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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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39「帰る条件」

 菊理にとって知人の死というのは身近なものだ。菊理が暮らしていた研究施設は非人道な実験を日常的に繰り返し、多くの子供が犠牲となった。菊理と仲が良かった子たちもたくさん死んだ。

 そして、今日また親しい人が逝ってしまった。


 長い長すぎるピンク髪が風に煽られて無機質に揺れる。それを押さえるべき腕は鉄の塊をに握ったまま、ピクリとも動かない。 

 その塊が何なのか、菊理には分からないが、アンネの身体を動かすために大切なものであることだけはなんとなく分かった。あれが失われた今、アンネはもう二度と動かないのだということも。


「り、ゆ……龍っ。どうにかする方法はないんですの?」


「残念ながら自分にはどうすることもできない。いや、誰にもどうすることはできない」


 悲痛を映し出すロゼと、感情を押し留めるような璃尤。

 二人の声を聞く菊理は表情を変えず、明るさを失わず、アンネの死体を見つめている。

 悲しみがないわけじゃない。溢れる悲しみが菊理の明るさを消さないだけ。


 たくさんの死に触れてきた。だが、菊理のこれは慣れとも違う。最初からだった。

 耳を澄ませば、深い悲しみの音が聞こえる。ロゼから、璃尤から、千巫から、実赤から、そして世界中から。

 この世界は悲しみに溢れている。そして、喜びに溢れている。


「そう悲観することはないよ。すべて失った、というわけじゃない」


 希望を示す璃尤はアンネの前でしゃがみ込む。穴だらけの身体の中を無遠慮にまさぐる。

 そして、カードのようなものを取り出した。任務のときに見たことがある気がする。


「アンネの精神はこれに記録されている。パソコンにでも差せば、ある程度は復旧できるはずさ」


「っつ!! 手はないって言ったではありませんの。騙しましたの?」


「身体はどうにもできないという話だよ。それに復旧できると言っても、データの損傷具合によっては復旧できない可能性もある。悲観する必要はないが、楽観もできない」


 言い返す言葉が見つからず、ロゼはつり上げた目を璃尤へ向ける。肩を竦めてこれを受ける璃尤の姿を含めていつも通りだ。それが妙に嬉しくて笑ってしまう。

 暗い雰囲気でいても、アンネはきっと喜ばない。いつも通りの方がいいと思うのだ。


「こればかりは見てみないと分からないが、データが完全に壊れてしまっていれば、本当に終わりだからね」


 菊理には機械のことなどよく分からないので、きっと大丈夫だと言えない。

 無邪気に信じるとはいえず、ロゼは複雑そうに引き結ぶ。そこへ足音が差し込んだ。

 聞き覚えのある足音が一つと、聞き覚えのない足音が一つ。二人並んでやってきた。


「もしそのようなことがあれば、私が力を尽くしましょう。間に合わなかったせめてものお詫びです」


 そう言ったのは生真面目を絵に描いたような少女だ。清楚な印象の服の上に緑色のエプロンをまとっている。エプロンのポケットから覗く黒猫のぬいぐるみは最早トレードマークだ。

 以前見たときは蒼だったはずのぬいぐるみの目が今は黒い。よく似た違うぬいぐるみなのだろうか。


「龍が呼んだ助っ人って貴方のことだったんでしたの。わざと遅れたのではなくて?」


「いいえ、誓ってそのようなことはありません。少し…所用がありまして」


「今回の件、手を引いていたのは貴方の仲間なのでしょう? 信じられませんわ」


「数金さんのことであれば、きちんと始末をつけてきました」


 感情を乱さず、淡々と紡がれる声に場の空気が一瞬止まる。

 厳しい声を突きつけてきたロゼは言葉に迷うように息を呑む。動揺で赤い目を揺らし、


「……まさか、殺してしませんわよね?」


 震えた声でそう問いかける。

 それは詩折の言葉を聞いた誰もが脳裏に描いたことだった。


 始末、なんて言い回しだとまず最初にそれが思い浮かんでしまう。小雛に勧められたアニメや、蛇に勧められた漫画や、璃尤に勧められた小説でも、そういう意味で使われることが多かった。

 止まった空気を意に介さず、詩折は問いに応えるべく口を開く。


「殺してはいません」


 その言葉に込められたものを正しく受け取った人はこの場に何人いただろうか。

 菊理は声を聞いて「おや?」と思った。璃尤はすべてを理解している顔で薄く笑い、白黒の少女は興味深そうに目を細めた。


 彼女は多分、〈不明(レムレース)〉のリーダーである佐汰ルシーだ。詩折とともに現れた人物である。

 〈不明(レムレース)〉とハローワーカー。違う組織に所属している二人、詩折とルシーであるが、ここに来るまでの足音に険悪さはなかった。目を細めて詩折を見る姿にも悪い感じはない。

 ここに来るまでの間に仲良くなったのかもしれない。


「君は〈不明(レムレース)〉のリーダーだね。名前は確か――」


「佐汰ルシーよ。私のfamilyが面倒をかけたみたいで悪いわね」


「うちのアンネの方が余程迷惑をかけたんだ。謝罪は不要だよ」


「迷惑と言う意味であれば、我々、ハローワーカーに言えることでしょう。引き金の引いたのはうちのメンバーです」


 各々のグループを代表して言葉を交わす姿に笑みが零れる。みんなが仲良くしている姿を見ているとなんだか嬉しくなる。ずっとこうだったらいいのに。

 向かい合う璃尤、ルシー、詩折は同時に口を閉じ、短い沈黙が下りる。


 声が聞こえないという意味の沈黙。菊理の耳は揃う三人の呼吸が聞こえる。

 視線を交わし、細く長い吐息で沈黙を両断する。


「私たちの関係でいえば、今からbattle startってところなんでしょうけれど――」


 ステップを踏みようにルシーは自分の仲間――千巫と実赤の方へ向く。無防備に背中を晒すその姿は油断とも慢心とも違う。


「今日はお暇するわ。千巫ちゃんの怪我も治したいし、実赤ちゃんも病み上がりだしね」


「そうしてもらえるとこちらも助かるよ」


 この場でもっとも高い戦闘力を持つ〈不明(レムレース)〉が不戦を示してくれて安心だ。

 璃尤とロゼは疲労を隠しきれず、菊理は戦う術を持たない。助太刀として来てくれた以上、詩折も一緒に戦ってくれるだろうが、不利なのは変わりない。


「次に会うときはちゃんと遊びましょう。紅桜ちゃんによろしくね」


 高いヒールで地面を叩くルシーの後ろに千巫と実赤が続く。と、不意に千巫が振り返った。

 杜若色の目を揺らす千巫がそっと口を開らく。


「そ、の……ありがとう。た、助かった、から。っそれだけ!」


 囁き声でそれだけ告げて、頭を下げる。反動で揺れる髪で軌跡を描きながら、駆け足で先行く二人を追いかけて行った。後に残るのは、菊理、璃尤、ロゼ、詩折、そしてアンネの残骸だ。


「詩折ちゃんはどうするんだい?」


「同行しましょう」


「アンネのこともあるし、そっちの方が手っ取り早いか。二人も問題ないね」


 菊理は大きく頷き、ロゼも渋々頷いた。ロゼはまだ詩折を警戒しているらしい。良い人だと思うのに。






 日が落ち、暗くなった道を一人の少女ともに歩く。

 MaveRickの拠点からの帰り道である。一番の懸念事項であるアンネの精神データの復旧は隣を歩く少女、詩折の手で瞬く間に解決した。


 厳密に言えば、彼女ではなく彼がしたことだと璃尤は知っている。

 破損したデータを復旧させることなど、彼には造作もない。人間だった頃、一つの町のセキュリティを十代のうちに作り変えてしまうくらいだ。万物を知る力を自在に使える今ならそれに留まらない。復旧不可のデータを拾い上げ、新たにまとめあげることも可能のはずだ。


 そのお陰で、アンネはサポートAIに近い形でインターネットの海を漂うこととなった。

 これで身体でも用意すれば、以前と変わりない姿で動き回ることでできるだろう。


「MaveRickの情報担当は廃業かな」


 記憶を渡り歩く方法よりも、インターネットを渡り歩く方法の方が効率的だ。

 詩折やアンネに比べたら、璃尤の情報収集能力は劣っている。元の世界なら少しは張り合えるかもしれないが、この世界では覗ける人物が少ない。


「貴方には貴方の役割があります」


「おや、励ましてくれるのかい?」


「いえ、事実を言ったまでです」


 つれない言葉は平坦で、表情にも大きな変化はない。照れ隠しでないのは一目で分かる。

 冷たいと感じるよりも、母のことを思い出して愛しさが湧く。

 淡く笑う璃尤とやはり表情を変えない詩折。時折会話を交わしながら歩く二人の目が先を歩く二人組の姿を捉える。ほんの数時間前に会ったばかりの二人だ。


 緩く巻いた薄ピンクの髪を高い位置で二つに括り、赤いワンピースをまとう少女。

 薄水色の髪を三つ編みにし、白いワンピースをまとう気配の薄い少女。

 〈不明(レムレース)〉のメンバー、千逆実赤と誘木千巫の二人だ。アンネとの戦闘で傷付いた身体は完全に治癒しているようだ。ルシーの力で治してもらったのだろう。


「誰かと思えば、そなたたちか。夜闇に乗じて妾たちを襲うつもりか?」


「そんな物騒なことをするつもりはないよ」


 実赤も違うと分かっていて問いかけたのだろう。冗談めいた口調で口元は綻んでいる。

 警戒を宿さない表情ながらも、見せつけられる牙の鋭さは牽制の意味を持っている。

 高慢な振る舞いを見せる少女は、しかし冷静さも持ち合わせているようだ。ロゼとは大違いと笑い、これなら労なく話を進められそうだと笑う。


「であれば何用じゃ?」


 向けられる目が警戒を宿す。

 実赤の後ろに隠せるように立つ千巫もまた厳しい目でこちらを見ている。


 どこから説明したものか、と迷う璃尤は判断を仰ぐために詩折を見た。

 彼からより詳しく事情を教えられている詩折の方が適切に説明できるはずだ。


「貴方がたを現実世界に帰すために来ました」


「現実世界、か。……くくっ」


 無駄を省き、端的に告げる詩折の言葉を短く吟味し、実赤は笑声を零す。

 驚きも困惑も宿さない笑い声は、己の立つ場所を揺るがす事実に動揺を持たない。

 知っていたわけではないのは考え込むような素振りから分かる。


「気付いていたのかい?」


「この世界は少々都合がよすぎる。もっとも指摘されて漸く気付く程度の違和であったが」


 紡がれる言葉はこの世界の真理だ。

 夢世界であるが故にどんなに出鱈目なことでもその通り叶い、それが異常と気付ける者は少数派だ。

 この世界が現実ではないと気付くことは明晰夢を見ている状態に近い。


 明晰夢を見る方法なんてものもあると聞くが、眠っている自覚もないまま誘われれば、それもままならない。とはいえ、ここは夢の中。

 明晰夢を見やすい人がいるように、違和感を覚える人も当然存在する。

 実赤はその一人だったというわけだ。璃尤の見立てでは、紅桜やルシーも気付いている。猫辺りも怪しいが、彼女の真意はよく分からない。


「して、何故、妾たちを現実世界に帰すと? 〈不明(レムレース)〉の戦力を削ぐためか?」


「いいえ。貴方がたが条件を満たしたため、話を持ちかけさせていただきました」


 威圧する実赤の目を前にしても、詩折は表情一つ崩さない。

 涼しい顔を貫き、ペースを崩さない姿に尊敬の念を抱く。誰が相手でも変わらぬ態度を貫く少女はしかし、眼鏡の奥に潜む目で相手を吟味している。

 戦闘になった場合、いつでも動けるように脳内で趣味レーションでもしているのだろう。


「条件は二つ。一つはこの世界を否定すること」


 聞く姿勢があると判断し、説明することを選んだらしい。


「ここは一人の少女が見た夢世界。ですが、複数の人が招かれたここは彼女だけの世界とは言えません。複雑な夢が絡み合って、この世界はできています」


「故に、否定する者が現れれば、世界が崩壊するということじゃな」


「はい。そのため、この世界は否定者を排除する機能が備わっています。私たちはその機能を逆手にとって、現実世界に招かれた人々を帰すことができるのです」


「じゃが、妾たちはそれに当てはまらぬ。二つ目の条件とは?」


 想定よりも話がスムーズに進んでいる。厨二病というイメージを裏切って、理性的で物分かりのいい人物らしい。

 千巫は実赤の影に隠れたまま、話を聞くに徹している。実赤の判断に従うといったところか。


「この世界を必要としなくなること。この世界は招かれた人の望みを叶える場所です。力を求める者には力を、居場所を求める者には居場所を」


 水瀬真白は招く前に必ず対象に接触している。その際に望みを掬い取って、世界を改変して叶えた。

 人間は強い。与えられた世界の中で己の答えを見つけ出せる者もいる。

 答えを見つけた者に甘く作られた世界はもう必要ない。

 心当たりがあるのか、実赤は考え込む仕草を見せて小さく頷く。


「話は分かった。じゃが、その誘いに今乗る必要もあるまい。家族を置いていくことはできぬ」


「仲間想いで素敵な答えだね。ただ、一度に帰せる人数に制限があるとしたら話は変わってくるんじゃないのかい?」


 これだけでも彼女なら璃尤の言いたいことを理解してくれるだろう。

 その考えを証明するように実赤は難しい顔で沈黙する。


「不安定なこの世界はいつ終わってしまうか、分からない。そのときが来たとき、自分たちは救う人間を選ばなければならない。そうなれば、自分たちは近しい人を優先的に選ぶだろう」


 言葉を選ぶように、相手を揺らす言葉を選ぶように紡いでいく。

 璃尤は決して善人ではない。必要ならいくらでも相手の弱いところをつつく。


「君たちがここで去れば、君たちの家族が救われる確率が上がるんじゃないかな」


「脅迫……いや、安い挑発か?」


「拒むならそれでもいいよ」


 キャラを崩さないまま、余裕の笑みのまま、考え込む実赤。その袖を千巫が軽く引いた。


「大丈夫だと思う。めっ、眼鏡の人は知らないけど、その人なら……信じられる」


「ふむ……。千巫がそこまで言うのであれば、相分かった。そなたたちの手を取ろう」


 深く息を吐き出した答えに璃尤も息を深く吐き出した。慣れないことをした。

 見れば、千巫も身体を弛緩させている。変わらないのは詩折だけだ。


「では、お二人に選択肢を。力と記憶、残したいものを選んでください。力を選べば、貴方がたが持つ異能が残ります。記憶を選べば、ここでの記憶が残ります」


「愚問じゃな。答えは決まっておる」


「う、ん。一つだけ」


 並び立つ二人は互いの顔を見合わせる。揃いのピンをつけた顔が笑みを零し、同時に詩折の方を見た。


「「記憶」」


 重なる声に頷いて、詩折は黒猫のぬいぐるみを前に差し出した。

 蒼い目のぬいぐるみはゆっくりとその手を持ち上げて告げる。


却下(キャンセル)


 その一言で実赤と千巫の身体は、意識は、魂は消え去った。

 詩折も、璃尤も――そして、それを起こった黒猫のぬいぐるみもともに無言。


 この世界に残っているのはあと十三人。

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