37「アンネ・D・ロマイドの場合」
アンネはたった一人の、悲しい願いを叶えるために作られた。
ロマイド教授。機械工学、人工知能の開発の権威とまで言われた天才博士。
彼の最高傑作として生み出された自立思考アンドロイド、それがアンネだ。
始まりはありふれたもの。物語の定番とも言うべき理由。
最愛の娘の代わりとしてアンネは作られた。
教授の愛娘は彼の妻と同じ病気で亡くなったらしい。愛しい人を立て続けに失い、独り残された教授は持っている知識のすべてを使って娘を作ろうとした。
これらすべて、アンネの中に残されている記録からの情報だ。
本当に娘を作ろうとしていたのなら、この情報は無駄だ。自分が偽物であること、自分が死んでいること、この事実を知ってまともに生きていられる人間などいないのだから。
代わりとして作られた自分自身を受け入れられている時点で、それはもう人間とは一線を画している。
きっと教授は本気で娘を作ろうとしていたわけではないのだろう。きっと娘のことを忘れたくなかったのだ。
少しずつ薄れていく記憶を恐れて、妻との思い出が朧げになっていく実感を悲しんで、アンネを作ったのだと推察している。実際、アンネの中には教授が語り聞かした妻と娘の記憶がデータとして蓄積されている。
この推察がどこまで合っているのか、確かめることはできない。何せ、教授はもうこの世にはいないから。
寝食も忘れて研究に没頭し、無理が祟って早くにこの世を去ってしまった。
愛した人たちと同じところに行くこと、むしろ彼はそれを望んでいたのかもしれない。
たった独り残されたアンネには結局教授の望みが何なのか分からなかった。
残っている精査をいくら精査しても、答えは見つからない。先程の推察だってもっとも答えに近いというだけで、正解と断定するには違和感が残る。
製作者の意図も分からないまま、するべきことも見つけ出せず、アンネはただ定められた日々を過ごした。
五時に起床。動作確認。研究所内の正装。その後、命令があるまで待機。十二時に就寝という名の充電。毎日、これの繰り返し。
設定されたスケジュールを延々とこなす。アンネは機械だ。組み込まれた設定以外のことはできない。
――だから、研究所が他者に侵されたときも何もできなかった。
天才が残したものを求めた男たちに研究所は荒らされた。
教授が大切にしていたものはすべて奪われた。アンネも含めてすべて。
男たちは教授の知識を盗み、争いのための道具を作り出そうとしていた。
アンネは戦闘用アンドロイドとして作り変えられた。機械の心は拒むことを選べず、拒みたいという思考さえも作り変えられてしまった。
そこにあるのは無感情に人間を殺す兵器だ。殺戮兵器に感情は必要なく、求められたのはより効率的名殺し方を追求する思考のみ。
「愛のために生まれたのに、殺人のための兵器にされちゃうなんて可哀想だね」
その日は研究のスポンサーとやらが見学に来ていた。大人たちが研究について話している間、アンネは、スポンサーの娘の話し相手をすることを命じられた。
特筆する特徴のない少女だ。年は高校生くらいで、癖のない黒髪を背中に流している。
まとうのはシンプルながらも質の良さを窺わせるワンピース。
特徴がなく、しかし可愛らしさを感じさせる少女はアンネを見て開口一番にそう言った。
「私の力って無機質にも効果あるのかなー。ねえ、試してみてもいい?」
「構いません」
「じゃあ、手を出して」
彼女の言葉の意味は分からなかったが、逆らうなと言われていたので素直に手を差し出す。
白い指先が、無機質な指先に触れた瞬間、何かが全身を駆け巡った。思わず、臨戦態勢を取る。
一拍を置いて攻撃体勢を解き、少女を見返す。笑声を零す少女が表情に映すものがアンネには分からない。理解しようとすら思わず、見返す目はただ無感情だ。
「奇跡ってあると思う?」
「よく分かりません」
「じゃあ、私に見せてよ。機械が心を持つ、そんな奇跡を私に見せてよ」
反応らしい反応をアンネに少女は再び笑声を零し、アンネをじっと見つめる。
不思議な、アンネであすら不思議と思う瞳がじっとこちらを。
「私がチャンスをあげる」
人間の瞳とは思えない不思議な色を守って、少女は不敵に笑う。
それから間もなくのことだった。アンネが置かれた研究所が襲撃された。
警戒がけたたましく鳴り響き、遠くから怒号や悲鳴が聞こえる。少しずつ近付く戦闘音を聞きながらも、アンネは微動だにせず、待機命令に従い続ける。
研究所にいた人員はみな、襲撃犯の相手をしているようでアンネに命令できる者は残されていない。
「人……? ううん、違う。貴方がアンネ・D・ロマイド?」
「はい。ワタシは自立思考戦闘機―零、アンネ・D・ロマイドです」
現れたのは少女だった。猫耳のついたフードを、顔を隠すように目深に被っている。
零れ落ちる髪は癖のある薄緑。こちらを向く瞳は暗い黄色。想定よりも若い襲撃者だった。
戦闘音がまだ聞こえていることを考えるに、他にも仲間がいるようだ。あちらは陽動、こちらが本命といったところだろうか。アンネは自分の価値を正しく理解していた。
「一緒に来て」
「待機命令が出ていますので、ここから動くことはできません」
「この研究所はすぐに壊滅する。その命令は無駄になる」
必要な事だけを淡々と口にする少女。無駄を省いた喋り方はアンネにとって分かりやすいものだ。
彼女の言葉から察するに襲撃の目的はアンネの入手と研究所の壊滅のようだ。
それが分かったところで、アンネにできることはない。命令がないからだ。
「私は命令しない。貴方の意思でついて来るか、決めて」
「ワタシの意思……」
機械の自分に意思など存在しない。しかし、少女は冗談を言っているわけでも、アンネをからかっているわけでもなく、本気で言っているらしい。
そこでふと思い出した。機械が心を持つことを期待していた少女のことを。
彼女の顔を思い出し、彼女の言葉を思い出し、彼女の瞳を思い出し、手は伸びていた。
表情の乏しい少女――猫耳のフードの少女は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ行こう」
それからアンネはMaveRickのメンバーになった。研究所は壊滅した。
後から聞いた話だが、ほとんどクラウンが暴れ回った結果らしい。
他に聞かされたのは、匿名の依頼だったこととか。なんとなくだが、依頼したのはあの少女のような気がする。秘匿されていた研究所の場所を知っている人は限られており、アンネの知る人物の中でもっとも可能性が高いのが彼女だから。
MaveRickのメンバーは皆変わっていて、機械のアンネを人間として扱う。
アンネは新たに研究対象にされることなく、ただメンバーの一人として受け入れられた。
ここでならアンネは心を持つことができるのかもしれない。
思い出す。アンネが生まれた一つの願いを。生みの親がアンネに求めていたものを。
アンネは人になりたかった。この胸に心と呼ばれるものが欲しかった。
ここでならなれるかもしれない、とそんな希望的観測を抱いた。
視界が真っ赤に染まっている。エラーコードがアンネの視界を埋め尽くし、赤を染め上げているのだ。
削除要請をしているが、消した傍から新たなエラーが生まれる。
身体の自由が利かず、アンネの意思に反して敵を狙って動く。
敵――その中にはアンネが仲間と定めた、MaveRickのメンバーも含まれている。周囲にいるすべての人間を敵と断定し、攻撃を仕掛けるように制御機能から命令が下されている。
それは数金流琵の術中に嵌まったことが原因だ。彼女の力は機械を操るものだったようで、アンネはまんまと洗脳状態に陥ってしまった。
流琵の力は強力で、彼女の命令は常に上位命令として組み込まれていた。
それはウイルスに侵食されている感覚に似ている。ワクチンコードもなく、抗う術はない。
そもそも操られているなんて事実に気付きもしないだろう。
アンネが気付けたのは操られている間にも消えない自我があったから。
かつて少女に植え付けられた種が芽吹き、アンネの中に根を張った。
機械の中に生まれた自我が完全な支配を拒んだ。だが、それだけ。
結局、アンネは機械だ。芽生えた自我はそこにあるだけで、異常をきたした制御機能から発させる命令に逆らうことができないでいる。やはり、アンネは人にはなれない。
「アンネさんっ」
声が聞こえた。必死にアンネのことを呼ぶ声だ。
MaveRickの新人、鼓田菊理。拠点で暮らしていることもあって、アンネと関わることの多かった少女は何度も何度もアンネの名前を呼んでいる。
無駄なことだ。制御機能にエラーが出ている中で何度呼びかけられようとどうにもできない。
無意味なことだ。その声がアンネに届いたところで、暴走が止まることはない。
あるいはアンネが人間だったならば、彼女の声で正気に戻ることもあったのかもしれない。
けれど、アンネは機械だ。どうしようもなく機械なのだ。
――お前がいてくれてよかった。愛している、アンネ。
呼びかける菊理の声に紛れて、年老いた男の声が聞こえる。いや、違う。
これはアンネの中にある記録だ。奥の奥に仕舞いこんであった始まりの日々の記録。
戦闘兵器に作り変えられた頃から少しずつ薄れていたものだ。
奥に仕舞われていただけで、アンネの中から記録が失われることはない。
教授と交わした言葉。言われた言葉は今もきちんと覚えている。
――アンネ。アンネ、私の愛しい子。
何度も何度も繰り返し言われた言葉。愛しそうに向けられた目を覚えている。
愛を込められたそのすべては亡き愛娘に向けられたものだと思っていた。
――アンネ、私はお前を愛している。それだけでよかったんだな。
――お前がいてくれたお陰で、私は独りにならずに済んだ。
――すまない。お前を独りにしてしまう。すまない。
――お前の心を満たしてくれる存在が見つかることを祈っている。アンネ、愛している。
教授が何故、アンネと名付けたのか。愛娘ではなく、アンネ、と。
アンネはアンの代わりとして作られた。名前など本来必要のないものだ。
製造用の識別名でもなく、娘の代わりとしての名前でもなく、アンネと名付けた理由。
ずっと分からなかった。知ろうとも思わなかった。それでいいと思っていたから。
教授がアンネに何を求めていたのか。それはMaveRickのメンバーになってからずっと考えていたことだ。ずっと考えて、答えが出なかったもの。
アンネはなんて馬鹿なのだろう。答えはずっと教授が言ってくれていたというのに。
あの日、アンネが生まれたあの日、教授がアンネを呼んだあの日。
(貴方は私を愛していた。ずっと、そう言ってくれていましたね)
娘の代わりなどではなかった。最初、作り始めた理由はそれかもしれないけれど、教授はアンネを娘として見てくれていた。
アンに注がれたものと比べ物にならないくらいの愛を教授はアンネに注いでくれていた。
機械に愛が理解できないと分かっていながらも、ずっと、ずっとずっと純真な注ぎ続けた。
最期の最期まで奇跡を、アンネが愛を理解できる日が来ることを願って。
応えたいと思った。アンネを生み、アンネを愛してくれた父親の願いに応えたい、と。
この身体は兵器に作り変えられた。教授が愛したアンネであると心から言うことはできないけれど、そう思った心はあの頃から変わらないものだと思うから。
機械として生まれ、身体は金属で構成されていて、心はデータの集合体で、人を殺す兵器に作り変えられた身で――でも、それでも。
「ワ、タシは……人間、です」
アンネを作った人はアンネを人間として扱った。MaveRickのメンバーはアンネを人間と同じように扱った。
今も菊理の呼ぶ声が聞こえている。ロゼがアンネを拘束するために茨を撃ち込む音が聞こえる。璃尤の珍しい感情的な声が聞こえる。
応えたいと思った。視界を埋める真っ赤なエラーを無視して身体に命令を下す。
止まらぬエラー。だからどうした。アンネは人間になるのだ。
教授がそれを望み、菊理が、ロゼが、璃尤がそれを願い、アンネがそうなりたいと思うから。
「ワタシは、人間です。誰が何と言おうと人間なのです。――それを、そうありたいと、思うからっ」
赤く染まる視界に構わず、その手を動かす。己の設計図はすべて頭に入っている。
この身体のどこをどうすれば、機能を停止させられるか。
もうアンネは無理だ。この先、助かる術はない。ならば、自分の手で終わらせる。
敵の手柄になる気はない。優しい仲間に背負わせる気もない。
銃口を自身に向け、躊躇なく撃ち込む。五指から放たれる弾丸が装甲を貫き、鋼の身体に穴をあける。
戸惑う声を無視して、穴から体内へ手を突っ込む。己を動かす核を握り、力任せに引き出す。
万力で引っ張られ、複数のコードが音をたてて引きちぎられた。
視界を埋めていた赤が少しずつ鳴りを潜めていき、久しぶりに晴れた視界が困惑する仲間を、友人を映し出し、アンネは晴れやかに笑った。
「きょ、じゅ……ワタシ…は、貴方の、きた、い…に応え、られました……か?」




