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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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51「猫葉琥珀の場合」

 琥珀が孤児院に入ったのは、小学生のときだ。両親は共に身体が弱く、父は琥珀が生まれてすぐに亡くなり、女手一つで子供を育てた母も体調を崩して亡くなった。


 祖父母に反対される中、駆け落ち同然に結婚したこともあって、引き取り手のない琥珀は孤児院に入ることとなった。

 孤児院は母がたびたび手伝いをしていた場所だった。琥珀も一緒に手伝いに行っており、勝手知ったる場所に戸惑いはなかった。


 母はこうなる未来を予測し、琥珀を孤児院に通わせていたのだろう。新入りの琥珀が新入りとして遠巻きに扱われなかった母の愛のお陰だ。

 初日から仲間として受け入れられた琥珀は母の愛を感じながら、日々を過ごした。


「琥珀。貴方は貴方のまんま、生きていけばいいの。琥珀のまんま、マイペースに生きなさい」


 この言葉は幼い頃に母から言われたものだ。その言葉があったから、琥珀はマイペースを失うことなく、年を重ねていった。


 マイペースを突き詰めた琥珀を迫害するような人たちがいなかったということもあるだろう。

 無垢さと素直さを宿すマイペースさを人々は柔らかく見守った。


「琥珀ちゃんも困っている人がいたら、手を貸してあげてね。そうすれば、貴方が困っているとき、誰かが手をかしてくれるはずだから」


 孤児院の院長先生に言われたこの言葉と、母の言葉が琥珀の行動指針であった。

 身体能力が人より高いらしい琥珀が人のためにできることは少なくない。考えることが苦手な代わりに力技で人々を助けた。しろとの出会いもその一環だった。


 男の人に絡まれて困っている女の子がいたから、蹴りで一人を沈めて助けた。

 自分に興味を持ったらしいしろのことにもそこまで関心がなかった。


 頻繁に孤児院を訪れるしろと気の向くままに話をした。

 しろはあまり自分のことを話さない人だけど、琥珀は特に気にならなかった。話したくないなら、無理に話さなくてもいいし、琥珀はそこまで他人に興味もなかったから。


 聞かれたこと答えつつ、ほとんどの時間を無言で過ごした。隣に座って、寄り添って、何をすることもなく流れていく時間を味わった。しろと過ごす時間が琥珀は好きだった。


「琥珀は自由でいいなあ」


「しろは自由じゃないの?」


「私の自由には形がないから、琥珀が羨ましいんだよ。形があるのは才能だよ」


「しろの言うことは難しい」


 琥珀とは違うものを見るしろの言葉は分からないことも多い。

 分からないときのしろは少しだけ寂しそうに見える。遠く焦がれるものを見る黒瞳は泣きそうで、琥珀で何も言わず手を重ねた。

 冷たい手に体温の高い琥珀の手が重なる。


「どうしたの?」


「なんとなく」


「琥珀は相変わらずだね」


 抽象的で曖昧な言葉を交わす日々は琥珀に確かな安らぎを与えていた。

 しろと話すのは好きだ。しろと一緒にいるのは好きだ。この時間を宝物のように思う。


「ねえ、琥珀。私、組織を作ろうと思うの」


 しろがそう言い出したとき、琥珀は自然と受け入れた。

 相変わらずしろの考えは分からなくて、理由も意味も分からないままだったけれど。


 それでもしろの言うことだから受け入れた。組織に願うしろの瞳が無垢な幼子のようだったから。

 組織を作ることがしろの望みに繋がるのだと思ったから、その話に乗った。それが間違いだったのだろうかと琥珀は時々考える。


 伸ばした手に重なる手がない今を抱いて。


「琥珀。MaveRickにはいろんな人が集まることになるよ。琥珀が導いてあげて」


「しろはそうなると嬉しい?」


 問いかければ、しろは少し驚いた顔をした。見開いた黒瞳はすぐに和らぎ、見慣れた笑顔が向けられる。

 何度も見た笑顔なのにこの日は何か違和感があった。ずっと遠くを見ていたしろ自身がどこか遠くに行ってしまったような、寂しい笑顔だった。


 問いかけにしろは答えなかった。琥珀に答えを与えないまま、しろはいなくなってしまった。

 姿を探して、声を探して、匂いを探して、気配を探して、ずっと探し続けても見つからなかった。


 その間、MaveRickにはいろんな人が集まった。クラウンに、先生、璃尤、小雛、ロゼ、そして菊理。

 しろがいた短い間よりもずっと賑やかな場所となった。


 琥珀は人間という生き物が好きだ。人が増えたMaveRickのことは好きだ。

 そこにしろもいてくれたら、と思うのに、いなくなった理由すらも琥珀には分からない。

 それでも琥珀はMaveRickに残って、しろに言われたことを守り続けた。

 対人は得意ではない琥珀なりに後から入ったメンバーを支え導いた。


「琥珀のまま、マイペースに生きなさい」と母が言った。

「琥珀ちゃんも困っている人がいたら、手を貸してあげてね」と院長先生が言った。

「導いてあげて」としろが言った。

 琥珀の人生はこの三人の言葉で形作られている。


 大切だと思えるものが、そこにあったから。大切なものを大切にするのが琥珀の生き方だ。

 迷子にならないように生きて、一番大切に思っていたものが迷子になってしまった。

 答えを探して、そのヒントが始まっても、琥珀には肝心なものが分からなかった。


「このゲームが終わったら、しろは帰ってくる? しろの望みは叶うの?」


 誰に言うでもなく呟いた言葉に当然返事はない。真摯な瞳は空を見上げ、虚空に消えていくだけの言葉を受け取ってくれる存在を想像する。

 MaveRickは失くしたくない居場所。けれど、琥珀がゲームをするのはしろに会いたいから。

 しろの始めた遊びに参加していれば、また会えると信じているから。


 数年ぶりに会ったしろは何も変わっておらず、今まで通りの言葉を交わした。


 のらりくらりと流れる水のごとく振る舞うしろを菊理の言葉が貫いた。

 大きく息を吐いたしろは睨むような目つきで菊理を見ている。

 ネガティブな表情を浮かべることのなかったしろが苛立ちを見せている。対する菊理は邪気のない笑顔を、友人に向けるような笑顔を向けるばかり。


 菊理は初めて会ったときからずっとそうだった。暗さを見せないところがしろに似ているとも思ったのを覚えている。

 実際、二人が対峙している姿を見ているとその違いは明らかだ。

 そもそも暗さを持ち合わせていない菊理、その言葉に背中を押される気分で一歩近づいた。


「しろ、教えて。しろの見たいもの、欲しいもの。私は知りたい」


 話すのは得意ではない。感情を言葉で表すのは難しくて、どうすればしろを説得できるのかも分からないまま。

 不器用で仕方がない言葉だけれど、言わないと伝わらないと菊理が教えてくれたから。


「ずっと考えてた。しろがいなくなってからずっと。でも分からなかった」


 たどたどしく、それでもしろに、水瀬真白に届けるための言葉を紡いでいく。

 丸く見開かれた黒瞳を、琥珀の瞳で射抜いて重ねる。


「私は考えるのが下手。答えは見つけられなかった。……だから教えてほしい。答えが知りたい」

「……っ…意外だね。琥珀はそういうの……気にしないと思っていた」


 一瞬泣きそうな顔を見せた真白は取り繕うように笑った。

 いつもお手本のような笑顔を見せていた真白とは思えない不器用な笑顔だ。

 迷いを映し出す瞳。薄く開いた口から震えた呼吸が零れる。


「私は……空っぽなんだ。真っ白なの。周りが望むまま、自分の形を変えることが苦にならないくらい」


 口角をあげ、無理矢理に笑った口で真白は自分を詳らかにする。


「嫌われないことばかり得意で中身がないんだ、私には」


 それはきっと真白がすっと抱えて生きてきたことなのだろう。

 違う、と否定することは簡単でも琥珀はそれをしない。それを互いに望まないから。

 不器用に言葉を紡ぐ真白へ、真摯な眼差しをただ向ける。


「特別が欲しい。空っぽな胸を焦がすほどに特別だと思えるものが。嫌われないばかりで一番にはなれない私を特別にしてくれる人が欲しいんだ」


「それが理由?」


「そうだよ」


 明かされた答え、返ってきた肯定に琥珀は小さく頷いた。

 示されるのは納得だ。ずっと考えてきた真白の真を受け止めた琥珀は一歩踏み出した。


 震える黒瞳を見つめて、細く息を吸い込む。ふっと息を止め、その手を振りかぶった。

 ぱんっ、と渇いた音が響いて、頬を赤くした真白が驚きを飾る。


「ばかっ」


 真白の頬を叩いた音に続く琥珀の声。初めて出した大きな声の余韻が消えないまま、琥珀は激情を持って再度口を開く。


「私はっ……ずっと私は、特別だったよ。しろが私の特別だった。一番だったよ!」


 表情にも声にも感情を乗せることがほとんどない琥珀が必死に訴えかける。

 内から湧き起こるものをそのまま声に乗せた。伝えたい感情がその瞳を潤ませた。

 届いてほしい思いを、届いてほしい相手へ、けれど届ける方法が分からないと泣き叫ぶように。


「私じゃ、ダメ? 私じゃ……足りない?」


「っなことない……そんなことない!」


 真白もまたその瞳に涙を溜め、頭を振って否定する。顔をくしゃくしゃにして何度も何度も否定を繰り返す。

 呼吸を乱した真白はくちゃくちゃにしたまま、口元を綻ばせた。


「そっか、私にもいたんだ」


 実感を音にして、確かめる真白はそっと自身の胸に手を当てる。それは己の鼓動を確かめるためであり、己の心を確かめるためでもあった。


「……私も、ずっと琥珀のことを考えてた。離れている間もずっと、琥珀はどういう反応をしてくれるんだろうとか、そういうのばっかり。……これが特別ってことなんだね」


 和らいだ瞳から涙が一筋伝う。浮かぶ笑顔を目に収めて、琥珀は地面を蹴った。

 大きく広げた手で勢いよく、真白に抱きつく。あまりの勢いに少しふらつきながらも、真白は受け止める。


 もう離れない意思表示をするように二人は強く抱きしめ合う。

 ずっと離れていた友人の温もりを全身で味わう。ずっと寂しくて寒かったけど、今はとても温かい。


 感動が空間を満たし、先生なんかは涙ぐんだ瞳を拭っている。

 そこへ場違いな渇いた音が響いた。それは終わりを告げる拍手であった。

 青髪の道化、クラウン。終焉を祝福する拍手が不意に止む。


「特別を求めた空っぽ少女が特別の存在に気付く。素晴らしいお話だわ」


 心からの祝福を口にするクラウンは集まる視線を味わないように表情を作った。


「罰ゲームしか定められていないのも、貴方の性質によるものだったのね」


「どういうことですか?」


「水瀬真白は特別を知らない。どうすれば特別が得られるか知らない。だから下手にルールで縛ることができなかった。特別が生まれる可能性を消してしまうのが怖かったから」


 聞かせるために整えられた声が、場の支配者のように響いた。

 真白が始めた改変ゲームを解き明かしながら、クラウンは紫の瞳を向けた。

 琥珀から離れた真白は仄かに身構えて相対する。


「それで貴方はどうする気なの?」


 問いかけは抽象的でシンプルだ。それでいてすべてが詰め込められている。

 役者らしく考え抜かれた台詞は、嗜虐的に歪んだ表情に色づけられる。


「これが終わりなんて言わねえよなあ?」


 表情と同じくクラウンの声には凶気が宿る。

 射抜く視線は望まぬエンディングを責めるためにある。


「言葉巧みに他人を招いておいて、自分は満足したから、『はい、おしまい。めでたしめでたし』なんてするつもりないわね」


 朗々と響く声は真白だけではなく、この場を見るすべてに向けられている。

 一蹴りで真白に迫り、その胸倉を掴むクラウン。反射で止めようとした琥珀を視線だけで制した。


 台詞を言う間を与えた瞬間から、ここはクラウンの舞台となった。彼女の望まぬ演出は形になることを許されない。それだけの力があった。

 刃を持たず、視線と言葉を凶器として真白に向けるクラウン。


「この俺を招いて、そんなつまんねえ終幕を飾れると思うなよ」


「わか、ってる。他人を巻き込んだ以上、中途半端なことはしないよ」


 逸らさず答える真白に満足したのか、クラウンはその手を離した。

 己の意思を示すように数歩下がって、菊理たちの方を振り返った。

 ここからは彼女たちこそ舞台の主役だと示すように。


「私はこの夢を閉じようと思ってる。でも、その前に貴方たちの話が聞きたい。聞かせて」


 この場にいる全員の顔を順繰りに見て真白は告げる。覚悟の灯った表情で。


「私が貴方を巻き込んだ。責めるのも、何か要求するのも好きにして。どんな言葉でも受け止めるし、私にできる範囲のことならなんでもするよ」


「私はしろが傍にいてくれたらそれでいい」


 始めた責任が真白にあると言うなら、琥珀にも責任の一端はある。ならば、真白とともに受け止める覚悟を持って、その肩に手を置いた。


「舞台が美しく終わること以上に私が求めるものはないわ。それが私の招かれた理由ですもの」


 早々に意見を明らかにするクラウン。

 場の流れを変えた動機から離れない姿はクラウンの生き方を示している。

 最後のバトンを渡したと言わんばかりに会話の流れは他のメンバーの方に向けられる。

挿絵(By みてみん)

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