13「改変ゲーム」
A地点に向かった猫とアンネ、B地点に向かったクラウン、双方から無事に潜入した報告ができた。
作戦は今のところ順調に進んでいる。周辺の情報を探るために泳がせている黒蛇たちも異常なしを伝えている。
とはいえ、〈不明〉という組織と接触があった任務のことを考えると今まで以上に油断できない。クラウンと渡り合える人材がいると分かっている以上、警戒することにしたことはない。
必要とあればすぐにも助けに動けるよう、身に宿る呪いをより細かく一帯に散らせる。
琴巳はMaveRickのリーダーだ。たとえ、名前だけの立場と言っても、伴う責任はきちんと負うつもりだ。
「――ちゃんとリーダーしてるのね、えらいえらい」
黒蛇の警戒網の合間を縫って、一人の少女が姿を現した。
肩甲骨を隠す長さの黒髪をそのまま流し、水色のラインが特徴のセーラー服をまとっている。
整ってはいるが、特筆するような特徴のない顔立ち。一度見てもすぐに忘れてしまいそうな顔を、しかし琴巳はよく知っていた。
その顔を見るのは約二年ぶりだが、一度も忘れることなく容易く脳裏に思い描けるくらいに親しい間柄だった人物だ。
「しろ……っ」
「久しぶり。二年ぶり、くらいかな」
MaveRickの創設者の一人である少女――人間、しろ。
組織を作ってすぐに彼女は姿を消した。創作を続けてはいたが、手掛かりすら掴めなかった人物がひょっこりと現れた。
まるで行方不明だった事実が嘘だとでもいうように、あの頃と変わらない表情で立っている。
「今までどこに行ってたん……!?」
「そんな話、今はいいじゃない。任務中なんでしょ」
掴み所なく、会話のペースを自分のものにするような喋り方はあの頃と変わらない。
「それよりもそっちの子を紹介してほしいな。MaveRickのメンバーでしょう?」
「私は医者。みんなからは先生と呼ばれているわ。……貴方は噂のしろさんかしら」
「どんな噂が気になるところだけれど、今はいっか。そう、私がしろだよ。よろしく」
先生が差し出した手を取るしろ。本当に今の今まで行方不明だったとは思えない態度だ。
しろは不思議な人で、誰とでもすぐに仲良くなれる。何を話して何をすればその人と仲良くなれるか知っているように、誰が相手でもすぐに警戒心を解いてしまう。
猫のような身体能力も、蛇のような特殊な能力も持たない、普通の人間であるしろが持つ特殊性。特別と思えないその力が、MaveRickという組織を作ったのだ。
「他にも新しいメンバーがいるんだよね。うん、うん、いいね。とてもいいよ」
しろがいない間、メンバーはかなり増えた。面識があるのは猫と琴巳のみ。クラウンから先のメンバーが入った頃にはすでに行方を晦ましており、しろは会ったことがない。
それでも、癖のある面々ともすぐにしろは仲良くなるのだろう。個性的なメンバーの手綱を上手く握るしろの姿が容易に想像できる。
「――じゃあ、始めちゃおうか」
「始めるってなにを?」
「ゲームだよ。ねえ、蛇。蛇はMaveRickのこと、大切?」
「当たり前やろ。MaveRickがなかったら今のうちはなかったんやから」
MaveRickに出会っていない琴巳はきっと世界に絶望して、笑うことすら忘れてしまっていただろう。
心許せる者もおらず、未来を思い描くことのない、ただそこにいるだけの日々を送っていた。
身を染める呪いだけが味方の日常なんて想像するだけでもぞっとする。
逡巡の余地もなく浮かぶ肯定は、だからこそしろの問いかけに不審を募らせる。
突然姿を現したことも含めて、今日のしろは何か不自然だ。
「じゃあ、戦って。大切なものを守るために。私に見せてよ、蛇の思いを」
不自然でも、しろの態度はよく知るものと変わりない。掴み所なく、何を考えているか悟らせてくれない、どこを見ているのかすら分からない、そんな態度。
知っているもののはずなのに、しろらしい態度は妙な恐ろしさがある。
得体の知れなさに胸を鷲掴みにされる感覚が琴巳を襲う。
これから先続けられるしろの言葉を聞いてもいいのだろうか。浮かぶ問いかけの答えを見つけ出せないまま、しろは変わらぬ語調で言葉を紡いでいく。
「私には見たいものがある。知りたいことがある。だから作ったの。MaveRickも、〈不明〉も、ハローワーカーも」
歌うように紡がれる言葉は琴巳の中に衝撃を走らせた。
〈不明〉とは先日、メンバーが接触した組織だ。記憶に新しい出来事に関わる組織の名前をしろの口から聞くことになるは思っていなかった。まして、作っただなんて。
知らない組織の名前まであり、眼鏡の奥に隠された赤目は混乱を映し出す。情報の処理が追いつかず、見ているはずの答えを導き出せないままに嫌な予感を胸に抱く。
渦巻く不安を形作るように琴巳の肩口から黒い靄が立ち昇る。
「MaveRickが大切なら守って。じゃないと全部なくなっちゃうよ? もし最後まで生き残っていられたら、私が貴方たちの願いを叶えてあげる。なんだっていい、全部叶えてあげるよ」
「なんでもだなんて、そんなこと貴方にできるの……?」
困惑するばかりの琴巳に変わって問いかけた先生に、しろは「できるよ」と返した。
端的に、当たり前のことのようにそう言ってすぐに瞬きをした。
「そういえば、まだ名乗ってなかったね。じゃあ、改めまして自己紹介」
くるりと回って、広がったセーラー服のスカートをつまんでしろは一礼する。妙に様になっているその仕草はその手の教育を受けて育ったことを窺わせるものだった。
度々感じていた育ちの良さは続く言葉によって肯定される。
「私の名前は水瀬真白。六湊町を支配している水瀬家の三女だよ」
「……みな、せ」
思いがけない名前が飛び出し、震える目でしろ――真白を見つめる。愕然とした琴巳の様子に悪戯が成功したように笑う真白。
真白の自己紹介はそれで終わりではなく、薄い唇は更なる衝撃を紡ぐ。
「そして――この世界を変える力を持った神様だよ」
真白の目が翠色に輝く。神秘的な雰囲気をまとう瞳に琴巳はすべての混乱を忘れ去って、ただ魅入られた。
神様だなんて突拍子のない言葉を笑っていられない風格が真白にはあった。
場の空気をすべて自分のものにしながら、真白は楽しげに笑う。
「ねえ、蛇。どうしてこのタイミングで私が来たと思う?」
「それは……水瀬家の情報網を使って任務の内容を――」
そこまで言って、違う、と言葉を切った。
真白が聞いたのはここに来られた理由ではなく、来た理由だ。水瀬家の情報網があれば、タイミングは他にいくらでもあったはずだ。
この任務をわざわざ選んだ理由。ゲームを始めると真白は言った。この任務が始まりなのだ。
「フライングで会っちゃったみたいだけど……ねえ、蛇。貴方の仲間たちは勝てるかな?」
氷塊が滑り落ちる思いでインカムに触れる。A地点の方は真白が来てからも度々報告が来ていたから問題はないはずだ。このときばかりはアンネのマメさに救われた。
問題はB地点――クラウンの方だ。連絡が少ないのはいつものこととも言えるが。
「くー様っ……」
呼びかけに応えるのはノイズのみ。
MaveRick一の戦闘力を持つクラウンがまさか、と思いながらも募るのは焦燥だ。
「先生、くー様に合流するで」
頷く先生の姿を横目に、真白の方へ向き直る。焦る琴巳を面白がっているその姿に。
真白とここで別れたら、次はもうないかもしれない。そう考えると自分の選択に迷いが生まれる。
やっぱり琴巳にはリーダーは向いていないと自覚する。選択の責任に耐えられるほど、琴巳の心は強くない。
「行っていいよ。私もそろそろ帰ろうと思ってたしね」
「次会ったらいろいろ聞かせてもらうで」
弱い心を奮い立たせて言えば、真白は掌を振って応える。肯定でも、否定でもない応えを残して立ち去っていく。その足をふと止めた。
仲間のところへ向かう琴巳たちの姿をその目に収めて真白は口元を綻ばせる。
「蛇はMaveRickと仲間、どっちの方が大切?」
口元が綻び、瞳は冷たく、真白は声の届かないところにいる琴巳へ問いかけた。
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見た目からは想像できない膂力で放たれた拳が腹部に吸い込まれる。寸前で身体をくの字に折って、ダメージを減らしつつ、カラーボールをルシーに向けて投げつける。
後ろに飛ばされる身体と距離を開くように放たれたカラーボールは一度弾み、白い煙を撒き散らす。
殴られた勢いを上手く殺して着地し、指を鳴らす。白い煙を吐くボールに紛れていたボールが爆発する。
吹き飛ばされた破片が肌に触れるのも構わず、爆風の中に突き進む。微かな痛みなど、今の紅桜を高揚させる要素でしかない。
その手に握られている刺突用の剣だ。地面を蹴ると同時に出現させた剣を、白い煙に映る剣を躊躇なく突き立てる。
「白い煙に爆発……あとはcuteなflag。very excitingね」
剣の素手で受け止めるのは白黒の少女だ。外国混じりの顔立ちを楽しげに歪めるルシーと向かい合う紅桜の顔もまた楽しげに歪んでいる。
ルシーは腕に絡みついた旗付きの糸を刺突剣で器用に裂いてみせる。
「紅桜ちゃんはどうして戦うのかしら?」
「あ? つまんねぇ質問だなあ。んなの、楽しいから以外に何がある?」
自由になった手を見せつけるルシーの問いに退屈そうに答える。
荒らしい言葉使いは普段の妖しさとも、しとやかさともかけ離れたものだ。いくつもの自分を渡り歩く紅桜の道化の一つ。快楽への欲を突き詰めて煮詰めた姿だ。
胸の高鳴りを前にそれ以外のものはすべて無駄だ。思考さえも煩わしいと思うままに答えた。
「楽しいから素敵ね。でも残念」
肩を竦めたルシーへ、投げナイフを突き刺す。ルシーは首を傾げるだけでこれを避ける。
避けられるのは想定済み、突き立てたナイフを横に薙いだ。反動で揺れる白黒の髪をわずかに切るナイフを本来の目的通りに指から離した。
ルシーは紅桜の腕を掴み、刺突剣で投げナイフを弾く。
「あの子のゲームは紅桜ちゃんにはあまり関係なさそうね」
一度距離を取る紅桜へ、ルシーは手招きをする。
「強欲」
後ろに下がる紅桜の身体が手招きに応じるように引き寄せられる。紅桜の意思とは違う動きはルシーの能力によるものだろう。見えない何かに引っ張られるような感覚だ。
透明人間と踊っているような気分で悪くない。
「ゲーム……ああ、そういうことか。なるほどなぁ。くくっ、悪くねえぜ」
引き寄せられていることを利用して刺突剣を投げる。と同時に息を吹き付ける。
吐息が形を成すように炎が吹き上がり、炎をまとった刺突剣がルシーを襲う。
「素晴らしい。ええ、素晴らしいわ」
口調を一変させた紅桜は引き寄せる異能が解除されたのを感じた。
炎を纏う刺突剣を軽々避けたルシーは雰囲気を変えた紅桜を興味深げに見ている。
「整えられた舞台があるなら、そこで踊るまで。役割を全うすることこそ演者の至上。関係ないだなんてとんだ侮辱だわ。舞台上で最期まで楽しむが私という道化の役割よ」
「紅桜ちゃんは状況を楽しむ人なのね。さっきの言葉は撤回するわ。sorry」
謝罪を口にするルシーに一蹴りで迫る。
ルシーの言う通り、紅桜は状況を楽しむ。口元を歪めて笑いながらカラーボールを投げ、爆風の中を笑声とともに駆ける。任務など二の次にルシーと遊べる状況を楽しんでいる。
快楽に身を任せて踊っても応えてくれる人は久しぶりだから尚更楽しい。
「私はね、紅桜ちゃんのようにはいられないわ。守りたいfamilyがいるから」
ルシーの空気が一変する。そろそろ本気を出すといったところか。
口角をさらに上げて、迎え撃つべくルシーを正面に――ふとルシーの姿が視界から消えた。
再び現れたと同時に衝撃が紅桜を襲い、その身体を吹き飛ばされる。
空中で態勢を立て直す紅桜の前に笑うルシーが現れる。悪魔を彷彿させる黒く長い爪が紅桜の肩に突き刺さる。
やられてばかりの紅桜ではない。爪が突き立てられるのと同時にナイフを突き刺した。
互いに痛苦を表情にも声にも出さず、顔を見合わせる。
「あの場所を、〈不明〉を失うわけにはいかないの。だから負けられない。――煉獄の炎」
突き刺さる爪から青い炎が吹きあがる。傷口から燃え広がる炎の熱さにさしもの紅桜も顔を顰める。これはまだ味わったことのない痛みだ。
「私にも炎は使えるのよ。罪ある人間を燃やす浄化の炎よ」
「くくっ、まさに煉獄の炎ってか。俺はよく燃えるだろうな」
罪の定義は様々だ。仮に命を奪った数と定義したとしても、煉獄の炎で焼かれておつりが出るくらいの罪が紅桜にはある。
身を焼かれる痛みが罰というなら甘んじて受け入れよう。微笑む紅桜は回し蹴りげルシーの身体を飛ばす。肩を燃やす青い炎を握り潰して床を駆ける。
まだこの舞踏を終わらせる気はない。高揚する胸にすべてを預ける紅桜の耳が、この場における不協和音を拾った。
「ちっ、邪魔者か」
おそらく紅桜と同じルートを辿って現れたであろう人物は、紅桜の仲間だ。赤縁眼鏡の少女と、白衣をまとった女性。
妙に焦った様子と作戦とは違う動きに眉根を寄せて二人を見る。
「あら、残念。でもいいわ。挨拶は済ませたし、今日はここでbyebyeね。紅桜ちゃん、また遊びましょう。see you」
言うが早いか、ルシーは緑色の石を指で弾いた。照明を受けてきらりと輝く石は瞬き、紅桜たちの目を焼く。その一瞬の隙を突いてルシーは姿を消した。
「道化、無事か?」
「……。ええ、問題ないわ。敵も、今しがたいなくなってしまったわ」
残念な気持ちを隠しもせず、冷静さをともに纏いながら答える。興が削がれてしまった。
「呼びかけても応答がせえへんから心配したで」
「……インカム。戦闘中に落としたみたいね」
戦闘に集中すると他が疎かになる。紅桜の悪癖をよく知っている蛇は溜め息で応えた。
よく知る反応に妙な違和感を覚えた。同時に失われつつあった昂揚感を胸の奥で疼いた。
「道化ちゃん、腕を見せてちょうだい」
突き刺され、燃やされた肩を先生の手が触れる。仄温かなものが傷口を包み込み、すべてを消し去った。痛みも、傷跡一つ残されていない。
「他のところも……」
「それは必要ないわ」
痛みも傷も紅桜にとって忌むべきものではない。本当なら肩の傷も吸い取る必要はなかった。
心配そうに向ける隈に縁取られた目から視線を外し、蛇の方へ目を向ける。
「何かトラブルでも?」
「少しな。詳しくは拠点で話すさかい、猫たちと合流するで」




