9. ここにあるもの
階段をとんとんと降り最後の段から足が離れたとき、同時にリアムさんの部屋の扉が開いた。
どうやら、丁度執筆の休憩時間に入るところだったらしい。
「おや、今日はカイヤとサノスの所へ行くんじゃなかったのか」
慣れた手つきでポットに水を入れ、火にかけながら私に話しかける。
「少し問題があって、今日は一緒に行かなかったんです」
リアムさんがいつも使っているカップと自分の分のカップを戸棚から出し、コーヒーと紅茶の準備をしながら答える。
「ほお。問題か。」
リアムさんは先に席に着くと、煙草に火をつけた。
「久しいなぁ。3年前にカイヤが本を汚して大喧嘩になった時以来だ。ヤヅキが"問題があった"と言うのは」
ゆっくりと息を吐くと紫煙が天井へ立ち昇る。カイヤが荒らげた声がリアムさんの部屋まで聞こえていたようだ。
「今回は喧嘩じゃないです。ただ......」
その先の言葉をどうやって伝えようか思考を巡らせる。
「......悩んでることがあって」
ロードルに挑戦すればどんな願いでも叶えられるチャンスが得られる。しかし、それにはそれなりの対価があり、必ずしも無事に帰ってくることが出来るという保証はない。
実際、怪我をして戻ってくる者やロードルへ行ったっきり帰ってきていない者もいる。全ての人がそうだというわけではないが、重傷を負って遠い故郷へ帰ることが出来なくなってしまった者、ロードル内で命を落としてしまった者の話を耳にすることがある。
多くの人がその危険を知りながらも挑戦するのは、それだけの強い覚悟と叶えたい願いがあるから。
それなのに、何の願いもない自分に現れた印の謎。ロードルという未知の世界に興味を惹かれているのも事実だが、それだけでは神に選ばれる理由になんてなりやしない。
「....悩みか」
リアムさんは煙草の灰をとんとんと落とすとゆっくりと話し始めた。
「悩み事には2つの解決策があるんだ」
もう一度煙を吐き出す。
「ひとつめは自分の選択を信じること。悩んでいる時、本当は自分の中で答えが見つかっていることが多い。その答えを選択するための勇気は、自分自身を信用することで得られる。ヤヅキがした選択なら誰も咎めたりしないさ」
そう言うと優しく笑って、私が差し出したコーヒーカップを受け取る。自分の分の紅茶の用意が出来ると、私もリアムさんの対面側の席についた。
「ふたつめは何ですか」
煙を肺にたっぷりと吸い込み、いかにもうまそうに吐き出すとリアムさんは話を続ける。
「ふたつめは吐き出すことだ。悩みや不安は誰かに伝えれば薄れてしまうものだ。家族や友人、信頼できる人なら誰でもいい。悩みは、煙草の煙のように口に出すだけで軽くなって消えていくんだよ」
リアムさんは煙草を灰皿に置くと、コーヒーを少し口に含んだ。
「幸い私には耳が2つもある。私でよければいくらでも聞けるよ」
リアムさんは私の瞳を覗き込み優しく言う。不安は人に話せば減るものだと笑うリアムさんに、私は今の状況を伝えることを決めた。
「......実は、」
私が口を開いたと同時に店の扉をノックする音が聞こえてくる。今日は定休日。カイヤであれば裏口から入ってくるため、お客さんか近所の方だろう。
「私が出ますよ」
話しかけた内容を飲み込むとリアムさんは何か言いたげに頷き、私は扉の方へ向かった。




