12「開演」
頭上に浮かぶ欠けた月を見上げ、紅桜は形のいい唇を緩めた。
暗闇を照らすには心許ない月、数日もあれば新月になるであろう細い月。
灯りがなくとも構わない。真なる役者はスポットライトがなくとも輝くものだ。
この世のすべてを味方につけて、舞台を作り上げるのだ。
「開演の時間ね」
MaveRickの任務は夜中に行われることが多い。
隠れて行動するには宵闇がちょうどよく、学生が多いメンバーの都合もつきやすい。
観客がいない舞台は物足りなくもあるが、嫌いではない。身を躍らせられる舞台さえあれば、紅桜には充分だ。これでともに踊る相手がいれば、言うことはないのだが。
「さあ、舞台の幕を開きましょう」
歌うように紡ぎ、舞うように歩む。舞台上では一挙手一投足、すべてに意味が生まれる。
指先一つ、呼吸一つにすら命が宿る。何一つ無駄にならない、いや、無駄すらもスパイスになる空間が紅桜の胸を高揚させる。
今回の演目は、囚われのお姫様を騎士が助ける、ありふれたものだ。
『A地点、侵入に成功しました。ターゲットの捜索に移ります』
インカム越しに聞こえた機械的な声は同じ組織に所属している少女のものだ。
囚われのお姫様もとい監禁された研究者――篠近成也がいる場所の候補は二つ。
敷地内の広さも鑑みて、二手に分かれて捜索を行うこととなった。潜入しての任務は時間との勝負でもある。時間をかければ、それだけバレるリスクも上がる。
関係者を皆殺しにしていいなら話は別だが。
A地点に猫とアンネ、B地点に紅桜。会社から少し離れた位置に蛇と先生が待機している。
「こちらも――」
少々出遅れつつも、地面を軽く蹴って三階のバルコニーに着地する。
休憩スペースとして備えつけられたテーブルたちの横を通り、ガラス張りの扉から中へ侵入する。
鍵など、紅桜の手品を持ってすれば、容易に開けられる。
「侵入に成功したわ」
足を踏み入れた先にあるのは食堂だ。無人の食堂を歩きながら、社内の地図を思い出す。
ここに来る前に地図は頭に入れてある。目的地までのルートを頭に描き、身を隠すことなく優雅に闇に包まれた空間を歩く。
人のいる気配はしないから隠れる必要はない。気配を消せる者が相手なら隠れるだけ無駄だ。
紅桜が向かうのは建物の中にある隠し部屋だ。A地点は地下だ。
隠し部屋だの、地下だの、怪しいことをしていますと言わんばかりだ。
実際怪しいことをしているのだろうが、紅桜は興味がない。紅桜は正義に踊る愚者ではなく、舞台上で英雄にも罪人にもなる愚者なのだから。
「ここね」
散歩するような気軽さで歩いていた紅桜は第三会議室というプレートが掲げられた部屋の前で止まる。ここの鍵も手品で開けた。
カウントして、指を鳴らす。それだけで鍵は開かれる。
がらんとした会議室の中、奥にあるモニターへ歩み寄り、下の辺りをまさぐる。左から二つ目のボタンを押せば、モニターがゆっくりと動き出し、扉が現れた。
「流石にこれは開けられないわね。――機械、例の場所についたわ。解錠を」
『承知しました』
機械音声の返答から数秒と立たないうちにゆっくりと扉が横へスライドした。
隠し扉の鍵は電子錠だった。紅桜の手品が通じない代わりにアンネのハッキングによって開かれた。
無人で闇に呑まれた部屋ばかり歩いてきた紅桜を証明の光が出迎える。
光の中に映し出されたシルエットを認め、口元を緩める。
当たりだと心中で呟き、前に、そして横にステップを踏む。紅桜がいた場所に通った風が息を吐き出した。サイドテールを揺らしながら、紅桜は風の正体と向き直る。
「Hi! 初めまして、clownさん。待ってたわよ~」
白と黒、二色で構成された髪を四分割にして結いあげた女性が軽い語調で告げた。
女性らしい起伏に富んだ身体を包むのは白いセーターワンピース。シンプルなデザインの中で、胸元で揺れるやけに凝った意匠のコインが目を引く。
彼女にとって特別な意味を持つものなのだろう。
「待ち伏せなんて素敵なことをしてくれるものね。ここの社員に貴方みたいな若い女はいなかったと記憶しているけれど、新しく入ったのかしら?」
「社員の顔をすべて覚えていると言わんばかりね。君、面白いわ」
高めの声は初手の攻撃が嘘のように、友好的な言葉を紅桜へ向ける。水色の目にも殺気どころか、警戒の色すら見当たらない。
だからといって敵対の意思がまったくないわけでもない。
日常の延長線上で人を殺せる種類の人間だ。紅桜も同じ種類だからよく分かる。
「名前を聞かせてもらえるかしら。仲良くなりましょう?」
「名前を聞くなら先に名乗れ、なんて台詞は退屈かしらね」
「いいわよ。名乗って減るものではないもの。ね?」
お互いがお互いのペースを崩さないままに言葉を重ねる。
翻弄されてくれない相手というのは珍しく好ましい。胸に広がる愉悦を表情にも宿す。
「私は堕天使、佐汰ルシー。〈不明〉のリーダーよ。私の大事なfamilyと遊んでくれた君に挨拶しに来たの。仲良くしてくれるなら、ルシーちゃんと呼んでくれてもいいわよ」
「ああ、やっぱり。お仲間さんだったのね」
〈不明〉、それは二週間前に遭遇した二人組が名乗っていたものだ。
末の子たちの尻拭いをできる人材を探していた璃尤に気紛れに手を貸した。正直、末の子たちがどうなろうとも興味はなかったが、あの日は足が向いた。本能の訴えに従い、その先で楽しませてくれそうな子に出会えた。
紅桜と渡り合い、満足させてくれる存在は久しぶりで、彼女たちのことはよく覚えている。
特にあの吸血鬼の少女は万全の状態のときにもう一度踊りたいとさえ思う。
目の前にいる女性、ルシーは二人の保護者といったところだろう。同じくらい楽しませてくれそうだ。
「MaveRickの道化よ」
「あら、名前は教えてくれないの? 意地悪はイヤよ」
「組織の方針なのだけれど、隠すほどのものでもないかしら?」
MaveRickでは素性を探るのはご法度。ただ自分から話す分には咎められない。
明かしたことで何が起こっても自己責任ということだ。
「倉幻紅桜」
端的な名乗りは舞台には少し相応しくない。名乗り口上で飾り立て、でなければ劇的な場面で名乗りあげてこそ、名に価値が生まれる。
けれど、この場の名乗りに意味を持たせる必要はない。言葉に意味を持たせるタイミングの見極めは繊細で、とても重要だ。台詞は一言で、舞台を良くも悪くもする。
「倉幻……同じ名の名家があったわね」
「私の家よ」
「I see。君もあちら側なのね。そんな人が異端者を名乗るなんてね」
六湊町においてもっとも強い力は権力。法律なんてものは毛ほども役に立たない。
権力は最強の武器であり、紅桜はそれを持っている側の人間だ。
水瀬家ほどでないにしても、倉幻家の力はかなり強い。が、そんなこと、紅桜にとってはどうでもいいものだ。最強の武器で得られているものの中に紅桜を求めるものはないのだから。
「家柄、出自……そんなものだけで人に図ろうとするなんて無粋ね」
息を吐き出しながら、その手にナイフを出現させる。ナイフ投げで使うような薄い代物だが、切れ味がほとんどないあれらに反して、こちらは抜群の鋭さを持っている。
お遊び用に設えたものとは比べ物にならない、紅桜の遊びに満足させるのに充分な切れ味を持っている。
「退屈なお話はここまでにしましょう? 挨拶、しに来たのでしょう?」
「いいの? 君は研究者を助けに来たんじゃないのかしら」
「ここにはいない。それで充分よ」
任務の内容など些末なことだ。今、胸を支配している高鳴りの方が紅桜にとって重要なのだ。
幸い別行動しているメンバーも、待機しているメンバーも頼りになる。紅桜がここで遊んでいても任務も完遂してくれるだろう。
紅桜の返答を受けて口角をあげたルシーは胸元に下げたコインを弾いた。回転するコインはやがて止まる。悪魔の面が表で笑っている。
「悪魔……ええ、いいわ。遊びましょう。でも」
悪魔が笑うコインを持ち上げながらルシーは同じ顔で笑う。
「お喋りは続けましょう? 君のこと、もっと知りたいわ」
肯定の代わりにナイフを投げる。空気抵抗を薄くしたナイフは一直線に飛び、ルシーは地面を蹴ってこれを受ける。避ける素振りは少しもなく、人外の脚力で互いに近付く。
「暴食」
有名な悪魔の名を唱えたルシーの掌にナイフが飲み込まれる。
瞬間、紅桜の身体に歓喜が駆け抜ける。奥底から湧き起こる震えに従って、ルシーと距離を詰め、その勢いのまま蹴りを叩き込む。
「嗚呼っ、嗚呼! 最高ね。貴方となら楽しめそう。ええ、楽しめそうだわっ」
易々と掴まれた蹴りに震えは最高潮になる。細胞という細胞が歓喜に震えている。
細腕から想像できない膂力で投げ飛ばされ、軽々と着地する。その口角の上がった唇が歪む。
「――嗚呼、本当に最高だぜ」
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腰の辺りから伸びたコードが機械に繋がれている。
目の前には複数のボタンが並ぶ機会を巧みに扱う少女が立っている。ピンクの髪を長く、膝の辺りまで伸ばした無機質な印象の少女だ。
機械に疎い猫は邪魔にならないよう離れた位置でその姿を見守っている。
役割分担。猫が活躍する場は他にある。
「地下内のセキュリティをすべて解除しました。持って二時間です。急ぎましょう」
「分かった」
今回の任務はターゲットを救出すること。アンネが示した制限時間をしっかり頭の中に刻み込み、セキュリティルームを出て、捜索をあたる。
地下のどこにいるかまでは分かっていない。物音や人の気配に注意しながら進んでいく。
菊理ほどではないが、猫も聴覚には自信がある。そこに嗅覚と直感を足して、地下の中に明かしていく。
本来行く手を阻むはずのセキュリティはすべてアンネが解除してくれているので難なく進める。
警備の人間もおらず、少々拍子抜けだ。電気的なセキュリティに依存しているだけと楽観視できない何かがあると直感が告げている。
「生体反応があります。ここの下のようです」
「下りる方法は?」
「右の部屋に階段があります」
地下は複雑な作りになっている。隠し通路や隠し部屋も多く、猫だけではすぐに迷ってしまうだろう。迷っても直感に従って進めば、正解の道に辿り着けるだろうが。
猫は己の直感に従って生きている。今はアンネの言葉に従って、下へ続く階段を下る。
階段を下り始めれば、猫にもアンネの言う生体反応――人の気配が感じ取れた。
最後の一段を下りた猫を迎えるのは資料室のような場所、そして二人の人間だ。
「あれは……」
「知り合い?」
出迎えた人間二人のうち、白衣をまとった男性の方はターゲット篠近成也だろう。事前に魅せられた顔写真を思い出して、確信を胸に落とす。
アンネが反応したのは篠近の隣に立つ少女の方だ。
緑の髪を折り畳むようにして二つに括っている。セーラー服をもとにデザインされた薄緑のワンピースと、その手に握られたイチゴのような形の宝石がついたステッキ。
なんとなく猫も見覚えがある気がする。
「いえ。あの方との面識はありませんが、纏っている衣装は見覚えがあります。あれは『魔法少女ミラクルベリー』に登場する木苺みのりのコスプレだと思われます」
端的なアンネの説明を受けて、妙な既視感に納得がいった。
『魔法少女ミラクルベリー』は小学生に人気のアニメである。小雛もはまっており、共有スペースにあるテレビで毎週欠かさず見ている。猫も何度か一緒に見たことがある。
「こんにちはだよ。あなたたちがMaveRickだね」
魔法少女のコスプレをした少女は魔法のステッキを強く握りしめている。
怯えというよりは緊張を宿した目は大きく丸く、じっとこちらを見つめている。
組織の名を知られていることに驚きはなく、猫は無言、無表情で見つめ返した。
「初めまして、あたしは〈不明〉の魔女、眞伊花芳だよ」
見たところ高校生くらいか、もっと上に見えるが、口調はどこか幼さを感じさせる。ふわふわとした表情も相俟って、見た目よりもずっと幼く見える。
「今日は挨拶だけってルシーちゃんに言われてるから――」
そう言って花芳は握り締めていたステッキを掲げた。イチゴを模したデザインの宝石が花芳の意思に応えるように発光する。
身構え、距離を取った状態でいつでも動けるように警戒する。
「ばいばいだよ。――マジカルミラクルベリー!」
宝石がより一層強く瞬き、思わず目を瞑った一瞬の隙を突いて、花芳と篠近は忽然と姿を消した。
唯一の出入り口は猫とアンネの後ろにある。横を通った気配もないままに二人は消えた。
驚きこそすれ、焦りはない。状況を冷静に分析し、蛇へ報告しているアンネを横目に猫は周囲に警戒を巡らせる。
人の気配はしない。とはいえ、気配を完全に消した状態で隠れている可能性もあり、部屋の中をくまなく確認する。どこにも二人の姿はない。
「猫、道化と合流するように、と指示が出ました」
「分かった」
合流して立て直すのだろう。そう判断した猫は浮かない表情のアンネに瞬きをする。
「なにかあった?」
「いえ……少し、蛇の様子がおかしかった気がして」
返ってきた言葉にまた瞬きをして、首を傾げる。
蛇の様子がおかしいとは待機組の方で何があったのだろうか。心配する気持ちはあるが、今は蛇の指示に従うことを優先させる。




