41「電話」
食材や日用品が入った服を抱えて、拠点の前に立つ。首を傾げた。
両手が塞がっているせいで扉が開けられない。一度荷物を置いた方がいいと身を屈めた後ろから手が伸びる。菊理は姿勢を変えないまま、後ろを振り返った。
まず視界に入るのは真っ直ぐ綺麗な栗色の髪。緩く三つ編みにされたその髪は菊理に肩にもかかるほど長く、視線をわずかに上にあげれば、赤縁眼鏡とその奥に潜む暗い赤目に当たる。
一緒に買い物に行っていた蛇が呆れた顔で笑っている。
「先に行くからやで」
「お買い物楽しかったから、ついテンションがあがっちゃいましたっ」
今日は蛇と一緒に隣町のお店まで買い物に行ってきた。
MaveRickのメンバーになってからのこの数ヵ月、六湊町の中は一通り案内してもらった。六湊町のなかだったら、どこへでも迷わずに行けるなんて自信がちょっと湧いてくるくらいには。
たまには町の外に行ってみようと誘われて、隣町まで出掛けた。
電車に乗るのは初めてでとてもわくわくした。町並み自体は六湊町とそう変わらなかったが、初めての場所というだけでどきどきした。初めて六湊町を案内してもらったときと同じ気持ちだ。
買い物のついでにいろんなところを見て回ったので、いつもより少し時間がかかってしまったが。
出掛けたのはお昼を食べてすぐだったのに、もう日が傾き始めている。
「早く片付けて、少し早いけど夕飯の準備しよか」
「はいっ、餃子パーティ楽しみですっ」
最近はずっとバタバタしているから、とこれも蛇が提案してくれた催しだ。
予定の合うメンバーで集まって、一緒に餃子を作って食べよう、と。
他のみんなが帰ってくる前に下準備は終わらせようと気合を入れる。まずは買った物を片付けて、その後に餃子のタネを作る。
「リーダー。龍さんからメッセージが届いています」
蛇のスマートフォンから聞こえる声はアンネのものだ。先の一件で身体を失ったアンネはインターネットの中を渡り歩いて、こんな風にサポートしてくれている。
今は蛇のスマートフォンの中にいる。買い物を行っている間も、近道やお店のお得情報まで幅広く教えてくれた。
「龍とロゼ、そろそろ拠点に戻ってくるらしいわ」
「じゃあ、早く準備しちゃわないとですね」
二人はいつものごとく修業に行っている。最近は璃尤から一本取れることもある、と言って、ロゼが嬉しそうに話している。菊理はロゼから修業の成果を聞くのが大好きだ。
今日はどんな修業をしたんだろう、と気持ちはわくわくだ。
「猫とくー様にも一応声をかけてあるし、気が向いたら来るやろ」
先生は仕事が終わったら合流するという話だ。
「小雛さんも一緒に楽しめたらいいんですけど」
しゅんとへこみながらそう言った。
あの日から小雛はずっと眠ったままで目覚める気配はまったくない。
心配だし、少し寂しい。璃尤やアンネがいろいろと調べてくれているし、先生も自分の力でどうにかできないか試行錯誤してくれているが、どちらも成果は出ていない。
「みんなで騒いどったら、ひょっこり起きてくるかもしれへんで」
「じゃあ、いっぱい楽しまないとですねっ。小雛さんが起きたくなるくらい」
楽しそうだと思って小雛が見に来てくれているように楽しいで溢れさせよう。
もし今日目覚めなくても、また餃子パーティをすればいい。今日が楽しくても、小雛がいれば今日よりももっと楽しくなるに違いないから。
「私、ちょっと小雛ちゃんの様子見てきます」
「うちは先に準備しとくで」
「はいっ」
バタバタと忙しなく階段を上る。この音で起きてくれないかな、と考えながら。
拠点の二階はメンバーの部屋がある。小雛は二階にある自分の部屋で眠っている。
昏睡状態になってからたびたび訪ねているので足取りに迷いはない。もしかすると菊理自身の部屋よりも多く訪れているかもしれなくらいに。
いつものように小雛の部屋に立って、その扉を開ける。そして首を傾げた。
「小雛さん?」
ベッドの上に小雛がいない。毛布は捲れあがり、シーツも乱れており、小雛がいた証拠が残っている。
そっとベッドに触れてみるが、小雛がいた温もりは感じられない。いなくなってから、かなり時間が経っているらしい。
目が覚めて、誰かと一緒に出掛けたのだろうか。首を捻っていない理由を考える。
菊理の頭ではいない理由を考えるにも限界があって、すぐに小雛の部屋を出た。階段を下り、蛇がいる台所へ向かう。
近付けば、蛇とアンネの話し声と、食材を切る軽快な音が聞こえる。菊理が来たことに気付いた暗い赤目がこちらを向いた。
向けられる笑顔が菊理の表情を見て、怪訝なものに変わる。
「何かあったん?」
「小雛さんがいないんです。部屋に行っても空っぽで……何か聞いてませんか?」
小雛は一人出歩くようなタイプではない。拠点にいないのならば、誰かと一緒の可能性が高い。
蛇なら同行しているメンバーから連絡が来ているかもしれない。
「アンネ」
短い呼びかけに込められているのは焦り。緊迫した雰囲気に当てられ、菊理は身を固くする。
「該当するメッセージはありません。並びに、拠点への侵入者の痕跡もありません」
「小雛が一人で出掛けたってことか……?」
信じ難いと表情と越えに表す蛇。菊理も同じ気持ちだ。
独りが苦手で、寂しいのが苦手で小雛が一人で出歩くとは思えない。けれど、小雛が弱い子ではないことも菊理は知っている。独りで閉じこもっているだけの子ではないことを知っている。
考え込む蛇を横目に菊理は共有スペースの方を見た。台所の共有スペースは繋がっていて、カウンター越しに共有スペースを見ることができる。
今いるメンバーはみんな、台所に揃っているので共有スペースは無人だ。
それを少し寂しいと思った。いつも誰かがいる部屋に誰もいない。
明かりがついているのに薄暗い感じがする。
「小雛さんは私たちを探しに出掛けたのかもしれません」
呟きに応じて思考を止めた蛇がこちらに目を向ける。
「目が覚めて誰もいなかったら寂しいと思うんです」
小雛は長いこと眠っていて、その自覚が小雛にあるかは分からないが、目が覚めたとき誰もいなかったら寂しくて不安になる。菊理にも覚えがあったから。
研究所で暮らしていたとき、何度かそんなことがあったから。
猫に連れ出してもらう前の辺りはずっと独りきりだったので慣れてしまったが。
「寂しくなって、不安で飛び出したんじゃないかって」
「ワタシも菊理さんの意見に賛成します」
二人の意見を聞く蛇は一度難しい表情で黙り込み、すぐに口を開く。
「敵に見つかる前にうちらで見つけ出さなな。アンネは戻ってきたときに備えて拠点で待機を」
「承知いたしました。何かあれば、いつでも連絡を」
「菊理はうちと一緒に……一先ず、いつもの店辺りから回っていくか」
「はいっ、分かりました」
蛇はすぐにスマートフォンを操作する。この場にいないメンバーに連絡しているのだろう。
人を探すなら人手は多い方がいい。修業が終わったロゼと璃尤辺りは協力してくれるだろう。
少しでも早く見つけて、小雛も一緒に餃子パーティをするのだ。
「招待状をもらってきてみれば、面白いことになっているわね」
タイミングを見計らっていたと言わんばかりに、行動に移そうとしたところで声が投げかけられた。
白いシャツに青いスカート。同じく青い髪をサイドテールに結い上げた美少女が扉の前に立っている。
整った顔立ちに涙のペイントを施しているのが特徴だ。
「く―様、ちょうどよかった――」
「雛を探すのでしょう? 菊理と回るわ」
思わぬ申し出に菊理と蛇はともに驚きを露わにする。
小雛を探してくれることはともなく、そこに菊理が使命されるとは思わなかった。
仲が悪いわけじゃないけど、仲が良いと言えるほどお話をしたこともない。クラウンは一人で動くことの方が好きなんだと思っていたので、この誘いは素直に嬉しい。
「くー様がそう言うんならそれでええけど。一先ず、うちは商店街を中心に見て回るわ」
「私は気の向くままに。菊理がいるならそう難しくはないでしょう?」
言葉の意味はいまいちよく分からないが、頼りにされていると思って気合をいれる。
菊理の力――常人離れした聴力は人探しに向いている。とても強くて、とても頭が良いクラウンの力になれるように精一杯頑張ろう。
力をフル稼働させて、少しの手掛かりを逃さないようにと息巻く。
「手掛かりが掴めたら連絡するよおにな」
頷きあい、それぞれインカムを耳に付ける。
任務のときにつけているものだ。これがあれば、すぐにメンバー同士で情報交換し合える。
先を歩くクラウンを追いかける形で菊理は拠点を出た。町のことはクラウンの方がずっと詳しいのでお任せする形だ。
目的地でもあるのか、迷いのない足取りのクラウンの後をついていきながら、耳は周囲の音を拾うことに集中する。
小雛の声や足音、小雛のことを話している声が聞こえないか、探る。
「クラウンさんをおでかけするのは初めてですね」
他のメンバーはまだ慣れていないだろうから、とついてきてくれることが多くて、クラウンはその現場にいないことがほとんどだ。強いてあげるなら、任務のときに一緒になったことがあるくらいか。
一人で自由に動くことが好きな人なのだと蛇や璃尤が言っていて、なかなか声をかけられなかったのもある。
「これをお出掛けと言っていいのか、微妙なところだけれど」
「小雛さんを早く見つけて、本当におでかけにしましょうっ!」
「楽観的ね。嫌いではないわ」
大人っぽくて近寄りがたい空気があっても、冷たい人ではなくて同じ温度感で言葉をくれる。
本音の見えない演技のような声音は相変わらずだが、それでも菊理は嬉しいし、楽しい。
「クラウンさんはどうして私と一緒に行くと言ってくれたんですか?」
「貴方の能力は人探しが得意でしょう? 楽できると思っただけよ」
大したことはないと告げる声は何か隠しているようであった。
構わず、菊理は嬉しい気持ちでいっぱいだ。理由はなんであれ、メンバーと一緒に出掛けられるのは嬉しい詩、楽しい。菊理は純真にそう思うのであった。
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小雛がメンバーを探して拠点を出たというのなら、まず最初に馴染みの店へ向かうだろう。
そう思って商店街の方へ足を向けてみたが、それらしい姿は見つからない。
仕事帰りの人が増え始める時間帯で、小柄な少女を見つけ出すというのは難儀なものだ。
目立つ髪色をしているのが救いか、と琴巳は注意深く人の波の中、視線を巡らせる。
「くー様も何を考えているやら……悪いことにはならへんと思うけど」
戦闘狂で愉快犯的なところがあるクラウンでも、仲間を危険に晒すことはしない、と思いたい。
自分で指名したからには最後まで面倒を見るくらいはしてくれるだろう。多分。
「蛇」
苦い顔で考え込む琴巳は自分を呼ぶ声に目を向けた。
声を聞いて思い浮かべた通りの人物がそこには立っている。猫耳がついたフードを目深に被った表情の乏しい少女。眠たげな目がこちらをじっと見つめている。
「雛が行方不明って本当?」
「せや。今、探し回っとるところやけど、今んとこ手掛かりはなしやな」
現在、捜索にあたっているのは琴巳の他に、クラウンと菊理、ロゼと璃尤の二組。
そのどちらとも手掛かりの一つも掴めていないらしい。
「猫も心当たりを探してくれると助かるわ」
「分かった」
万が一、敵対組織と遭遇する可能性に備えて非戦闘員は戦闘員と組ませているが、MaveRickのエースたる猫であれば、一人で探し回っても問題ないだろう。
信頼を胸に抱く蛇はふと着信音を捉える。小雛が見つかった報告ならインカムの方に来るだろうと訝しながら、スマートフォンを取り出した。
画面に映し出されるのは非通知の着信。眉根を寄せる。
「もしもし――」
『久しぶりね、私の可愛い琴巳ちゃん』
艶めかしい鼓膜を揺らした。
全身に衝撃が走り、刹那だけ止まった呼吸が喉を鳴らす。
声を聞いただけで思い出される光景に赤眼鏡の奥に潜む瞳が大きく震えた。たった一言にそれだけの力があった。
「ねえ、さん」
『そう。貴方の大好きな五和お姉ちゃんよ』
心配そうにこちらを覗き込む猫に応える余裕はない。
彼女と話すとき、彼女以外に意識を向けてはならない。そう教えられた。そう刻み込まれている。
『琴巳ちゃんのお友達はこちらで預かっているわ。返してほしいなら、一人で会いに来て』
「ほ……本当に、一緒にいる、の?」
『もちろん。琴巳ちゃんに嘘を言ったりしないわ』
「わ、かった」
場所を聞いてすぐに電話を切った。息を吐き出す琴巳を、猫は変わらぬ姿勢のまま見つめている。
感情の乏しい顔が琴巳を心配しているのが分かる。
「姉さんに会ってくる。小雛が一緒にいるかもしれへん」
「私も行く?」
「いや……一人で、行くわ。そうゆう指示やから」
「大丈夫?」
「心配いらへんよ。家族に、会いに行くだけや」
必死の強がりに猫は小さく頷いた。その気遣いをありがたく思いながら、「大丈夫」と自身に言い聞かせる。
もう、あの人に振り回されるだけの妹ではないのだと証明するのだ。震える手を強く握りしめて、胸に誓う。




