出会い、別れ、失踪する古民家の噂・後編
なぜか? 分からない。とにかくその少女が気にかかったのだ。
交差点の反対側に佇む少女はパステルカラーのカバンを一つ手に持ち、一つを足下におろしていた。彼女は手に持っていたカバンから財布らしきものを取り出し、一瞥して大きなため息をついた。その後彼女はしばらく俯いていた、両サイドを蝶のような型のバンスでまとめた髪はボサボサに拡がり、彼女の横顔を隠していた。彼女はやがて、何かを決心したような早足で歩き出す。両サイドの髪の束を揺らしながら、彼女は近くのコンビニに入った。
一連の動きを見た美紗は、すぐさまコンビニに向かっていた。飛び出した彼女を、クラクションを鳴らしながら車が避ける。普段は信号無視などしない美紗だったが、この時は信号を見てもいなかった。
なぜか? 分からない。とにかくその少女が気にかかったのだ。
美紗がコンビニに入ったころ、少女は菓子パンを手に取っていた。そして少し移動したところで、彼女は躊躇なくそれをカバンの口へ落とし込もうと放った。が、カバンに入る寸前で美紗の手がパンの袋を掴んだ。美紗はそのまま何も言わず、レジに向かい……パン一つの会計を済ませた。
「……何すんのよ」
「一日一善、ってやつよ」
二人はどちらともなく歩きだし、やがて駅前のオブジェに腰かけた。
「それはあげる、事情があるなら聞きたいんだけど」
「あんたさぁ、なんであたしにかまうの?」
「……大人の事情、かな? わかんない」
「ふーん……」
「あたし家出してんだけどさ、もうお金がなくてなんもできないの」
「家出って……私は経験ないけど、行く当てはなかったの?」
「遠恋してた彼氏んちに泊まってたんだけど、ケンカ別れしたってか浮気されてたっつー」
「つら~……で、どうすんの?」
「地元からLIME来まくってるし、帰ろっかな。帰れるなら」
「地元……どこなの?」
「片倉市、ってわかる?」
「東北の?」
「えマジ」
「ずいぶん遠いなあ……」
「そ、だから迎えに来てとも言えないし」
「うーん……ところでアンタ、高校生?」
「あ゛? 去年卒業してるっての」
「そっか、じゃあさ……」
美紗は名案だ、と思った。例の古民家宿泊だ。
「片倉って遠いけど、五万あれば帰れる……よね?」
「えっなに出してくれんの!?」
「ごめんそれは無理」
「私じゃないけど、条件次第でお金を出してくれる人がいるよ。この際だから、犯罪するよりはね」
「紹介してくれるの? あたしのために?」
美紗は早速彼女に一通りの手続きをさせた。ちょうど今日は古民家側の予定も空いていたらしい。
「これで何とかなるかな? あ、バス代くらいなら貸すよ」
「サンキュー! ……お礼がしたいけど、あげられるものなんも無いや」
「……じゃあさ、その髪留め、片方ちょうだい」
なぜか? 分からない。とにかくそう口が動いたのだ。
「ああこれ? いいよ、かたっぽでいいの?」
彼女は快くバンスを手渡してきた。美紗は自然と、自分の髪に着けていた。
「ふふっ、似合う?」
「……ん~……おねーさん、美人系だからなあ」
少し気まずかった。
「あ、そうだLIME教えてよ。出会いの記念に」
「うん、私は別所美紗。ミサでいいよ、よろしくね」
「戸沢杏子でーす、よろしくねミサねーちゃん」
「ねーちゃんてあーた」
「あたし、この旅が終わったら……絶対連絡するからね!」
「うん、気を付けて!」
次の日。
「ちょっとミサ聞いてよ~」
「ん?」
「この前のボロ家、アカウント消して募集もやめちゃったらしいのよぉ。他の子に紹介しようと思ったのに」
「えっ? 昨日は確かに……」
「ごめん今日は帰る!」
学校からなら直接向かったほうが早い、美紗は一心不乱にペダルを漕いだ。
なぜか? 分からない。とにかく胸騒ぎがしたのだ。
果たして、数日前に泊まった古民家は消え去っていた。何の痕跡も残さず。
古民家があったはずの場所には草木が茂り、少なくとも数年は人の手が入っていない様子であった。しかし周囲は、以前来た時とほとんど変わりない風景を映している。古民家があったはずの一角だけが、荒れ果てていた。
美紗はLIMEの連絡先交換をしていたことを思い出し、杏子へ通話を試みた。
(繋がって……思い過ごしで)
繋がった、と思われた瞬間、耳元へ砂粒を投げつけられたような雑音、大きなノイズが美紗の右耳を襲った。思わず悲鳴を上げ、耳から離したスマフォの画面に目を向けたときには既に通信は途切れていた。その後も何度か通話を試したが、以降繋がることはなかった。
美紗は強い不安を抱きながら、古民家があったはずの一角をぐるっと回ってみた。日が落ちかけて辺りは薄暗い。が、その一角は何も変わらず、荒れた草地のままであった。
(杏子……何かあったなら、私のせいだ)
不意に、救急車のサイレンが聞こえる。救急車はけたたましく吼えながら近づき、やがて黙った。パトライトの光だけがその存在を示している、その光に照らされていたのは、聖崖病院の裏口だった。
(病院、か……)
不安感の上層に罪悪感が被さったような心地で視線を落としたとき、美紗は草むらのそばで人工物を見つけた。拾い上げたそれは……杏子から貰ったバンスと同じ型の髪留めだった。まさか。
……結局、杏子の手掛かりとなるものは何もなかった。しかし誰に相談するわけにもいかず、美紗は憂いを残したまま短大を卒業した…………
「あの日」以来、美紗はいつも蝶型のバンスを身体のどこか、他人から見える位置に身に着けている。いつか、杏子が現れた時の目印になるように。




