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罪と罰  作者: なか
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4. 【閑話】家族の記憶 ー常盤努 視点 ー(2019年6月15日)

「お兄ちゃん、話があるんだけど!」


 振り返ると、腰に手を当てて頰を膨らました妹が立っていた。全身で分かりやすく不満を主張している。そんな感情豊かな妹の姿に思わず苦笑いが浮かぶ。


「食事の時にしてくれるかい。もうすぐ夕食にするからちょっと待ってな」


 顔を手元のフライパンに戻しながら答えると、渋々了解する返事が返ってくる。今朝母さんからあの話を聞いたのかな。さて、どうやって納得してもらおうか。


 手元を軽く揺すりながら物思いにふける。フライパンの中にはモヤシと冷蔵庫に残っていた野菜の切れ端が踊っていた。肉は入っていない。残念ながら貧相なこの料理が常盤家の今日の夕食である。


 ◇


「じゃあ食べようか」

「いただきまーす」


 妹と二人で手を合わせると食卓の料理に手を伸ばした。


典子(のりこ)、味はどう?」

「......うん、美味しいよ。今日もありがとう」


 まだ機嫌が直らない妹は、口籠もりながらも感謝の言葉を口にする。


 改めて二人きりの食卓を見下ろす。

 中央にはモヤシ炒めの乗った皿が一枚。あとは白米と汁物だけだ。中学校に入学したばかりで育ち盛りの妹はもっと精のつくご飯を食べたいだろう。それでも、文句の一つも言わずに食べてくれることに内心で感謝する。


 我が家は三人家族だ。ここには居ない母さんは、家計を支えるために今日も遅くまで働いている。最近は朝食の席か就寝する時間帯しか顔を合わせていない。

 父さんは......常盤家に父親は存在しない。借金と苦労だけをこの家に残し、蒸発してしまったあの男は父親ではない。そう俺は思っている。


「お兄ちゃん、料理上手いよね。今日だってあっという間に作っちゃうし」

「そうか? 野菜切って炒めただけだぞ?」

「手際の良さの話だよ。味も美味しかったけど」


 自然と俺たち兄妹は家事を手伝うようになっていった、働く母さんを支えるために。俺の分担は料理と洗濯あたりかな。妹を手伝って掃除をやることもある。我ながら働き者だね。

 でも、不満は特にない。確かに裕福とは言えない生活かもしれないけれど、こうやって家族三人で支え合う今の暮らしも悪くないかなと思っている。


「で、何か話したい事があったんじゃなかったの?」


 食事を終え、満足気にお茶を啜っている妹に声を掛ける。

 目を瞬かせる妹は何かを思い出したようで、慌てた素振りで手にしていたコップを置く。


「お兄ちゃん。その......お母さんから聞いたんだけどーー」


 食卓に置いたコップを弄びながら妹は口を開く。聞きたい事はあるがどうやって話を切り出そうか迷っている様子だ。


「大学に行かないって本当?」


 少しの間の後、妹は顔を上げる。澄んだ瞳は俺を真っ直ぐに見つめていた。

 典子の真剣な話だ。正面から受け止めなければならないだろう。


「ああ、そのつもりだよ」


 彼女の瞳を見つめ返しながら俺は答える。


「どうして? お兄ちゃん、成績いいのに」


 確かに成績は良かった。校内でも上位五指から漏れた事はなかったと思う。だが、何か志す道があって勉学に励んでいたわけではなかった。

 今の高校には特待生として入学した。優秀な成績を残せば奨学金を貰える制度があるのだ。その制度にお世話になるために俺は良い成績をとるべく猛烈な努力をした。所詮、それだけの話だった。


 そう言えば、俺の進路に関して担任にはまだ話していなかったっけ。特待生として入学しながら進学しないという選択。その事実を伝える際には色々と面倒事がありそうだな。


「お兄ちゃんが大学進学を諦めるのは私のせい?」


 思考の海に囚われていた俺は、妹の声で現実に引き戻される。視線を戻すと彼女の瞳は動揺の色で染まっていた。

 典子はもう子供ではない。我が家の家計の状況も、この先の教育にお金がかかる事実も理解しているだろう。恐らくは、兄妹のどちらかが大学進学を望んだ場合に起こる未来も正確に把握している気がする。だからこそ、彼女の問いは否定しなければならない。


「違うよ、典子。俺にはやりたいことがあるんだ」


 出来るだけ穏やかな声色で語りかけた。彼女の杞憂が晴れるように。


「料理の世界で働きたいんだ。もっと、この腕を磨きたい。その夢を叶えるために大学進学ではなく別の進路を選びたい。それだけの話なんだよ」


 妹は俺が作るどんな料理も美味しそうに完食する。笑顔でご馳走さまと返してくれる。それがとても嬉しかった。心が温かくなるのだ。

 その感情はいつしか料理への興味に変わる。もっと妹を喜ばせたい、美味しい料理を作ってあげたいと願うようになっていった。それが俺の抱える夢の原点だ。


 幸運な事にアルバイト先の社員さんの口利きで、来年から社員として雇ってもらえる内定を得ている。しかも都築フーズという全国にチェーン展開している大きな飲食店だ。このチャンスを逃したくはない。


「なあ、典子。弁護士になりたいんだろ? 弁護士になって弱い立場で苦しんでいる人々の味方になりたいんだろ?」


 真面目で正義感の強い妹は、小さい頃から弁護士への道を夢見ていた。弁護士として困っている人々を助けたいと瞳を輝かせながら語っていた。だったら勉強しなければならない。大学進学も必要だろう。兄としてその夢を邪魔したくはない。


「だったら勉強して大学に入りなさい。典子が通う分の学費はちゃんと用意できるから」


 典子の学費に関しては昨夜に母さんとも話し合った。母さんは一人で工面する気でいたが、俺も就職すれば負担は減るだろう。金銭的な課題は既に解決されているのだ。


「でもーー」


 口籠る彼女の声に被せるように俺は言葉を続ける。


「俺に引け目を感じるなら、その気持ちを糧に努力して自分自身の夢を叶えなさい。そして俺に自慢させてくれよ、うちの妹は凄いんだぞってさ」


 嘘偽りなく引け目を感じないでほしいと思う。俺も夢に向かって一歩踏み出しているのだから。この先に進む道は別れてしまうかもしれないが、俺たちが兄妹であることに変わりはない。だからこれからも支え合って生きていけば良い。それでいいじゃないか。


「二人で夢を叶えよう! な?」

「うん。わたし、頑張るから!」


 ようやく笑顔を見せた妹の様子に安堵の息が漏れた。


 俺にとっての典子は、年の離れた只の妹という存在だけではないのだろうな。小さい頃から面倒を見続けており、父親代わりとして、時には母親代わりとして接してきた。ある意味では娘みたいなものかな。だからこそ妹の幸せを最優先に願ってしまう。


 彼女の髪を撫でながらそんなことを考えていた。

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