3「メンバー紹介」
璃尤に先導される形で共有スペースへ向かう。
MaveRickのメンバーは菊理を除いて八人いるのだという。菊理が会ったことがあるのは今いる三人と、ここに連れて来られる前に会った一人だけ。
まだ会っていないのは四人。まだ半分も会っていない人がいるとわくわくを表情に乗せた。
璃尤が共有スペースに続く扉を開け、鮮烈な赤が飛び込んできた。
真っ赤なドレスをまとった少女が扉の前で仁王立ちをしていた。薄い唇は真一文字に結ばれ、赤い目は鋭く菊理を見ている。値踏みする視線を受けて、なんとなく背筋を伸ばす。
何と声をかけるべきだろうか。初めまして? もっと気の利いた言葉の方がいいだろうか。
菊理の語彙では適当な言葉は見つからない。と、菊理が考え込んでいる間に璃尤が一歩、赤い少女に近付いた。
「もしかして、ずっとそうしていたのかい? そんなに眼光を鋭くしていると後輩が委縮してしまうよ」
「自分の役割すらまともに果たせない無能はお黙りなさい」
鋭い眼光と同じように鋭い言葉が璃尤へ浴びせられる。それを避けもせず、全身で受ける璃尤は笑みとともに肩を竦める。
傷付いた素振りを欠片も見せないままに璃尤は口を開く。
「それは生き残りの存在を見落としていたことに対して言っているのかい? 何度も言っているが、自分の能力は記憶を見ることだ。人の記憶とは曖昧なものだとも言った。自分が齎す情報を信じきるのは危険な行為だとね」
低すぎず、高すぎないちょうど真ん中を奏でる声が流麗に言葉を並べ立てる。
澱みなく流れる声に赤い少女の顔がみるみる変わっていく。怒っているとも、照れているとも言える表情で璃尤を睨んでいる。
「気にすることはない。イチの物覚えの悪さは今に始まったことではないからね」
「物覚えの悪さで貴方に言われたくありませんわっ。イチと呼ぶなと何度言ったら分かりますの。わたくしはロゼですわ!」
足で乱暴に床を叩きながら、赤い少女が璃尤へと歩み寄る。縦巻きにされたツインテールが彼女の感情を表すように激しく揺れる。黒髪と赤いリボンが混ざりあって激しく。
「はいはい。じゃれあいはそこまで。ロゼ、菊理に自己紹介しぃ」
「…っ……。言われなくても分かっていますわ」
込み上げる万の言葉を呑み込み、赤い少女は改めて菊理に向き直る。
立て直すことは不可能を判断したのか、表情に先程のような鋭さはない。羞恥心からか、頬を仄かに赤くして咳払いをする。
「わたくしは薔薇、貴方には特別にロゼと呼ぶことを許可しますわ。くれぐれも、っくれっぐれも、あの馬鹿のようにイチなどと呼ばないように」
「え、っと……?」
詰め寄り、捲し立てるように告げられる言葉に首を傾げる菊理。
その袖が誰かに引っ張られる。首を傾げたまま、そちらへ目を向ける。
ぱちりと目が合う。ガラス玉のように透き通ったターコイズの瞳が真っ直ぐ見つめている。
幼い少女だ。菊理よりも明らかに年下、おそらく小学生くらいだろう。長く伸ばされた金髪はもこもこで、最近見た覚えがある。考えて、目覚めてすぐに見たのだと思い出した。
「あのね、ロゼちゃんは名前で呼ばれるのが嫌い、だから」
「そうなんですか。教えてくれてありがとうございますっ」
精巧な人形を見紛うほど端正な顔がたどたどしく紡ぐ言葉。初めて会った人物への緊張を滲ませながらも、赤い少女改めロゼへの深い親愛が込められている音だ。
高圧的なロゼの態度を誤解してほしくないと震えるターコイズの瞳が、菊理の返答で安堵する。
緩んだ表情が仄かな笑みを描き、愛らしい顔を彩る。
「私は菊理と言います。鼓田菊理です。貴方のお名前を聞かせてもらえますか?」
「コードネームは人形。……雛って呼ばれてる」
「雛さん、ですか。よろしくお願いします」
「う、ん。名前、小雛だから……形城小雛」
小雛は本名を隠していない人らしい。ロゼは隠している人なのだろう。
璃尤から聞いた話を思い出して、うんうんと頷く。こちらから聞くのはご法度という部分も改めて確認して頷く。
その裏で璃尤とロゼが何やら言い合いをしている。璃尤が何か言って、ロゼが怒っているようだ。
怒っているのに聞こえる声は怒っているとは違うから不思議だ。
「二人は仲良しさんなんですね」
「んっ……仲良しなの、好き」
小さな声に大きな頷きを返す。二人の会話にロゼが反論の声をあげているのが聞こえるが、本気ではないことが菊理の耳には伝わっている。照れている、が一番近いかもしれない。
「ご歓談中失礼します」
ふと無機質な声が耳朶を打つ。機械音が混じる声の主は不思議な雰囲気の女性だった。
ピンク髪を長く、膝の辺りまで伸ばしている。癖のないストレートの髪は一房だけぴょこんと跳ねている。身にまとう服はどことなく近未来的な空気を感じさせる。
「菊理さん。ワタシもご挨拶させていただいてよろしいですか?」
「はいっ、もちろんです。ってあれれ? なんで私の名前を知っている人ですかっ⁉ びっくりです」
「先程、雛さんに名乗っていらしたので、馴れ馴れしかったでしょうか?」
「いいえ、どんどん呼んでください! 名前も喜びます。私も嬉しいです」
「名前が喜ぶ、ですか? 聞いたことのない表現です。勉強になります」
眉根を寄せ、不可解そうに動かされた顔が神妙に頷く。
なんとなく固い印象があった顔が表情を乗せたことに少し驚いた。
肌の質感はなめらかで水色の瞳はガラスのよう。小雛の目を見たとき、ガラス玉のようだと思ったが、彼女は別の意味で同じ印象を受ける。彼女を構成するもの、すべてが無機質だ。
「改めまして、ワタシは自立思考戦闘機―零、アンネ・D・ロマイドと申します。MaveRickでは機械の名を頂いております」
「ぜろで……あんねで、ましーん、ですか……?」
澱みなく紡がれた言葉に追い付かない頭が傾く。たくさん名前があって混乱する。
どれで呼ぶのが正解なのだろうか。コードネームが機械なのは分かる。では、自立思考戦闘機―零とアンネ・D・ロマイドはどっちが名前なのだろう。分からなくてさらに首を捻る。
「呼ぶときはどうぞ、アンネと」
「アンネさん、ですね。よろしくお願いします」
深々と頭を下げれば、アンネも応じて頭を下げる。
とても丁寧で、とても不思議な人だ。見た目もそうだが、聞こえる音が他の人たちとは違う。
本来聞こえるはずの鼓動の音がアンネからは聞こえない。代わりにモーター音のようなものが奥で響いているのが聞こえる。研究者たちが使っていた機械から聞こえてきた音に近いかもしれない。
「アンネさんは機械さんなんですか?」
「はい。私は博士によって作られた人型ロボットです」
淡々とした返答に菊理は目を輝かせる。人間のような機会があるなんて夢のようだ。
菊理は耳がいいから気付けたが、他の人はきっと気付けないだろう。それぐらいアンネは人間にそっくりだ。
「菊理、こっち」
蛇に手招きをされて、ぴょこぴょこと歩み寄る。弾むような足取りに合わせて、外ハネの髪も弾む。
会えていなかった四人のうち、三人には挨拶をした。残すのはあと一人。
どんな人だろうか。すでに会っているメンバーはみんな優しくて温かくて、素敵な人ばかりだった。
最後の一人もきっと素敵な人だ。胸に期待の高揚感を抱いて、蛇の隣に立つ。
「くー様」
離れた位置で何かを読んでいた少女が呼びかけに応じて顔をあげる。
美しい少女だ。整った顔立ちは艶めかしさを宿し、自然と目が奪われる魔力に満ちている。
紫の瞳がこちらを向いた瞬間、鼓動が跳ねたのを感じた。
「新人さん、かしら」
妖しげな雰囲気と違わない艶めかしい声が奏でる。声色のわりにすっと耳に馴染む声は聞かせることに慣れているようにも思える。
「昨日の件で保護した菊理や。うちのメンバーになったから面倒見たって」
「初めまして、菊理さん。私は道化よ。よろしくね」
「鼓田菊理です、よろしくお願いします。……えと、クラウンさん?」
「呼び方はお好きにどうぞ」
喋り方も、仕草一つとってみても見られていることを意識しているように感じる。
おしとやかで艶めかしく、妖しくて美しい。洗練された所作は彼女自身だけではなく、周りの空間すらも飾り立てる。菊理もまた彼女の作り上げた世界の一部になるような感覚に呑まれていく。
「……っ、何を読んでいるんですか?」
声をかけたときからクラウンは手に本のようなものを持っていた。
形は本だが、本よりも大きくて薄い。使われている紙も、装丁も粗末なものだ。
「台本よ、興味があるならどうぞ」
差し出された台本とやらをお受け取って目を通す。
人の名前のようなものと、その下に文が書かれている。これはこの名前の人の言葉ということだろうか。
外側ばかりで本の中身を見たことがない菊理には違いがいまいち分からない。
「この役を私が演じるの。興味があるならチケットをあげるわ。リーダーといらっしゃいな」
「はいっ、行きます。約束です」
分からないことも行けばきっと分かる。知らないたくさんのことを菊理は知っていきたい。
交わした約束は未来へのわくわくを届ける。未知は楽しい。
「くー様が主演やないなんて珍しいなあ」
「主役でなくても輝く術はいくらでもあるわ。与えられた役割を真っ当することこそ、演者の誇りというもの。影に潜むなら闇で輝く。私の求めるものはそこにある――かもしれないわ」
クラウンの言葉は難しくて、意味が掴めない。けれども、そこに潜む美しさは感じられた。
紡ぐ声が、それによって震える鼓膜が心に打ち震えるほどの美しさを感じ取っている。
声音だけでクラウンの生き方や信念が伝わってくる。輝きに魅入られる。
「もういいかしら? 今日中に台詞を覚えてしまいたいの」
「戻ってええよ。邪魔して堪忍な」
「ありがとうございました。お邪魔しましたっ」
お辞儀をして、蛇の後ろに続く。見送る微笑を背中にした先で蛇が難しい顔をしている。
「猫は……はぁ、またどっかで寝てるんやろうな。共有スペースにいるよう言っとったんやけど」
面識はあるものの、挨拶はしていない最後の一人こと猫という人物を探しているようだ。
猫のことは菊理も知っている。暗闇ではったりとは見えなかったが、確かにここには見覚えのあるシルエットは見つからなかった。
「一応面識はあるわけやし、まあええか。……菊理をここに連れて来たのが猫、うちのエース様や。また挨拶させるわ」
蛇の言葉に頷いて応える。会えなかったのを残念に思いつつ、引き伸ばされた再会は未来へのわくわくを生む。会ったら何を話そうか考える時間もあって、楽しみが膨らむ。
MaveRickの一員として始まる人生も、菊理はたくさん楽しめそうだ。