11. 私の過去
「こんなことも出来ないの?」
頭に響く幼い子供の声。いつもより低い自分の視野に違和感を感じ顔を上げた。
「ちょっと登るだけじゃない、簡単でしょ」
手をついた姿勢の私の前に立っているのは5歳くらいの女の子。見覚えのあるその姿は、高い木の上を指している。背後の取り巻き達から聞こえてくるクスクスという笑い声は、まるで獲物を見つけたハイエナのようだった。何も出来ない無力感が記憶と共に押し寄せる。そんな私を鼻で笑うと、取り巻きに囲まれ満足げな彼女は屈んで目線を合わせる。
「あんたには難しいか、私達と違うんだもんね。カイヤがいないと何も出来ないんだもんね」
嫌な言葉が胸を抉った。これは過去の記憶、私が5歳の時されたこと。それを自覚してもなお、記憶の再現は終わらない。私に向かって棘を吐くレイナ。ロードルに旅立つ際、優しい言葉をかけてくれた彼女の昔の姿。
「"普通"になれるようにもっと頑張りなよ。手伝ってあげてるんだから感謝したら?」
だが、この頃の彼女にその面影は一切ない。この日はリアムさんに貰った大切な本を取り上げ、木の上に置いていかれた。2m近い木の頂上まで登るには、まだまだ力が足りなかった。そんな私に比べ、周りの子達はフォークを持つより簡単に登って行く。
「そう...だね。ありがとう」
ゆっくりと立ち上がり、膝の土を払うと静かな声で言葉を返した。
嫌がらせは彼女達の気が向いた時。それも狩猟の民であれば嫌がらせになんてならない程度の些細なこと。大人が介入してくる程のものではない。だからどんな事を言われたとしても、湧き上がってくる数々の言葉を飲み込み続けていた。自分が他と違うことが悪いのだと言い聞かせて。
「なによ。もういいわ、行きましょ」
そうして彼女達が消えた後に残った痛みを思い出す。木の皮で痛めた手のひらの細かい傷口から血が滲んだ。
何故今こんな昔のことを思い出しているのか。小さな手のひらを見つめながらそんなことを考えると、途端に風景が歪み見慣れた景色に移り変わる。
「ヤヅキは凄いわね、こんなにも素敵な事を考えられるなんて」
背の高いクッションにもたれてベットに寝ているエリシアさん。カイヤの母親である彼女は私のことも実の子のように扱ってくれていた。病弱で寝室から出られなくなってしまっていたが、毎日私とカイヤの話を楽しげに聞いてくれていた。
「今日も沢山お勉強して偉いわ、カイヤも稽古よく頑張ったのね。2人とも凄い子ねぇ」
私が考えた物語を話すといつも嬉しそうに聞いてくれ、私が疑問に思ったことは答えが見つかるまで一緒に考えてくれた。どんな些細なことでも褒め、大切にしてくれる。そんな彼女がいつも私達に言ってくれたこと。
「カイヤは運動が得意だし、ヤヅキは勉強が得意よね。出来ることは人それぞれ違うものなのよ。私はパパみたいに物語を考えられないけど、可愛い絵が描けるの。お互いに出来ない事が出来るから素敵な絵本が作れるのよ。だからね、ヤヅキが出来ないことはカイヤがやるし、カイヤに出来ないことはヤヅキが助けてあげるのよ。そうしたらきっと素敵な物語になるわ」
そう言って優しく笑うと両手で私達を抱きしめた。その暖かさは心地よく、太陽に包まれたような不思議な安心感をくれた。幸せな思い出に浸りゆっくりと目を閉じる。
だがその暖かさは静かに消えていき、次に目を開いた時には景色が変化していた。
「この弓も無理か」
そう言って武器庫の中をごそごそと探しているカイヤの背中。狩猟大会の為に練習を始めた10歳の記憶。成人の儀式に向け、本格的に準備を始めた年。周りに追いつこうと必死に体づくりをしても、離れていく背中は何処までも遠く追いつけなかった。
「他にいいやつあったっけなぁ?」
槍や弓で獲物を仕留めるには筋力が足りず、思ったように練習は進まない。どんなに技術を磨いて狙いを定めても、パワーもスピードも足りず仕留め損なってしまうのだ。そんな私を見兼ねたカイヤが練習に付き合ってくれている。
「大会じゃあんま見ねぇけど、罠とか使ってみっか?」
ロープや金属製の器具を手に持ち問いかけるカイヤ。そんな彼の姿に一つのアイデアが浮かんだ。出来ないことは出来ることで補えば良いと。
その考えと共に背景がぐにゃりと歪み、森が現れる。
気がつけば、深い森の中木々の間を抜け、小さな角兎を追いかけ走っていた。届かない矢を放ちながら、目的の位置まで獲物を追い詰める。段々と上がってくる息と共に、目標に近づくと鼓動も早くなる。
あと少し。
罠を仕掛けた位置に獲物が入るとロープが絞られ罠が跳ね上がる。その先には兎の足が捕えられており、その光景は初めての成功を伝えていた。やっと捕まえられた、自分にできるやり方で。その嬉しさで今までの努力が無駄ではなかったことを実感する。
「近づかないで!!」
だが、喜びに浸る間もなく後方から聞き覚えのある声が響いた。何事だろうか。
「来ないで!!!」
切羽詰まった声と目の前の成功が一瞬で天秤にかけられる。兎はまた捕まえれば良い。やっと手にした獲物を諦め背を向けると、声がする方へ駆ける。11歳の狩猟大会初日。その日ある少女が巨大な熊に襲われ、脚に大怪我をした。そして、そんな彼女を助けたのは。
記憶を振り返り終える間もなく、脚から血を流し動けないレイナの姿が目に映る。
興奮状態にある獣からは簡単には逃れられない。だからと言ってカイヤじゃあるまいし、11歳の少女が熊を仕留めるなんて到底無理な話だ。だが今手に持っている武器は弓矢一つのみ。そんな現状を把握すると、自分に何が出来るか必死に考えた末に私は弓を引いた。
「無理よ!危ないわ!!!」
そんな声を聞きながら矢を放つと、浅くだがなんとか獣の目に刺さった。今まで必死に練習してきたこと。力が足りないのなら技術で補えばいい、技術が足りないのなら工夫すれば良い。筋力が足りず毛皮を貫けない私が狙えるのは急所である目。小さな獲物では狙えないが、的が大きい今なら有効だ。
足元から石を拾うと、突然の痛みに驚き声を上げる獣に勢いよく投げつける。低く唸ると不愉快な行動をする奴は誰だと、潰れなかった方の目で目標を此方へ移した。その姿を見計らい彼らの本能を刺激する行動をとる。
背を向け全力でその場から駆け出すと獣は私を追いかけた。決して考え無しにした行動ではない、私に出来るのは自分にできる最大限のことを集め計画を組み立てること。そして実行するための少しの勇気。全てが揃った今怖いものなどない。
駆け出した先に待つ深い崖で急ブレーキを踏む。カイヤと共に下見で訪れた場所。ここなら私の計画にぴったりだ。
僅かな差で追ってくる獣に気づかれる前に、地面に這う蔦を引っ張り獣の進行方向からずれた。するとスピードを緩められず直進する獣が、蔦に足を取られ下へと落ちていく姿が目に映った。巨体は簡単に止まれない、獲物を追う為にスピードを上げていたのなら尚更だ。そんな獣を見ながら、煩いほどに鳴り響く鼓動は止む様子はなかった。
仕留めたにも関わらず処理をちゃんと行えないのは狩猟の民の教えに反するため心が痛いが、そんな事を言っている場合ではなかった。危機がさったこと、兎とは比べ物にもならない大きな獣の対処が出来たこと、自分の行動が1人の人命を救ったこと、一瞬で起こった出来事に言葉にできない喜びを感じる。
「大丈夫?」
レイナがいる場所に戻ると手当てをしながら他にも怪我がないか確認する。下に見ていた私に助けられたことが恥ずかしいのか、何も言えずにいる彼女。風が木々を通り抜け音を立てる中、追求することなく淡々と応急処置を施した。7、8歳ごろには明らかな嫌がらせは止んでいたが、仲が良いとは口が裂けても言えない関係だった私達。だが、この出来事をきっかけに友人に近づいたような気がする。
背景が歪み、もう4度目の場面変換で現れたのは狩猟大会の最終日の記憶。
「今までのこと、悪かったわ。嫌がらせなんかしてごめんなさい。貴方のおかげで助かった」
目を合わせないままだが、私に向かい精一杯の謝罪を伝えるレイナ。その手には奇しくも彼女と同じ足を怪我した兎が抱えられていた。
「その、私のせいで、獲物を逃しちゃったって聞いて...。この子貴方の獲物でしょ」
そっと差し出されたのは確かに私が罠で捕らえた兎だった。背けた顔から表情は読み取れないが、真っ赤になった耳から大体予想がつく。
「ありがとう、助けてくれて」
そんな彼女の声と共に私の記憶の再現も終わりを告げた。
これが走馬灯というやつだろうか。そんな考えと共に私はゆっくりと現実へと引き戻されていった。




