49「You're a wonderful friend」
クラウンの家を後にした菊理はクラウンの案内で町の中を歩いている。
終幕を飾る場所に行くという話で、ちゃんと理解はできていないながら素直について行く。
最後の舞台だとクラウンが謳うその場所に近付くにつれて、音が確信を奏でる。
瞳を碧に輝かせる菊理の耳には世界の音が絶えず聞こえている。
悲しい世界だ。泣くような、何か懇願している、そんな音が。
世界の音に耳を傾ける菊理は近くに知っている足音を拾った。
「猫さん、先生!」
猫耳フードの少女と白衣を羽織った女性。MaveRickのメンバー、猫と先生である。
大きな建物の前で二人は何か話し込んでいた。
あの建物は確か、琴巳や猫が取っている学校と呼ばれる施設だったはずだ。
クラウンの言う最後の舞台とやらがこの学校という話だ。
「お二人もここに用ですか?」
「猫ちゃんが、蛇ちゃんが心配だって言うから様子を見に来たのよ」
先生の返答を聞いて、フードの奥に隠された猫の表情を覗く。
猫はあまり表情を大きく変えないタイプだ。今回もこれと言った表情は浮かんでいない。
けれども、波打つ心配の音が猫から聞こえる。表情と同じく音も微かなはずの猫からはっきりとした音が。
蛇がこの学校に行くこと自体、おかしなことではない。心配する必要性もないはずだ。
「蛇は姉と会うと言っていた。だから心配」
姉というは確か、五和という名だったか。嘘は吐くのが得意な人で、MaveRickに裏切り者がいる華足を流した人物である。姉妹と言えども、あまり仲良くないと蛇が言っていた。
「面白いことになっているのね。登場人物は集い、終幕を飾るといったところかしらね。菊理、学校内にいる人間を教えてちょうだい」
「分かりましたっ」
周波数を合わせるように聞く音の範囲、種類を絞る。広範囲、世界の音までも聞いていた耳を学校の敷地内だけに集中させる。
足音や話し声、呼吸音、心臓の音さえも拾う。
「中にいるのは三人です」
遅い時間だからか、広い敷地内に三人分の音しかない。
本来なら部活動する生徒や教師がいるはずだが、その異質さに菊理は気付かない。
整えられた舞台を重視するクラウンも、細かいことは気にしない猫も、場の空気に合わせる先生も、誰一人、この異常事態を指摘しない。この異質さも夢の中では、通常と言えるかもしれないが。
要はこの整えられた状態を、邪魔者が存在しない空間を世界の主が望んでいるのだ。
「蛇さんと、話しているのは多分お姉さんですね。音がよく似ています」
血の繫がりを感じさせる音だけではなく、内に同じ存在を抱えている。
蛇が身に宿している蛇神とやらの音が、相対している人物からも聞こえている。
「あともう一人、この音は……ハローワーカーの火吹さんのものですっ」
「ハローワーカーの子まで来ているのね。戦闘にならなければいいけれど」
不安な表情を見せている先生の方へ向けた菊理の耳が状況の変化を捉えた。
それを伝えるよりも先に、風が菊理の髪を揺らした。気付けば、猫の姿が消えていた。
「珍しくせっかちなことね。私たちも行くわよ。火遊びしている子がいるみたいね」
不思議なことに猫もクラウンも菊理が伝える前に気付いたらしい。
先行する猫を追いかける形で、菊理たちを学校の中には入った。
二人は耳とは違う場所で異常事態を感じ取ったようで、わざわざ道案内しなくても足取りには迷いがない。敷地内すべては無理でも、これくらいの距離なら状況を感じ取ることができるらしい。
現場に近付けば、焦げた臭いが鼻をついた。肉が焼けたような臭いもする。
二人が感じ取ったのはこの臭いのようだ。あの距離からでも嗅げるなんてすごい。
先に近くまで辿り着いた猫は身を隠すように立ち止まり、こちらを振り返った。
「あれは蛇ちゃんと……」
「あらあら、愉しいことになっているわね」
目の前で広がる光景に先生は息を詰め、クラウンは楽しそうに口元を緩める。
広いグラウンドの中で倒れ伏す人物と、その傍らで涙する人物。
泣いているのは蛇。倒れているのは多分、五和だ。全身が焼け焦げ、遠目から見ても酷い有り様なのが分かる。あの状態で人は生きていられるのだろうか。
「どうする?」
蛇の泣き声を聞いて音を不安定に揺らしながらも、猫は冷静に問いかける。
この状況でどう動くべきか、菊理には判断できない。迷い、判断を仰ぐようにクラウンを見た。
紫の瞳は冷たい熱を持って、状況を吟味する。
「先生。貴方の力で彼女を治すことは可能?」
「わ、分からない……けれど、必ず治してみせるわ。蛇ちゃんのためにも、私自身のためにも」
「素敵な答えね。なら、お任せするわ。猫、二人のお守お願いするわよ」
「分かった」
その言い方だとクラウンは一緒に来ないことになる。
ここからは別行動するのだろうか、と目を向ければ、嫋やかに鳴った。
一瞬でクラウンの中にある音が変わった。
「私が踊る舞台は私で決めるわ。裏とて花形。目立たない場所を飾ってこそ、一流よ」
相変わらずの難しい言い回しで、クラウンは一人離れていく。
見られることを意識した足取りは軽やかで美しい。
「私たちも行きましょう。私の力は……死んでしまった人には使えないから」
「そうですね。急ぎましょうっ!」
怪我人がいる以上、悠長にもしてられない。
そうして菊理たちは最期を交わす、姉妹の前に立った。
「まだ終わりじゃありませんよっ」
終わりを前に蛇への愛を奏でる五和と、死んで欲しくないと歌う蛇。二人に向けて、目一杯の希望を示すように菊理は言った。その横を抜けて、先生が五和へと駆け寄る。
焼け爛れた肌に息を詰まらせながらも、先生は五和に手を伸ばした。
「大丈夫よ。絶対に死なせたりしないわ。貴方は私の大切な友達だもの」
騙されていた過去と正面から向き合う先生は強い表情でそう言った。
五和の身体に翳された手が淡い光を纏う。光は少しずつ広がり、五和の全身を包む。
先生は怪我を消すことができる。消すのではなくても溜めているという話だったか。
包丁で切った傷も一瞬で消してくれたので、五和の怪我だってすぐよくなる。
見守るしかできない菊理だけど、見守ることを全力でする。がんばれ、と心から応援する。
「何で自分らがここに?」
「蛇が心配だったから」
「そ、っか。ありがとお」
涙を拭い、赤くなった目を誤魔化すように蛇は不器用に笑った。
聞こえてる強がりの音には気付かないふりをした。
「私はクラウンさんに言われて。ここが最後の舞台になると言っていました」
「最後の……くー様らしい言い回しやな。んで、その肝心のくー様は?」
「別行動中」
乱れたままの心を落ち着けるように蛇は状況を一つ一つ確認する。
倒れ伏す五和から視線を外す姿が迷っているように見える。音も迷っている。
恐怖と親愛、二つが入り混じり、五和のことをどう思えばいいか迷っている。
「蛇さんの思うようにしたらいいと思います。信じたいと思う心も、信じられないと思う心も、一緒にいていいんですよ。それが当たり前なんです」
必死にいつも通りを装う蛇に、碧に輝く瞳を向けた。
「みなさんの心にはいろんな音が溢れています。答えなんてなくてもいいんです」
晴れやかに告げる菊理を蛇は呆気に取られた表情で見つめる。
毒気が抜けたような顔が次第に砕け、顔をくしゃくしゃにして蛇は笑った。
「なんやそれ」
迷う音の中に明るい希望の音が加わった。暗い音も明るい音を溢れてメロディーを作る。
蛇の中には美しい音楽が流れている。菊理の好きな音だ。
「蛇ちゃん。治癒が終わったわ。全部は無理だったけれど、これでもう大丈夫よ。体力が回復したら目を覚ますはずよ」
全身が焼け爛れ、炭化しているところもあった五和の身体は火傷痕が残る程度になっている。
もう命の心配をしなくていいみたいだ。眠っているらしい五和の音は安らかで、どこか満足げにも聞こえる。
きっと歪みだらけだった姉妹も、素敵な音を重ねられるようになれるだろう。
「そっか。五和は答えを見つけられたんだね。満足そうな顔をしちゃって」
地面を踏む三つの音。現れる三つの影。内二つはこの地にあると音で知っている。
ハローワーカーの水月火吹と、少し前に分かれたばかりのクラウンだ。
あの後、クラウンは火吹のところに行っていたらしい。そこで彼女とも合流したのだろう。
この場にいる者の中でたった一人、特異な音を奏でる少女。世界の音と重なり合うメロディーを持つ彼女こそ、この夢世界の主だ。
学校に入る前に探ったときにはいなかったが、後で中に入ったのだろうか。
一先ずの終息を迎えつつあった場に新たな波を持ち込むために。
「しろ、今までどこに行っていたの?」
この場にいる誰よりも早く、猫が問いかけた。
猫から初めて聞く音がする。蛇も心配していたときよりも強い感情が猫の中で音を奏でた。
それは歓喜だ。長年、行方を晦ませていた友人との再会を心から喜ぶ音。
「久しぶり猫。私はどこにも行っていないよ。ずっとこの町にいた」
「本当に? でも見つからなかった」
「当たり前だよ。ずっと隠れていたんだから」
長い間会っていなかったとは思えないほど、二人の音は当たり前に重なり合う。
離れていた時間など関係ないほど、強い繫がりが二人の間にはあった。いや、もしかすると二人はずっと繋がっていたのかもしれない。離れていた間もずっと。
「どうして隠れていたの?」
「面白くするためだよ」
「……しろの言うことは難しい」
長い付き合いを窺わせる二人のやり取りに違和感を覚えて菊理は首を傾げる。
なんだろう。声と音に齟齬がある気がするが、正体が分からない。
真白は隠すのや誤魔化すのが得意らしい。ちゃんと聞くため、耳に意識を集中させる。菊理はこちらをじっと見ている真白の視線に気付いた。
感情を見せない黒瞳を見返す菊理の碧の瞳。
「しろ……自分は一体何が目的なん? ここに来たのも何か理由があるんやろ。ええ加減、うちらにも教えてくれてもええんちゃう?」
視線を交わした二人が互いに口を開くよりも先に蛇がそう問いかけた。
真白の視線が外れ、蛇の方へ向けられる。瞬間、真白の音が変わった。
猫と話していたときとも、菊理が見ていたときとも違う音。多分、これが違和感だ。
ころころと変わる音。それらはすべて装った、偽物の音に思えるのだ。
「理由とか、目的とか、そんな大層なものは正直ないんだよね」
軽い口調で告げる真白の顔を飾る嘘も容易に分かった。
音の嘘を見抜いた菊理は真白の顔を飾る嘘も容易く分かった。
「ゲームも、MaveRickも……全部退屈だから始めた、それだけだよ」
偽りを纏って並べられる真白の言葉を真っ向から否定する。
この場にいる全員の視線が菊理へ向けられる。一度外されていた真白の視線が再び向けられる。先程とは違う驚きを瞳に映し出して。
「嘘ですよ。真白さんには他に目的があるはずですっ」
「どうして……ううん。納得できなかったのかな? でも、それが事実。それが私だよ」
「納得はできません。嘘だって、私の耳には聞こえていますから。真白さんは本当のことを言っていません。大事なことを隠しています」
まだ装うことをやめない真白に碧の瞳を向ける。万物を聞く耳を集中させる。
「見たいものがあるんですよね? なりたいものがあるんですよね? 分かってほしいことがあるなら、ちゃんと言葉にしないとダメですよっ」
聴覚が優れた菊理以外には声なき声を聞くことなど、できないのだから。
じっと見つめ返す真白はやがて観念したように息を吐き出した。
「ギフトを貰った人間って本当に厄介だよね。貴方も……銀も、蒼も、呼んでもいないのに私の世界に来て、好き勝手荒らしてくれちゃってムカつくなあ」
表情に、声に初めて本物を乗せて、真白はそう言った。
不機嫌に睨めつける真白に菊理は無垢さを宿した瞳を返す。悪意や敵意なんかでは菊理を曇らせることはできない。親しい友人に向けるような笑顔だけを注ぐ。
「You’re a wonderful friend。貴方の本質は結局、そこにあるのでしょうね」
ただ、風に乗って聞こえてきた微かな呟きにほんの少しだけ首を傾げた。




