10「芦世一季の場合」
目立つ装いの少女が場違いに閑散とした商店街を歩いている。どこか憮然とした表情で、苛立っているような足運びである。
真っ赤なドレスの裾を蹴って、足早に進んでいく。歩みに合わせて激しく揺れるツインテールは縦巻きにされており、纏う雰囲気は高慢なお嬢様のそれだ。
派手を好む少女、ロゼはその見た目に反して地味な町中を迷いなく進んでいく。
その手に大事そうに抱えられているのは淡い色合いに花が舞う風呂敷だ。おしゃれな和柄の風呂敷は周囲の雰囲気同様にロゼの姿にまるで合っていない。
場所、装い、持ち物、それぞれが嚙み合わないままにロゼは古びた建物の前で足を止めた。
色褪せた看板から辛うじて『銭湯』の文字が読み取れる。
「こんにちは」
中に入れば、半分眠っているような老人が番台にいるのが見える。慣れた様子で料金を支払い、赤い暖簾が掛かっている方へ進む。
MaveRickに行く前、そして行った後、ロゼはほとんど毎回この銭湯に立ち寄っている。
半年もの間、ほぼ毎日通っているともなれば慣れたもので、手際よく準備を済ませて浴室へ。
廃れた銭湯、時間帯も相俟って人は一人もいない。貸しきり状態の浴室でメイクを落とし、髪を洗い、身体を洗う。ロゼがこの銭湯に通っている理由はここにある。
泡が流れ落ちた髪はすとんと癖なく背中に落ちる。真っ直ぐ切り揃えられた髪に、メイクが落とされたことで現れた凡庸な顔立ち。
時代が時代なら美人だと言われたかもしれないが、ロゼは地味な自分の顔が嫌いだった。もっと目鼻立ちがくっきりした顔だったら、と何度考えたことか分からない。
湯船に浸かり、水面に映った冴えない顔を睨む。
ただ、妙に苛々するのは嫌いな自分の顔を目の前にしているからだけが理由ではない。この苛立ちは自分の未熟さに対するもので、行き場のない感情が内に溜まっていく。
「――なんて、考えている場合ではありませんわね。早く帰らないと」
全身を包み込む程よい温度の湯船にもっと浸かっていた気持ちを押しのけて立ち上がる。
何度も言うようだが、湯船に浸かることはロゼが銭湯を訪れるほんのついでにすぎない。ロゼの目的は凡庸な顔を飾り立てるメイクを落とし、巻いた髪をストレートに戻すことだ。
本当なら湯船に浸かる必要などなく、髪を洗ったらすぐに浴室を出ればいい。しかし、気紛れに湯船に入ってしまったが最後、ロゼはすっかり虜になってしまった。
以来、時間に余裕がある日はなるべく浸かるようにしている。
家の風呂もそれなりの広さではあるが、大浴場というのは何か違う。閑散としていても人の気配が感じられて身体だけではなく心までも温かくなっていく感覚がするのだ。
ともあれ、手早く身体を拭き、風呂敷に包まれていた服へ着替える。
ここに来る前まで着ていた派手な赤いドレス――ではなく、シンプルなデザインのワンピースだ。ドレスは皺がつかないように丁寧に畳み、風呂敷の中に包んだ。
濡れたままの髪は脱衣所の隅に置かれたドライヤーで乾かす。その横にはヘアアイロンも置かれていて、どちらもロゼの私物だ。
常連だから、と特別に置きっぱなしにする許可を店主にもらっている。その代わりに他の客が使ってもいい、とロゼの方から申し出た。ドライヤーはいざ知らず、ヘアアイロンを使う客はなかなか訪れないようだが。
長い髪のそこそこ時間をかけて乾かし、完了だ。MaveRickのロゼから芦世一季へと。
立ち振る舞いすらも変えて銭湯を出た。そのまま荷物――ドレスを包んだ風呂敷をコインロッカーに預けてようやくロゼは帰路の途につく。
商店街を抜けて進んだ先に大きな屋敷が現れる。和風の平屋、荘厳な雰囲気をまとうこの家こそ、一季の家だ。
敷地に入ってから玄関先までの道を春咲きの椿が彩っている。数輪、地面に落ちている椿の花をあえて視界から外し、家の中へ入る。
椿は嫌いだ。散り方が何より美しくない。同じ赤い花なら薔薇の方が余程美しい。
重なる花弁は豪奢で、散り際すらも美しさを忘れない。一季も薔薇のように最後まで気高く美しい存在でありたいと常々思っている。
「一季さん、今お帰りですか?」
玄関に入ってすぐ、祖母と出くわした。色の薄くなった髪を几帳面に結い上げ、椿が描かれた着物をまとった初老の女性だ。
髪にも、服にも少しの乱れもない。潔癖さすら感じさせる祖母の雰囲気が一季は昔から苦手だ。
「ただいま戻りました、お祖母様」
MaveRickで見せる高慢な態度から想像できない、淑やかさで頭を下げる。
厳しさを絵に描いたようなこの人こそ、芦世家の王様だ。一季はもちろん、両親すら祖母には逆らえない。
「最近よく遊び歩いでいるようですが、明日は会合があります。くれぐれも忘れないように」
「はい、お祖母様」
頷くようにもう一度頭を下げていれば、祖母は鋭い視線をすぐに外した立ち去った。
遠ざかる足音に身体を弛緩させ、息を吐く。祖母を前にするといつも身体が固くなる。
「怪しまれていますわね」
自室に戻った一季は声を潜めるようにそう呟いた。
一季がMaveRickに所属していることは当然、家族の誰にも話していない。そもそも許してもらえるわけがない。
許してもらえるのであれば、一季がMaveRickに居場所を求めることはしていなかっただろう。
求める自分、ありのまま自分でいられる場所が一季にはMaveRickしかなかったのだ。
「少し距離を置いた方がいいかもしれませんわ」
言って、嫌だと胸の奥から叫び声があがる。
祖母にばれてしまえば、一季はもうMaveRickにはいられなくなる。
この家と縁を切って、MaveRickで暮らすこともできなくはないだろう。しかし、一季はまだ子供で、将来すべてを捨てきれない理性が決断を躊躇わせる。
それでもやっぱりこの家とMaveRick、どちらか一つしか選べないのであれば一季はMaveRickを選ぶだろう。
芦世家は古くから伝わる華道の家元だ。現在の当主である祖母は伝統やしきたりに拘る人で一季は幼い頃から厳しく育てられてきた。
長く続く家を守るために必要なことなのは分かっている。分かっていても、受け入れられるかは別問題だ。一季には伝統の枠に収められる人生が耐えられなかった。
慎ましさこそ美しさだと謳う祖母への反動か、一季は派手なものを愛するようになった。
内に潜め、燻っていた感情は町で見た光景によって発露する。
下校の最中だった。人が激しく行き交う町中でも埋もれない、鮮烈な赤が一季の目に飛び込んできたのだ。
真っ赤なドレスに身を包んだ女性が堂々とした姿で歩いている。ただそれだけの光景に魅入られた。
同じようになりたい、と胸が湧き立ち、その心を見透かしたように彼女は姿を現した。
「ゴシックロリータっていうらしいよ。気になるの?」
特筆する特徴のない少女だった。今、振り返ってみても顔が思い出せないくらいに印象が薄い少女だ。
強いて特徴をあげるなら六湊町にある女子校のセーラー服に身を包んでいたことくらいか。
ともあれ、急に話しかけてきた図々しさに眉根を寄せる。今まで一季の周りにはこういうタイプの人間はいなかったから驚きも込めて。
「気になるなら、いいお店教えてあげる」
手を掴み、一季を引っ張るようにして少女は歩き出す。断る隙も与えないままに。
ようやく状況に理解が追いついた頃には少女の言うお店に辿り着いていた。
町で見た女性がまとっていたような豪奢なドレスがいくつも飾られていた。
「……うつく、しい」
求めていたものが目の前で形となって、手に届く場所まで来てくれた気がした。見惚れるように立ち尽くす一季の横で、少女は店員となにやら話し込んでいた。
店内に飾られた美しいドレスたちに目を奪われた一季が我に返った頃、ショップ袋が渡された。
「はい、プレゼント」
「な、なんで……?」
戸惑いを隠せない。見える範囲だけでもそれなりの値段のする服ばかりが置かれている。学生がおいそれと買えるような値段ではない。
ましてや、初めて会った碌に会話もしていない相手に贈るような金額のものではないのだ。
混乱を顔に描く姿を笑って、少女は一季にショップ袋を押し付ける。
「私には見たいものがあるの。これはそのための布石」
「わ、私に何かさせるつもりですの?」
「ううん、いいえ? 貴方は見せてくれるだけでいい。私はただ始まりを与えただけ」
少女はどこまでも楽しそうだった。そして何かに期待しているようでもあった。
「始まり、ですの」
「その服を着て、戸を叩いてみて。MaveRick、そこが貴方の居場所になる」
それが本当に始まりだった。赤いドレスとともに入っていた地図を頼りにMaveRickの拠点を訪ねて、一季は薔薇になったのだ。
コードネームの由来となった薔薇を生み出す異能はいつの間にか使えるようになっていた。
少女の言っていた通り、MaveRickは決してなくすことのできない一季の居場所となった。
何を置いても守りたい場所、そこまで考えて一季は深く息を吐き出した。答えはもう出ている。
「なりたい自分になるため、求めるものになるために妥協するつもりはありませんの」
自分の未来のため、祖母のことを気にしていても仕方がない。生まれる問題はそのときに考えればいい。
くよくよ思い悩むことは一季に、美しく気高いロゼに相応しくない。
目を閉じ、自分の求めるものを考える。今一番胸に引っ掛かっているものについて考える。
真っ先に浮かんだのは薄ピンク髪の少女だった。吸血鬼と名乗る少女に一季はただ翻弄されるだけで、その事実が胸を締め付ける。足手纏いであることは美しくない。
強くなりたい。それが今の一季が求めるものだ。
屈辱的な一戦を思い出して、向き合って、自分に足りないものを考える。そして立ち上がり、家を飛び出した。
最初は早足で、徐々に小走りになり、家が完全に見えなくなった頃に駆けだした。
逸る気持ちのまま、全力疾走する一季は徐にスマートフォンを取り出した。
「龍……璃尤っ、いま…今っ、家にいますの?」
『ああ、ちょうど帰ったところだよ。何かあったのかい?』
「なら、そのままいてくださいまし」
返事を聞く前に通話を切り、加速して数分前に通ったばかりの道を逆向きに辿る。
拠点と同じ方向だが、目的地は違う。途中で道を曲がり、そこからは違う道だ。
呼吸があがり、足が重たくなってきた頃、目的のアパートに辿り着いた。疲労を訴える足を無視して、二階へ続く階段を上る。一番奥の扉の前に立ち、インターフォンを鳴らした。
間もなく家主の、中性的な声が聞こえて扉が開かれた。
「おや、走ってきたのかい?」
顔を出したのは中性的な顔立ちの人物だ。服装も、顔立ちも中性的で一見すると男性だと勘違いしてしまいそうな容姿の女性だ。
MaveRickのメンバーにはロゼとしての姿しか見せないと決めている一季の唯一の例外だ。
情報収集を担当する彼女はメンバーの素性をすべて把握している。隠すだけ無駄だ。
銭湯が開いていない時間帯はここの風呂場を借りているので今更でもある。
「汗だくだね。先にシャワーでも浴びるかい、イチ」
「必要ありませんわ。タオルを用意していただけます?」
いつもなら「ロゼと呼べ」と言っているところだが、今はロゼではなく一季なので訂正はしない。
一季とロゼは別物、そう認識している。そうやって自分自身を切り替えている。
だというのに目の前にいるこの女はどちらでも「イチ」と呼ぶのだ。不満で仕方がないが、今はいい。
部屋の中に入り、受け取ったタオルで汗を拭きながら、変わらぬ態度の璃尤へ向き直る。
「貴方、護身術に長けていますわよね」
「正確に言うとジンクードーだけれど、多少は護身術の心得もある。一応、肯定させてもらうよ」
非戦闘員を名乗っている璃尤はこう見えてそこそこ強い。一般人よりは、という枕詞がつくし、怪物じみた身体能力を持つ者や特殊な力を持つ者の中では、やはり非戦闘員と言えるだろう。
とはいえ、今、一季に必要なのは璃尤のその力だ。
一季の能力は長中距離に特化したものだ。射程に合わせて銃のサイズを調整することもできるが、その内側に入られたらどうしようもない。それを先の一件で思い知った。
今更護身術を覚えても、それを武器として使うことはできないだろう。それでも距離を詰められたとき、少しでも反応できたら結果は変わってくる。
手も足も出ない状況が手や足くらいならでるようになる。それだけでも違う。
「わたくしに教えてくださいませんこと?」
らしくなく頭を下げて懇願する。
こんなこと、ロゼのときには絶対言えない。こんな真似、ロゼのときは絶対できない。でも、今は一季だからいいのだ。
「構わないよ」
緊張で鼓動を早める一季とは対照的に璃尤の返答はあっさりとしたものだ。
いつものことだ。この女はそういう奴なのだと何度目か分からない評価を胸に落とした。




