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決闘糸 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 こーちゃんは「僅差!」とか「間一髪!」とかって経験、どれくらいある?

 僕はさほど……かな。勝つときはボロ勝ち。負けるときはボロ負けっていうのがほとんどだから。一打とか一点差を競った記憶は、あんまりないなあ。

 そのせいか、接戦がものすごく怖いんだ。サッカーでPKを蹴る時には、めちゃくちゃ固まったっけ。

 ふかしかけたボールがクロスバーの下に当たって、イレギュラーな入り方してくれたから良かったけど、あれミスってたら戦犯だったよ。サドンデス入ってたし。


 緊張すると、胸が早鐘を打つって表されるけど、僕は違ったね。

 今の今まで、氷の中に閉じ込めていた手のひら。その冷えた爪の先が、僕の内側にある胃といわず肺といわず、じんわりと食い込んでいくんだ。

 そこから流れ出るのは、本来あるべき温かい血潮じゃない。ドリンククーラーから直接注いだような、他人事のように冷たい液体。とろーりと臓器の表面を伝って、僕のすべてを凍らせようとしてくるんだ。

 じっとしていたら、そのまま石になってしまう。そう感じるほどに、足も胸も重くなる。一歩たりとも動きたくない。いや、この場から逃げ出したい。冷え切った背中をさすって、そう諭してくる誘惑だ。

 この手の緊張と向き合うのは、いつの時代も困難が伴ったらしい。その緊張にまつわる昔話、聞いてみないかい?


 むかしむかし。とある少年が真剣を使った果し合いに臨むことになった。伝わるところによると、少女をめぐる決闘だったとか。

 齢にして12歳。いささか幼く思えるかもしれないが、当人たちはすでに帯刀をしている武士だった。「自分のメンツは自分で立てる」ことを、刷り込まれている。

 幼いながらに、意地を張り合った取り決めをしていたらしい。立会人はなく、降参するか致命傷を負うまでやる。助太刀の類は許さないが、馬を扱うことは認められていた。


 少年は慣れた徒歩で臨む腹積もり。だが相手は自分より身分が高く、乗馬の技術を鼻にかけている、忌々しい相手だ。十中八九、馬に乗ってくるはず。

 いよいよ日時が迫り、鉢巻きを巻いて畳の上に正座をした。

 目の前に置かれているのは、3尺近い大刀。父親が特別に所持を許されていたものを、今回は借り受けることになった。馬を狙えればいいが、もしもできない場合はこれで突くことも考えねばならない。


 少年はかっと目を開く。胸の中は高まるどころか冷え切っている。髪にかいた汗が耳に入り、そのまま中の肉を凍えさせていくような錯覚さえ覚えた。


「――ゆくか。かなりの汗だが」


 いつの間にか、父親が隣に立っている。まだし合う前だというのに、服の肩口などはすでに絞れてしまいそうなくらい、湿っていた。


「汗は身体のほてりを冷ます。だがそれは表向きのことだ。

 湿らせた糸同士が自然と身体を寄せ合うように、汗は緊張の糸をすり寄せる。お前の中でほどけることがないよう、身が守っているのだ」


「父上……今生でお目にかかれるのは、最後になるかもしれませぬ。いえ、それどころか母上やおじい様、おばあ様。むろん彼女も。二度と会えないかと思うと、胸が苦しくなって」


「わしはお前が生まれた時より、覚悟をしている。お前も覚悟を決めねばならんときだ。

 死したときの心配は、死したときでよい。

 勝て。女で勝てぬような奴なら、この先を生きる資格もない」

 

 

 少年は指定された決闘場所にやってきた。

 町はずれの三本松。小高い丘となっているここは滅多に人が近寄らず、腰まで隠れるほど長い草が一面を覆っている。

 お互いが相手の姿を認めたなら、それが開始の合図という取り決め。彼が大刀を握り、脇構えをしながら待っていると、地平線のはしから馬の頭が見えてくる。

 奴だ。そう思うと、彼の心臓は跳ね上がった。

 今は汗がすっと引いている。これから斬るか、斬られるか。それのみを考えると怖じるより先に、「生きねば」という念が先だった。それらが薪となって、心のかまどの中へどんどんくべられていく。

 

 奴もまた、少年が持つのとほぼ同じ、大ぶりの刀を握っていた。片手で手綱、片手で大刀。その腕力もさることながら、歌舞伎のようないで立ちでサマになっている。

 だがどこまでも見栄を気にしすぎていた。すれ違いざまに突いてくればいいものを、大上段に振りかぶって迫ってくるのだから。


 ――落ち着け。


 少年の防ぎと、奴の斬撃がかみあう。がちっと音を立てて刃が鳴り、光がきらめく。

 走り抜けた奴はそのまま距離を取り、向き直って再び近づいてくる気配。

 少年の手はしびれていた。馬上からの切り下げを真っ向から受けて、鉄に似た匂いが刀のみならず、体中から漂ってきていた。

 熱い。家を出る時までの冷え切った体のうちが、まるで嘘のようだ。

 頭の奥がゆだりそうだというのに、風邪をひいた時のようなふらつきはない。むしろ上からぐっと押されているかのように、足元はしっかりしていた。


 このまま待っている法はない。彼は奴が馬を切り返すや、すぐさまこちらからも駆け寄って距離を詰める。

 あの切り下げ、威力はあっても防ぎは十分に間に合う。むしろこちらで拍子をずらせば、空振りさせられるかもしれない。そう考えてのことだった。

 だが奴は少年と切り結ぶ十数歩前で、振りかぶっていた剣を下げる。刃を横に寝かし、なぎ斬りにかかってきた。

 馬の速さをまとったこの斬撃を受ければ、本当に首と胴が離れるかもしれない。下手に刀で受ければ転倒し、そのままとどめを刺されるかもしれない。

 

 ――かわせるか? こちらも走りながらで。

 

 もう止まって態勢を整える余裕はなかった。ぎりぎりでかわそうと、彼は小刻みに揺れる刃を注視する。身体は更に熱くたぎってくる。

 

 そのすれ違いざま、ふっと刃が消えた。

 かわしたんじゃない。馬にまたがっていたあいつが、突然、体勢を崩して落ちたんだ。背中を強く打った奴は、少年からさほど遠くないところに転がり、ぴくりとも動かない。

 大きいいななきに、振り返る少年。そこには自慢の茶毛に、白い糸をたっぷりと絡ませた奴の愛馬の姿があった。首から尻にかけてなびく白い糸を、馬は振り払おうとしているのか、めちゃくちゃに頭を揺らしながら、暴れている。

 勝負あったと刀を納めようとして、ふと草が自分の目をかすった。長い草が混じっていたかと思ったが、どうにもおかしい。先ほどは腰までしかなかった草の先が、今は顔が隠れるほどにまで伸びている。

 倒れている奴の身体も、先ほどまで見ていた姿よりずっと大きい。手にしている太刀も同じだ。

 少年の身体は、すっかり縮まってしまっていたんだ。

 

 その後、成人するまでに多少背は伸びたものの、元通りにはいかなかったらしい。

 少年自身は熱くなり過ぎたばかりに、父の言う緊張の糸がほどけて外に飛び出してしまった。身体の一部が外に出たゆえ、背も縮んでしまったのだろうと語ったとか。


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