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母親のカレー

作者: 村崎羯諦

 物心がついた時にはもう父親はいなくて、狭いアパートで母親と二人で暮らしでした。いつも母親は家にいなくて、幼い頃なんかはアパートの裏で一人で遊んだり、暗い部屋で一人で母親の帰りを待ってるってことが多かったですね。もちろん寂しいっていう気持ちはありました。でも、子供のくせに女で一つで子供を育てるってことがとても大変だっていうのをきちんと理解してたんです。だから嫌いになるなんてことは一度だってなくて、いつだって俺は母親のことが大好きでした。


 母親との思い出ですか? ええ、もちろんありますよ。さっきお話しした通り母親は家を空けていることが多くて、基本食事はスーパーで買ってきた弁当だったり、冷凍食品だったんです。でもですね、本当にたまになんですが、母親が家に帰ってきて、俺のためにカレーを作ってくれることがあったんです。


 母親は普段から料理をしてなかったんで、味も見た目もひどいもんでしたよ。野菜の大きさはバラバラだし、市販のカレールーを使ってるっていうのに、変な味がする。その上、子供が食べるって言うのに、一口食べるだけで舌がピリピリしちゃう。でもですね、母親と一緒にいられること自体が貴重でしたし、俺がカレーを食べている間、母親は俺のことをニコニコしながら見てるわけなんですよ。それが俺は嬉しくてですね、舌がピリピリするのだってお構いなしにおかわりを頼むんです。そしたら、母親は嬉しそうにカレーのおかわりを持ってくれるんです。たくさん食べてねって母親が言って、俺も笑顔を返すんです。変な味のするカレーで口がいっぱいだったけど、母親が俺のことを好きでいてくれてるんだなーって思うと、すごく満たされた気持ちになったんです。


 で、ちょうど一ヶ月前。そんな大好きな母親が出かけ先で倒れて入院することになったんです。ええ。ええ。そうです、俺がお金のために強盗殺人をしてしまった、ちょうどその日です。電話がかかってきた時、俺は高校の悪友と街をほっつき歩いていたんです。電話で母親が病院に運ばれたって聞いたもんだから、急いでダチの原付を借りて、病院まで急いで駆けつけたんです。


 病室に入ったら、ベッドに寝ていた母親が俺をちらって見て、隣に置いてあった椅子に座るように言ったんです。言われた通り俺は椅子に座って、大丈夫か?って尋ねたらですね、母親は単刀直入に自分が末期癌なんだだって俺に伝えてきたんです。あんまりにもさらってすごいことを言われたから俺は言葉を失っちゃったんですけど、母親はそんな俺をよそに、手術をすれば治るかもしれないけど、うちには手術代を払えるお金がないって呟いたんです。


 俺と母親はそのまま病室で黙り込んじゃうわけですよ。黙っているうちに頭の中で整理がついてきて、このままだと母親は死んじゃうんだってことを少しずつ理解し始めたんです。大好きな母親ですから、死なんて簡単に受け入れられるわけがない。手術をしたら治るかもしれないってお医者さんは言ってるから、お金さえ用意すればなんとかなるのかもしれない。でも、俺みたいな普通の高校生が、そんな大金をすぐに用意できるわけないですよね。母親を助けるためにはどうしたらいいんだろうって、俺は病室ですごく悩んだんです。


 でも、母親のために何かをしたいって気持ちだけは強かったんです。それと同時に母親との思い出が走馬灯みたいに頭の中を駆け抜けて、子供の頃によく作ってもらってたカレーのことを話し始めたんです。自分のためにカレーを作ってくれたことがとても嬉しかったことと、変な味がしたけど自分にとってはあれがお袋の味なんだって、俺は母親に言伝えたんです。で、ふと、俺が小学校を卒業した辺りからぱったりと作ってくれなくなったよねって、俺は聞いたんですよ。そしたら母親は、もう意味がなくなったからって言ったんです。


 母親が変なこと言うから、どういうことだよって聞くじゃないですか? そしたらですね、俺に作ってたカレーには毒を入れてたんだって母親が教えてくれたんです。その当時、母親には子持ちであることを黙ったまま付き合ってる彼氏がいたんですって。母親はその彼氏とどうしても結婚したかったんですけど、俺の存在が死ぬほど邪魔で、死んでくれないかなーってずっと思ってたそうなんです。だから、こっそりと少量の毒を入れて食べさせ続けていたら、いつか病気で死んでくれるかもしれないって思いついて、毒入りカレーを俺に食べさせるようになったんですって。で、彼氏とは俺が小学校を卒業するあたりで別れちゃったから、それ以降はカレーを作るのもやめてしまったってことなんですね。


 そんな話をし終わった後にですね、母親は俺の方を向いて、私のことはまだ好きだよね?って聞いてきたんです。まだ大好きだよって俺が答えたら、母親は手術代をどこかから調達してきてって言ってきました。どうやって?って俺が聞くと、母親はいくつか住所を教えてくれて、ここらへんに住んでる人はお金を持ってるらしいから、どこか適当な家に入って空き巣でもしなさいって言ったんです。


 犯罪じゃないかなって俺は一応確認したんですけど、仕方ないでしょって母親は言いましたよ。それから、私のために犯罪者になってくれる?って母親が言うもんだから、俺はありがとうって言って、母親から教えてもらった住所に向かいました。え? いや、そりゃそうですよ。大好きな母親のために何かをさせてもらえるんですよ? これ以上幸せなことなんてありませんよ。


 そこからは刑事さんもご存知の通りです。護身用に包丁を持って家に忍び込んで、タイミング悪く鉢合わせしちゃった家の人、つまり若い母親と幼い子供を殺したんです。二人とも包丁で殺した後で家からお金を盗んで、そのお金で母親は手術を受けることができたんです。まあでも、手術後に肺への転移が見つかったから、もうどうしようもないんですけどね。


 これが一応僕なりの経緯なんですけど、刑事さんは納得できました? いやいや、嘘なんてついてないですよ。だってほら、誰もいない倉庫で、こうして椅子に縛り付けられてるんですよ? こんな状態で嘘なんてつけるわけじゃないですか。でも、刑事さんも変わってますよね。証拠だってあるんだから逮捕しようと思えばできるのに、復讐のためにこんなことをするんですから。自分の妻と子供が殺されたからとはいえ、テレビドラマみたいで驚いちゃいましたよ。


 殺された二人のことは、可哀想だとは思ってますよ。でも、可哀想な人間なんてこの世界には数えきれないくらいにいますし、何なら俺だってその一人ですよ。どれだけ母親のことが大好きでも、母親は俺のことをずっと殺したいって思ってた。客観的に見ても、十分に可哀想な人間んだと思いませんか?


 思い残すことですか? 特にないですね。母親が元気だったら、こんなところで死にたくないって思ったかもしれませんが、もう母親も長くはないですしね。さっさと撃って終わりにしてくださいよ? ほら、遠くの方からパトカーの音が聞こえてくるのは刑事さんも気が付いてますよね?多分、刑事さんと俺を探してるんだと思いますよ。


 いえ、別に怖くはないですけど、痛いのは好きじゃないので、さっさと殺してくれたら助かります。うん、そうですね、最後の最後に怖気付いちゃいのもダメですから、そうやって顔を背けて、耳栓をして、それから引き金を引いた方がいいです。ああ、大丈夫ですよ。別に生き延びたいとも思ってませんから、助かろうなんて思ってないです。心配しないで、そのまま引き金を引いちゃってください。あ、そっか。もう耳栓をしてるから聞こえないんですね。


 あ、でも最後にひとつだけ。さっきの質問に戻っちゃうんですけど……思い残したことがありました。これは俺のただの願望にすぎないんですけど、一度でいいから毒が入っていない母親のカレーを食べてみたかったですね。あの狭いアパートで向かい合わせに座って、俺が母親が作ったカレーを食べて、それを母親が嬉しそうに笑って──────

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