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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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36「念う」

 全身が痛みを走っている。白いワンピースは至る所が汚れ、血を滲んでいる。

 身体は傷だらけで、そのほとんどが擦り傷や痣だ。所謂、軽傷と呼ばれるものだ。

 そうでなければ、千巫はこうして立ってはいられない。


 痛みに強いわけでも、特別丈夫でもない千巫はまだこうして立っているられるの全身を飾る傷がいずれも軽傷止まりだからだ。

 呼吸は乱れ、髪も乱れ、痛みと疲労で全身が重い。それでも立っている。

 驚くべきことだ。実赤に大怪我を負わせた下手人、実赤が勝てなかった相手を前にして立っていられる自信など、千巫にはなかった。


 自らの命を賭してでも仇を討つ思いで千巫はここに来たのだから。

 最期の最期まで食らいついてみせると息巻いてここまで来たのだから。

 そうならなかった理由は分かっている。認められない気持ちが燻る中で、否定できないほど明白に答えは示されている。


「横に避けてくださいまし」


 指示のままに横に跳べば、先程までいた場所に弾丸が駆け抜ける。

 鉛玉のように思えたそれはよく見れば、植物の種だ。相手に届くより先に発芽した種は千巫の視界を埋めるように茨をうねらせる。

 形成された茨の壁は千巫へと降り注がれる銃弾を防いでみせる。


 横目で確認し、糸をアンネへと向ける。姿を隠す千巫の能力に合わせて作られた細い細い糸。操っている千巫本人すらも見失ってしまいそうな細い糸はアンネの腕を絡め取り、五指の銃口を逸らす。

 態勢を崩すアンネの背後に白い刀を構える璃尤が迫る。


 常人離れした身体能力を見せる璃尤は一息で刀を振るう。容赦のない剣撃はアンネを斬るには至らず、頑丈な機械の身体は傷一つつかない。

 苦笑する璃尤へ向けてアンネは口を開く。声を出すためではないのは、口腔から覗く銃口が教えてくれている。表情を変える璃尤に向けて放たれる弾丸。


 反射的に糸を走らせ、璃尤の足を絡め取る。引っ張れば、璃尤は体勢を崩し、敵の前で無防備にも尻餅をつく。その腕を弾丸が通り抜けた。

 即座に千巫の考えを読み取った璃尤は受け身でダメージを殺し、刀を振るうと同時にアンネから距離を取る。追いかけようとするアンネへ、ロゼが牽制の種を撃ち込む。


「助かったよ、ありがとう」


「別に……あ、なたがいなくなると…こ、困るから」


 今も立っていられる理由は一人ではないから。

 仲間ではない。敵チームのメンバーで、場所が場所なら戦闘になっていたかもしれない相手。

 実際、一度は戦闘になったことがある相手。それが味方として共に戦っている事実はどうしたって受け入れがたい。まるで〈不明(レムレース)〉を裏切ったような罪悪感が千巫の心を蝕む。


 千巫にそんなつもりはなくても、他のメンバーが今の状況を見たらどう思うか。そればかり気掛かりだ。

 嫌われたくない。こんなことで嫌う人たちではないと分かってはいるけれど。


「敵に回ると厄介なものだね。くー様辺りを呼べたらいいんだが」


 黒瞳の一瞥は意味深なもので、悟る。千巫がいるから呼べないのだと。

 千巫と協力している状況は彼女たちにとってもあまりよくない状況らしい。

 それでも千巫と戦ってくれている。千巫を置いて、逃げることだってできるはずなのに。

 悪い人ではないのは分かっている。ただ、敵チームの人なだけ。


「知らない、の。じゃ……弱点、とか?」


「残念ながら。期待を裏切るようで悪いね。こんなことなら設計図をきちんと見るべきだったね」


「設計図なんて、そんなものあったんですの?」


「見る機会があったというだけさ。拠点にあるわけじゃない。もっともアンネなら持っているだろうね」


「なら、とっとと正気に戻して見せてもらわないといけませんわね」


「欲しいのは今なんだけどね」


「やかましいですわ」


 三人で立ち向かってもまるで歯が立たない。疲弊し、体力を消耗していくばかり。

 相手は機械。体力なんてものは当然存在せず、時間が経てば経つほど、戦力差が開いていく存在。

 不利ばかりが並ぶ中でも、MaveRickの二人は暢気な会話を繰り広げている。

 それが仲間ということなのだと当たり前のように思う自分がいて、


「どう、して……」


 無意識に言葉が零れた。黒瞳がこちらを向き、聞き返すように首を傾げた。


「……どうして、私を…たっ、助けてくれる、の? て、敵…なのに」


「それはさっき答えたと思うが……」


「ち、がう。さっきの、じゃなくて……仲間、に…ば、ばれたら、ダメ、なんでしょ」


 首を傾げたままの姿勢で、黒瞳は千巫を見つめている。千巫の言葉を咀嚼するような間。

 彼女は実赤や衣兎のように聞こえているわけでも、ルシーのように唇の動きを読めるわけでもなく、真摯に耳を傾け、ゆっくりと内容を咀嚼してくれる。

 聞いてくれる姿勢があるだけで、安心してしまうから不思議だ。


「もしかして、くー様のことかい?」


 問いかけにこくりと頷く。先程、璃尤が口にしていた名前だ。

 呼びたいけど、呼べない、そんな風なことを言っていた。


「あれはバレたらまずい、というより、制御できる自信がないというニュアンスの方が近いね」


 紡がれる言葉の意味がいまいち掴み切れなくて見返す。


「くー様を呼べば、アンネも、君も命はないということさ。彼女を止める術を自分たちは持っていないからね」


 理知的な言葉はつまるところ、千巫を守るためだと言っているのだ。

 やはり、敵にかける言葉とは思えない。彼女が特別変わっているわけではないだろう。


「話が終わったのなら、加勢してくださいませんこと?」


 千巫が話している間、ロゼが一人でアンネの相手をしていた。

 茨や赤い花弁が場を彩っている。美しさを奏でる世界をアンネが暴力的に破壊する。

 アスファルトを破壊するほど強く踏み込み、アンネは千巫たちの方へ迫る。


 踏み込みを見たと同時に千巫は回避行動を取り、ふと振り返った。視線の先には璃尤がいる。

 話をしていたままの姿勢で、逃げる様子のない璃尤が。

 緊迫した状況を前に、緊張感のない表情で立ち尽くしている。その膝が折れた。


「なん……」


 理由を聞く余裕はないと言葉を呑み込み、糸に命令を与える。

 どういう姿勢のときにどこを引っ張れば、どういう風に体勢が崩れるか、ルシーに教えられ、すべて頭に入っている。

 アンネの態勢を崩し、逃げる時間を稼いでも璃尤が動く気配はない。きっと動けないのだ。


「赤い、人……」


「ロゼですわよ」


「ロゼ、ちゃん。手伝って……ひ、引っ張るの」


 震えた懇願にロゼは銃声でもって応える。即座に発芽した茨は、千巫の糸と同じようにアンネへと絡みつく。ロゼは古銃を捨て、自由になった両手で長い長い茨を握った。


「「せーのっ」」


 重ねた声で千巫は糸を、ロゼは茨を引っ張る。見た目以上の重みが両手にかかる。


「「せえ、のっ」」


 息を合わせてさらに引っ張り、二分割された重みを宙へ放り投げた。

 今日一番の疲労を感じながら、容易く着地するアンネを横目で見る。地面に叩きつけられてくれたらと思ったが、そう上手くはいかないらしい。それでも時間は稼げた。


「ははは、思っていたより限界が早かったね。最近は力を使うことが多いかったから不思議はないかな。母さんのように器用にできればよかったんだが」


「回りくどいですわね。つまり、どういう状態なんですの?」


「身体強化は運動神経を無理に向上させるものだ。多用すれば、負荷に身体が耐えられなくなる」


「動けないってことですわね?」


「まあ、そういうことになるね」


 この二人の関係は独特で少し面白い。こんな状況でなければ、ゆっくり見ていてもいいのだが。

 ただえさえ、ギリギリの状況下で璃尤の脱落はかなりの痛手だ。千巫とロゼの二人でアンネを相手をこなせる自信はない。

 どちらも離れた位置からの攻撃を主体としていることもあって、近距離で攪乱してくれる璃尤の存在にはかなり助けられていた。これからはそれがなくなるのだ。


「やはりクラウンを呼んだ方がいいかもしれませんわね。猫の任務が終わっていたら一番なのですけれど」


「その必要はないよ。もう助っ人は呼んである。近いうちにくるはずさ」


「誰を呼んだんですの?」


 心当たりがいないらしいロゼの問いに璃尤は肩を竦めるだけだ。答える気はないらしい。


「一先ず、その助っ人とやらが来るまで二人で相手するしかありませんわね」


「面目ないね」


「元々非戦闘員なんですから、そこで大人しくしていてくださいまし」


 語調は強いが、璃尤を心配しているのが伝わってくる。

 素直ではないだけで、良い人なのだろう。敵の良いところなんて、知らない方がよかったと思う。

 遠巻きに二人のやりとりを見て、心中に複雑な感情を渦巻かせる千巫はふとあることに気付いた。


 長いこと話しているが、アンネに動きが見られない。違和感に誘われた視線は棒立ちのアンネを収めると同時に迫る影を見つけた。

 ともに聞こえてくるのは車の音。限界までアクセルを踏み、加速したバスが三人のいる方へ突っ込んできている。


 時速一〇〇㎞オーバーで迫る巨体を前に、千巫は呆然と立ち尽くす。

 糸ではどうにもできない。避けるにしてもこの距離じゃ間に合わない。


「そういえば、この町は試験的に自動運転のバスが運行していたね」


「なに、悠長なこと言っているんですの?」


 その手に古銃を生み出したロゼが続けざまに引き金を引いた。瞬時に発芽した種は茨となり、バスの行く手を阻まんと壁を作る。が、簡単に突破される。

 さらに茨の壁を重ねるロゼだが、どれも容易く破られてしまう。打つ手なしの中、せめて直撃だけは逃れようと足に力を込めた千巫の視界、そこへ新たな変化が訪れる。

 杜若色の瞳が大きく見開かれ、歓喜に打ち震えた。


「悪くない状況じゃ。復帰戦にはちょうどよかろう。千巫よ、我が雄姿を目に焼き付けておけ」


 高い位置が二つに括られた薄ピンクの髪。地雷系と呼ばれるような赤を基調としたワンピース。

 吸血鬼らしさを全身に纏う少女は、血色に光る瞳を好戦的に和らげる。

 細身の足からは想像できない力で地面を蹴り、バスの目の前に立つ。


 千逆実赤。千巫の親友にして、世界そのものと言っても過言ではない少女。

 実赤はその手を迫るバスの前に突き出す。激しい音とともに迫る暴走バスを片手で易々と止めてみせる。

 空転するタイヤの音。実赤はバスを細腕で持ち上げ、ひっくり返した。


「璃尤さん、ごめんなさいっ。流琵さんに逃げられてしまいました」


 遅れて合流した菊理は深々と頭を下げる。息を切らしているところを見ると、先行した実赤を追いかけて走ってきたようだった。


「構わないよ。距離が開けば、アンネにかけられた術を解けるだろう」


「これで一件落着ということでいいんですの? すべて解決とは言い難いですけれど」


 ロゼの赤目がちらりとこちらを見る。共闘したとしても敵同士、ここですぐさようならとはいかない。

 そっと実赤の隣に立ち、様子を窺う。千巫はどんな状況に転んでも、実赤の味方をするつもりで、


「実赤ちゃん?」


 緊張感を全身にまとったままの実赤、その視線はアンネへと注がれている。

 アンネは実赤を襲った人物だ。警戒しても仕方では片付けられないものがある。

 眼光は鋭く、臨戦態勢のまま、細く長く息を吐き出した。


「千巫、妾の後ろに隠れておくがよい」


 こくりと頷いて、世界で一番頼もしい背中に隠れる。ほとんど同時に衝撃が風となって千巫の横を駆け抜けた。

 反射で瞑った目を開けば、薄ピンクの髪と長すぎるピンクの髪が混ざりあう光景が映し出される。

 一気に距離を詰めたアンネの拳が実赤の掌に制されている。


「アンネ、彼女たちは協力者だ。落ち着いて――」


 拳が通じないと判断したアンネは凄まじい蹴りを放つ。それもまた実赤は容易く受け止める。

 攻撃の手を止めないアンネに璃尤の声が届いていないように見える。


「まだ操られているんですの?」


「そんなはずはないが……射程範囲を出ていないのか?」


「騙されているんではありませんの?」


「イチは彼女を敵視しているようだが、それは有り得ないよ」


 術者である流琵が離れれば、アンネは正気に戻るはずだった。しかし、仲間の言葉、意味を貸さず、攻撃を重ねる姿はとても正気には見えない。

 嘘だったのか、と向ける厳しい目には、千巫と同じく予定外の状況に戸惑っている姿が映る。


「標的の戦力分析を変更。戦闘モードをαからβに変更」


「ようやく口を開いたと思えば、眠たいことを言うものじゃの。やはり会話する気はないか?」


 余裕に満ちているように見える実赤だが、焦りを滲んでいることが千巫には分かる。

 吸血鬼としての力を発揮した今、互角に立ち回ることができても決定打に欠けるといったところだろう。

 長期戦になれば、やはり疲れ知らずの機械の方に軍配があがる。


「なるほどね……。今のアンネは暴走状態にある。操られていたことで制御機能に異常をきたしたんだろうね」


「どうしたら止められるんですか?」


「残念ながら……壊すしかないだろうね」


 感情を押し留める声で璃尤はそう言った。残酷な事実を突きつけて、すぐに遠くを見るように笑った。


「奇跡が起きてくれたら別だがね」


 まるで奇跡を期待しているように璃尤はそう言った。

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