高慢で浅慮で調子に乗りやすいロゼはその評価を覆すように物分かりは良い方だ。

 突っ走ることはあっても、後からきちんと反省する。そこが面白い、と璃尤は考えている。ともあれ、


「一先ず、今日はお開きとしよう。任務の完了は自分の方から伝えておくよ。君たちは明日、リーダーから叱られることを覚悟するといい。自分の行動の責任だ。逃げないようにね」


「っ分かっていますわ」


 きっと言葉通りにロゼは逃げない。その素直さを好ましく思う。

 真面目と素直。それは璃尤がもっとも好ましく思う要素なのだから。



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