50「水瀬真白の場合」
真白は恵まれている側の人間である。恵まれていると言っても、人によって条件は変わってくるものだ。
お金や物に恵まれている。人に恵まれている。代表的にあげられるものはこの辺りだろうか。
そういう意味で言えば、真白は恵まれている人間と言えるだろう。
真白の家、水瀬家は六湊町一帯の土地を所有する地主だ。その上、経営者としての才に恵まれた先祖のお陰で、金銭面で困ったことはない。それは物で困ったことがないとも言い換えられる。
お金があれば、大抵のものは手に入る。真白の人並みの欲は、人並みを超える財力で容易く満たされた。
お金持ち、それも古くからある家ともなれば、逆に人間関係が最悪なんてイメージもあるかもしれない。しかし、真白にこれは当てはまらない。
周りにいるのが素晴らしい人格者ばかりだから、というわけではない。
むしろ真白の周りにいるのは多くがイメージする金持ちとそれに媚びる人間ばかりだ。
水瀬家の人間というのは金に物を言わせ、それぞれが持つ優れた才に驕る者しかいない。
その中で真白は、すべての能力が平均的な、どこに出しても恥ずかしくない平凡少女だ。
本来であれば、無能の烙印を押され、一族全員から蔑まれる立場にある。
しかし一族の、関係者たちは一人として真白に蔑みも哀れにも寄越さない。
才能に恵まれた一族の中で平凡に愛された少女。そんな真白もたった一つだけ才能を持っていたのだ。
それは人に嫌われない才能。万人に好かれる、とまではいかない小さな才能だ。
対峙している相手が何を求めているのか、感覚的に分かるのである。それに合わせて自分を変える、それを苦と思わない才。
一番になれないし、選ばれないけれど、嫌われることもない立場を真白は容易く手に入れてみせた。
「あ、レイ姉。メイク変えたの? その色のチークも可愛いね」
「今日はぁ、ちょっと濃くなっちゃんだけどぉ」
「全然。レイ姉はなんでも似合って羨ましいなあ」
二番目の姉、水瀬怜花。一族の中でも群を抜いた美貌と類まれなプロポーションを持ち、自尊心が高い。
メイクや髪形が気分でころころ変わるから、タイミングを見て褒めるのがいい。彼氏もころころ変わるので、その辺りのタイミングを見誤らないことが大切だ。
「怜花。貴方、また彼氏と別れたんですって? そうやってとっかえひっかえしていると碌な目に遭わないわよ」
「お姉様みたいに行き遅れたりとかぁ?」
「私は行き遅れているわけではないわ。水瀬家の人間として一族に相応しい人間を――」
「ほんと、かったぁーいわねぇ」
長女、水瀬歩子とはすこぶる仲が悪い。
一族の女子として責任を一番に定める歩子と、自由奔放な怜花は相性がかなり悪いのだ。
顔を合わせるたびに嫌味を言い合い、鋭い視線を交わす。面倒な二人だと思っているのは内緒だ。
「あゆ姉様。勉強で分からないところがあるんだけど、後で部屋に行ってもいい?」
「それなら今から来なさいな」
歩子は頼られるのに弱い。勉強やマナー、得意分野の教えを乞えば、上機嫌で教えてくれる。
己の知識を他人へ見せることに快楽を覚えるタイプなのである。
そうやって一人一人、求めるものを見抜いて自分自身を変える。
兄は己の才に驕りながらも、奥底に不安を抱えている。弟は軽薄な振る舞いを見せる裏で、強い劣等感を抱えている。互いが互いを意識し、その在り方に焦がれている。
父は理解者を求め、母は話し相手を求める。誰もが己にとって都合のいい人間を求めている。
だから真白は都合のいい人間になってあげるのだ。必要なときに寄り添い、そうではないときには離れる。そこに感情の一つも宿さないまま。
元々、真白は空っぽな人間だ。真っ白なのだ。
欲らしい欲はなく、激しく揺さぶる感情を一つとして持たない。
他人の望むままに形を変えることに苦痛を感じない人間。恵まれた人間である。
けれど、満たされはしない。満たす方法が分からず、心はずっと空っぽのまま。
「明日、私がいなくなっても、世界はきっと変わらない。なんてね」
ここにいる価値なんて考えて、そんなものはないと潔く結論づける。
大した才能も持たず、誰かの特別でもない真白が消えたところで変わる世界は存在しない。これは悲嘆ではなく、純然たる事実だ。
価値のない事実があっても、真白は終わりを選ぶ気はまったくない。生きるにしろ、死ぬにしろ、真白には選ぶだけの理由を持っていない。空っぽとはそういうことだ。
何もない、何も求めない真白にどうしてかの存在が声をかけたのか分からない。
学校からの帰り道、暇潰しに町をぶらついているときに声をかけられた。
それは淡い光だ。周囲を舞い飛ぶ蛍のような光を何気なく目で追いかけれていれば、突然白い場所に誘われた。見える範囲、白に埋め尽くされた場所だ。
町中を歩いていたはずだが、明らかに現実とは程遠い場所に真白は立っていた。
「やっぱりさっきの光が関係あるんだろうけど」
突然知らない場所に置かれても動揺もなく、真白は変わった景色を見回す。
白一色、何もない空間が広がっている。ずっとここにいると平衡感覚を失ってしまいそうだ。
何もいない、誰もいないでは何をしていいのかも分からない。
「こんなところに呼び出して、私に用があるんじゃないの?」
知らない間に立っていた場所ではあるが、呼ばれていたという強い確信があった。
ここに来る前に見た白い光が真白を誘ったという確信が。
「白き娘よ。君には、資格がある。力を、授けましょう」
男、女、老人、若人。様々な声が混ざり合って白い世界に響いた。
姿はない。現わす気がないのか、そもそも身体を持たない存在なのか。細かいことは気にしないことにして、真白は姿なき声と対峙する。
「私に力を授けて何をする気なの?」
「貴方の、思うままに、使ったらいいよ。それが、痛手となる」
「誰かと戦ってるっていう話? 面倒事に巻き込まれるのは嫌だなあ」
「お前の動きが、世界を揺るがすだけよ。戦闘をする、必要はありません」
抽象的な言葉ばかりで、いまいち要領を得ない話し方である。
与えられた力を使えば、世界が揺らぐ。それを白い存在は望んでいる。
「ところで貴方ってどこの誰さん?」
「我は帝天。この世を創造せし神である」
「自分が作った世界なのに壊したいの? 失敗作だったからとか?」
「是。奪われたんだよ。忌まわしき蒼に。だからゼロに戻すのです」
「ふうん。まあ、なんでもいいや。貰えるものは貰っておくよ」
万物を変える力。手に入れた力を、与えてくれた存在には悪いが、真白は使う気がない。
人智を超えた力を手に入れたところで、真白にしたいことなどないのだから。
人選ミスだ。もっとしたいことやなりたいものがある人こそ、選ぶべきだ。
与えられた力を使う予定もなく、宝の持ち腐れだと考える日々に彼女と出会った。
いつものように町の中をぶらついていたら、面倒な人たちに絡まれた。
学校帰り、一人出歩いている女の子に声をかけている暇な男たち。どう退けるか考えていれば、そのうちの一人が急に沈んだ。
「こっち」
腕を引かれ、そのまま走り去る。それが彼女、猫葉琥珀との出会い。
しばらく走った後、二人は立ち止まった。それなりの速度、それなりの距離を走ったせいで、息切れをしている真白に対して、琥珀は涼しい顔でこちらを振り返った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
端的に答える姿、表情らしい表情のないその顔。読めないと思った。
珍しいことだ。たとえ表情の乏しい相手でも真白であれば、容易く読める。
空っぽの相手だったら分からなくもないが、彼女は空っぽというわけでもない。
「どうして私を助けてくれたの?」
「困ってたから」
彼女という人に興味が湧いて問いかければ、やはり端的な返ってきた。
多くを語りたくないとも違う、多分理由などない言葉の少なさだ。
「困っている人がいたら助けなさいって先生が言っていた」
「先生って?」
「孤児院の先生」
聞けば、答えてくれるので、秘密主義でもないようだ。
大人の言いつけを守るいい子。それも違う気がする。自分がない子ではなく、確固たるものがある中で、大人の言葉を選ぶ、そんな少女であった。
分析したすべてが合っているという確証もなく、だからこそ彼女の興味を持った。
空っぽで真っ白に見えて、そうではない少女。自分に近く見える遠い子。
「孤児院に行ってもいい? 貴方に会いに。貴方のことを教えてほしい」
それから真白は琥珀の暮らす孤児院に通うようになった。おこづかいを寄付したり、手伝いをしたりすれば、頻繁に訪れる余所者も大人は簡単に受け入れる。
ここでも嫌われないを発揮し、真白は容易く孤児院の中に馴染んだ。
けれども、琥珀のことは分からない。毎日のように会って、言葉を交わして彼女のことを知った。
両親とは死別して孤児院に入った。魚が好きで、薄荷が苦手。
身体能力が高く、身体がとっても柔らかい。勉強は普通。記憶力が良いので暗記科目が得意。
自分のことを話すよりも他人の話を聞く方が好き。でも、話すことが嫌いなわけではない。
高い所で眠るのが好き。日向で眠るのが好き。静かな場所で眠るのが好き。人の声が聞こえる場所で眠るのが好き。外で眠るのも、部屋の中で眠るのも好き。とにかく眠るのが好き。
知ったことはたくさんあって、彼女の近付けた確信もある。ただ猫葉琥珀という人間はすれば知るほど分からなくなる。あの瞳の奥で何を考えているのか、少しも読めない。
琥珀と一緒にいると真白は自分を見つけられそうな気分になる。空っぽな器に中身が注がれていくような。
「ねえ、琥珀。私、組織を作ろうと思うの」
「そしき?」
「そう、組織。居場所のない人たちの居場所を。そこに貴方もいてほしい」
勧誘を受けるか、断るか、予想できないままに琥珀の目を見つめた。
これは一つの賭けだ。琥珀が乗ってくれないと話が始まらない。
真白は琥珀に出会って確かめたいことができた。知りたいことが、見たいものができた。
一生使うことのないと思っていた、帝天から貰った力を使ってでも確かめたいのだ。
「いいよ。……しろ、もう一人誘ってもいい?」
「琥珀がそんなこと言うなんて珍しいね。孤児院の子?」
「ううん、学校の子。仲良くなったの」
「へえ、琥珀の友達か。だったらいいよ、私も会ってみたいし」
まさか琥珀そんなことを言いだすなんて思っていなかったから驚いた。
彼女には悪いが、琥珀に友達がいるなんて思っていなかった。孤児院でも一人でいることが多い琥珀が特定の誰かと仲良くしているイメージがなかったのである。
嫌われているというより孤高。彼女のマイペースさは人を寄せ付けない。
そんな琥珀の友達になれた人物に興味が湧いた。きっと面白い子だ。
実際、琥珀の友達――瑞月琴巳は真白好みの面白い子だった。
何より、彼女の家庭環境に興味を持った。蛇憑きの家系、残虐性を持った姉。
上手く使えば、真白の見たいものに近付けるかもしれない。
「そんで、その組織の名前は決まっとるん?」
「そうだね、MaveRickなんてどうかな」
名前は大事だ。一番短い呪だとか、名は体を表すだとか、そう言われるだけはある。
だから真白が作ったこの組織には真白自身を込めた。
「どういう意味?」
それを知ってか、知らずか、琥珀は首を傾げた。
奥底まで見抜かれた気分になる瞳に真っ向から受け、笑った。
「異端者。どこにも馴染めない人たちを示すにはちょうどいい名前じゃない?」
「いいと思う」
「ちょっと皮肉が効きすぎるとる気ぃするけど……ええんやない。うちも賛成」
MaveRickには他にも意味がある。どこにも属さない一匹オオカミ。
人に合わせて形を変えて、どこにも自分がない真白。誰にも寄らないMaveRick。
「じゃあ、今日からMaveRick始動だね」
始まりの三人は顔を合わせて仄かに笑った。
苦笑に近い笑みの琴巳に、口元だけを綻ばせる理由。その中で真白はお手本のような笑顔を浮かべた。演技というわけではなく、真白はそれ以外の笑い方を知らないのである。
自分の形を知らない真白は自分の笑い方を知らない。思いのままに笑い、組織の今後を話す二人を真白は羨ましく見ていた。
自分を持つ二人が、他の人間が真白には遠い存在のように思える。
「ふふふ、二人とも真剣だね。きっとMaveRickはいい組織になるよ」
二人は本気になってくれてよかった。これでMaveRickは真白がいなくなった後も大丈夫だ。
MaveRickから離れて、二人から離れて、真白は一匹狼に戻る。そこで人は集めよう。
離れた場所でMaveRickのメンバーを勧誘する。MaveRick以外のチームを作るのもいいかもしれない。
そうやって真白の夢に人々を招待する。そうしたら真白は特別を知ることができるかもしれない。
――そうしたら真白にも特別を見つけて、誰かの特別になることができる。




