5「残党狩り」
メンバーがまた一人増えて、MaveRickは九人というそれなりに多い人数となった。行方知れずとなっているしろを含めれば十人。二桁の大台に乗ったといったところか。
居場所のない者の居場所を。そう言って作った組織が、と思うと感慨深いものがあるとリーダーを押しつけられた少女――瑞月琴巳は考える。
琴巳もまた周りに馴染めず、居場所を追い求めていた一人だった。それが今は八人もの仲間がいる。
紛れもなく琴巳はMaveRickのメンバーで、その上リーダーだ。昔の自分は今の状況を想像すらしていなかった。
居場所を得るなんて自分に許されるわけがないと考えていたから。
呪われたこの身には誰かとともにある未来なんて過ぎたことなのだと。
レンズ越しに見る景色の中に黒い筋がうねっている。意思を持って蠢くそれたこそ、琴巳を異端たらしめている原因だ。
彼らがいなかったら、と何度考えたことだろう。けれど、彼らに助けられている部分もあり、嫌っていても否定できない中途半端な立ち位置が今の琴巳だ。
「リーダー、少しよろしいですか?」
ピンク髪の少女がノートパソコンを手に顔を覗かせた。
アンネ・D・ロマイド。遠目には人間を見紛うほど精巧な外見。
近付いてみれば、無機質さのあるつるりとした肌や不自然に透き通った髪が、彼女が人間ではないことを容易に教えてくれる。彼女はとある博士によって作られた人型のアンドロイドなのである。
「こちらを」
言って、パソコンの画面が差し出される。映し出されているのはどこかの監視カメラ映像だ。
アンネは戦闘用に改造されたアンドロイドだが、機械方面にも強いのでサイト運営を含めたシステム関係の役割はすべて任せている。インターネットを使った情報収集も任せており、今回もその件だ。
「昨日の残党ですが、現在は港近くの廃工場に潜んでいるようです」
非合法な実験を繰り返している組織の壊滅が今回の依頼だった。本当なら残党も残さず始末する予定だったが、菊理というイレギュラーが発生したことで深追いはやめた。
結果、取り逃した残党の動向が今一番の問題だった。
「何か計画を立てているようですが、詳細までは……」
「ええよ。その辺は龍の方が詳しいやろし」
他者の記憶を覗ける璃尤の力を頼れば、下手に調べるよりも詳細な情報を得ることができる。
覗くことのできる人には条件があるらしが、残党の中に条件を満たす者いることはすでに確認済みだ。
「龍は菊理たちと一緒やったな」
メンバーの紹介が終わり、琴巳やアンネは共有スペース、所謂リビングを出たが、龍を含めた何人かは残っていたはずだ。おそらくまだ話に花を咲かせていることだろう。
そう考え、アンネを連れて部屋を出た。
琴巳が今までいたのはメンバーそれぞれに与えられている個室だ。と言っても、そこまで広くはなく、最低限寝泊まりできる程度だ。
しろが用意したこの拠点は無駄に部屋数が多い。菊理が増えても、まだ数部屋の余裕がある。
初めの頃はこんなに下手が埋まるとは思わなかった。と、また振り出しの考えに至る琴巳である。
「龍、ちょっとええ?」
共有スペースには璃尤と菊理の他にロゼと小雛、猫もいた。後者のうちの二人は共有スペースにいる率が高いので特段驚きはない。
五年もの間、一人で過ごしていた経験から、小雛は独りになることを避ける傾向がある。与えられた個室よりも共有スペースにいることを好み、小雛に合わせてロゼや先生も一緒のことが多い。
独りの冷たさを散々味わてきたのだから、これからは誰かと共にいる温かさを思う存分味わってほしい。これが琴巳も含めた周囲の共通認識だ。
「猫もおるなんて珍しいな」
「……たまたま?」
元々、猫に詳しい説明は求めてないので曖昧すぎる返答にも深くは追及しない。仲良くしているならそれ以上言うことはない。
「何かあったのかい?」
「例の残党の記憶を覗いてくれへん? なんや悪巧みしとるみたいでな」
「なるほど、分かった」
言うが早いか、璃尤は目を閉じる。再び開かれたとき、黒かったはずの目は銀色に輝いていた。
神秘さをまとわせた目はここではないどこかを見ている。璃尤が力を使うとき、その目はいつも美しい銀色の輝きをまとうのだ。
曰く、璃尤に力を与えている神を象徴する色らしい。
璃尤はどこぞの神の眷属らしい。琴巳に憑いている黒いあれも神のようなものなので密かに親近感を抱いている。
「ふむ、どうやら研究所から薬品をいくつか持ち出していたようだね。それで爆弾を作る気らしい」
「お薬で爆弾が作れるの?」
「この場合、化学物質と言った方が伝わりやすいかな。近年、化学物質から爆弾を作る事案を増えてきているらしいよ。薬局やホームセンターで売っているような材料で事足りるらしい。当然、対策も講じられている過剰に心配する必要はないさ」
ターコイズの目を不安げに揺らす小雛を安心させるように璃尤は笑いかける。
怖がらせるつもりはなかったと璃尤は謝罪し、小雛は安心したようにほっと息を吐く。
「その爆弾を何に、いや、どこに設置する気なん?」
「今、話し合っているところのようだね。すぐ動けば間に合うよ」
場所も押さえてある。メンバーも充分に揃っているので、仕掛けるにも問題ない。
「残党って昨日の奴ですわよね。爆弾を作って何をする気ですの」
「実験体を返すように要求するつもりだろうさ。余程大切と見える。貴重な実験体と考えれば、不思議もないかな」
璃尤は言葉を選ばないところがある。菊理の表情を確認して問題なさそうだと判断し、特に注意はしない。他者の感情を見抜く術を持つ璃尤はそういうへまはしない。
なのに、本気でずれた言動を見せることもあるから読めない。計算のようにも、天然のようにも思える掴み所のなさを持つのが璃尤という人間だ。
「……私が狙いですか。じゃあ、私が戻れば爆弾は使われませんか?」
「おそらく。実験体が戻れば、最低限研究は再開できるだろうしね」
「それで戻るなんて言わないでしょうね。許しませんわよ」
菊理はいい子だ。自分の代わりに誰かが犠牲になるのは嫌だ、とそう考えているのだろう。
研究所でどんな生活をしていたかは分からないが、食事したときの反応を見る限り、まともな生活をしていなかったのは想像に難くない。いくら本人が望んだとしても、そんな場所に戻したくないという情が短い付き合いでも琴巳の中には芽生えている。
「戻る必要はあらへん。うちらを舐めてもらった困るで」
爆弾が仕掛けられる前に情報は掴めている。たとえ、それを盾にとられたとしても問題なく制することができるメンバーが揃っている。
特別な力を持ち合わせていない人間ごとき、MaveRickの相手にすらならない。
「猫、今から動けるな?」
こくり、と頷く顔はそう言われることを想定していたと言わんばかりだ。
メンバーの中でも猫との付き合いはもっとも長い。しろがいなくなってすぐは二人だけで任務を回しており、お互いの考えはなんとなく分かる。
「当然、わたくしも行きますわよ」
「ん、ボクも行きたい」
ロゼが言い出すのはいつものことだが、小雛までも言い出すとは思わなかった。レンズの奥に隠された赤目をわずかに見開く。
出会ってからまだ数時間しか経っていないのに随分と菊理に懐いているようだ。人見知りの小雛が珍しい。
素直すぎるほど素直で、邪気を一切感じさせない菊理に小雛の警戒心も薄れたのだろう。
「分かった。二人も組み込んだ作戦にしたるから安心しぃ」
末っ子たちが新しいメンバーのためにやる気になっているなら、その意思を尊重してやりたい。
潮風に肌を叩かれ、琴巳は思わず身震いをする。もう少し厚着をしてくればよかった。
海の近くというのはどうしてこう寒いのだろう。冷えきった身体が固まってしまう前に早く用事を終わらせてしまおう。
「菊理、ちょっとストップ」
大きな目がこちらを向くのを横目にまとう黒い靄に命令を下す。
細長く形作られた靄は隙間から目的の廃工場の中へ侵入する。すぐに戻ってきた靄が持ち帰ってきた情報と、事前に璃尤から聞いた情報を照らし合わせて問題ないと判断する。
「いこか」
菊理を連れて、敵の仮拠点へ真正面から足を踏み入れる。
「どうも、初めましてでええかな。自分らの組織を潰したMaveRickのリーダーです。よろしゅうな」
廃工場の中にいるのは全部で十四人、すべて男だ。内、白衣を着ているのが五人で、黒服が九人。
白衣は研究者、黒服は警備員だろう。シルエットから察するに黒服の方は全員銃を携行している。しかし、それは恐れる理由にはならない。
「何をしに来た……」
「見て分からへん?」
リーダーを思わしき男の言葉を聞いて、菊理に前へ立つように促した。
それだけで研究者たちの表情が見る間に変わる。ちゃんと実験体の顔を覚えていてくれて安心した
多少身綺麗になっているので気付かれない可能性も考えた。無駄な手間が省けてよかった。
「鼓田菊理、いえ、十七番です。お久しぶり?です」
丁寧に頭を下げる菊理に研究員は戸惑いを見せる。散々利用してきた実験体がまさか自分たちに好意的な態度を見せるとは考えていなかったのだろう。
菊理の反応がどこかずれているのは琴巳も感じていることで、気持ちは分かる。
「彼女をどうする気だ?」
「そない警戒せんでもええよ。条件んさえ呑んでくれたら、菊理――彼女を返したってもええ」
警戒を募らせ、値踏みするような視線を飄飄とした赤目で見返す。
少女など侮りながらも警戒が混じった目。組織を潰したのが少女という事実がある以上、見た目だけでは判断できないと考えているのが分かる。
MaveRick的には大人数を割いていた任務だったが、相手からしてみれば少人数なのにといったところだろう。実際、琴巳一人でも菊理を連れてここから逃げることくらいはできる。
そうでなければ、こんな無防備な姿で敵地に足を踏み入れてはいない。
当然、それくらいのことは相手も考えているだろう。だからこそ、警戒をまとった視線で琴巳を突き刺している。
こんな純朴そうな少女を捕まえて、そんな化け物を見るような視線をするなんて心外にも程がある。
少々特殊な生い立ちなだけで、琴巳などどこにでもいる普通の少女だというのに。
「条件というのは?」
「簡単な話や。実験体を返す、せやからこれ以上他の人間を自分らの研究に巻き込むな。それが条件」
「……。分かった」
仄かな迷いはありながらも、研究員は素直に示した条件に頷いた。
想定よりもあっさりとした肯定に琴巳は目を細める。
「交渉決裂やな」
「っ何故……」
問いかけられる方が理解できないと首を傾げる。赤縁眼鏡の奥に潜む目は細められたまま、研究員は気圧されたように押し黙る。呼吸すら飲み込み、緊迫した表情がこちらを見ている。
「小娘やって舐めてもらったら困るで。嘘くらい簡単に見破れるわ」
嘘を吐かれた時点でこの交渉の信頼性はなくなる。信頼できないと断じた相手とこれ以上交渉する気など琴巳の中にはなく、
「出番やで」
頭上に掲げた掌から黒が弾ける。
琴巳は基本的に平和主義だ。対話で済むならそれが一番なんだけどな、と数歩下がって見守る意思を示す。今回は琴巳の出る幕はない。
狼煙の代わりにあげた呪いの靄を合図に響くのは発砲音。
咲き誇る薔薇を纏い、優雅に姿を現したのはロゼだ。ブーツを高く鳴らしたロゼは古銃を構え、次々と引き金を引く。
放たれるのは鉛玉ではなく、植物の種。宙で発芽したそれらは瞬時に蔦を長く伸ばし、男たちを捕えてみせる。鋭い棘をいくつも備えた茨は抜け出そうともがけばもがくほど、深く食い込んでいく。
「ボクとも遊ボ……?」
ロゼの傍ら、潜むように立つ小柄な影。華奢な身体を覆うように金髪を伸ばした少女だ。
ガラス玉のように透き通った目はどこか虚ろに宙を見つめている。
少し大きなサイズのパーカーで甲まで覆われた指先がすっと上に持ち上げられる。黒いパーカーとは対照的に白い指先に応じて、地面から手を生えた。
球体関節を備えた複数の手は茨同様に男たちを捕えてみせる。
地面から大量に人形の手が生えている姿はかなりホラーな光景だ。他人事のように眺める琴巳の目が最後の登場人物の姿を捉えた。
派手な登場をしたロゼと小雛に隠れて黒い影が動く。
猫耳付きのフードは目深に被ったその人物は音も気配もなく牙を剥く。男たちが気付くよりも際に銃声が黒服の命を刈り取る。
「あ」
躊躇いなく引かれ続けた引き金が空を切る音を鳴らした。カチッ、カチッと繰り返される音は同じ。
大方、昨日の任務の後、弾の補充をしていなかったのだろう。おまけに替えの弾を持ってきていない。猫にはよくあることだ。
動きが止まり、奇襲の強みが失われた。茨による戒めを無理矢理に破った黒服の一人が銃口を猫へ向ける。
真正面からそれを受ける猫は身を低く屈め、一蹴りで男に迫る。男が引き金を引いたのとほぼ同時に構える腕を蹴り上げた。
弾かれた銃を奪い、流れるままに男の眉間へ弾を撃ち込む。そのまま奪った銃で残りの仕事を果たす。
赤い花弁が舞い、人形の手が踊る。美しさと恐ろしさが命を奪う空間で、猫耳フードの少女がもっとも多くの命に終わりを与える。
動きはしなやかで無駄がない。銃口から吐き出される鉛玉は一発も無駄にされることなく、最後の一人と撃ち抜いた。
「終わり」
弾の補充を忘れた失態などなかったように猫は完璧な仕事で魅せた。だから、蛇は何度も見た失態に呆れるだけで注意はしない。
致命的にも思える失態でも危うくはならない。そこにあるのは慢心ではなく才能だ。
弾が足りないのなら相手から銃を奪えばいい。相手が銃を持っていないのであれば、他に武器として使えそうなものを。それもなければ無手で。
行きあたりばったりの野性的勘で戦場を渡り歩くのが猫なのだ。
「すごいです。かっこいいですっ」
目の前で次々と見知った人たちが殺されていたのも拘わらず、目を輝かせる菊理。
薄々感じてはいたが、菊理は大事なネジが何本か外れているらしい。特に生死の感覚がかなりずれている。
裏社会で生きていくには必要な才とも言えるかもしれない。
「本当ならわたくし一人でも余裕でしたけれど、今回は猫に活躍の場を譲ってさしあげましたわ」
「ロゼさんもすっごくかっこよかったです」
不満を高慢で覆うロゼを菊理が全身で褒めちぎる。調子よく機嫌を上向かせるロゼを横目に琴巳は死体がいくつも転がる空間を見遣る。
いくら六湊町が治外法権の町と言えども、流石にこれだけの死体をこのまましておくわけにはいかない。彼らの研究所ならいざ知らず、ここは民間人も立ち入れる廃工場だ。
死体の始末をしておくにこしたことはない。
「蛇神、食事の時間や。好きに食べ」
全身から黒い靄が立ち昇り、形作る。それは巨大な蛇だ。
黒い肢体をくねらせ、コンクリートの地面を這いずる。黒一色で構成された蛇は顎を大きく開き、死体に食らいつく。
成人男性の肉体を次々と丸呑みにし、太く長い身体を歓喜でくねらせる。久しぶりの食事だ。さぞかし嬉しいだろう。
「すごいですっ。あれはなんですか?」
「うちに憑いとる蛇神や。うちのコードネームの由来やな」
蛇に取り憑かれているから蛇。MaveRickのコードネームは各々の能力をもとにつけている。
猫のようにしなやかで高い身体能力を持っているから猫。
人形の四肢を召喚するから人形。薔薇を撃ち込むから薔薇。
「せや、菊理のコードネームはまだ決めてへんかったな」
「私にもつけてくれるんですか!?」
「任務するときに必要やからな」
MaveRickのメンバーは任務の際、コードネームで呼び合っている。
最初の彼女が言い出したのがきっかけだ。理由は単純、組織っぽくてかっこいいから。そう言っていた。
「菊理の能力か」
菊理がいた研究所は特別な力を持った子供を集めていた。菊理もそのうちの一人である以上、何かしらの能力を持っているはずだ。今のところ、それらしい素振りはないが。
璃尤に聞けば、答えは得られるだろう。本名を教えたくらいだし、菊理の研究データも知っているはずだ。もっとも璃尤に聞く以上の近道が目の前にある。
「んーと、私は耳がいいらしいです。がんばれば、音以外も聞けるようになるって言っていました」
「耳か。耳……聞く、聞き手…リスナーちゅうのはどうや?」
「聞き手……! 素敵です! 気に入りましたっ」
コードネームができたことが余程嬉しかったのか、目を輝かせて早速、ロゼや小雛に名乗っている。
仲良がいいようでよかった、と横目に見た琴巳は食事を終えた蛇神を回収する。
内に戻ってきたものが力を漲らせているのを感じる。疼く内側を刹那の瞑目で落ち着け、賑やかな三人へ目を向ける。
「長居は無用や。ずらかるで」
気を付けてはいたが、騒ぎを聞き止めて誰かが来ないとも限らない。
雑談を繰り広げていた末っ子たちと、半分眠っているような猫を連れて足早に立ち去る。