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東京って、いい娘[こ]いるんだよなぁ 横浜って、他人[ひと]のつくった飯が美味いんだよなぁ

 ミレニアムが過ぎてもまだ「昭和は」といえた景色が垣間見えた時分。東京横浜で感じた女子高生が他人との関わりで見せたピュアな一瞬を切り取り、セピア色した写真を眺めるようにスケッチしました。

 さすがに東京は都会だと、いい街なんだと感じさせられる時がある。いい景色を見たとき、めぐり逢ったとき、そんなときだ。写真や絵にしたら、額に収めていつでも誰でもが眺めるものより、そっと自分の小さなアルバムのとっておきの場所に貼って楽しむような、ちょっと気恥ずかしくて可愛いもの方がしっくりくる。

 いつの時分かは忘れてしまった。日比谷線か、何処かそうした都心から東に帰る地下鉄の車輌の中の出来ごとだったと記憶している。朝のラッシュまでは及ばないが、夕暮れを迎える午下がり(ひるさがり)には、ゆっくり膨らんでくる猥雑感がある。すでに、大川を超えた方面に帰る人たちを、それぞれの、送り届ける時間に差し掛かっていた。軌道が古いのか、地下鉄のくせに車両は大きく揺られ、時折、何か横突(おうとつ)に乗り上げたときの膝に込み上がる震動がみられた。半分以上が立ち客にかわった車内の乗客たちは、その都度、揺れの指示する方向へ身体をしならせた。

 話しているのは女子高校生らしき、当時、(かんむり)に「ギャル」や「渋谷」が入った名で呼び(なら)わされてた女の子のグループと、新採用者研修を終えてたったいま固まったばかりに見えるサラリーマンの一団だけだった。先に乗り込んできた彼女たちは、ホームからずっと続けていたお喋りをそのままエンエン鳴らしていたが、彼ら新米サラリーマンたちの何気なく始めた会話が広く波打たせ始めた頃から、ピタリ口を(つぐ)でしまい、車輌内に(ふた)種類の音が混雑することはなかった。

「ガったーん」の乗り上げ音が擬音そのままに聞こえるほど、車輌は前のめりに揺れた。此処のこうなる箇所が初めてだったらしく、話し込んでいた若いサラリーマンたち数人から「あっ」という声が漏れ、彼らを含めた立ち客の手荷物同士、跳び出た関節の肉同士のぶつかり合う音こすれ合う音が、「キューっ」と縮みこむように鳴った。

「気をつけろよ・・・・・潰れちゃうじゃないか、壊れちゃうじゅないか」

 みると、あのギャルたちの一番中心にいた女の子が、若いサラリーマンのひとりに食って掛かってる。痴漢まがいの当たり方でもしたのかと、ほかの乗客たちが一斉にそちらに首を伸ばした。が、すぐにそんな見かけばかりの己れの野次馬根性が恥かしくなるのを、悟った。その当時でも見かけなくなったが、行商のかえりだろうか、曲がった腰と背の低さのため両足踏ん張ったまま揺れるに任せ立っていた老婆、その両手には畳んだ風呂敷と売れ残った野菜の入った大きな年季ものの籠が握られていた。その小さな身体に覆いかぶさるように身体をぶつけそうになっている男の肘を、間に入った彼女の右手ががっしりと受け止め、睨みつけている。

 こんなスッパリきまった啖呵(たんか)に当事者二人は抗う呼吸の出るはずもなく、スミマセン・・・デシタ・・・・・・、アリガトネ・・・オジョウチャン・・・・・・と、この場に一番ふさわしい挨拶を、それぞれが切れ切れに並べて幕切れとなった。彼女の方も、自分ではない別のものに急かされ取った行動だと、やっと紅潮しだした頬が恥ずかしく感じられて、ずっと下を見っぱなしのまま電車の音だけを聞くように、仲間の中へ戻っていった。

 それは、ほんの二十秒の出来事だった。すぐに次の駅を告げるアナウンスは流れ、ドアは開き、乗換駅に停まった車輌からは、半分の乗客が入れ替わった。あの若いサラリーマンたちもそっくり降りて、行商の老婆は、降りる乗客たちに連れ去られるように姿を消していた。

 綺麗に横一列が空いた席に、ギャルたちが座った。わたしの正面には丁度さっきの()が座る格好になった。

「リカ、かっこよかったよ」

 ずーっと何て言おうかって考えていた、その娘に一番近い背ぃの高い娘がみんなの中の空気を感じてに穴を開けた。その娘は、素直に「ありがとう」って頷いた。ずーっと考えていたんだろう、まとめていたように、すっと言葉が続いた。

「わたし、お婆ちゃん子だったんだ。だから、だめなんだよね、あーゆーの」

 いつも使う電車だから、あそこの「ガったーん」がくるのは先に読めていたのだろう。そこに、気配を感じとれないノーテンキな集団と災いの露払いが苦手な年寄り、こう先が見えていて、次がどうなるか分かっていたら・・・・やっぱり、あんなこと、やっちゃうんだよね、だって、だめじゃない、あんな小っちゃくて、家族ばっかりで生きてきたバアちゃんが、潰れちゃうの、壊れちゃうの、痛い想いしなくちゃなんないの、そんなの見たくない、見てられない、そんなイロイロが、ワァーっと一気にきて、手や足のほうが先に出ていっちゃったんだよ。

 口に出したあとをそんな風に自ら問い直してるのか、その()の顎はしばらく小刻みに頷いていた。わたしは、不審に思われたっていいと、ずっと彼女の小さな震える顎から目を離すことができなかった。


 小さなアルバムのそのページの横にはもう一枚はられている。もうその()顔は覚えていない。あのギャルだった()を想い出したら、それと一緒に貼り付けてある中華屋の出来事も炙り出されてきた。

 横浜だったと記憶している、それも今の顔からは外れてしまったどこかの街のひとつ。大通りの、拡幅工事の繰り返しで車線ばかりが増え、昔からあった店たちが場違いな顔して張り付いてる、そんなエリアの中にある店だった。そこも高校生の女の子たちが先客でいた。みんなあらかた食べ終わっているのに帰る素振りはみえない。わたしの注文を取りに来た主が、ついでにといった格好で彼女たち全員の器を片付けたが、お喋りの空気が変わる様子は伺えなかった。

 食い終えたひとり客が勘定を払って釣り銭を待ってる間、彼女たちに一瞥をくれたが、一番きつそうな顔した背の高い女の子が睨み返しただけで、その中の中心らしき可愛い声した女の子のお喋りの調子が変わることはなかった。彼女は憑かれたように話し、それがとても楽しそうにみえた。ほかの7人が疲れてもその()が疲れるまで、その中の

波動が止まることはないだろうことは、察せられた。

 彼女たちを除いて、店はわたしと主だけになった。「やれやれ、マスターも我慢くらべだね」って顔を送ってみたが、主はただ黙々と洗い物を進めている。洗い籠に納めるとそのまま読みかけのスポーツ新聞に戻った。わたしとの間には「野茂 ノーヒットノーラン」の大きな赤文字がとうせんぼしている。それが、「お客とはあまり関わらない、特に一見の同年輩の客とは」のサインに聞こえ、媚びた秋波に苦味が混じって返球されてきた。さっきまで「美味い」と頷きながら食ってたラーメンのすする速さは少し増した。

 テレビの代わりに点けてるラジオは、女子アナの「明日もいいお天気」を告げて、ニュースに変わり、店内に午後7時を知らせた。

 最後まで啜る(すする)ほどのスープでもあるまいしと、麺と具材の乏しくなった器に「そろそろ勘定でも」とレンゲで(ともえ)を描いて遊ばせていたら、出鼻を(くじ)かれた。

 モルタル床を引っ掻く椅子の音が順々に拡がった。それで、ラジオから、力んでばかりで臨場感より調子っぱずれが先に立つ「現場から」の記者の声を消した。

「ホイコーメン」「千円お預かり」「いくらだっけ」「六百五十円」「それじゃ十円玉たすね、えーと小銭入れは・・・・1、2、・・・はい、五十円」「三百五十円のお返し、ありがとうございました」

「シャンハイタンタン いくら」「七百三十円」「五百円、六百円・・・はい」「八百円お預かり、七十円のお返し、ありがとうございました」

 これがあと六人繰り返されると分かり、置いたレンゲを再び持ち直し、残りのスープにかかった。ラジオニュースは国会議員の贈収賄事件の第一報を続けているはずだ。力んでばかりの記者が話した政務官がコウセイ・・・なのかコクド・・・なのか聞こえずじまいになって、厚ぼったい背広を着込んだ二人の首のない男の写真だけがウヨウヨしている。鳥と貝柱からとった金色に澄んだスープは、先程よりぬるく冷たく、とってつけたような味に変わっていた。

 自分の勘定を済ませると、女の子たちはてみんな勝手ばらばらいなくなり、お喋りのその()が最後に残った。

「タンメン」「五百円丁度、ありがとうございました」

 何もひっっかららずレジは五百円玉ひとつ受け取り、閉まった。(あるじ)の手はまたスポーツ新聞に戻る。ラジオのニュースは、すでにスポーツに変わっていて、そのコーナーのアナウンサーがスーパーボウルでニューイングランドペイトリオッツが初優勝を果たしたことを、先の記者に負けまいと体育会系の力みで、その事柄の大きさを吹聴した。

 その娘が引き戸に手をかけたのを、かけていた手を覚えている。何の飾り気もないアルミサッシの引き戸に掛けられた二本の指、立て付けが悪いでもないのに、彼女の指はそこで停まっている。

「リカ・・・・・パパ泣かすようなことだけは、すんなよ」

「うん、わかってる、ごちそうさま、おいしかったよ・・・・・いつものことだけど」

 来るたびにいつも言ってるんだろう。この主への「ごちそうさま」のあいさつをひとつひとつ区切って返し終えると、彼女はそのまま外の人になった。

 どのような紆余曲折を経て、高校生のその娘がここまでのあいさつに昇華されたのか。想像は及ばないが、わたしは、ずっと、引き戸にかかった彼女のひとさし指と中指を見ていた。そのときを思い出すたび、この街に生きるこの主の矜持(きょうじ)に、熱いものが込み上げてくるのだ。そして、一度でも、色目で彼の作ったものを罵ったことを悔いた。





 ミレニアムが過ぎてもまだ「昭和は」といえた景色が垣間見えた時分。東京横浜で感じた女子高生が他人との関わりで見せたピュアな一瞬を切り取り、セピア色した写真を眺めるようにスケッチしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「なろう」だと、評価されることはまず無いと思いますが、情景描写として文もこなれていてとても良かったです。カクヨムとかのほうがまだ少し相性がいいかもしれませんね。 読ませていただきありがとう…
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