10. 使者
「どなたですか」
扉の外にいる人に向けて聞くと少し高めな男性の声が返ってくる。
「ロードルの使者である、叡智の民のビクトル・コロブネフです。アラクトウィンド様によりロードルへの挑戦が認められました、ヤヅキ様のお宅でお間違いないでしょうか」
一瞬、内容を理解できずにドアノブを握りしめたままフリーズする。えいちの民?使者?なぜそんな人が会いにきたのか。頭をフル回転させ、過去に読んだ本の内容を引っ張り出す。
『ロードルへ行くには神の元で働く"叡智の民"の者に会う必要がある。彼らはロードルが神の手によって創造されたときから現在まで、ロードル内の管理を全て行なっている。挑戦者の名簿を作成し実際に挑戦するかどうかを確かめるために印が現れた者を訪れ……』
他の書籍に比べると学術書に近い、古くて少し読みづらかった本を思い出した。印が発現した者を訪れる使者......。
「あのー、声聞こえてる?」
本の内容を思い出そうと必死になっていると扉の外から声が聞こえ、はっとする。
「あ、すみません。今開けます」
鍵を開けドアノブを回す。
彼が本当に使者ならば、私の意見を伝えれば良いだけだ。何も心配することはない。
扉を開くと、目の前にいたのは全身真っ白な若い男性だった。白い髪は太陽の光を受け金色に輝いており、全身を包む服はシワひとつない。今まで見た他の種族とは圧倒的に別の人種であることを感じる威圧や気品。
神に最も近い種族、叡智の民は様々な文献を読んで想像していたどんな姿よりも美しかった。
「よかった、よかった。締め出されたままかと思ったよ」
最初の挨拶とは打って変わってだいぶラフな言葉遣いになり、にこやかな笑顔で右手が差し出された。
「君がヤヅキだね、数少ない切符を手にした気分はどうだい?」
使者の手を握り返すと、彼は嬉しそうに握った手をぶんぶんと上下に振る。
「君は印を得た者の中でも特に、」
彼の言葉の途中で、後ろからリアムさんの声がかかる。
「お客さんだったのかい?」
私が後ろを振り返ると同時に、使者は嬉しそうな声を上げ、扉を跨ぎ私の横から家の中へ入った。
「おお!久々だね、本好きの坊や。前会った時からもうこんなに老けちゃって」
リアムさんの方へずんずん歩いて行き、リアムさんの肩を軽めに叩くと嬉しそうに声をかける。
「もう坊やって呼んでもムキになって怒るような歳じゃなくなってしまったね。残念だよ」
リアムさんは最初驚いた表情を浮かべたが、使者の方を見ると普段よりだいぶ硬い表情で挨拶をした。
「ビクトルさんじゃないか、久しいな」
どうやら面識はありそうだが、警戒している様子から仲はあまり良くないのが見て取れた。人当たりの良いリアムさんの表情がここまで曇るとは何があったのだろうか。
外見だけでは、どう見てもリアムさんの方が年上だが、その関係性はまるで逆である。種族の違い故だが、異様な光景に感じるのは仕方ないだろう。
そんな事を考えているとリアムさんがそっと使者の腕を避け、口を開く。
「こんな場所まで何しにきたんだ」
睨みはしないものの先ほどに比べて、より険しい表情になる。
「そんなの聞かなくたってわかるだろう。約束を守りに来たんだよ。僕はまた10年後に来るって言ったじゃないか」
使者はそんなリアムさんを気に留めていない様子で変わらず軽い口調で返答する。
「彼はもうその結末を望んでいない。それでも意向は変わらないのか」
声は低く普段からは想像つかない威圧感で使者に告げるリアムさん。
10年前の約束?、"彼"?、意向?
話の内容は知らないことばかりで私には理解できない。
「彼らへの願いは特別なんだ。ちょっとやそっとのことでは覆せないよ」
そう言うと使者は私を見て言葉を続ける。
「現に、扉が開く年に、彼女にはもう一度印が発現した。つまり、願いは消えていないし、神もその願いを否定していないということ」
先程と比べ少し落ち着いた声色でリアムさんを諭すようにして使者は言った。
リアムさんは私と一瞬目を合わせ、まるで事前に印が発現するのを知っていたかのようにため息をついた。そして、眉間に皺を寄せ少しの間黙り込み、納得していない様子で首を横に振る。
「まだ全てを背負うには幼すぎる」
すると、使者は"君はそう言うと思ってた"と呟きながら、勝手にリビングの椅子に座り込み、小さく溜息をつく。
「あのね、坊や。彼らは願いを叶えるために様々な変化をする。今は適年齢の16歳だからいいけど次の26歳、36歳、46歳と伸ばせば伸ばすほど彼女は変化を受けてしまうかもしれないんだよ」
机をトントンと叩きながら話を続ける。
「僕の種族みたいに永遠に死ねなくなったらどうするんだい。勿論、それが彼女の選択なら僕は否定しないけど、ロードルに行くより厳しい道を歩むことになるかもしれないよ」
リアムさんの目を真っ直ぐ見つめると立ち上がり、先ほどと同じように肩に手を乗せる。
「割り切って背中を押すことも、家族の優しさだと僕は思うけどね」
リアムさんが使者から目を逸らし俯くと、彼は私の方を見た。
「いやぁ、ごめんね。嬢ちゃんには難しい話ばっかりだったよね」
ガラスのように輝く綺麗な水色の瞳は、全てを見透かしているかのように感じる。ヘラヘラとした薄っぺらい笑顔はその明哲さを隠しているかのようだ。
「旧友との会話も楽しいけど、ちゃんと仕事しなくちゃね」
そう言うと、まるで自分の家かのように先ほど座っていた向かいの椅子を引き、背の部分をトントンと叩いて座るように促された。
「せっかくだし、僕と話をしようか」
その笑顔の奥に何が潜んでいるのか、私には想像もできない。
これが嵐の前の静けさというものだろうか。




