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翠の世界~the alteration game~  作者: 猫宮めめ


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25「トリックスター」

 扉の方へ伸ばされていた手が直前で止まる。白く細い指は取っ手に触れる直前で下ろされた。

 話し声が聞こえる。そのこと自体は珍しいことではなく、手を止める理由にはなり得ない。


 止めたのは声ではなく、会話の内容が理由だ。

 菊理ほどではないにしろ、紅桜も耳は良い方だ。薄い扉越しに会話を聞き取ることくらいはできる。


 扉の先にあるのは共有スペースだ。襲撃の痕が今もなお残るその場所でMaveRickのリーダーである蛇と最年長の先生が深刻そうな話をしている。

 声は聞こえないが、菊理も一緒にいるだろう。彼女は誰かと一緒にいるのが好きなようで、家事をしているとき以外は共有スペースにいることが多い。少し前に中を覗いたときはいたので、今もいる可能性が高い。


「――MaveRickの中に裏切り者がいるんじゃないかって」


 震えた声が耳朶を打った。信じたくないと願う声が鼓膜を震わせ、紅桜は口角をあげた。

 白磁の肌に切れ長な紫目と整った鼻梁、薄い唇が黄金比で配置された端正な顔立ち。

 そこを飾り立てる笑みは妖しく、それでいて粗暴で暴力的な香りをまとっている。

 予定を変更した紅桜は踵を返し、拠点を後にする。


 裏切り者。なんとも蠱惑的な響きだ。

 物語を引き立てる刺激的なスパイス。観客を惹きつけてやまない馥郁として香り。


「さて、どう動くべきかしらね」


 与えられたのは会話を盗み聞き、物語が掻き回す役割。なかなか得られない最高の立ち位置。

 紅桜の動きによって物語は大きく変わる。そのための鍵を得た。

 それを使わない道をなどなく、もっとも有効的に使うために思考を回す。


 まずは裏切り者に当たりをつけるべきだろう。無知に状況を掻き回すなんて真似は美しくない。

 他者を圧倒し、魅了する。演者は美しくなければならない。

 物語を引き立てるにはまず知ることが必要だ。状況を理解し、見極め、その果てでもっとも効果的に場を掻き回す。

 裏切り者の存在を示唆され、考えるべきはその正体だ。


 MaveRickのメンバーは全部で十人。そのうち紅桜自身と、元々裏切っていると言える真白は除いて残りは八人。この中に裏切り者がいる。

 この情報も確定的なものではない。そう考えた方が面白い、紅桜はそれに乗る。


 八人の中から見つけ出すのは容易なことではない。まずは消去法。

 可能性が低いのは先生、小雛、ロゼ辺りだろう。先生は裏切り者の話を出した張本人、小雛は敵の攻撃を受けて昏睡状態になっている。そんな状況で周囲を欺けるほどの器用さが二人にあるとは思えない。

 ロゼも同様、ここまでバレずに裏切り者として行動できるとは思えない。


 次いで可能性が低いのは蛇。普段の行動からもMaveRickに特別な感情を持っていることが窺える。そんな人間がMaveRickを裏切る行為はしないだろう。

 それがMaveRickのためになるなら、また話は変わってくるが。


 敵の手に落ちたアンネも外側から見る分には小雛と同じ。しかし、アンネの場合は元々裏切っていたのが、元に戻ったという見方もできる。

 人を見る目があると自負している紅桜にも、流石に機械の真意までは読み解けない。

 常に感情を宿さない言動に込められた考えを読み解くのは容易ではない。


 残る猫、璃尤、菊理も、読めない部類の人間だ。


 ただ、猫が裏切っているとは紅桜は考えていない。水瀬真白に協力しているという話なら別だが、今回対象になっているのは〈不明(レムレース)〉とハローワーカーだ。彼女が裏切り者である可能性は低いと見ていいだろう。

 蛇ほどではないにしろ、猫もMaveRickに対して特別な感情を抱いているようだから。

 創始者なだけあって、紅桜のような後続組には分からないものがあるのだろう。


 璃尤は聞けば、大抵のことは答えてくれる。本名から始まり、家族構成や通っている大学、住所、好きなもの、嫌いなもの、苦手なもの。

 躊躇のない情報の開示は一見すると裏切りとは無縁のように思える。しかしながら、璃尤の情報開示は知られたくないものを隠すためのものだ。なんでも話しているように見えて、触れられたくないことは飄々とはぐらかす。

 違和感なく、そのスタンスを貫く姿勢はもっとも裏切り者に相応しいと言える。


 そして、一番分からないのが菊理だ。彼女はあけすけだ。裏表がない。

 突き抜けた純粋さは狂っているのと同じ。紅桜は菊理の在り方に恐怖を覚える。

 非人道的な研究の実験体にされ、仲間の死が当たり前の環境で育ってもなお、消えなかった純粋さ。

 菊理が裏切り者の場合、問えば、簡単に肯定してくれるだろう。その意味を理解しながら、あけすけに。


「あら、クラウンではありませんの。こんなところで何をしているんですの?」


 視界に現れたのは真っ赤な少女だ。薔薇の花をイメージし、布が何枚も重なった赤いドレス。巻いた髪はツインテールにされ、端正な顔立ちはメイクで気の強さが演出されている。

 気高さを意識して整えられた姿が今は少し乱れている。


「次の演目について少し考えていただけよ。貴方の方こそ、龍と修行していたのではないの?」


 わずかに上がった息と、滲むを汗を見て問いかける。

 ロゼと璃尤は最近よく二人で接近戦の訓練をしている。ロゼの能力は中距離に特化したもので、弱点を克服するのはいいことだ。


「龍に用事があるとかで今日はお開きになりましたわ」


「用事、ねぇ」


「龍に用でもありましたの?」


 普段と違う紅桜の雰囲気に何かを感じ取ったらしい問いに頭を振って答える。

 お馬鹿な残念キャラと思いきや、意外にも察する能力は高い。

 育った環境によるものだろう。高慢さで隠されているが、細かな所作から育ちの良さが窺える。


「貴方、〈不明(レムレース)〉のこと、どう思う?」


「敵ですわよ。それ以外に何がありますの?」


「なら、ハローワーカーは? どう思う?」


「敵ですわ。この質問になんの意味があるんですの?」


 紫の目が赤の目を射抜く。ロゼでは微かに見開き、怯むように口を閉じた。

 真一文字に結ばれた唇とは対照的に紅桜の唇は弧を描く。


「なんでもないわ。ただ――そうね。私は貴方を信じる気になったというだけよ」


 ますます分からない眉根を寄せるロゼの横を通り過ぎる。

 相手の目を見れば、嘘を吐いているかどうか、演技をしているかどうか、分かる。

 ロゼは嘘を言っているわけでもなく、演技しているわけでもない。彼女は裏切り者ではない。

 紅桜は己の感覚を信じ、ロゼを信じることにした。


 ロゼと別れた紅桜はあてもなく町の中を歩く。

 ロゼは璃尤と別れたばかりのようだった。今ならまだ追いつけるだろう。


 璃尤に用はない。ただ、璃尤の用事とやらが妙に気になった。

 現状、裏切り者の可能性がもっとも高いのは璃尤だ。


「見つけた」


 弧を描く唇が小さく呟く。前方を歩く璃尤を目に収め、己の髪に手をかける。

 サイドテールに結い上げた青髪をほどく。肩に落ちた青髪を無造作に一つにまとめ、一呼吸とともに表情を切り替える。


 整った顔立ちに涙のペイント。人目を引く要素が気にならなくなるほどの凡庸さを纏う。

 今の紅桜はただのモブだ。風景に溶け込んで、璃尤を尾行する。

 気付く様子ないまま、璃尤はカフェの中に入っていく。あまり近付きすぎると気付かれる可能性があるので、店の中には入らずに通行人Aとして遠巻きに様子を窺う。


「ビンゴかしら」


 すっ、と紫の目を細める。その目に映るのは約束の相手へ親しげに話しかける璃尤の姿だ。

 先に来て待っていたらしい相手の方を見る。


 生真面目そうな印象の少女だ。理知的な花色の目を細いフレームの眼鏡で隠し、切り揃えられた黒髪で白い輪郭を縁取っている。

 清楚な服装の上に緑色のエプロンをまとった少女。テーブルの上にぬいぐるみを置いている。

 一度しか見たことはないが、彼女はハローワーカーの人間だ。


 敵であるはずの少女に親しげに話しかけ、正面の席に座る璃尤。

 ほぼ確定と言ってもいいだろう。本当なら近付いて会話の内容をもって確信に近付きたいところだが、紅桜は面白い方を取る。


 少し曖昧に暈した方が物語は面白くなる。


「さて、どう遊ぼうかしら」


 今すぐにでも乱入して糾弾するべきか、泳がせるべきか。

 どちらがより面白くなるか考えて、一先ず待つことを選ぶ。

 二人の話はそこまで長く続かなかった。精々、一時間弱。外で待っている身としては短い方がありがたい。


 璃尤とハローワーカーの少女が別れてから尾行を再開させる。

 人気のない道に差し掛かった頃、行動を開始する。雑に括った髪をサイドテールに結い直し、赤い唇を割るように笑う。


 スイッチを切り替えて、アスファルトを蹴った。ナイフを片手に、暗くなりつつある町の中を駆け、背後を襲いかかる。

 完全に隙を突いた一撃が鮮血を散らした。


 手応えは浅い。それもそのはずで、隙を突いたにも拘わらず、璃尤は紙一重で避けてみせた。

 いつも自分は非戦闘員だと笑っている人とは思えない動きに驚きはなく、紅桜は冷静にナイフの軌道を変える。


 引くことを知らない攻撃を璃尤は身を屈めて避ける。そこで、ようやく襲撃者の正体に気付いたようで、黒い目が驚きで見開かれ、薄く開いた口が焦りを笑みに変換する。


「くー様、これは一体どういう遊びなんだい?」


「自分の胸に聞いてみたらどうかしら?」


 お互いに言葉を交わす冷静さを持ち合わせている。しかし、今の紅桜に求められている役回りは無知に場を引っ掻き回すことだ。情報を与えず、こちらも真実を求めない。

 愚かさを煮詰めた言動で、璃尤を翻弄する。


 空いた手に生み出したカラーボールで視界を塞ぎ、距離を詰める。

 金属音が鳴り響き、振ったナイフが止められる。それは金属の棒だった。

 丸腰だったはずの璃尤の手には鉄パイプほどの太さの金属の棒が握られている。


「……さっきまで持っていなかったわよね。どういう手品?」


「企業秘密だよ。くー様相手に丸腰で立ち向かえる自信はないものでね」


 金属の棒を撫でるようにナイフを振るえば、動きに合わせて金属の棒が巧みに防御する。

 反射神経は悪くない。多少手を抜いているとはいえ、ここまで追いついてくるは思っていなかった。

 武術の心得がある人間の動きだ。親の方針で幼い頃から道場に通っていたという話を以前していたのを思い出した。


「期待以上だわ。――楽しませてくれそうだなァ」


 上がった口角が嗜虐的な笑みを浮かべるその瞬間、璃尤の目が銀色に輝く。

 それは璃尤が自身の力を使った証。しかし、戦闘においてその力は役に立たないはずだ。

 笑みを深める紅桜は両手にナイフを構えて、璃尤へと迫る。何かをさせる隙は与えない、と本気の一撃を振るう。


 その瞬間、璃尤の姿が消失した。微かに捉えた残像を辿って視線をあげれば、高く跳躍した璃尤が映し出される。即座に生み出したカラーボールを投げつける。

 警戒を滲ませる璃尤は懐から白い紙を落とした。紙とカラーボールが触れた瞬間、爆発する。その余波すら受けず、璃尤は軽々着地した。


 その目はまた銀色の光を纏っている。爆発を受け止めた白い紙も、常人離れした跳躍力も、あの銀色の光によってもたらされたもののようだ。

 確か璃尤の力は、龍王だとか言う神の加護によるもの言っていた。少し、その龍王とやら興味が出てきた。


「いつまでこの遊びを続けるつもりなんだい? くー様の相手は流石に荷が勝ちすぎるよ」


「一度始めてしまったら、何があっても続けなければならない。舞台の基本だぜ」


 地面を蹴る紅桜に璃尤は肩を竦めて、金属の棒を構える。

 薄いナイフと金属の棒による歪な剣舞。場を飾り立てるように時折、カラーボールや白い紙が舞う。


 先程、璃尤を守った白い紙は防御以外の力も持っているらしい。

 視界を焼くように瞬く白い紙。そこに『閃光』と書かれているのを辛うじて捉えた。


「おもしれぇ能力だが、所詮は紙だな」


 璃尤が撒き散らす白い紙を、炎をまとった吐息で燃やし尽くす。

 そのまま攻め手は緩めず、両手のナイフで斬りかかる。璃尤もまた紙を燃やされた動揺を映さず、金属の棒で受け止めてみせる。その口元は微笑を浮かべていて、


「すべて分かった気になってもらったら困るね」


 肉薄し、鍔迫り合いになる。片手で金属の棒を握る璃尤は空いた手で、宙に何かを書く。

 その指先が何かを書いた瞬間、強風が紅桜の顔に吹き付ける。思わず、目を細めた隙に金属の棒で押しやられ、大きく距離を取った璃尤が目に入る。


 すぐに踏み込もうとした紅桜の前に簡素な指輪が投げられる。

 百円ショップで買ったような安物の指輪。タネも仕掛けもないごく普通の指輪だ。


「起動――煙幕」


 唱えた言葉に応じて指輪は崩れ、同時に煙が噴き出した。

 視界が白で埋め尽くされ、紅桜は踏み出した足を止める。煙を吸い込まないよう、袖で鼻と口を押さえ、もう片方の手でナイフを振るう。

 周囲の白煙を裂く紅桜の耳が、微かに金属が弾かれる音を捉えた。

 晴れた視界で先程と同じ指輪がきらめき、


「起動――透明化」


 その声を捉えた頃には璃尤の姿が消失する。一度視線を外してしまえば、透明化したらしい人間を捉えることはいくら紅桜でも難しい。


「逃げられてしまったわね」


 特に問題ない。元々頃合いを見て逃がすつもりだった。

 ここで捕らえるのも、殺すのも面白くない。美味しい得物はぎりぎりまで泳がすべきだ。


「精々、面白くしてくれよなァ」

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