43「倉幻紅桜の場合」
中性的な声がインカム越しに鼓膜を震わせた。声の主はMaveRickのメンバー、南雲璃尤。
必要なことを抽出し、端的に伝えられるのは喜ばしい知らせだ。
行方を晦ませていた小雛が見つかったのだ。ぱっ、と表情を晴れさせ、菊理は横を見た。
隣を歩くのは青髪の美少女、菊理と一緒に小雛を探していたクラウンだ。少し高い位置にある顔を見上げる菊理の視界には、薄く笑う美貌が映し出されている。
「クラウンさん、小雛さんが見つかったみたいですっ」
「私にも聞こえているわ」
璃尤の報告はインカムをつけている全員に向けられたもので、当然クラウンにも届いている。
小雛が見つかったという嬉しい方向には続きがあって。
「戦闘になるかもって……合流しますか?」
小雛は〈不明〉の人間と一緒にいるのだと言う。捕えられているのであれば、戦って取り戻す必要が出てくる、と。
現場に向かっているのはロゼと璃尤の二人。とても強くて頼もしい二人ではあるが、戦闘になるとしたら、とても心配だ。
戦闘では菊理はあまり役に立たないが、クラウンがいたら百人力だ。そう思って問いかける菊理を、状況を楽しむ紫の瞳が見た。
「いいえ」
端的な返答に首を傾げて、美麗な声が紡ぐ続きを待つ。
「一度帰るわ」
「拠点に戻るんですねっ」
「いいえ」
重なる否定に菊理はさらに首を傾げる。拠点に帰るのではないのなら、どこに帰るのだろう。
心当たりがなく、見つめる菊理にクラウンは形の整った唇を綻ばせたまま答える。
「私の家よ。ちょうどこの辺りだから」
菊理たちが今いるのは高級住宅街と言われるような場所だ。
周りには大きな家がたくさん並んでいる。家に近くにあるということは、クラウンの家もこんなに大きいのだろうか。メンバーの家を訪ねるのは初めてなので少しどきどきする。
以前、ロゼの案内で璃尤の家に行こうとしたことがあったが、途中で頓挫した。
すでに自宅へ歩き始めたクラウンの後を、期待に胸を膨らませてついていく。
「クラウンさんは小雛さんを探す気なかったんですね。お家に戻るのが目的ですか?」
「驚いたわね。怒ると思ったわ」
気付いたことではなく、菊理の反応に対して驚いたとクラウンは言う。
不思議には思わなかった。クラウンは菊理に気付けるよう、声音に込めていたから。
菊理は話し声を聞いて、その人の考えまでも読み取っていることに気付いているのだ。初めて会ったときからクラウンはこんな感じで、繊細に感情を声に込める。
「なんでですか?」
感情を聞き分けられても、菊理はそれを理解できない。クラウンの考えを読み取るには至らなくて純粋無垢な目を向ける。邪気のない目は見た目通り、他意はない。
「こういうとき、怒るのが一般的よ。私の行為は仲間を蔑ろにするものだもの」
「でも、考えがあってのことなんですよね」
信頼というより、拾った音に対する評価だ。
わざわざ探しに行かなくても、悪いことにはならないと知っていたのだと思う。
「考えというほど大層なものではないわ。龍ならどうにかすると分かっていただけ」
「龍さんのこと信頼しているんですね」
「彼女の能力を、ね。私は舞台を飾るものの価値を正しく把握しているわ。鍵を手に持つ彼女には人探しなど容易いでしょうね」
難しい言い回しで、クラウンの言っていることを完全には理解できない。
要は璃尤の力が頼りになると知っているから探しにいかなかったということだろうか。
だとしたら、今後は菊理を同行させる理由に疑問が出てくる。
クラウンは人探しを楽にするため、と言っていた。その言葉を信じるなら、クラウンは小雛以外に探している人がいるということだろうか。
演じることに重きを置いているクラウンが何を考えているのか、よく分からない。
「ついたわ」
「わあ、とっても大きいお家ですね」
クラウンが立ち止まったのは、この辺りで一際大きな家の前だった。
一般的な家のサイズを知らない菊理でも大きいと分かるサイズだ。
促されるままに門の中に入れば、気付いた家の人が頭を下げる。クラウンは家の人といくつか言葉を交わし、広い家の中に入っていく。拠点もそれなりの広さがあるが、それよりもずっと広い。
「家の人、いっぱいいるんですねっ」
「みんな、使用人よ。家事をする人ってところかしらね。家が大きな分、人手も必要なのよ」
「なるほどっ。みんなで協力したら、あっという間ですもんね」
時折すれ違う使用人はみんな、頭を下げる。敬意を持ったその姿をこそばゆく思いながら、案内さるままにクラウンの部屋へ入った。
とても広い部屋だ。拠点で与えられている部屋よりもずっとずっと広い。
大きな本棚が置いてあって、中には初めて会ったときに読んでいたものに似た本が収まっている。確か、台本といったか。
きょろきょろと部屋の中を見回す菊理は促されるままに、ソファに座った。
「――どうして、私と一緒に行くって言ってくれたんですか? クラウンさんにも探している人がいるんですか?」
拠点を出てすぐに聞いたものとまったく同じ問いを投げかけた。
込められたものは同じでも、状況が変われば音も少し変わる。変わったのはクラウンの反応もだ。
首を横に振って問いかけを否定したクラウンは、勿体ぶるように表情を作った。
声や表情に意味を込めず答えた前回に対して、呼吸一つにも意味を込めるクラウンはゆっくり口を開いた。
「貴方と少し話がしたくてね」
「本当ですか⁉ うれしいですっ。私もクラウンさんといっぱいお話ししたいと思ってました」
「それならちょうどいいわね。ゆっくりお話ししましょう」
正面にクラウンが座り、真っ向から二人は向かい合う。
この世界に二人だけしかない。この部屋だけで完結しているような感覚。
「私の祖父は書道家なの。そこに飾ってある掛け軸は祖父が書いたものよ」
「わっ、すごいです。かっこいいですね!」
「ありがとう。祖父に伝えておくわ。……父は小説家で、母は料理研究家。みんな、その界隈でそれなりに有名なのよ」
突然過ぎる語り出しながら、自然と聞き入ってしまう不思議な力がある。聞かせるために紡がれる声に菊理はただ耳を傾ける。知らない単語もあったけど、少しも気にならない。
「好きなことを貫き、極める。これがうちの家風で家訓。そして、私が選んだのは役者の道よ」
一つ一つの音を楽しむように、歌うように、クラウンは言葉を紡いでいく。
俯瞰した位置に立ち、多くを語ることをしないクラウンが初めて自分を語る。
「コネの届かない、小さな、本当に小さな劇団に所属して、実力を積んで、そこそこ名の知れた劇団にまで成長させたわ」
なんてことのない口調で語られる実績はとても凄いものだ。
菊理にはその凄さが完全に理解できるわけではないが、誰もができることではないということは分かる。
しかし、クラウンは大したことはない、と軽い口調でその事実を音に下。この語りにおいて、重要なのはそれではない、と。
「充実していた、のでしょうね」
まるで他人事のようにそう口にしたクラウン。
繊細に声を操るクラウンは一拍を置いて、再び口を開く。その間さえ、計算されていた。
「でも、私は飽いてしまった。充実よりも欠落の方が私の求めるものだったのでしょうね」
客観的に自分を語るクラウンの目が遠くを見るように細められる。
部屋の中で世界が完結しているような感覚が解けて消えた。大きな家の広い一室。
目まぐるしく変わる感覚を純粋に楽しむ菊理はお客様気分だ。
「そんなときに後輩に話しかけられたの」
「後輩ですか?」
ここで菊理が声を差し込むことすらも、演出と言わんばかりにクラウンは微笑む。
「学校の後輩よ。あれは多分、水瀬真白だったのでしょうね。おそらく、他のメンバーにもどこかで接触しているはずよ」
「私にも、ですか? んーと、心当たりないですけど」
記憶を辿り探ってみても、それらしい記憶は見当たらない。
そもそもMaveRickに来る前まではずっと研究所にいたので、菊理と接触できる機会は少ない。
時折訪れる客の中にいたのかもしれないが、話した記憶はちっともない。
「記憶を弄られている可能性もあるけれど、貴方は特別だから」
これまた心当たりのない評価にきょとんとクラウンを見返す。
じっと紫の瞳がこちらを見ている。菊理は初めてクラウンと目が合った気がした。
正面に座って、互いに視線を外すことなく会話にしていたはずなのに、初めて、と。
「鼓田菊理、貴方はこの世界を終わらせる鍵になるわ」
「私が鍵、ですか?」
「菊は一年で最後に咲く花なんて言われているの」
クラウンの言葉の意味をちっとも理解できていなくて、特別だとか、鍵だとか言われてもピンと来ない。
菊理は自分のことを特別だとは思ってないし、何を言われても理解が追いつかないのだ。
それでもクラウンの語り口調は丁寧に聞かせるもので、話していると理解できそうな気がしてくる。
「貴方が、菊理という名前を持った貴方がMaveRickに来たとき、私は始まりだと思ったわ」
言われてみれば、『菊理』の名前には『菊』の字が使われている。
菊理が自分の名前を知ったのは最近のこと。ようやく馴染み始めてきた頃合いで、先程のクラウンの言葉の真意に気付けなかった。
“最後に咲く花”というのは菊理のことを言っていたのだ。
言われてみれば、菊理はMaveRickの一番新しいメンバーだ。考えようによっては最後のメンバー十言える。
「貴方は子の舞台の最後の登場人物。貴方が登場して、物語は動き始めた。――改めて言うわ」
淡々とした語り口調に熱がこもる。感情の熱が。
静謐さを奏でていた紫の瞳にも熱が灯り、菊理の胸を熱く震わせる。
そうなるために今までの言葉があったのだとそう告げるように。
「貴方はこの世界を終わらせる鍵になる。私と一緒に終幕を飾りましょう?」
「でも……終わったら、みんな…困るんじゃないですか。私もお別れは嫌です。なくなるのは嫌です」
終わらせるってことは全部なくなるということだ。菊理にもそれくらい分かる。
この世界には失くしたくないものがありすぎる。
MaveRickのメンバー。よく行くお店の人。〈不明〉やハローワーカーの人たちだって、敵だけど、失ってしまうのは悲しいものの一つだ。
「夢から目覚めるだけ。望めば、繫がりが消えることはないはずよ」
またもや難しい言い回しに菊理は悩ましく眉根を寄せる。
その反応に微笑するクラウンは肩を竦める。
「その辺りは龍の方が詳しいでしょうけれど」
突然出てきた璃尤の名前に驚く。物知りの璃尤ならば、菊理も、クラウンも、知らないことを知っていても不思議はない。とはいえ、菊理の胸にはそれとは別の意味での納得が落ちた。
璃尤が知っていること。それを菊理は前から知っていた気がする。
多分、裏切り者の騒動があった頃からだ。璃尤の声がそれを奏でていた。
「……クラウンさんが困らないんですか? 望んでこっちに来たんですよね。終わらせてしまったら、戻ってしまうことになります」
「構わないわ」
まるで今いる世界、別の世界があると言わんばかりの菊理の言葉。
天啓がおりたような、不意打ちの発言をクラウンは容易く受け入れる。
驚きもなく、菊理がそれを知っていることは当然だと微笑で語る。
「言ったでしょう? 私は欠落こそを愛している。満たされるよう作られた夢世界では、私は満たされない。上手くいかない現実世界の方こそ、性に合っているの」
夢世界。現実世界。聞き慣れない言い方なのに妙に聞き馴染む。
そうだ。この世界は夢の中なのだ。泡沫を歌う世界の音を菊理はずっと聞いていた。
世界の音を聞くなんて、いくら耳が良くても普通はできないことだ。
それでも菊理は世界の音を聞いていたとはっきり宣言できる。
自覚したと言う表現が一番正しいだろう。常人離れした聴覚はただ耳が良いだけのものではない。
万物を聞く力を持っているのだ。
「Show must go onなんて言うけれど、それは終わりがあってこそのもの。この言葉は最高のエンディングを迎えてこそ輝く。一度始まった舞台には終わりを与えなければならない」
瞳を碧色に輝かせる菊理にクラウンは艶然と笑う。
この世の幸福すべてを詰め込んだ笑みを飾った美貌。神秘をまとわせた碧の瞳と向かう合う紫の瞳は、紡がれるその声は楽しげだ。
これは演技でもなんでもなく、クラウンが心から思う、芯の灯った思いだった。
「終わりのない物語はただの愚作。私の立つ舞台にそれは望まない」
朗々と世界すべてに語りかけるようにクラウンは言葉を紡ぐ。
世界を舞台と称する少女。状況を物語と語る姿は快楽を求め、誰よりも真剣に世界のことを考えている。
舞台への愛を、誇りを、狂気として瞳に宿すクラウンは口角をあげた。
「俺が踊る舞台だ。精々楽しませてくれよ、世界様」




