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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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32「狷介の少女」

 病院から帰る道中、千巫は実赤が襲われた思われる場所を訪れていた。

 塾帰りということなら、この道だろう。実赤の通う塾から家までの道、実赤がいつも通っている道を辿る。


 どこかに実赤をあんな目に遭わせた下手人の手掛かりが落ちていないか、と。


 ルシーが調べてくれると言っていたが、何もせずに報告を待っているだけなんて千巫にはできなかった。

 少しでも早く、一秒でも早く、実赤を傷付けた相手を見つけ出さなければならない。


 許せない。許すことなどできるはずがない。絶対に仇を討ってやる。実赤を傷付けたことを後悔させてやる。

 強い怒りと憎しみをまとう暗い光が杜若色の瞳に宿っていた。


 灯る暗い覚悟を抱き、少しの欠片も見逃さないと歩む道を注意深く見渡る。

 けれど、相手の手掛かりになるものどころか、血の一滴すらも見つからない。この道のどこで襲われたか分からないまま、探るのは無謀だったかもしれない。


 実赤を見つけたルシーに聞けばいいのだろうが、反対されるのが目に見ている。

にしても、血の一滴すら見つからないというのは不思議だ。

 実赤は鋭い刃物で貫かれ後に銃弾を浴びせられたようだとルシーが言っていた。

 流れた血の量は決して少なくないはず。それが見る影もなく消えているのは不自然だ。

 大怪我を負った実赤を前にルシーが、証拠隠滅のため血の処理をしたとも考えられない。そこに何か犯人と繋がるものがあるのか、もっと違う意味があるのか。


「知りたいことがあるのなら私が教えてあげましょうか、可愛いお嬢さん」


 季節外れの黒いコートがまとわりつく長い足が地面を叩いた。

 その音で振り返った千巫の目に映るのは鋭い美人。

 切れ長の目に、長めのウルフカット。鎖のついた服に、蛇のイヤーカフ。

 一目で分かる。怖い人だ。それが優しそうな顔と声で語りかける姿に恐怖を覚えた。


「だれ……ですか」


「ハローワーカーの人間よ。貴方も聞いたことがあるでしょう? ハローワーカーには情報に長けた者がいるっていう話。私がその能力者なのよ」


 千巫はハローワーカーの人間に会ったことがない。その存在を知っているだけで、見知らぬ人をの言葉を素直に信じることはできない。瞳に警戒を乗せて見つめる。

 微笑んで警戒を受ける女性はただ立っているようで少しも隙がない。


「教える、って……な、なにを、ですか」


「――千逆実赤を襲った犯人の名前」


「……っ知って、るの?」


「ええ、もちろん。そういう能力だもの」


 迷う。実赤を襲った犯人のことは知りたい。でも、どこまで信用できる話か分からない。

 視線を落とす千巫は固く握りしめた白い手を見つめる。そこにあるのは迷いだ。


 今の行動は千巫の独断だ。下手に動いて〈不明(レムレース)〉に迷惑をかけたくなくて、でも譲れないものもあって。大切なものを二つ比べて迷い、意を決して顔をあげる。

 射抜くような気持ちで、目の前の女性を見つめた。


「教えて! 私のもの、なら……なんでも、あげるからっ教えて……お願いっ」


「MaveRickのアンネ・D・ロマイド。ピンク髪の、アンドロイド」


「……MaveRick。アンネ・D・ロマイド」


 アンドロイド、つまりその身体は機械ということだ。短い説明の中で、実赤が負けた理由を悟る。

 きっと吸血できなくて、身体強化も治癒もできなかったに違いない。


 実赤が負けた相手に千巫が勝てるか分からない。それでも構わない。

 この身がどれだけ傷ついても、その先で命を落とすことになっても、仇は討つ。例え、実赤に怒られることになっても。

 千巫がようやく見つけた大切な世界を壊す者を絶対に許すことなどできないのだから。


 ●●●


 手にメモ帳と、買い物袋の中身を見比べる。一つ一つ念入りに確認して、菊理は頷いた。


「買い忘れはないかい?」


「はいっ。ばっちりです」


 傍らに立つのはボーイッシュな女性だ。女性にしては身長が高く、女性にしては声が低い。

 裏切り者と認定され、一時はMaveRickから距離を取っていた璃尤ではあるが、今はすっかり元通りの関係性だ。仲良しに戻れて、菊理はとても嬉しい。

 やっぱりメンバーは仲良しの方がいい。今日は璃尤とロゼ、そして菊理の三人で買い出しに来ている。


 今まで一緒に来ていたアンネが今はいないので二人に同行してもらった形だ。

 状況が状況なだけに、非戦闘員である菊理の護衛も兼ねている。同じ非戦闘員でも戦える璃尤とは違って、菊理はまったく戦う術を持っていないのだから。


「終わったのならさっさと帰りますわよ」


「イチはせっかちだね。そう急ぐこともないんじゃないかい?」


「いつ、敵が来るか分からない以上、早く帰るにしたことはありませんわ」


「急ごうが、ゆっくりしようが襲われるときは襲われるさ」


「油断禁物って言葉を知りませんの。あと、イチと呼ばないでくださいまし」


 言い合う二人のやりとりはいつも通り。言葉の雰囲気を裏切る声音を菊理はにこにこ笑って耳に傾ける。仲が悪いようにも見える、仲の良い二人の会話が菊理は大好きだ。


 笑顔を満点に浮かべる菊理は微かな足音を捉えた。

 人並みを軽く外れた菊理の耳ですらも、辛うじて聞こえた程度の小さな足音だ。


 妙な既視感とともに振り向いた先に人影はなく、やはり既視感を覚える状況に首を傾げた。

 確かに足音が聞こえたはずなのに。


「ごめん、ね」


 鼓膜を微かに震わせる声は聞き覚えがあって、その答えを思い出すよりも先に口を塞がれた。

 驚く声すらも白い手に塞がれた菊理は、遅れたその正体に気付く。

 小さな足音に、小さな声。少し前に聞いた覚えのあるそれらは〈不明(レムレース)〉の少女の者だ。


「おや、驚いた。君は確か、〈不明(レムレース)〉の幽霊、誘木千巫だね」


「何を悠長なことを言っているんですの。貴方、早く菊理を離しなさい。撃ちますわよ」


 少し遅れて菊理の状況に気付いた二人は二者二様の反応を見せる。

 璃尤は黒瞳に丸くして少女、千巫の正体を明かし、ロゼは警戒とともに古銃を突きつける。

 向けられる銃口に身体を震わせながらも、千巫は菊理から手を離さない。背中越しに聞こえる心音は早く、緊張しているのが窺える。


「っ教え、て」


 微かな声が空気を揺らし、ロゼが眉根を寄せた。璃尤もわずかに首を傾げたように見えた。


「なんですの? もう少し大きな声で言ってくださいまし」


 眉根を寄せたままの問いかけに千巫は再び肩を震わせた。

 千巫の声はとても小さいもので、近くにいる上に耳の良い菊理以外が聞き止めるのは難しいだろう。


「……っ、お、教えて……貴方、たちのっ、な、仲間のっ場所。……アンネって、人の居場所」


 大きな声を出すのは慣れていないのだろう。不自然に震えた声を聞いたロゼはさらに険しい顔をした。

 今度は聞こえなかったわけではなく、千巫の言葉に対する反応のようだ。

 身体を、声を震わせる千巫は銃には屈しないと目だけは強くロゼに向けた。


「教えて! このっ、子が……どうなっても、いいの?」


「そんな怯えきった声と態度でわたくしたちが従うとでも? 悪いことは言いませんから早く菊理から手を離しなさいな。わたくしも弱い者いじめはしたくありませんの」


「わた、私は……弱くない、よ」


 言って、千巫は一歩下がる。菊理の口を塞いでいた手が離れる。だから自由になったと聞かれれば、それも違う。

 細い糸のようなものが両手に巻きついて身動きを封じている。首にも糸が巻かれた感触があって、無意識に身体を強ばらせた。ほんの少し動いただけでも首を絞められてしまいそうだ。

 絞められるだけならまだいい。食い込む細い糸は菊理の首を容易く落としてしまいそうだ。


 死が寄り添っている緊張感があった。

 菊理は特別死を恐れてはいない。死が当たり前にある環境で育った弊害は今も働いている。

 首にかかる糸は恐怖を齎さず、死の緊張感にも表情も変わらない。

 青碧の瞳は状況を理解していないかのように純真な光を湛えている。


「教えてくっ、くれないと……このっ子の首、落とす、よ? 本気、だから」


「イチが煽るから怒ってしまったじゃないか。どうするんだい?」


「ぅうるさいですわね。少しは悪いと思っていますわよ」


 悪化した事態に責任を感じるロゼに対して、璃尤の態度は軽い。

 仲間の命が脅かされている事実などないように。菊理の首にかかる糸は本当に細いもので、璃尤は気付いていないのではとすら考えてしまうくらいに緊張感がない。


「期待に応えられず申し訳ないが、自分たちはアンネの居場所を知らない」


「う、そ。な、仲間なのに……し、知らない……なんて信じない、から」


「まあ、そうだろうね。自分だってその言葉だけで信じるとは思えない」


 肩を竦めて、流れるように言葉を紡いでいく璃尤。

 状況に呑まれず、場に流されない態度に千巫に返す言葉に迷っているようだった。


「ならば仕方がない。敵相手に情報を与えるのは本意ではないが」


 勿体ぶる璃尤の言い回しに千巫はじれたような視線を注いでいる。

 璃尤はその反応に値踏みの視線を送り、待たせず再び口を開いた。


「アンネはハローワーカーの人間に奪われた。機械を操る異能者がいて、今は彼女の言いなりだ」


 璃尤の言葉には淀みがなく、すらすらと言葉を並べ立てる。

 黒瞳は千巫に向けられ、逸らさないどころか、瞬きすらしない。疚しいことはないと視線で告げ、迷う千巫が口を挟む隙を与えず、言葉を紡ぐ。

 千巫は何か考えているようだった。杜若の瞳が迷い、悩み、揺れ動く。


「ハローワーカーの人に何か言われたんですか?」


 確証はない。なんとなくそう思って口にした。音が聞こえた気がした。

 その問いに千巫の目が一際大きく揺れた。驚きに見開かれ、菊理を顧みる。


「図星みたいですわね。龍、貴方のお友達が何か吹き込んだのではありませんの?」


「本当にイチは彼女のことが嫌いのようだね」


「少し前まで敵だった相手を簡単に信用できるわけがありませんわ」


 二人が話しているのは詩折のことだ。ハローワーカーの人間。敵という立場にありながら、MaveRickに力を貸してくれると言ってくれた優しい人だ。

 彼女の声は真摯で誠実で嘘がない。だから菊理は無条件に信じているが、他の人はそうもいかないだろう。


「今回の件、彼女は関わっていないよ。他のメンバーのことは分からないが、人を誑かすという点を見れば、他にも怪しい人はいるだろう?」


「その断言は頷けませんけれど、怪しい人っていうと――」


「蛇さんのお姉さんですね」


 MaveRickのリーダー、蛇の姉、瑞月五和は詐欺師と名乗っているという。

 詐欺師というのは人を騙す人のことだとか。この間はMaveRickに裏切り者がいると先生を騙していて今回も、というのもない話ではない。璃尤は遠回しにそう言っているのだ。


「誰の、こと……?」


「水瀬真白の協力者だよ。騙すことに長けた御仁さ」


「騙、されて……? でもっ、貴方たちが、ほ、本当の、ことを…ぃ、言ってる、とは限らない、から」


 説得されて、菊理の拘束が解かれるなんてことはなく、千巫は揺るがない視線を示す。

 想定よりも意思は固いと璃尤は肩を竦める。気弱な雰囲気の千巫ではあるが、見た目の儚さとは対照的に強い人らしい。


「全部は、信じない」


 小さな呟きとともに何かが走る音が聞こえた。多分、糸だ。

 細い糸は光の反射すらなく、存在を完全に消して宙を走る。その存在を目で捉えたときにはロゼの古銃に何重にも巻き付いていた。


「銃を封じられた程度、大したことではありませんわよ」


 銃口が塞がれた古銃がロゼの手の中で空気に解ける。そして、すぐ再構築された。

 まったく同じ銃がその手には握られている。すぐに引き金が引かれ、放たれた種が菊理のすぐ横を駆け抜けた。共に吹き付ける風が髪を揺らした。


「あ、取れましたっ」


 首に巻き付いていた糸が解けてなくなっている。

 話に気を取られている隙を突いて、菊理を解放するために動いてくれたらしい。

 いつの間にか背後に回っていた璃尤が腕の糸も解いてくれた。これで完全に自由になった。


「ありがとうございます」


「礼には及ばないよ、と」


 周囲に視線を巡らせる黒瞳が警戒を纏う。

 千巫の姿がなくなっている。千巫の気が逸れた隙に菊理の拘束を解いたように、菊理たちの気が逸れた隙に千巫の姿が消え失せていた。

 自由になった手を耳に当て、菊理は周囲の音に耳を澄ませる。微かに聞こえる足音。


「ロゼさん、後ろですっ」


 反射で振り返るロゼは空いて手に短い古銃を握り、引き金を引く。

 放たれる種が発芽し、茨がうねる。鋭利な棘を備えたそれは一呼吸の間に細切れにされる。

 構わず、ロゼは数度引き金を引く。発砲音の中、菊理は足音を拾うことに集中する。


「姿を消されると厄介なものだね。菊理、自分の後ろから離れないでくれ」


 警戒を巡らせる璃尤の影に潜むようにして目を瞑り、耳を澄ます。

 そうしなければ聞こえない足音を探して――何かが倒れる大きな音が響いた。


 鼓膜を刺す大きな音に肩を震わせ、目を開く。反射的に目を向けた先では看板を倒れていた。

 その音だったのか、と胸を撫で下ろす菊理の耳が走る音を捉えた。千巫の足音だとその辿る道を探る。その延長線上にいるのは――。


「ロゼさんっ」


 振り返るロゼの横で刃がきらめいた。菊理も璃尤も看板が倒れる音に気を取られて、間に合わない。

 どう足掻いても、刃がロゼの身体に呑まれるのが早い。

 冷静さの中に焦りを滲ませる璃尤がその指で自身の足をなぞる。銀に輝く文字が浮かぶ足が地面を蹴るよりも先に、ロゼへ迫る刃が吹き飛ばされた。

 いや、吹き飛ばされたのは刃ではなく、それを握る千巫の方だ。


「あれは……」


 千巫は蹴り飛ばしたその人物が目の前に着地する。反動で揺れる長い、長すぎるピンク髪を菊理は驚きとともに見つめていた。

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