黒騎士襲来
『…』
壁上から混乱に陥る街を睥睨する影がある。
青鹿毛ならぬ漆黒の馬体に跨る騎乗武者。
全身を禍々しい鎧に包み、その兜の奥で目を細める。
その目に映るのは、強者のみ。
今しがた魔物を素手で投げ飛ばした大男は一緒にいた優男が魔法で魔物を撃破するのを確認するとこちらを指差す。
魔王の軍勢、この世の魔物全てを束ねる頂点の四騎が一騎。
黒騎士は兜の下で歪に嗤った。
魔物をいくらか退けた二人は急ぎ家まで戻り装備を整えた。
あの黒い鎧の騎兵は尋常のものではないと、王国の双璧たる二人ともが感じ取ったのだ。
それぞれが鎧を着込む横でひっきりなしに兵士と騎士が指示を仰ぎに訪れる。
「将軍。近隣の町へ自警団の訓練に出ている兵を呼び戻しましょう」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「団長!城内警備の騎士まで駆り出すとは本気ですか!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「いらぬ。あの数の魔物を見て何の報告も寄越さないわけがない、戻れんのだ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「逃げる民を城内へ引き入れろ。何、城へ入られなければいい」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「…!愚問でした…」
「構わん。それより状況は」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「団長って意外と豪気ですよね…わかりました、では迎撃と避難誘導を徹底します」
「よろしい。それで、状況は」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「はっ。魔物自体は騎士団と協力して着実に駆除が進んでいますが…例の黒騎士が」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「はっ。魔物自体は軍の迅速な出撃と遊撃に出た騎士が駆除を進めています。ですが、例の黒騎士が」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「構わん。アレは、」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「構わない。アレは、」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「「俺たちがやる」」
かくして激戦の中、二人と一騎は対峙するに至る。
壁上で佇む黒騎士は射掛けられる矢と魔法をものともせず、どころかその身に纏う深い闇を避けるかのように浴びせられる攻撃が逸れていく。
武装した二人を認めた黒騎士が手綱を握り直せば、それだけで騎馬が応じ壁を飛び降りる。
「!将軍、注意を。奴は…天馬騎士です!」
騎士団長が指差す通り、舞い降りる馬の背には一対の翼があった。
「…天馬騎士は大陸最強と名高い騎兵集団。だが、黒い天馬など聞いたことがない。…ましてや、先日聞いた噂が真実なのだとすれば、それはあまりに信じがたい」
『噂、か。それは、天馬騎士が全滅したという内容ではないか?』
「事実なのか!」
黒騎士の口調は幽鬼のように重苦しく、しかし挑発的と言っていい響きを含んでいる。
食ってかかる将軍に対して、暗黒に染まった騎士は場に哄笑を響かせた。
『ああ!他でもないこの俺が皆殺しにしてやった!この身は人類の背信者、我が名は裏切りの黒騎士!俺こそが魔王の力そのもの、四天王最強の一騎だ!!』
「四天王…!」
「黒騎士…!」
騎兵が掲げた手の中で闇が形を変え、槍を模る。
天馬が嘶く。
二人がその突撃を躱すことに成功したと知るのは反射的に左右に弾かれるように飛び退いた後、黒い風に頬を裂かれてからのことだった。
「なるほど、高名に違わぬ突撃よな!まずは我が剣にて抑えさせてもらう!」
騎兵が頭を返す前に将軍が背に負う己の剣を抜き払った。
担い手が尋常でない巨躯ならば、その剣もまた巨大である。
身の丈と同じ長さの巨大剣を頭上に掲げた状態から放たれるのは、この大地に生きるものであれば誰であれ両断を免れぬ、人間との戦争の場であれば馬ごと騎乗者を叩き割る必殺の一撃。
しかして騎兵の手から放たれた闇の魔法がそれを阻んだ。見えない衝撃が刃を打ち僅かながら隙を晒したところへ一陣の竜巻が迫る。
それも直前で阻まれた。隣から放たれた風の魔法が瓦礫を巻き上げ迫る疾風を鈍らせ、振り下ろした巨剣が竜巻を空気ごと叩き切った。
「重ねて注意を!天馬はそれ自体が魔法を使います!」
「済まぬ!」
再び向かう。今度は二人で、突撃に対し真っ向から向き合った。
自分と相方の攻めを凌いでみせた強敵を、黒騎士ははっきりと己らを脅かす強者として認めた。兜の下の表情にはますます狂気的な喜色が顕れる。
『そうだ、強くあれ戦士よ。獣王より、森王より、海王より…魔王よりも!!!』
吼え猛る主に呼応するように天馬はいななき翼を広げ、空へ舞い上がる。
「撃ち落とします!援護を!」
「…いや、待て!」
宙空を駆け昇る黒天馬が、次第に闇を纏い始める。螺旋状に昇り詰めていくのを確かめると将軍は巨剣を盾のように構え「逃げろぉぉぉぉ!!!」と大音声を張り上げた。
「天馬の、真の騎馬突撃が来るぞぉぉぉ!!!」
周囲にはまだ援護を諦めていなかった兵士が一定数残っていた。だが、将軍自ら鍛え上げた精兵は意地を捨てて迅速に撤退していく。
死ぬことが任務ではない、生きて戦うことが任務なのだ。
それに、伝説オタクの将軍の麾下にいれば嫌でも多くの軍事情報を知っている。
中でも天馬騎士のそれは伝説の勇者のそれと同一視され、そのものが伝説として成り立つ最強の『噂』である。
曰く、天馬騎士の突撃とは。
風を纏いて天を駆け下り、魔物の群れ一つ丸ごと吹き飛ばすものである、と。
流星に例えられる突撃と共に解放された闇の魔法が周囲を街の残骸から粉塵に変えていく。
耐え切ったものは、二つ。
騎士団長が守りの魔法で二人の身を固め、将軍が愛剣でもって衝撃を受けきって見せた。
「…ぐっ」
「次は…保ちませんね」
「ならば…決めに行くか」
「ええ」
先に飛び出したのは騎士団長だ。両手に魔法を練り上げつつ、再び舞い上がろうとする天馬騎士に肉薄する。
「お言葉ですが、空を飛ぶのは貴方がただけではないっ…!」
しかし相手の方が一手早かった。先に浮き上がった騎士が地の利を持つ。
着地の勢いを乗せて剣に変じた闇が振り下ろされる。
応じる騎士団長は、両手の魔法を同時に地面に叩きつけた。
暴発した二つの風の魔法が一瞬、その場に嵐を作り出す。
『ぐっ…これは!』
伝説オタクの友人を持つ騎士団長もまた、天馬騎士については十分に伝え聞いていた。
無論、騎兵も訓練を積んでいる。並みの暴風に巻かれるほどやわではない。
が、着地の時は別だ。天馬は立つより駆けるより着地で脚をくじく。加減は天馬自身が覚えるしかない上に鞍上の主人を案ずればその難易度はさらに上がるのだ。
そこへ渾身の風をぶつけたことで目論見通り黒騎士は落馬した。
素早く体勢を整えた黒騎士が巻き上げられた砂塵の中に敵の姿を探す。
声は上から降ってきた。
「ここで仕留める!はぁぁぁぁぁ!!!」
騎士団長は魔法の暴発を操り、風に乗り上空へ飛び上がっていたのだ。
魔法を纏い剣を構え、今度は騎士団長が地面でばたつく天馬を貫かんと高速で落下していく。
『くっ…がぁ!!』
黒騎士が防ごうと投擲した闇の剣が軌道に割り込み騎士団長を切り裂く。
咄嗟に身を捻りながらも脇腹から血を流し苦悶に端整な顔を歪めながらも、しかし男は笑って見せた。
計算通り、と言わんばかりに!
「…今だ!!!」
「取ったりぃぃぃぃぃ!!!」
『なっ!?』
砂塵を突き抜け巨剣が無防備を晒した黒騎士を袈裟切りに深く抉った。
それでも防ごうとした右前腕を斬り落とし振り切った刃は紛れもなく致命の一撃。
『ぐっうっ…がはっ…』
だのに。巨剣の重さに膝をつかされながらなお、黒騎士は斃れない。
将軍もまた神妙な面持ちで構え続ける。
体勢を崩されたまま落下した騎士団長もまた、治癒の魔法で手傷を癒しつつ立ち上がる。
闇が、立ち昇った。
黒騎士の傷口から苦悶の咆哮と共に零れた闇が周囲に満ちていく。
『ぐ…はは、ふはははははは!!そうだ、それだ!この命、この暴力を脅かす武力をこそ俺は求めていた!!さあ仕留めて見せろ!この黒騎士を!その手で!!討ち取ってみせろぉぉぉぉぉ!!!』
文字通りの、暴力であった。
精兵でさえその場に巻き起こった闇の暴風雨の中にあってまともに立ってはいられまい。
しかし、二人は立ち向かう。
見た目の傷は浅いが突撃の衝撃を正面から受けきった将軍の身体は全身が軋むほどの痛みをこらえているし、裂かれた上に受け身はしたものの地面へ叩きつけられた騎士団長の傷もそう浅くはない。
それでも立ち向かうのだ。
まるで、勇者のように。
『…これからが、最終決戦だ!!!』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
激戦の果て。王国は城壁の何割かを破損し城下町の七割を完膚なきまでに破壊された。
それでも軍兵と騎士団員の決死の活躍が住民を詰め込んだ王城を守り切った。
その、外で。
今、決戦が決着する。
『…』
黒騎士は、この城に到来した時と同じように見下ろしていた。
倒れ伏す、二人の強者を。
『…ごふ』
愛馬は既に虫の息だ。しかし、それでも折れた翼を引きずりながら騎兵を支えに寄って来る。
『…見事だ。お前たちは、闇に打ち克ったぞ』
黒騎士は自分の内に満ちていた闇の霧散を感じていた。
足の感覚がなくなり、ふっと力が抜けたように仰向けに倒れる。
したたかに全身を打ちつけたが痛みなど最初から感じていない。人間を裏切る時に最初に喪った。
騎馬もまた主に寄り添うように脱力し斃れる。
かぼそく鳴く相方を残った手で撫ぜ、黒騎士だった男は薄く笑みを浮かべる。
『…見たか…勇者などいなくても…世界の危機は斃れたぞ』
ふいに手の感覚がなくなる。
『悪いな…相棒。世界一には、なれなかっ、たよ…』
霧散していく。
塵も残さずに天馬の主従は消えていく。
こうして最後の魔人は、人の手で斃された。