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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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33「誘木千巫の場合」

 千巫の声はとても小さい。とても、とても小さい。他の音に簡単に埋もれてしまうほどに小さい声。

 決して長くはない人生の中で聞き返されたことは数えきれない。


「千巫? ごめんなさい、もう一回言ってもらえる?」


「ごめん。誘木さん、もうちょっと大きな声で言ってくれないかな」


「誘木、もっと腹から声を出せ!」


 みんな、意地悪をしたくて聞き返しているわけではないのは分かっている。

 声が小さくて上手く聞き取れていないだけだ。分かっていても千巫は聞き返されるのが苦手だった。大きな声を出せと言われるのが苦手だ。


 とてもとても小さい声でも誰かと話すとき、千巫は大きな声を出すように心掛けている。

 聞き取りやすいように、聞き返されることがないように千巫なりに声を張り上げる。

 息を吸って、お腹に力を入れて、声が大きくなる方法を調べて、それでも結果は変わらず。誰かが悪いわけじゃないからどうにもならない。


「今日、ご飯何がいいー?」


「ハンバー」「私、唐揚げがいい!」


 無邪気な妹の声に紡ごうとした言葉が掻き消される。それもいつものことだ。

 明るく、はきはきと喋る妹は自分の意見を話すのも上手い。

 千巫は自分の意見を言うのが苦手だ。声が届かないので、どんどん自分のことを言わなくなった。


 聞き返されることは相手にとっても、千巫とってもストレスになる。小さい声のせいで会話もままならず、首振りだけが千巫コミュニケーションとなった。

 頷いて、首を横に振って、ときどき傾げて。そうすれば話すよりも円滑に意思を伝えられる。


「千巫は本当に無口よね。紗千(さゆ)とは大違い」


 聞き返されることが減った代わりにそう言われることが増えた。

 無口で、自分の意見がない子。そう言われるたびに、心の中では多弁に否定していた。


 そんなことはない。そんなわけがない。千巫にだって言いたいことがある。

 いつも届かないだけで、ちゃんとあるのだ。ああ、でも、誰にも届かない者なら――。


「――それはないのと同じじゃない」


 不意に聞こえた声は千巫の心根を表していた。

 驚いて足を止めた拍子に誰かとぶつかり、尻餅をついた。声に気を取られていた千巫は突然の衝撃に目を瞬かせ、一呼吸呆然とする。


「ごめんなさい。大丈夫? 怪我はない?」


「だっ、大丈夫」


 こくりと頷きながら、差し出された手を取って立ち上がる。

 ぶつかったのは二、三歳くらい上の少女だ。特徴らしい特賞のない少女は作り物のような笑顔を浮かべている。仄かな恐怖を抱く千巫に少女は首を傾げた。

 薄い唇が開く様を微かな怯えを抱いて見つめる。


「大丈夫ならよかった。ごめんね。私、急いでいるから、またどこかで」


 少女は千巫に対してそれ以上何か言うことなく去っていく。翻るセーラー服の裾を見届けて息を吐き出した。

 よくある些細な接触。名前も分からない彼女との出会いで蟠っていた感情に音がついた。


 誰にも聞こえない声ならないのと同じだ。誰にも届かない声ならないのと同じだ。

 失いたくないと思うなら、届けるために努力を重ねるべきなのだ。頑張って、頑張って、無理をしてでも自分の想いを届けるのか千巫のすべきこと。


 努力もしないで自分のこと分かってほしいなんてただの我が儘。

 それでも千巫は思うのだ。無理をしなくても、頑張らなくても、努力などなくても小さな千巫の声が届く人がいたらいいのに、そんな身勝手なことを思うのだ。

 もし、そんな人がいてくれるのなら千巫はもうそれだけでいい。


「我が名は実赤。千逆実赤じゃ。吸血鬼の真祖である」


 中学校に進学し、緊張に呑まれた千巫の耳にそんな堂々たる名乗りが滑り込んだ。

 一人一人、自己紹介をしている最中のことである。誰もが目立たないように無難な名乗りをする中で、たった一人、そう名乗り上げた。

 ざわつく教室、向けられる奇異の視線を構わず、その少女は快活に笑った。


「我が眷属になりたいものは名乗りあげるがよい。いつでも歓迎するぞ」


 すごい子だな。実赤に対する最初の印象はそんなものだった。

 周りの目を気にせず、自分を貫く姿が千巫とは縁遠いものだ。きっと関わりを持つことはないのだろうとそう思っていたから、他人事のような印象だけを抱いた。


 それが変わったのは入学式から一週間経った頃だ。


 通学路にしゃがみ込んでいる少女を見つけた。側頭部で括られた薄ピンク髪に改造された制服ですぐに実赤に戸惑って足を止める。

 帰り道、蹲っているように見える実赤に戸惑って足を止める。

 体調が悪いのかもしれない。迷って恐る恐る近付いていく。


「ぁ、あのっ」


 震えた声で紡いだと同時に実赤が振り返った。黄色の目が急にこちらを向き、思わず息を呑む。

 言おうと思っていた言葉が飛んで、戸惑いに支配されるがままに瞳を揺らす。


「そなたはクラスメイトの……誘木千巫と言ったか? 妾に何か用か?」


「あ……えと、しゃ…しゃがんでた、から……気分がっ、その…わっ悪いのかと、思って」


「ふむ、妾の心配をしてくれたのか。感謝するぞ。じゃが、杞憂である」


 立ち上がって実赤は腰に手をあてて、胸を張って千巫と向かい合う。

 上がった口角が確かに千巫の心配は杞憂であると証明である。


「なん、で……?」


「花じゃ。道路に隙間にたくましく咲いておっての」


 示されて覗き込めば、確かに小さな花が咲いていた。同じ通学路を使っている千巫はまったく気付かなかった。

 自分を貫き、周りを見ていないように見える少女が誰よりも繊細に世界を見ていた。

 その事実に驚き、同時にある事実に気付いて戦慄した。


「私のっ、声……聞こえてる、の?」


「話しておるのだから当たり前であろう?」


 当たり前などではない。聞き返されることなく、会話を続けるなんて千巫の人生でかなり珍しいことだ。

 道端に咲く花に気付いたのと同じように実赤は千巫の声を拾い上げた。

 声が届く。些細にも思えることがどんなに嬉しかったか、誰にも想像できないだろう。


 その日から自然と二人は仲良くなった。どちらかが話しかけたとか、そういうことはなくて気付いたら二人一緒にいることが多くなった。

 クラス内で少しずつグループができていく中で、あぶれた二人が仲良くなった。傍から見て、そう思う人も多いのだろう。けれど、違う。互いに惹かれて、互いに選んで仲良くなったのだ。


 〈不明(レムレース)〉のメンバーになったのは実赤と仲良くなってさらに二、三ヵ月経った頃。

 千巫が己の身に宿る不思議な力を告白したのがそのタイミングだからだ。

 平たく言えば、透明にする力。見知らぬ少女とぶつかったときから不思議と使えるようになっていた。

 なんと実赤も不思議な力が使えるらしい。同じように不思議な力を持った人たちとチームを組んでいるのだと実赤は言った。


「興味があるのであれば、千巫も来るがよい。ルシーも衣兎も歓迎するであろうよ」


 自分以外に実赤が仲良くしている人のことが気になった。

 それは嫉妬に近い何かかもしれないし、もっと別の感情かもしれない。自分でも明確な答えを見つけ出せないまま、本能に従うように実赤の誘いに乗った。


 不思議と緊張はなかった。きっと実赤がいるからだろう。

 実赤が一緒なら千巫は何も怖くない。あの日、あの通学路で、実赤が、実赤だけが千巫の小さな世界に足を踏み入れてくれたのだから。


「千巫もきっとあの二人を気に入るであろう」


 妙に嬉しそうな実赤に案内されたのは高級住宅街にある一軒家だった。

 高貴な空気をまとっているように思える道を実赤の先導を歩く。

 実赤は慣れているようで、歩みに迷いがないどころか、堂々とした歩みだ。そこまで考えて即座に否定する。実赤はどこにいたっていつも堂々としている。


 目的地に辿り着き、実赤は電子錠を操作した。解錠の音とともに無遠慮に玄関扉を開けた。

 促されるまま、千巫は初めて他人の家にインターフォンなしで足を踏み入れた。


 高級住宅街らしく高そうな靴が並ぶ中で、やけにくたびれた靴があるのが目に留まった。


「千巫、行くぞ。二人ともすでに待っているようじゃ」


「う、ん」


 実赤の厚底ブーツの横に、ローファーを並べて後ろに続く。

 リビングと思われる場所には二人の人物が待っていた。


 一人は整った顔立ちに、整った肉体を合わせた美人。白と黒、二色で構成された髪を四つに分けで結っている。引き締まり、出るところは出た完璧なプロポーションを包むのは白いセーターワンピース。

 モデルと勘違いしてしまいそうなほど美しい女性だ。


「いらっしゃい。私は佐汰ルシー……〈不明(レムレース)〉のリーダーよ。ルシーちゃんって呼んでちょうだい」


「この家の持ち主でもあるぞ」


 高級住宅街らしく広すぎる家に暮らしている人物にも見えない。

 若すぎる。ルシーは精々二十代前半だ。部屋の様子を見る限り、誰かと暮らしているようにも見えない。こんな広い家で一人で暮らしているようだ。


「知人の出資で買ったに過ぎないわ」


 もう一人はもこもこのパーカーを羽織る癖毛の少女だ。髪をサイドテールにしている。

 漂う空気は眠たげで向けられる目もどこか眠たげだ。気怠げとも違う、穏やかで柔らかな佇まいはなんとなく安心感がある。


「初めまして、僕は柚芽衣兎だ。衣兎と呼んでくれて構わないよ」


「ぇ、と……わ、私は……誘木千巫です」


 上擦った声での名乗りを美貌の微笑みと、穏やかな微笑みが受け止める。


「千巫ちゃんね、飲み物は何がいいかしら? お茶とコーヒー、紅茶、リンゴジュースなんかもあるけれど」


「お茶、で」


「お茶ね、OK。実赤ちゃんはコーヒーでいいわよね」


「うむ。神から賜いし幸福の粉と、聖なる雫も忘れるでないぞ」


「砂糖とミルクね。分かってるわ」


 難しい言い回しを好む実赤の言葉を即座に理解して、ルシーはキッチンの方へ消えていく。

 実赤のことだけじゃない。ルシー、衣兎も小さな千巫の声を聞き返さずに聞いてくれる。実赤以外では初めてのことだった。


「ああ。僕は耳が良い方でね。妹たちの相手をしていたら自然とね」


 衣兎は弟妹がたくさんいるらしい。忙しい母の代わりに世話をしていて、自然と耳が良くなったと語る。きっと優しい人なのだ。

 自然と耳が良くなるほど、妹の声に耳を傾けている姿が容易に想像できる。


「私は耳が良いわけではないけれど、少しだけ読唇術が使えるのよ。千巫ちゃんの声はまったく聞こえないってほどでもないから簡単よ」


 差し出されたコップを受け取って小さくお礼を告げる。それもきっと読唇術で読み取ったのか、「You’re welcome」と美しい微笑みが返ってきた。

 実赤以外にも千巫の言葉が届く人はいたのだ。もしかすると三人以外にもいるのかもしれない。


 世界は広い。千巫が思っているよりもずっとずっと広いのだと今更知った。

 勝手に諦めてしまっていただけで、千巫の世界ももっと広がる可能性も秘めているのだ。

 それを最初に教えてくれたのは、可能性を最初に示してくれたのは実赤だ。だから――。






 細い身体が軽々と吹き飛ばされる。真横から蹴り飛ばした衝撃に苦鳴を零す。

 呼吸が一瞬止まり、息を吐き出したとともに地面を転がる。半ば叩きつけられるように転がった千巫はその目で下手人を見つめた。


 反動で揺れる長いピンク髪を目に収め、その隙間から覗く端正な顔を目に焼き付ける。

 近未来的な衣装をまとう長身の女性。完成されたシルエットの中で片腕の手首から先が歪に潰れているのが見える。剥き出しになっているのは肉でも骨でもなく、金属や導線で彼女が人間ではないことを教えてくれている。


「あな、たが…アンネ。実赤ちゃんの仇……許さない」


 擦り傷だらけ、痛みを訴える足を叱咤して立ち上がる。微かに震える身体を無視して目の前の敵を睨みつける。激情を青目に乗せて、ルシーからもらった武器を構える。

 千巫の能力に合わせて用意された細い糸。鋭利さを持ったそれをアンネへと向けた。

 独断で動き、今は敵を前に一人きり。でも、繋がるものがあるから怖くない。

挿絵(By みてみん)

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