最後は、現場
「まるで神隠し、ですね。しかし建物にも神隠しってあるのかな」
「彼女は……今も、当時のことを気にしています」
彼女は今も、額に汗を光らせている。それを再度ハンカチで拭ってから、カクテルに手を伸ばす。
俺も、もう一杯……かな。
「マスター、これと同じものをもう一杯ください」
「妖怪、怪奇の類として考えるならば……」
「マスター……?」
「あ、すみません、忘れてください、戯言です」
「ところで……」
それにしてもこのカクテル、なかなかあと引く味わいだな。
「その古民家があったとされる場所は、今も残っているのですか?」
「ええ、お話した頃よりも更に荒れているようですが、古民家があったという区画は今も手付かずのようです」
「それを、確認している方が……?」
「仕事で定期的に近くを通るという取引先の方に、話を聞いているんです。噂のことは伏せてますが」
「なるほど」
「もし、ご興味があるなら」
彼女はそう言って、鞄からメモ紙とペンを取り出す。
「大まかな住所なら分かりますから、詳しくはネットか何かで調べていただければ」
彼女はそう言って、紙を一枚俺へ差し出す。
そこには、綺麗な字で『美岐市桜洞三丁目』と書かれている。
「その辺りから少し北へ進むと、自然が多くてドライブに良い景色が続くそうですよ」
「私も見てよろしいですか?」
「マスターなら、桜洞と聞けばどの辺りかお分かりでしょう?」
「まあ、場所はわかりますが」
「さて……」
彼女が席を立った。
「これ以上飲んでいては、明日まで引きずってしまいそうなので」
彼女は出入口に向かおうとして、よろめく。
「大丈夫ですか?」
「すみません、タクシーを呼ぶので大丈夫ですよあれれドアが開かない重くて押せない……っ」
ドアに提げられた表示は、『PULL』。
ま……いいか、俺も帰ることにしよう。そろそろ終電だ。
今回も、隣で寝ていた女は俺が帰る時まで目覚めなかった。経験上、呼吸が安定して嘔吐したり唸り声をあげたりしていなければ危険じゃないと思っているが……そんなことはマスターに任せよう。知り合いでもなきゃ、下心があるわけでもない。
電車でアパートへ戻った俺は、パソコンと向き合いながら飲み直す。手許に置いた、例のメモとつまみの豚タンを眺めながら考えを巡らせる。
あとは自分の目で確かめろ、ということなのだろうか? 俺はそう解釈していた。
これまで三つの噂を聴いたが、それらに共通性はほぼなかった。強いて言えば、若い女性が行方不明になり、それが全て聖崖病院の近くで起こった事件だ……ということくらいだ。
今回、彼女の話にこそ熱気を感じたが、それは事実を捉えたが故の熱さだとは、俺には思えなかった。
ベランダに出て、紙巻き煙草に明かりを灯す。紫煙の中に、言葉が浮かぶ。
霊安室 裏口 壁 呻き声 地下 遺体
煙は風に流れて繋がりを切られる。
いま、俺の言葉を繋いでくれるものは、きっと現場にしかない。そうだ、行こう。
俺は数日間かけて、聖崖病院内を巡回し内部構造と大まかな警備状況を把握した。ある日は外来患者として、ある日は入院患者の面会人として、またある日は出入りの業者を装って。もちろん、合間に例の区画へも行ってみた。ただの荒れた草地にしか見えなかったが。
さて、まずは霊安室に目標を絞って、深夜に霊安室へ侵入するための行動予定を立てた。霊安室には、普通には踏み込めない。ある程度の装備も、揃えておいた。
それにしても、俺は何故、ここまで入れ込んでいるのだろう。俺もまだ、一端のジャーナリストだということなのだろうか。こんな言葉をあの人が聞いたら、きっと笑いながらどやされるんだろう、な。