53「鼓田菊理の場合」
「一つ、提案してもいいですか?」
それぞれの意思が固まったタイミングで菊理はそう口火を切った。
全員の視線が菊理に集まる。この場にいる十人以上の人間の視線が一点、菊理に集まる。
ここまで注目を浴びることはなかなかないので少し緊張する。
気合を入れる意味も込めて小さな吐息を零し、にっと口角をあげる。浮かんだ名案は未来への希望を灯す。
「現実世界に戻ったら、こうしてみんなで集まりませんか?」
敵、味方関係なく支えそうと動き、話し合った空間を好きだと思ったのだ。
改変ゲームが関係ない場所で、みんなと仲良くなりたい。願いを込め、夢を見る菊理の瞳には言葉を受け止める各々の表情が映し出されている。
「目覚めるタイミングが同じとは限りませんし、すぐに動ける状態とは限りませんので、あまり現実的な提案ではないと思いますが」
「かったいこと言いますわね。そういう細かいところはどうでもいいではありませんの」
「そうだぜ。ぐだぐだ言ってねぇでノっちまえよ」
冷静に意見を述べる詩折に噛みつくロゼとそれに同調する形で火吹が言葉を重ねる。
「そうね。確実ではないものにこそ、価値がある。ルシーちゃんはそういう話好きよ。ねえ、紅桜ちゃん?」
「あら、ここで私に話を振るの? ……そうね、嫌いじゃないわ」
肯定的に受け止めるルシーとクラウンは理解し合う友人のように顔を合わせる。
二人は相変わらずの感性で、自分なりの落としどころを見つけて結論づける。
「可能性の話ちゅうことか。ええんやない? うちは賛成やで」
「あれだけのことを言って、ここでさよならというのも無責任だからね。僕も可能性に賭けよう」
「私も……菊理ちゃんの考え、素敵だと思うわ」
蛇と衣兎と先生。大人びた観点から組織を支えるメンバーが、大人びて寄り添いながら言葉を紡ぐ。
そこにあるのは培った絆を手放したくないという思いだ。
「また仲良しできるのはうれしい」
「あたしは少ない可能性でも信じるよ」
歳の差がある友人の二人は率直な言葉を飾る。菊理は向けられる言葉一つ一つを真っ直ぐに受け止める。
聞こえる音がすべて妙にうれしく感じてしまう。
「それも私の見たかったものの一つなのかもね」
「私は菊理の意見に賛成」
照れたように笑う真白に寄り添う猫は端的に答える。
「ってな感じで、みんな賛成のようだよ。君はどうするんだい?」
「現実的ではないという話だけで反対しているわけではありません」
「おや。なら、満場一致ということだね」
最後、否定的な意見を述べていた詩折の否定の否定と、璃尤の遠回しな肯定が重なる。
これで場にいる全員が菊理の提案に乗ってくれた。とってもうれしい。
「それでいつ、どこで待ち合わせするの?」
「ええと、どこがいいんでしょう……?」
「目覚めたその日、この場所で……なんて物語のエンディングらしいんじゃないかしら」
同じ日に目覚めるとは限らない。その日、ここに来られるかも限らない。
だからこそ、物語のエンディングに相応しいとクラウンは語る。その価値はすべてを理解できているとは言い難いが、そこに宿る希望の音を美しいと思う。
「意見もまとまったようですし、そろそろ始めましょうか」
「また会えるなら勿体ぶると必要もないもんね」
始まるを告げる詩折に頷き、真白が一歩前へ出た。ずっと寄り添っていた猫と一時的に距離を取り、その目を翠に輝かせる。
主たる存在の呼びかけに応えるように世界が揺れ動く。
ばっと両手を広げる真白の手を、瞳を碧に輝かせたままの菊理が取った。もう片方の手を蒼い瞳の詩折が取る。
手を繋ぎ合う三人に小さく笑い、璃尤が菊理の手を取った。その瞳は銀色に輝いている。
それぞれ神の力を借りて願う。
「みなさん、またここで会いましょうっ」
笑顔の別れに応じて、翠の光がぱっと散る。世界を構成していた要素が糸になって、光になって少しずつ解けていく。
幻想的な光景に目を奪われ、ふと視線を戻せばそこにいたはずのみんなの姿が消えている。
世界を構成する要素には彼女たち、招かれた人たちも含まれている。
菊理は音もなく消えた、誰もいない空間を切なく見つめる。
寂しさが込み上げる胸を交わした約束で鎮める。浮かぶのは笑顔。
注ぐ碧の眼差しはみんなの音は聞こえる。その音を導くのが菊理の役目。
世界の音に耳を傾けて、その中に散らばるみんなの音を聞いて、共有した感覚を璃尤が紡ぎ直して真白と詩折へ伝える。二人は菊理の聞いた音をもとに道を作る。
一人として迷子になることがないよう、それぞれが意識を集中する。
「これで最後、かな。それじゃあ閉じるよ」
「はい、みなさんも問題なく戻れるかと」
「流石抜かりないね」
「みなさんに会えるの楽しみですっ」
四者四様の温度感で手を離せば、それぞれの身体が解けていく。
糸になり、光になっていく身体に恐怖はなく、元の色に戻った瞳を交わして笑った。
目を覚まして最初に目に入るのは見慣れた天井だ。
身じろぎをして数拍、夢と現の間を彷徨ってようやく菊理は身を起こした。
まだちゃんと目覚められていないのか、少しぼーっとする。
「なんだか……とっても長い夢を見ていた気がします…」
ゆらゆらと身体を揺らしながら自分の部屋を見回す。見慣れた部屋のはずなのに久しぶりな気がする。
理由の分からない感慨に首を捻る菊理の耳が微かな声を捉えた。
「菊理―、休みだからっていつまで寝るのっ⁉」
母の声だ。それを認識した瞬間、ぱっと目が覚めた。と同時に記憶が駆け巡った。
一人の少女が作り変えた夢世界――翠の世界で過ごした記憶。
実際あの世界で過ごしたほどの時間は流れていない。夜に眠って、朝に目を覚ましただけの時間。
それでもあの世界で過ごした時間は実感を持って菊理の心に残っている。
大事な約束がある。それを思い出した菊理は慌てて身支度をする。髪を梳かして、服を着替える。
昨日まで当たり前にしてきたことなのに懐かしい感じがする。久しぶりに袖を通す気がするお気に入りの服をまとって、階段を駆け下りる。
おいしそうな朝ご飯の香りが漂ってきて、呆れた顔の母と言葉を交わし、いつもなのに懐かしい母のご飯を食べる。
遅く起きた菊理のために温め直してくれた優しい味。
「ごちそうさまでしたっ」
ゆっくり噛みしめるように味わって、手を合わせる。母には少し変な顔をしていた。
「ちょっと出掛けてきますっ。帰りは遅くなるかもしれません」
それだけ告げて家を飛び出した。胸には期待が浮かぶ昂揚感に笑顔が咲く。
迷いはなく、駆け抜ける。現実世界でも、翠の世界でもよく知る町の中を駆けていく。
息が乱れることすら心地よく、浅い呼吸が跳ねる。
「なんじゃ、誰かと思えば、MaveRickの娘御ではないか。行き先は同じか?」
「……実赤さんと千巫さん、こんにちはっ。お二人も学校に行くんですか?」
「る、ルシーちゃんから……連絡が…ぁ、あって。約束のこと、っ聞いた、よ」
二人は先に現実世界に戻っていて、約束したときにはいなかった。会えない可能性もあった二人にルシーが声をかけてくれたらしい。
菊理以外にも約束を覚えている人がいると知られて安心した。きっと大丈夫だと思っていても、不安な心はあって安心が胸をじんわりと満たしている。
「他の組織の人間と肩を並べて歩くのも悪くないものじゃな」
「私もお二人と仲良くできてうれしいですっ」
「わっ、私は……き、緊張するけど」
三人をそれぞれに笑みを浮かべ、言葉を交わす。
初めて会ったときにはこうして話をすることなど想像もしていなかった。幸せな予想外だ。
これからはこの予想外が当たり前になるのだと思うとわくわくする。
「あっ、あそこにいるのは……」
中性的な容姿の女性と生真面目な印象の少女の組み合わせ。最後を共にしたうちの二人はジャージ姿の女性と一緒にいた。あの人は確か、ハローワーカーの数金流琵だ。
実赤、千巫と同じで約束のときにいなかった一人で、璃尤と詩折が連れてきたらしい。
「こんにちはっ。流琵さんにもまた会えてうれしいですっ」
「だっ、誰だよ。あんたもこいつらの仲間か?」
挨拶に返ってくるのは怯えを含んだ言葉だ。首を傾げる菊理に璃尤が苦笑する。
「彼女は力の方を選んだんだ。あちらの世界の記憶は残っていない。仲間外れは寂しいと思ってね」
「そうなんですね。じゃあ、初めましてっ、私は鼓田菊理って言います。よろしくお願いしますねっ」
「ヨロシクオネガイシマス」
一瞬眩しいものを見るような表情をした流琵は小さな声で答えた。
さらに花咲かせた笑顔を向ければ、呻き声が返ってくる。何か悪いことをしてしまっただろうか。
「ちなみにアンネもいるよ」
言って璃尤は自身のスマートフォンの画面を見せる。
そこには小さくなったアンネがぺこりと頭を下げる姿が映し出されている。
「こんな姿で失礼します。こちらのボディは簡単に動かせる状態ではありませんので」
スマートフォンの中にいるのも、詩折が信奉する神が取り計らってくれたお陰らしい。
黒猫のぬいぐるみの姿が印象的な件の神様の姿が今日はない。あちらではいつもまとっていた緑のエプロンを今日は身に着けておらず、ポケットに収まっていたぬいぐるみもいないのである。
「こちらでは媒体を介さなくても状況把握は可能ですので」というのが詩折の説明だ。
今も菊理たち見守ってくれてはいるらしい。たくさん世話になったので、感謝の代わりに空を向けて頭を下げる。
「みなさんを待たせてしまいますので、そろそろ……」
「そうだね、イチ辺りが怒っていそうだ」
そうして歩みを再開させる。待ち合わせの場所、その校門に仁王立ちしている影がある。
青が混じったオレンジ色のざんばら髪の少女だ。勝ち気な瞳がこちらをじっと見ている。
「お前ら、おっせぇぞ‼ いつまで待たせんだよ」
「まったくですわ。まさか寝坊したんじゃありませんわよね」
火吹に同調する形で声をあげるのは赤いドレスをまとう少女。同じく仁王立ちのロゼの姿は初めて会ったときと重なる。璃尤の言葉通りの姿に思わず、笑みを零れる。
「まあまあ、いいじゃないか。時間を指定していたわけじゃないんだ。多少の誤差は生まれるよ」
のんびりと告げる衣兎に絆されるように二人は口を噤む。
包み込む衣兎の空気は気持ちを軟化させる。お姉ちゃんパワーの究極系である。
集ったメンバーの中でも年少に入る二人はこのお姉ちゃんパワーに抗えないようだ。
「ちみあちゃんも来たのね。連絡がちゃんと届いたようでよかったわ」
一緒に来た千巫と実赤の二人はルシーと話をしている。会っていない時間が長い分、積もる話もあるのだろう。
少し視線をずらせば、こちらもまた長年の思いをともにしている一組がいる。
「こっちでも貴方と友達になれてうれしいわ」
「本当に強かになったわね、貴方も……琴巳ちゃんも」
「お姉ちゃんもそういう顔するんやなあ。それに見られただけでもこの世界に行ってよかったわ」
苦い表情をみせる五和を挟む形で先生と蛇が穏やかに笑っている。
歪んできた関係もこうやって穏やかに変質していくのだろう。ここにあるのは終わりではなく、ずっと先の未来にも続いていく今なのだと実感させてくれる。
「小雛ちゃんの服を作る約束、こっちで果たすよ」
「うん。楽しみにしてる」
翠の世界での約束をこちらでも改めて交わす友人の二人。敵対組織など関係ない世界で仲間をする必要なく視線を交わし、ぎゅっと手を繋ぐ。
「こういうのも悪くないね」
「しろが作った世界だよ」
「違うよ、琥珀。これはみんなが作った世界だよ」
ただ寄り添うだけで強固な絆を感じさせる二人の会話。各々交流を重ねる人々を眺める二人に倣うように菊理も視線を巡らせる。これこそ菊理が見たいと思っていたものだ。
満面の笑みを花咲かせ、菊理もその輪の中に加わった。
「及第点と言ったところかしら。悪くないエンディングだわ」
最後を飾る道化の言葉は風に解けて消えていった。




