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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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40「仲良くしたい人」

 薄暗い部屋の中に小雛はいた。照明はついておらず、中の状態を隠すためにカーテンは固く閉じられている。あのカーテンが開けられたところを小雛は見たことがない気がする。

 よく覚えていない。この場所も知っている気がするが、初めて見たような感覚だ。


 暗いのは単に明かりがないだけではない。部屋全体が重たい空気に包まれているから余計暗く見えさせているのだ。

 部屋が暗ければ、臭いも酷い。何かが腐ったような臭いが至るところから漂っている。

 おまけに部屋の中は荒れ果てており、様々な物が散らばっていた。


 埃が積もっている箇所もあり、長い間掃除をされていないことは明らかだ。

 ぺたぺたと音を鳴らして歩く小雛はこちらを向く視線に気付いた。

 じっと見つめる視線の持ち主は微動だにせず、こちらを見ていた。


 開いた瞳孔。色の悪い肌。恐る恐る触れてみれば冷たい、体温がなかった。

 そんな状態の人間、幼い少年少女があちらこちらに倒れている。倒れている人たちのことを知っている気がするが、やはり何も思い出せない。頭に靄がかかっているように何も。


「みんなは人形になっちゃったんだよ。だから、もう動かない」


 靄のかかった頭の中で深く響く声がある。若い、少女の声だ。

 ああ、そうなんだ、と思った。だから、みんな動かなくなってしまったのだと当たり前に信じた。

 そう思ったと同時に意識が浮上する。瞼を持ち上げた目には知っている景色が映し出される。


 MaveRickの拠点。ここは小雛に与えられた一室だ。

 その事実に妙に安心して、起き上がった小雛はぺたぺたと音を立てながら拠点の中を歩く。


「おねえ、ちゃん」


 孤独を訴える心に従って拠点の中を歩く。

 応える声がないことを不安に思いながら歩を進める。階段を下りて、共有スペースへ向かう。


 共有スペースにはいつも誰かしらいるから。

 一番多いのは菊理で、先生や蛇もいることが多い。最近は修業とやらで不在がちのロゼや璃尤も、拠点にいるときは共有スペースにいることが多い。


 誰かが気付いてくれることを祈るように、わざと大きな足音を鳴らして歩く。

 耳のいい菊理がいればすぐに気付いていくれるだろう、と。


「菊理ちゃん……ロゼちゃん」


 いつも一緒にいる二人の名前を呼びながら部屋の中へと入る。


 勉強中の菊理の姿。璃尤と言い合っているロゼの姿。

 本を読んでいる蛇に、菊理に勉強を教えている先生。パソコンと向かい合うアンネ。

 一人一人、メンバーの姿を思い浮かべる小雛の目は無人の共有スペースが映し出されていた。


 脳裏に描いていた景色が音を立てて崩れ去る。薄暗い部屋だけがそこにはあった。

 みんな、出払っていて電気が消されているにすぎない。窓のない部屋では陽光が注ぐこともなく、メンバー不在の薄暗い部屋が小雛の目には映し出されていた。


 夢で見た光景を彷彿とさせる景色に不安が押し寄せて、階段を駆け上った。

 MaveRickの拠点は一階に共有をスペースを含めて、お風呂とかトイレとか、みんなで使う部屋があって、二階はメンバーそれぞれの私室となっている。

 猫やクラウンは私室にいることが多くて、アンネも私室で作業していることが多い。


「猫の、お姉ちゃん?」


 ノック音に返事はなく、いつものように眠っているのかと部屋を覗いてみても猫の姿はない。

 一人一人、一つ一つ、ノックをしては扉を開けて確認していく。それでも誰も見つからない。不安はどんどん膨らんでいく。

 誰もいない。独りぼっち。小雛はまた一人残されてしまった。


「い、や」


 怖い。怖い怖い怖い怖い。独りぼっちはもう嫌だ。独りぼっちは嫌い。

 薄暗い部屋は苦手。呼んでも返事がないと不安になる。

 みんな、どこに行ってしまったのだろう。小雛はいらなくなってしまったのだろうか。


 上ってきたときと同じく駆け降りる。そのまま拠点を飛び出した。

 拠点にいないのなら外を探せば、きっと見つかる。アンネも、菊理もいないのなら、買い物に行っているのかもしれない。いつものお店にいけば、きっと会える。


 小雛も手伝うことがあるので、どの店をどの順番で回るのかよく知っている。

 順番を逆に回る形でメンバーの姿を探す。菊理はともかく、アンネの姿は目立つので外で探してもすぐに見つかると思っていたけど見つからない。さらに不安が募る。


 大きな任務が入って、みんな駆り出されてしまっているのだろうか。それとも本当に小雛を置いて、どこかに行ってしまったのだろうか。


「やだよ……」


 ロゼとか、蛇とかは平日だと学校に行っている。先生も仕事がある。

 いっそ学校や職場に行けば、いるだろうか。この不安な心を消し去ることができるだろうか。


「みんな……みんな、どこに行ったの。ボク、を……置いて、かないで」


 ガラス玉のような大きな目から涙が零れ落ちる。ターコイズの瞳が波打ち、大粒の涙が白い肌を伝う。

 嗚咽混じりに零れ言葉を聞き止める人はいない。みんな、忙しなく小雛の横を通り過ぎていく。


「ひとりは……やだよ」


 その場にしゃがみ込み、泣きじゃくる。小さな身体をさらに小さくするように蹲る。

 声をかける者はいない。小雛は独りぼっちで涙を流す。

 癖のある金髪で身体を隠すようにしながら、アスファルトを透明の雫で濡らす。


「大丈夫?」


 傍を通り過ぎる人々の間を縫うように声が投げかけられた。

 独りの世界が独りでなくなった、と顔を上げる。薄茶の目と合う。


 覗き込むのは見覚えのある少女だ。けれど、初めて会う人。

 透き通る緑の髪を、二つ折りにする形でツインテールにした少女。年は璃尤と同じくらいだろうか。もう少し幼くも感じさせる雰囲気を纏っている。


 彼女の髪形も、セーラー服に似たワンピースも小雛はよく知っている。

 魔法少女ミラクルベリーの登場人物、木苺みのりの衣装だ。小雛は『ミラベリ』が大好きで、見覚えがあると思ったのはその格好のせいだ。


「迷子、かな? ……それか、どこか痛いところでもあるのかな」


 ふるふると首を横に振る。みのりの姿をしたその人は困ったような表情を見せた。

 気になって話しかけたけど、子供の相手は苦手のようだ。

 きっととても優しい人。小雛は未だ零れ落ちる涙をパーカーの袖で拭いながら見上げる。


「ぁ……足。ええと、痛くない? 靴、履いた方がいいよ。あんまり高いのは無理だけど」


 小雛が裸足だと気付いたみのり(仮)が窺うように提案する。

 涙を袖で拭う小雛は迷いながら、こくりと頷いた。外を裸足で歩き回るのは少し辛い。


 拠点に戻ろうにも、何も考えず飛び出したせいでかなり距離があるのだ。

 手を引かれて、近くのお店でサンダルを買ってもらった。濡らしたハンカチで裸足で歩き回った足を拭ってもらって、サンダルを履く。少し大きいけど、温かい何かを感じる。

 孤独に苛まれていた小雛の心が少しだけ落ち着いた。


「あのっ、それ……その服、みのりちゃんの服?」


「そう! 分かる⁉」


「うん。ボクも『ミラベリ』好きだから」


「そうなの⁉ あのっ、よかったら少しお話しない、かな?」


 同志を見つけられてうれしいのか、彼女は興奮気味にそう告げた。

 魔法少女ミラクルベリーは女児向けアニメだ。彼女くらいの年齢だと話せる相手が少ないのかもしれない。

 小雛も友達が少ないので、話せる相手はほとんどいない。こくりと頷いた。

 親切にしてもらったのだから、これくらいの恩返しはしたいと思った。


「あたしは眞伊花芳だよ。貴方は?」


「小雛……形城小雛」


 みのり(仮)改め花芳に案内されて、カフェで少しお話しすることになった。

 花芳は『ミラベリ』についてかなり詳しいかった。MaveRickの人たりも一緒に見てくれたり、ロゼや菊理なんかは一緒に感想を言い合ったりしてくれて、何度も何度も見返すのは付き合ってくれたりしてくれる。


 でも、ここまで詳しく話せる人は初めてだったからすごく楽しい。

 見落としてしまいそうな細かい部分を口にしても、当たり前に答えてくれる。すごく楽しい。

 目が覚めてからずっと暗かった気持ちが、花芳と話して弾む。


「こんなにたくさん話せる人、初めて。すっごくうれしいんだよ」


「ボクも、うれしい」


 年は離れているけれど、彼女とならは仲良しになれるそうだ。

 思えば、MaveRickのメンバー以外とこんなに話したのは初めてだ。

 小雛の人生はMaveRickとあの薄暗い孤児院の二つでできている。孤児院にいたときのことはよく覚えていないから、大半がMaveRickの記憶だ。


「その服もとってもかわいい」


「本当!? 実は自分で作ったんだよ」


 恥ずかしそうに笑う花芳に尊敬の念を送る。まさか自分で作ったものだと思わなかった。

 つい、まじまじと見てしまう。細かところまで、ちゃんと木苺みのりの衣装を再現している。


「すごい。本物みたい」


「ありがとう。これは普段着用に作ったんだけど……コスプレの衣装を作るのが好きで」


 照れた表情の花芳は何かひらめいたとぱっと顔が花咲いた。

 可愛らしい顔を飾る表情に小雛も小さく笑んだ。好きなことを話している人の顔を見るのは好きだ。


 演劇の本を読んでいるときのクラウンや、お花や貴族の作法について話しているときのロゼ。

 ロゼをからかっているときの璃尤に、インターネットで調べ物をしているときのアンネ。

 みんなとお話しているときの菊理に、それを見ている蛇。眠っているときの猫なんてとても幸せそうな表情をしている。そして今、『ミラベリ』の話をしている花芳は楽しそうで、とても素敵だ。


「あのね、小雛ちゃんがよかったらだけど……小雛ちゃんの服も作ってもいいかな、って」


「いいの?」


 思わぬ申し出に丸い目をさらに丸くして、「うれしい」と呟く。花芳の顔はいっそう楽しそうに華やいで、小雛も妙にうれしくなってきた。


「約束だよ」


「うん、約束」


 今日ここで彼女と話せてよかったと思う。彼女が声をかけてくれてよかった。もっとお話していたいし、もっと仲良くなりたい。

 今日だけじゃなくて明日も明後日も、その先も彼女と仲良くなりたい。


 だから正直に言うべきか迷った。花芳と仲良くしていたいのなら気付かないふりをするべきだ。

 何も知らないふりをして、でもそれはMaveRickの人たちを裏切ることになるから。


 MaveRickと花芳と天秤にかけて、MaveRickの方が勝つなんて思っていない。仲良くしていたいと思う人はみな等しく、小雛にとって大切なのだ。だから、どちらにも不誠実なことはしたくないと思う。


「花芳ちゃんは〈不明(レムレース)〉の人だよね? 魔女さん、だよね」


 花芳はきっと気付いていなかったのだろう。突然の指摘に驚き、楽しそうだった顔が音を当てて固まった。

 上がっていた口角が下がり、大きくて丸い目が動揺で震える。

 楽しかった空気が小雛の問いかけで容易く壊れた。ああ、もう無理なんだな、と考えながら。


「ボクはMaveRickの人形。……騙すつもりはなかったの。ごめんなさい」


 話しかけられたときは花芳の正体に気付く余裕はなかった。

 でも、小雛は知っていた。〈不明(レムレース)〉にいるという、木苺みのりの格好をした子の話を。

 会ったのは猫とアンネだけど、聞いていた特徴のままで名前も同じ。話しているうちに〈不明(レムレース)〉の少女だと気付いた。言うか迷って、結局口にした事実。


 小雛と所属しているMaveRickと、花芳の所属する〈不明(レムレース)〉は敵対関係にある。

 互いの意思とは関係なく、でも仲間を裏切れないから敵対関係。


「敵だけど、ボクは花芳ちゃんと仲良くしていたいと思うよ」


 裏切りたくないという気持ちと同じくらい、仲良くしたいと思う気持ちがあるから。

 敵対関係だからおしまいなんてしたくない。菊理に倣った真っ直ぐさに花芳は視線を泳がせ、言葉に迷ってやがて口を開く。


「あたしは戦うの、嫌い。みんな、仲良くできたらって思うんだよ」


 今の今まで口にできなかった思いを、確かめるように紡ぐ花芳。

 小雛は彼女をじっと見た。じっと見て、表情を、声音を忘れないように集中する。

 大事な思いだから、ちゃんと見て、ちゃんと聞かなければならない。


「実赤ちゃんと千巫ちゃんがいなくなって、衣兎ちゃんはずっと体調を崩してて……ルシーちゃん、ずっとピリピリしてる。あんな…怖いルシーちゃんは見たくないんだよ」


 伏せた目は泣きそうだった。泣くまい、と必死にこらえていた。

 堪らない思いで小雛はそれを見つめて、同じように泣きそうな顔をする。


「笑顔のみんなが好きなんだよ。それじゃ、ダメなのかなあ」


「戦わなくても、一緒にいられたらいいのに」


 戦わないとか、と居場所がなくなる。これはそういうゲームだと言う。

 小雛は自分の力が好きじゃない。この力がなくなっていいから、戦わなくてもMaveRickを守ってほしいと思う。


 無理なのだろうか。戦わなければ、本当になくなってしまうものだろうか。

 この思い出は、絆は、そんなにも脆く頼りないものだろうか。


「面白い話してるね」


 沈んだ表情を見せる二人に割って入る声。

 同時に目を向けたその先には一人の少女が立っていた。どこかで見た覚えのある少女だ。

 癖のない黒髪を背中に流したセーラー服の少女。年は猫や蛇と同じくらいの年に見える。

 他に特筆する特徴を持たない少女は楽しそうにこちらを見ている。


「水瀬真白……」


 紡ぐ花芳の声に「この人が……」と唇を震わせる。

 三つのチームを戦わせている張本人。MaveRickの創設者で、猫の友人だ。

 にこにこと状況を楽しむその顔に何を言えば、この悲しいゲームを終わらせてくれるだろうか。


「失ってもなくならない絆。私はあると思うよ。あってほしいと思う。君たちが見せてよ」


 歌うような言葉に返す言葉を迷う小雛を少女、真白はただ笑う。

 それ以外の感情を知らないというように。でも中身のない悲しい笑い方だ。


「私もちょっと焦っているんだ。侵入者が好き放題してくれちゃうから困っているんだよね」


 真白の目が翠色に輝かせる。見覚えのある光は神秘的で魅入られる。


「君たちを招いたことが正解だったと証明してみせて」


 世界は作り変えられる。翠に輝く瞳に応えて、この世界の神の意思に応えて。

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