42「混迷」
瞬きの間に景色は変わっていた。花芳とともにカフェにいたはずなのに、小雛が今立っているのは広い公園の中だ。
驚き、困惑する視界は広い割に誰もいない公園が映し出されている。
不自然に人のいない公園。目覚めてからこんな光景ばかり見ている気がする。
前と違ってパニックにならないのはちゃんと目が覚めてて、冷静に考えられるようになったのが一つ。
もう一つはここにいるのが小雛一人ではないからだ。隣を見れば、緑色の少女が立っている。
魔法少女ミラクルベリーの登場人物、木苺みのりのコスプレをした少女、眞伊花芳。
敵対組織の人間ではあるが、小雛にとって花芳は安心材料に成り得る存在だ。
「衣兎ちゃん」
安心材料こと花芳が誰かを見つけて、突然駆けだす。反動で生まれた風に肌を撫でられ、横を向けば、もうそこに花芳の姿はない。
「まっ、て」
慌てて花芳の後ろを追う。独りになるのはやっぱり怖い。
焦りを乗せた小雛はしゃがみ込む花芳の後ろに立つ。花芳の前では誰かが蹲っている。
蛇と同じ制服の上にもこもこのパーカーの着ている。サイドテールにさせられた癖毛が地面に広がっているのが見える。花芳は先程「衣兎」と呼んでいた。
「ああ、花芳か。それと……後ろにいるのは…」
「あ、違うの。これはそういうんじゃなくて……」
「分かっているよ。花芳、新しい友達ができてよかったね」
ゆったりとした口調が印象的な少女の名は、柚芽衣兎。〈不明〉の獏と名乗っていた少女だ。
戦闘になったこともある彼女は小雛を昏睡状態に陥らせた張本人である。
無意識的に身体を固くする小雛に衣兎は笑いかけた。
「力が解けてしまったようだね。君は……どーる、だったか。花芳と仲良くしてくれて感謝するよ。ありがとう」
敵にかけるものとは思えない言葉に戸惑いながらも小さく頷く。
「ボクも楽しかったから」
「そうか。それならよかった。これからも仲良くしてやってくれ」
その笑顔には力がない。周りを心配させないように無理して明るい表情を作り出しているように見える。
優しい人なのだ、と小雛は花芳の後ろからわずかに顔を覗かせる。
脂汗滲む衣兎の顔、そしてその身体に這う影を見て息を呑む。
「それ、蛇の呪い」
驚く花芳の目が小雛を見た。見開かれた目が動揺を表し、その手にステッキが召喚される。
いちごを模した緑色の石が収まった魔法のステッキ。木苺みのりの使うステッキとそっくりなものだ。
「衣兎ちゃんを苦しめているのは貴方の仲間なのかな?」
「そう、だと思う」
衣兎の身体に薄っすらと見える黒い巻き付く影。時折うねっているようにも見えるそれはMaveRickのリーダー、蛇が纏うものによく似ている。蛇の纏うものは守護神のようなのに対して、衣兎に巻き付くものは邪悪で恐ろしい感じがするが。
「聞いたことがある。蛇はお姉ちゃんを守るものだから、危害を加える人のことを呪うって」
以前、対峙したときに呪われたのだろうと思う。小雛はあのときから今日までずっと眠っていたので詳しいことは分からない。どれだけの時間が経っているかも分からなくて、でも今日まで耐えてきた衣兎はとても強い人なのだろう。
今だって苦しいのを我慢するように笑っている。
「どうしたら衣兎ちゃんを助けられるの?」
「わ、わからない。でもっ、ボクはお願いしてみる」
敵なのは理解している。でも、やっぱり花芳も、衣兎も優しい人だと思うから。
優しい人には幸せになってほしいと思うから、小雛にできることはしたい。
蛇も優しい人だから小雛の言葉を無下にはしないだろう。小雛の希望を叶えるためにたくさん考えてくれる。小雛も同じくらいいっぱい考えたい。
「あたしは……小雛ちゃんのことは信じたい。けど、仲間のことは信じられない」
向けられる目が揺られている。迷っていると伝わる瞳は覚悟を求めたように強い光を灯す。
強い力で握られたステッキが緑色に発光する。何かの魔法を行使しようとしていたステッキが弾かれる。同時に聞こえたのは発砲音。
放たれたっ弾丸によって弾かれたステッキ、そこから消化不良の光が散った。
「眠りたまえ」
紡がれた声が弾丸、いや、発芽しようとしていた種を包み込む。茨へと成長していたはずの種はただ地面に落ちた。この種には見覚えがある。
「そこの貴方、今すぐ人形から離れなさい。撃ちますよ」
「余裕がないにしてもストレートすぎはしないかい?」
「やかましいですわ」
変わらない賑やかさで現れたのは小雛のよく知る二人。
薔薇の花を模した派手なドレスをまとった少女と、対照的にシンプルな装いをした中性的な女性。
MaveRickのメンバー、ロゼと璃尤である。仲良しの二人だ。
高い位置で括った巻き髪を振り乱しながら怒るロゼと、呆れた顔で肩を竦める璃尤。
目覚めて初めて会ったメンバーの、変わりないいつも通り姿に少しほっとした。
「やっぱり詩折ちゃんに聞いて正解だったね。想定よりもずっと早く見つかった。〈不明〉の人間と一緒にいるのは驚いたが」
「ごめんなさい」
「責めてはいないよ。他の組織の人間と親しくしている点において、自分は他人のことを言えないからね」
「まったくですわ」
大きく頷くロゼの反応に首を傾げる。
小雛が眠っている間に何かあったのだろうか。詩折という名には聞き覚えがない。
見つめる小雛に璃尤は柔らかく笑いかける。優しい笑みに息を呑む小雛へ。
「新しい友達ができてよかったね」
「うん」
認められたことが嬉しくて思わず笑みが零れる。
整った顔立ちを彩る笑顔に、璃尤は満足げに頷いた。警戒を全面に押し出し、交戦の意思を示していたロゼも、小雛の笑顔を見て戸惑うように銃口を下げた。
「さて、そろそろ暗くなる時間だ。友達とは別れて、拠点に帰ろう。みんな、心配しているよ」
「うん。でも……」
ちらりと花芳の方を見る。
そこには蛇の呪いに蝕まれた衣兎と、それを心配する花芳の姿がある。本当はとても苦しいはずなのに、それを見せないように努める衣兎の姿。
助けたいと思って、助けると思って口にした。それを無下にして帰すことはできない。
どうしよう、と迷う小雛に璃尤は窺うような視線を注ぐ。
「龍のお姉ちゃん。蛇のお姉ちゃんの呪いを解く方法、知ってる?」
裏切りだと思われたらどうしよう。そんな不安を燻らせながらも尋ねた。
驚く璃尤に不安が募る。表情を大きく変えることがほとんどない璃尤が珍しく目を見張り、微かな沈黙ののちに口を開いた。
「残念ながらかけた本人に聞くしかないだろうね」
申し訳なさそうな返答は小雛を慮ったもので、
「雛が気になると言うのであれば、自分の方も口添えしよう」
「いいの?」
「雛の気持ちを優先するのは大事なことだ。……ゲームよりもこっちの方が自分には重要だ」
その言葉が、その表情が堪らなく嬉しかった。
ゲームなんて関係なしにみんなが仲良くできる未来ももしかしたら実現できる気がした。
璃尤なら、いや、きっとMaveRickの人たちなら小雛の話をちゃんと聞いてくれる。
まずは拠点に帰って、新しくできた友達のことを話して、そして小雛が願う未来図の話をしよう。難しいかもしれないことでも、みんなで協力すれば実現できるかもしれない。
勇気を出して、と小さく握り、覚悟を小さな胸に抱く小雛。その目が駆ける白と黒を捉えた。
発砲音が響き、放たれた種が弾かれる甲高い音がともに鳴る。
「Mess up。勘がいいのね、貴方」
全員の注意を一身に受けながらも動じることなく、その人は歩み寄る。
白と黒、二色で構成された髪を四つに分けて結っている。女性らしい起伏に富んだ身体を包むのは白いセーターワンピース。とても薄くしい人だと小雛は漠然とそう思った。
テレビに出てくる人のような美しい顔には好戦的な光を宿している。
女性の爪は鋭く、あれがロゼの種を弾いたのだろう。
「ルシーちゃん……」
囁く花芳の声。知らされるのは彼女の正体だ。
ルシーという名前は作戦会議の中で、〈不明〉のリーダーのものだ。とても強いという話で、その人が戦う意思を見ている状況はかなり厄介。まとまりかけていた空気は乱れる。
「そう警戒しないでちょうだい」
「いきなり攻撃を仕掛けてきた人が何を言っていますの」
璃尤を庇うように一歩前に出たロゼに銃口を向けられながらもルシーは余裕を崩さない。
「正直に答えてくれたら何もしないわ。――実赤ちゃんと千巫ちゃんの居場所を知ってる?」
「知りませんわ。他を当たってくださいまし」
水色の目が値踏みするようにロゼを見る。奥深くまで見るその目はすぐにロゼから外れ、小雛、璃尤を順繰りに見た。中身すべてを見られている気分で小雛を身を固くする。
「私も知らない」
「自分も心当たりないね。他を当たったらどうだい」
脅えた小雛の返答に、表情を大きく変えない璃尤の返答。
ぱっちりとした目がすっと細められる。鋭利な刃物を思わせる反応と対照的にルシーの唇は綻ぶ。目元と口元、浮かぶ表情は正反対だ。
「私、嘘を見抜くのは得意なのよね」
紡がれた言葉に小雛は心当たりがない。嘘など吐いていないから。
でもずっと眠っていた小雛にはロゼや璃尤が嘘を吐いているか、どうか分からない。
ルシーの発言に眉根を寄せるロゼは多分言っていない。二人の表情を見ながら判断する小雛が璃尤へ目を向けたと同時にルシーが地面を蹴った。
ロゼが発射した種が茨となり、ルシーを襲う。が、鋭い爪は容易く切り裂いた。
さらに銃撃を重ねようとするロゼの肩を璃尤が掴み、制止する。
「ポーカーフェイスは得意だったんだが。君は良い目を持っているみたいだね」
悪びれもせず答える璃尤はわずかに身を屈め、低い位置から掌底を打ち込む。
ルシーはバックステップでそれを避け、その横を種の弾丸が駆け抜ける。生み出された赤い花弁が不規則に舞い踊る。美しいそれは一枚一枚が鋭利な凶器となっている。
触れれば、人間の肌くらいは容易く切り裂ける代物だ。
「衣兎のこともあるし、大人しくお縄についてくれると助けるのだけど」
ルシーが腕を横に振るう。周囲を飾る花弁を散らすような動作だが、赤い花弁は一枚たりとも動かない。ロゼは得意げに鼻を鳴らす。
「わたくしの薔薇は柔い風程度ではぴくりとも動きませんわよ」
「そのようね。困ったわ。弱い者いじめは主義じゃないのよねえ」
「舐めていると痛い目見ますわよ」
「吠えるのは紅桜ちゃん辺りが来てからじゃないとみじめよ」
ひらひらと舞う花弁が一斉にルシーを襲う。落ち着き払ったままでルシーは長い爪を横に薙ぐ。
一太刀で花弁は両断され、地に落ちる。その間にロゼは立て続けに引き金を引く。
水色の瞳は的確に撃たれた種へと向けられ、その後ろに璃尤が迫る。
「自分たちじゃ役不足なのに認めるさ。だが、一つ助言させてくれ」
「ええ。貴方たちを叩きのめした後でならいくらでも。――天使」
鋭い爪が胸元で揺れるコインを弾く。悪魔と天使がそれぞれの面に描かれているコインはくるりと回って、天使の面が表に来る。同時にルシーの鋭い爪が消え失せた。
きっと能力にとって生み出されたものだったのだろう。クラウンの報告にもあった気がする。
「守護結界」
高い声に呼応して、ルシーを中心に透明な障壁が展開される。攻撃を仕掛けるロゼと璃尤を押し潰す形で。
二人は咄嗟に後ろに跳んで回避を試みるが、間に合わない。不可視の壁による打撃を受け、ロゼと璃尤は地に伏した。
ルシーは再びコインを弾いて、表面を悪魔へと変える。鋭い爪を再び備え、ルシーはゆっくりと立ち上がろうとする璃尤の方へ歩み寄る。地面を叩くヒールの音がカウントダウンみたいだ。
璃尤の命が終わるカウントダウン。嫌な予感を塗り替えるべく、己のうちに宿る力に呼びかける。
出現するのは球体関節を備えた人形の腕。小雛が人形というコードネームを名乗っている由来になった力は今まさに爪を振るおうとするルシーを襲う。
「眠り、たまえ」
荒い呼吸混じりの声が人形の腕を掻き消す。ルシーの腕を掴もうとしていた腕が忽然と消える。
「なんで……」
何度もお願いしても人形の腕は出てきてくれない。
「すまないね。君の力は封じさせてもらったよ」
何度も何度も強く念じても小雛の声に応えてくれない。
脳裏には薄暗い部屋が浮かぶ。澱んだ空気、漂う死臭。立っているのは小雛だけ。
周りには動かなくなった幼い子供たちが並んでいる。
『みんなは人形になっちゃったんだよ。だから、もう動かない』
このままでは璃尤とロゼも人形になってしまう。それだけは絶対に嫌だ。
なんだっていい。どうなってもいい。もう周りの人を人形にはしたくない。




