19「襲撃」
長くない時間でもすっかり慣れ親しんだ拠点は、馴染みのない空気に満ちている。
先生と小雛が呼び出されてから、まだそれほど経っていない。
蛇の通う学校が襲撃にあったという報告で、菊理の胸はどきどきしたままだ。
果たし状を受けて猫とクラウンが出向いている裏で、起こった事件。次から次へとトラブルが起きる状況は初めてで、待っていることでしかできない菊理の胸では心配が膨らんでいる。
「みなさん、大丈夫でしょうか」
「菊理は心配性ですわね。そんな心配しても仕方ありませんわよ」
「そう言うイチもさっきから落ち着きがないように見えるが?」
「やかましいですわ」
どきどきで胸をいっぱいにする菊理とは対照的にロゼと璃尤は普段と変わりない態度だ。
いつものように言い合う二人の姿を見ているとても安心する。
「まあ実際、心配ばかりしていても疲れるだけだよ。ここはどんと構えて、いざというときにすぐ動けるように準備しておくといい。たとえ、出番がなくとも、任務を終えて帰ってきた仲間を労う役目が自分たちには残されているからね」
目から鱗が落ちた気分だ。そういえば以前、蛇も言っていた。
拠点を守ることも大事な役目だと。ただ待っていることしかできないこの時間も、次に繋がる大切な時間なのだ。
胸いっぱいに広がったどきどきに囚われてなにもできないのはとてももったいない。
できることは少ないならできることを一生懸命にやるのだ。
「それに、だ。出ているメンバーはみな、頼もしい人ばかりだ。信じることも必要だよ」
「龍は少し落ち着きすぎですけれど……たまにはその顔を崩してみたらどうですの?」
「そういう性分でね。可愛げがないと自分でも思っているよ」
のらりくらりと躱す璃尤にロゼは不満げな視線を寄越す。いつもの光景だ。
「璃尤さんはかわいいですよ」
「おや、嬉しいことを言ってくれるね」
「褒めなくてもいいですわよ、菊理」
二人の中に入れて、とても嬉しいし、楽しい。最近二人は修行だと言って、拠点に来ない日もたくさんあって寂しかったから余計に。
離れていくような気もしていたけれど、二人はやっぱりMaveRickの人間だった。
今起こっている事件が全部解決して大丈夫になったら、この日常がずっと続いてくれるのだろうか。
そうなったらいいという願いを裏切るように焦りを滲ませた足音が聞こえてきた。
拠点に残っているメンバーはあと一人。人間に似せて作られたアンドロイドの少女が、普段の無機質な印象とは違う焦りを滲ませて共有スペースに現れた。
普段とは違うアンネの様子に全員が異変を感じ取って談笑を中断する。
「どうしたんだい、アンネ? 君がそこまで焦るなんて珍しいね」
「出ているメンバーに何かあったんですの?」
自分の出番か、と意欲的な様子を見せる赤目に、アンネは首を横に振って答える。
それは最悪の事態の否定とは違うのは優れないアンネの表情が物語っている。
「侵入者です。拠点のセキュリティが突破されました」
「〈不明〉ですの?」
「確認はできませんでしたが、容易くセキュリティが突破されたことを考えると、能力者である可能性が高いかと」
「セキュリティに不備があったのではなくて?」
「ない、と私は認識しています。作り手の私が言っても、どれだけの信用を得られるかは分かりませんが」
見合うロゼとアンネ。ロゼは眉根を寄せて、アンネは感情のない目で見返す。
剣呑さを感じさせる空気に反して、二人の声に剣呑さは感じられない。
音を聞いて感情を知るは誤解して慌てることなく、非常事態にただ握る。
「リーダー不在のこのときに困ったものだね。アンネ、侵入者の人数は?」
投げかけられた璃尤の質問に、ロゼとアンネは同時に視線を外した。
璃尤は二人の雰囲気だけではなく、侵入者による緊迫した空気すらも和らげてくれた。わざとなのか、たまたまなのか、音でも教えてくれないのが璃尤だ。
「恐らく――」
「何かが近付いてきますっ」
羽音に似た音と、機械音を混ぜた音が複数、通路を通ってこちらに近付いてくる。その後ろに三人の足音が続いているが、機械音の方が来るのが早い。
アンネを遮った菊理の声にいち早く反応したロゼがその手に古銃を握る。何もしないところから突然現れた古銃は前見たときよりも短いもので、銃口は扉に向けられている。
アンネもまた自身の手の形態を変え、璃尤は変わらぬ態度で敵を出迎える。
現れたのは四方につけたプロペラで宙を自在に駆ける機械、四台。菊理は知らないが、ドローンと呼ばれる機械はそれぞれ正面に機関銃を備えている。
ドローンの姿を目にしたと同時にロゼが引き金を引く。発砲音とともに飛び出した胡桃サイズの種は即座に発芽し、出入り口を塞ぐ。
射程距離まで近付いたドローンが攻撃を開始する。重なり響く銃声に紛れるようにロゼが一度引き金を引いて、蔦の壁を補強する。
「これで少しは時間が稼げると思いますわ。どうしますの?」
赤い目が問いかけた先に立っているのは璃尤だ。この中で一番頭が回って、一番指揮に長けているが璃尤だ。蛇も先生も、何かあれば璃尤を頼るよう言っていた。
みんなから頼りにされている、とてもすごい人なのだ。
「アンネ――機械、侵入者の数は?」
「三人です」
「聞き手、聞こえた音を教えてくれないかい?」
「えと、さっきの機械の音が四つと……足音が三つ。ぁ…荒っぽい足音がどんどん近付いてきます」
大股で歩いているのか、少ない足音がどんどん近付いてくる。これならすぐに辿り着いてしまうだろう。
他二人の足音はまだ少し遠い。荒っぽい足音に比べて、進む速度が遅いようだ。
一つは規則正しく、乱れることを嫌うような足音。もう一つは元気のない摺り足近い足音だ。
「機械は迎撃準備を。薔薇は下がって援護してくれ」
冷静に下される指示に応じて二人が体勢を整える。菊理は璃尤とともにソファやテーブルを避けて、動きやすい広い空間を確保する。それから距離を取って、菊理自身も戦闘の邪魔にならないよう身を顰める。戦闘になったら菊理にできることは少ない。
「聞き手、聞き覚えのある足音はあったかい?」
「いいえっ、知らない足音だけです」
「なるほどね。なら、来訪者はハローワーカーの人間だね」
「どうしてですか?」
確信する璃尤への問い、その答えを知るよりも先に炎が舞い上がった。
赤々と燃え盛る炎がロゼの作り出した蔦の壁を焼き尽くす。不思議な力で生み出されたもので、所詮は植物。炎を前に、容易く壁は崩れ去った。
「ちまちまやるより、こっちのが分かりやすくてイイだろ?」
炎の中を掻き分けて、荒っぽい足音の主が姿を現した。
オレンジと青色が混ざったざんばら髪の少女だ。小柄ながら鍛えられた身体はオレンジのツナギで包まれている。上半身はツナギを脱いでいて、黒いインナーを晒している。
「ハジマシテだな。俺は水月火吹、消防士だ。あー、ハローワーカーつった方がイイのか?」
璃尤の言った通り、ハローワーカーの人だった。すごいと思って璃尤を見れば、いつものように肩を竦めてみせた。最近分かってきたが、あの仕草は照れ隠しなのだ。
「不法者に名乗る名はありませんわ。早々に立ち去ってくださいまし」
「名乗りなんざいらねぇし、出てく気もねえぜ」
銃口を向けるロゼに怯むことなく、火吹は挑発するように一歩前に出た。
その手に持つのは小さなボトルだ。すでに蓋の開けられたボトルの中身が撒き散らせる。
警戒し、距離を取るロゼと安然前に透明な液体が散らばった。液体の正体が分からないままに轟、と音を立てて炎が立ち昇る。燃えているのは液体が飛び散ったところのようだ。
発砲音が響き、発射された種が茨を生み出す。
「んなの、何度やっても燃えるだけだっつの」
蠢く炎が生み出されたばかりの茨を喰らう。続いて撃ち込まれる種もことごとく炎に喰らい尽くされていった。それはどうしようもないくらい、相性の悪さを証明している。
しかし、ロゼは戦意を消さず、引き金を引く指を止めない。
種が撃たれ、発芽し、茨が生まれ、炎に呑まれるその繰り返し。
その裏で火吹同様に、炎に怯むことなく動く影が一つ。発芽する茨の影に隠れて火吹へと迫ったアンネが回し蹴りを叩き込んだ。
予想外の攻撃をもろに受けた火吹は壁に叩きつけられ、苦悶で蹲る。
ちょうどその頃、もう一人の足音が辿り着いた。規則正しい方の足音である。
摺り足の方は途中で止まっているようだ。ここまで来る気はないのかもしれない。
「先走らないようにと忠告したはずですが?」
「っ……うるせぇ」
第一声で味方への苦言を零した少女は眼鏡の奥に潜む目をこちらに向ける。
黒髪は肩口で切り揃えられ、生真面目な印象の少女だ。身に着けた緑色のエプロン、そのポケットには黒猫が収まっている。蒼い目が妙に惹かれる不思議なぬいぐるみ。
ふと目を向けた先で、動き出してもおかしくないような、そんな不思議なぬいぐるみだ。
「戦場で棒立ちなんて愚策ですわよ」
厄介な炎が止まっているのを幸いとしてロゼが引き金を引く。
蹲る火吹より、立ち止まったまま動かない少女の方に狙いを定めたようだ。
迫る種を真っ直ぐに見据える少女はその場にしゃがみ込む。種は少女の頭上を素通り、発芽して赤い花弁を散らした。軌道を優雅に変えて襲いかかる花弁を、
「ちゃっちいのが炎に勝てるかよっ!」
蹲った状態のままでも戦意を消さない火吹は操る炎で燃やす。
そこに対抗するのはアンネだ。変形させた五指で銃弾を撃ち込む。
舌打ちとともに回避行動を取る火吹を片手で牽制しつつ、アンネは一歩、少女の方へ踏み込む。
「聞き手、残りの一人の居場所は分かるかい?」
「廊下で止まったままです」
「なるほど……」
ロゼ、アンネ、火吹、少女の攻防を他人事のように見つめる璃尤が瞬きを一つ。
「薔薇、廊下の相手を頼むよ」
「分かりましたわ」
逡巡の間もなく、ロゼは攻防戦の中から離脱。代わりに二人の相手取るアンネの横を駆け抜け、その後ろを四台のドローンが追いかける。
「わたくしの行く手を阻むには頼りない相手ですわね」
ドローンの姿をその目に収めないまま、発砲。放たれた種は二発、生み出された茨は先を行くドローン二つを絡め取る。後続の二台も行く手を邪魔され、上手く進めない。
その隙をついて、ロゼは廊下へと身を躍らせた。
いつもは璃尤の言葉に反発してばかりのロゼだが、己の役目を理解しているが故の潔い動きだ。
「流石の采配ですね。知っていましたか?」
休む間もなく繰り広げられるアンネの攻撃、その隙を縫って少女が璃尤に歩み寄る。
少女の動きはとても不思議だ。派手な動きはなく、ただ歩いているだけなのに攻撃が一つも当たらない。まるで攻撃が当たらない道を知っているかのように。
「この状況で自分の方に来るなんて奇特な人だね。いいのかい? 仲間に手を貸さなくても」
「組織の頭脳を潰すのは策として有効だと思いますが? 南雲璃尤さん」
少女は名乗っていないはずなのに璃尤の名前を呼んだ。びっくりである。
知り合いなのかとも思ったが、声の感じからしてそういうことでもなさそうだ。
「こちらのことは知っている、か。なら、自分に注目するのは尚更、愚策だね。MaveRickにおいて自分の価値は高くない」
「策、とは違います。私は貴方に興味がある。貴方のことを知りたい。この本にも貴方のことはほとんど書かれていませんでした」
蒼い光が瞬き、少女の掌に一冊の本が生み出される。
瞬いた光と同じ蒼をまとった、不思議な魅力が詰まった本だ。自然と目が奪われる。
それは璃尤も同じのようで、珍しく驚きを映し出して蒼い本を見つめていた。いつもの飄々とした態度からは考えられない、愕然とした様子を見せている。
「っ……なるほど。なるほどね。自分も君に興味が出てきたよ」
璃尤の雰囲気ががらりと変わった。変わったような気がした。
表面的には何も変わっていないのに声が違う。急にやる気を出したような、ようやくこの場に降り立ったような――なんとなく菊理は初めて本当の璃尤の声を聞いたような気分になった。
「一先ず、君の名前を教えてくれないかい? 呼び名ないと困るだろう?」
「では、本屋と」
「本屋、か。覚えたよ――」
透明な液体が宙を舞い、発火する。言葉を切った璃尤は少女――本屋から距離を取る。
「ゆっくり話もさせてくれないなんて、落ち着きのない子は困るね」
燃え盛る炎に割り込まれ、璃尤は肩を竦める。
もういつもの飄々とした璃尤に戻っている。流石に炎の中へ進むことでできず、思案顔だ。
できることを探す菊理は、自分が意識の外に置かれていることを利用して台所の方へ駆ける。
「え、と……えと、とりあえずこれに」
手に取った鍋に水をたっぷり入れて共有スペースに戻る。途中であれも回収して、炎と対峙した。
「えいっ」
燃え盛る炎へ、水をかける。
火は水をかけると消える。知らないことの多い菊理はでも知っていることだ。
「燃料をくれるなんて助かるぜ」
「わっ、わわ、逆効果でしたっ」
水をかけた瞬間、炎が勢いを増した。慌てる菊理は途中で回収したあれを、祈るような気持ちで投げつけた。クラウンの使うカラーボールに似たそれは、投げつけるだけで火を消してくれる魔法のアイテムだ。少し前のロゼに教えてもらった。
今度は上手くいって、ボールを呑み込んだ炎の勢いが少しずつ弱くなっていく。
炎が火になって、火すらなくなる。大成功だ。
「まさか、薔薇が見栄で買ったものが役に立つとはね。聞き手、助かったよ。ありがとう」
ようやく役に立てた事実に菊理は顔を綻ばせる。残りのカラーボール、赤い包みに覆われた消火剤の数を確認する。
三つ入りの二セット。そのうち一個は買ったときに実験で使い、先程一個使ったので残りは四個。
「能力のからくりも分かった。水を火に変換する力だね。逆もできるのかな」
「だからお水がたくさん燃えたんですねっ」
まったく気付かなかった。菊理が気付けなかったことを気付けるなんて璃尤はやっぱりすごい。
「それが分かったからなんだってんだよ。てめぇらの不利は変わんねぇ。なぁ⁉」
能力を明かされても勝ち気を消さない火吹、その目が示す先には驚くべき光景が作り出されていた。
「なん、で……ですのっ」
立っていたのはアンネと、部屋を出て行ったはずのロゼだ。
苦悶の声をあげるロゼ。その首を無感情に絞めあげるアンネ。それは菊理の理解を超えた光景だった。




