8. 望む場所
なんで選ばれたのだろうか。
布団を被らずにベットの上に寝転がり、何もない天井を見上げた。悶々と答えの出ない問題を考え続ける。
「願い......か......」
印が発現した首元に触れながら、これが夢でないことを改めて認識する。
昨日まで普通の生活をしてたのに。楽しくご飯を食べて、カイヤと話して、今朝もカイヤに言われるまで....
いや、今朝は何か悪い夢を見て....。
あれ?どんな夢を見たんだったか。酷い目覚めだったのは覚えているのに内容がどうも思い出せない。今まで感じたことのない不快感だったが、内容は白い靄がかかったように頭に浮かばない。
それ以上に大きな出来事があったのだから、夢の内容なんて些細な事を忘れてしまうのは仕方ないのかもしれない。
それでいいか。忘れたのなら自ら嫌な記憶を呼び戻す必要はない。ただでも問題は山積みなんだから。
"願いを抱く者の印"は文字通り、叶えたい願いを持つ者が、願い神アラクトウィンドに認められた時発現する印だ。
私達が暮らす、このエスペラと呼ばれる世界の人口はおよそ77億人。その中で印を得られるのは10年区切りで8千人いるかいないかと言われている。まぁ、ざっと100万分の1くらいの確率だ。挑戦するのが難しい幼子や高齢の方を差し引いて考えたとしても、狭き門なのは間違いない。
ロードルの扉が開く"開門の年"は10年に一度。ロードルの中で行われることについて詳しく書かれている文献はあまり無く、知る者も口外することは殆ど無い。
故に、エスペラに住む者は想像を膨らませ、ロードルへ行くことを誰もが一度は夢に見る。叶えたい願いがあろうと無かろうと関係なく、興味を引かれる存在なのだ。
情報がほとんど無いロードルだが、それでも適年齢と言われるものは存在している。
ロードルへの挑戦が許される者の多くが、15歳から25歳前後の若者を中心となっていることから、その年齢層が適年齢とされているのだ。
その事実から、身体能力が必要となる試練があるのではとの噂が長い間言われている。強い夢を抱くのは若い年齢の方が多いためだろうという意見に私は同意だが、その思考も分からなくはない。
そんな風に意見を交わすことは日常的に見られることで、開門の年に我が子が適年齢となるよう計算して身籠る者もいるほど、ロードルへの挑戦は選ばれし者のみに許された重要な存在だ。
私は現在16歳。
ロードルへ挑戦するには丁度いい年齢だ。発現のタイミングは申し分ない。ロードルへ行って欲しいと願うような親なら大喜びだ。
そんな数少ない切符を手にしたのだから嬉しくないはずはないだろう。
だが、同時にずっと抱いている疑問も頭から離れることがない。
"私の願いは何だ?"
こんな中途半端な思いで、皆が目指す場所へ足を踏み入れることが許されたというのか。頭を駆けめぐる疑問は途切れる事なく私を悩ませる。
私の大切な家族である2人に、自分の願いをちゃんと伝えることができたなら。それなら、彼らはきっと応援してくれるだろう。私が選んだ道ならば頑張ってこいと背中を押してくれただろう。
だが、私にそんな夢はない。偶然与えられた切符をこんな軽い気持ちで握って、冷やかしで挑戦するのか。約束を放棄してまで挑戦するほどの価値がロードルにあるのだろうか。
もちろん、与えられたチャンスを簡単に手放したくないという感情もあるが、それ以上に頭の中は疑問で溢れている。
「胸を張って挑める願いがあったら......」
なんて贅沢な悩みを口にする。
一人で考えていても答えが見つかるはずもなく、時計の針は11時を過ぎ、空腹だという小さな主張も聞こえて来た。
リアムさんにも話をしよう。
結論を見つけるのはそれからでも遅くない。悩んだときには自分より経験の多い者の教えを乞うのが最も効果的な解決方法だ。
そう決めるとベットから起き上がり一階へと向かった。




