27「大切なもの」
お洒落な人が集うお洒落なカフェ。佐紗がここに来るのは二度目だが、この雰囲気にはまだ慣れなくて、未だに肩身の狭い思いをしている。
運ばれて来たばかりのコーヒーで舌を湿らせ、心を落ち着ける。
目の前に座る人はお洒落な空気などには呑まれず、慣れた様子でコーヒーカップに口をつけている。
コーヒーを飲んでいるだけなのにとても絵になる、美しい女性だ。
「そう。裏切り者が分かったの。よかったわね」
瑞月五和。数日前に出会って友人になったばかりの女性だ。
季節外れの黒いコートに、鎖のついた服に蛇のイヤーカフ。怖そうな見た目に反して、とても親しみやすい性格で、MaveRickのことも知っているから佐紗にとっては話しやすい相手だ。
「浮かない顔ね。佐紗は嬉しくないの?」
「うれしい……そうよね、喜ぶべきなのよね」
自分たちを騙していた人が分かったのだ。
本当な喜ぶべきことのはずなのに、佐紗は何故だか喜べないでいた。
明るい気持ちが少しも浮かんでこず、複雑な感情が胸の中で渦巻いている。
「仲間だと思っていた人が裏切っていただもの。喜べなくても仕方ないわ。私の配慮が足りていなかったわね、ごめんなさい」
「いいえっ、五和ちゃんは悪くないわ」
クラウンが裏切り者は璃尤だと言ったとき、飛び出したロゼやクラウンの言葉を肯定したとき、佐紗の中には罪悪感があった。
あの日から数日経っているが、璃尤は一度も拠点を訪れていない。裏切り者だと疑われているのだから当然だ。
クラウンもロゼも裏切り者は璃尤だと確信を持って言っていた。判断する材料が二人の意見しかない中、佐紗もそうかもしれないと思う。
思ってはいるけれど、仲間内で疑い合う悲しい状況を生み出した罪悪感が佐紗の胸の中を占めていた。
佐紗が裏切り者の話を持ち出したから、こうなってしまった。そう思うと胸が痛い。
「龍ちゃんは悪い子じゃなかった。とても……良い子だったの。何か事情があったんじゃないかって」
「佐紗は優しいわね。だからこそ、心配だわ。優しすぎて潰れてしまうんじゃないかって」
心配そうに眉を寄せた暗い赤目が和らいで、佐紗を見た。
「なんでも話して。私にできることなら、なんでも協力するわ。友達ですもの」
佐紗は今まで友達と言える友達がいなかった。学生のとき、仲良くしてくれた子はいた。
母に言われて仲良くしていた子たち。裕福な佐紗を利用したかった子たち。
お互いがお互いを利用するために近付き、話を合わせて、そこに友情と呼べるものはなかった。
そう考えると、五和は佐紗が自分で選んだ初めての友達だった。
「――懐に入るのが上手いね。流石、詐欺師と言ったところかな」
ふと声が降ってきた。低めの女声とも、高めの男声ともとれる中性的な声。
感情を読ませない飄々とした声音のその人は、表情でも感情を読ませない。
「龍ちゃん……どうしてここに? それに…後ろの子は?」
南雲璃尤。話の渦中にあった女性が仄かな笑みとともに立っている。
白いシャツと黒いスラックスで包まれた身体の後ろに見覚えのない少女が控えていた。
切り揃えられた黒髪に縁取られた顔は理知的で、細いフレームの眼鏡も相俟って生真面目な印象を受ける。身につけている緑のエプロンのポケットから黒猫のぬいぐるみが覗いている。
「初めまして、私は丞院詩折と言います。ハローワーカーでは本屋と名乗っています」
端的な名乗りを驚きとともに聞いた。
クラウンが言っていた璃尤と一緒にいたハローワーカーの人間。彼女がそうなのだ。
でも、なんで二人揃って姿を現したのだろうか。バレたから隠れている必要がなくなったということなのだろうか。
「相席して構いませんか?」
「ぇ、ええ」
戸惑いながら了承すれば、璃尤と詩折がそれぞれ席に着く。
佐紗の隣に璃尤、五和の隣に詩折が座る形だ。二人が登場してから空気は少し張りつめ、緊張する。
「わざわざ席に着いたということは、口封じに殺すなんてこそはなさそうね」
「そんな野蛮なことはしないよ。そもそもこの状況で口封じなんて無意味、そうだろう?」
「私たちが……私が来たのは尻拭いをするためです。まさか、自分の立てた計画の尻拭いをすることになるとは思いませんでしたが」
来たばかりにも拘わらず、二人は場の主導権を瞬く間に奪ってみせた。
己のペースを貫く姿に空気までもが味方するのを感じた。それまで場の空気を支配していた五和は無言で話を聞く構えだ。
「単刀直入に言います。MaveRick内にハローワーカーに通じている裏切り者はいません」
有無を言わさない語調で紡がれた詩折の声。
否定する材料は佐紗の隣にいるのに口を挟むことすら憚られる。
「MaveRickを掻き回すため、裏切り者の幻影を使うことは元々私が立てていた作戦です。まさか、それを利用されるとは……」
「それが尻拭い? 貴方がすべきことを代わりにしてくれたとも言えるんじゃない?」
「今回は事情が変わりましたので、貴方の行いを止めさせていただきます」
「それだとまるで私が佐紗たちを騙しているみたいじゃない。心外だわ」
隣り合って座る二人の舌戦。視線を合わせないままの言い合いは張り詰めた空気を余計に張り詰めさせ、場の温度が下がった気がした。
「っその、事情が変わったって、何かあったの……?」
いたたまれなくなった佐紗の問いに二対の目が向けられる。
真摯な詩折の目と、どこか探るような五和の目。
「そちらにいる璃尤さんと話し、私個人としてMaveRickと敵対しないことにしました。平たく言うと個人単位での同盟を結ぶことにしました」
「……同盟」
「彼女の力は厄介だ。防ぐ術がない。だから、敵対することがないように事前に手を回していたんだ」
璃尤はMaveRickのために詩折と会っていたのだ。ならば、クラウンが言っていた、璃尤が裏切り者という話はただの勘違いだったかもしれない。
戦ったというのも、ロゼと言う通り、クラウンが仕掛けたのを相手しただけなのかもしれない。
裏切っていたわけではないという事実にほっと息を零した。
「なるほど、ね。ここに来るまでに準備していたの? 上手い言い訳を考えたものね」
安堵する佐紗とは対照的に五和は目を細め、警戒を滲ませている。
「MaveRickと同盟を結んで貴方に何のメリットがあるの? それは貴方の仲間を裏切ることでしょう。それだけの価値があるとでも言うつもり?」
「ハローワーカーは利害の一致でのみ繋がっている関係ですので、これは裏切りに値しません」
探るような視線を真横から受けながらも、詩折は淀みなく返答する。
焦りも動揺もない。佐紗にはこれが嘘だとは思えなかった。
「ハローワーカーとの繫がりよりも、私は彼女、南雲璃尤さんとの繫がりに価値を感じています」
「おや、そこまで言われると照れるね」
「彼女にそこまでの価値があるとは私には思えないわね。能力だって貴方の劣化版でしょう?」
照れる璃尤と、冷水を浴びせるよう厳しい言葉をかける五和。
五和の言いたいことは分かる。
璃尤が言うには詩折の能力には情報収集に特化したもので、知ることのできないことはないほどだと。
対して、璃尤の力で知ることのできる範囲には限りがある。能力的に見れば、詩折が璃尤を特別視する理由はない。
「それとも、隠している力でもあるのかしら?」
「そうだね。言っていない力があるのは事実だ。まあ、菊理やくー様に見せたことはあるから、隠していると言えるかは判断に困るところではあるがね」
暗い赤の目がわずかに見開かれる。予想外の返答だったのだろう。
佐紗もここまではっきり肯定するとは思っていなかった。璃尤にとっては隠すほどのことではないようで、その態度はあけすけだ。
「しかし、君は頑なだね。自分たちの話は一考の余地もないほどのものなのかい?」
「まるで私たちを悪者にしたいように見えます。誰かに指示でも受けているんですか?」
純粋に疑問を口にするような口振りで、その目には逸らせない強さがあった。
正直、佐紗は三人の話についていけていない。内容を理解しようとしているうちに次の言葉が紡がれ、話はどんどん進んでいく。
「口が上手い人間の言葉は毒薬と同じ。言葉を交わしただけ洗脳されてしまうわ」
「同じ手を使う人の言葉には説得力がありますね」
内容には追いつけていない佐紗ではあるが、五和と二人の間が冷え込んでいくのを感じた。
仲を取り持とうと思っても、佐紗には何を言うのが正解か分からない。
「このままでは話は平行線だね。では、自分が一石を投じよう」
警戒の色が璃尤を射抜き、それを気にしないままに続く言葉が紡がれる。
「――この場にリーダー、蛇を呼ぼうじゃないか」
余裕を保っていた五和の表情が初めて崩れた。すぐに元の余裕に満ちた表情に戻った五和の反応を見て、璃尤は満足そうに笑う。
五和は蛇の姉だ。仲の良い姉妹という話で、ここに呼ぶのは特に問題はないはずだ。
そんな佐紗の考えを、五和の表情が一時だけ否定した。でも、佐紗には表情の意味が分からない。
「構わないわ。あの子なら私の言葉を信じてくれるもの」
「それはどうかな。君と離れている間に彼女を成長している。いつまでの君の言いなりに動くとは思わないことだ」
瞬間、鋭い風が佐紗の頬を撫でた。
見開いた目に映し出されるのは逆手に持ったフォークを璃尤の首筋に突き立てる五和の姿だった。
激しい怒りを殺意に変えた目を、璃尤は涼しい顔で見返している。詩折もまた、涼しい顔だ。
代わりに佐紗が大きく驚いていた。五和がこんな反応を見せるとは欠片も思っていなかった。
「第三者に妹のことを語られて、嫉妬でもしたのかい?」
殺意を向けられながら、璃尤は挑発を重ねる。見つめ合う暗い赤と黒の瞳。
先に逸らしたのは五和だ。同時に突き立てていたフォークも下ろされる。
「興覚めだわ。遊びはここまでにしましょう」
微笑とともにそう告げて、五和は立ち上がる。
佐紗の方へ向けられる目は今までのような優しいものではなかった。対照的に冷え込んだ目に射抜かれ、息を詰まらせる。
「佐紗、騙されてくれてありがとう。これはそのお礼とでも思ってちょうだい」
テーブルにお代を置いた黒衣が翻る。言葉少なく立ち去る五和の姿に佐紗は困惑を描き続ける。
結局、話は分からないままで進んだ状況。この中で一つだけ理解できたことがある。
「私は、騙されていたの……?」
みんなの力になりたいとそう思っていたのに、また失敗してしまったのか。
●●●
カフェを後にした五和は物陰から姿を現した少女の姿に目を丸くする。
特徴らしい特徴のない少女だ。顔立ちは整っている方で純粋な愛らしさが灯っている。
纏うワンピースはシンプルながらも質の良さが窺える。それもそのはずで、彼女はこの六湊町を支配する水瀬家の令嬢なのだから。
「失敗したわ」
「残念。やっぱ一筋縄ではいかないかあ」
自然と肩を並べ、歩き出す。不必要に言葉を交わすことも、視線を交わすこともない。
彼女、真白との付き合いはそう長くない。直接顔を合わせたのはここ数週間のことで、それでも空気感から意気投合した。
重要視しているものと、それに対するスタンスが似ていてウマが合うのだ。
「早めに潰しておきたかったんだけどな」
「そんなに厄介な相手なの?」
「そうだね。この世界を壊す力を持った悪神の手先ってところかな」
南雲璃尤。丞院詩折。どうせ動くなら、この二人を潰してほしいと真白から頼まれていた。
理由は知らないし、これ以上聞く気はない。興味もない。
この世でただ一人、五和の心を揺れ動かすことができるのはあの子だけだ。
何よりも愛おしい大切な妹。あの子のために五和はこの町まで来た。
「まだいくらでもチャンスはある。あの子の居場所は私が潰すわ。そのついでに真白の望みを叶えてあげる」
あの子に五和以外の居場所なんて必要ない。五和の傍にいればいいのだ。
そうすればいくらでも可愛がってあげる。愛してあげる。ずっとずっと永遠に。
「これからもっともっと面白くなるよ。五和も好きに掻き回して」
ここではない何かを見つめる瞳で歌うように紡がれる。
彼女は掴み所がない。為人を見抜くことに長けた五和でも、水を掴むような感覚で相対している。
どこにでもいる普通の少女のようで、侮れない空気をまとっている。
「でも――琥珀には手を出さないで。あの子は特別……私の大事な大事な宝物だから」
柔らかな空気がすっと引き締まる。年も下で、力も五和よりないようなか弱い少女。
彼女のまとう空気が肌を撫でれば、粟立つような感覚に襲われる。
本能で悟る。彼女は決して逆らってはならない部類の人間なのだと。




