扶け、佑けられ、援けられ、(たすけられて)
応援が来やがったか……こいつは、まずったな…………
身体が動かない。感覚が朧気になる。それでいて、温い汗が体中をべたつかせていることだけは知覚できている。これが、自然界で捕食されるものの味わう心地なのだろうか……
「オン アニチ マリシエイ ソワカ!」
高く張りのある声が聞こえると同時に、上に乗った人影から振動が伝わる。すると、
「グォォォォォ……」
鼾のような音が人影から響き、それが弱まるのに同調して上に乗られた重みと手首を握られた痛みが遠ざかっていく。
それに連れて、何かが焼け焦げたような臭いが部屋に広がった。
「あなたは…………『導き』に従って良かったの」
もう一つの人影は、今でははっきり見える。それは、木刀のように反った棒を持った、ショートカットの少女の姿をしていた。
部屋が明るくなったわけでも、暗さに目が慣れたわけでもない。先に襲われた人影とは、姿の鮮やかさが違って見える。
「あんたが助けてくれたのか……ありがとう、しかし凄いな」
「あたしにお礼は要らないの」
「え? あんたが助けてくれたんだろ?」
俺はスタンガンを拾い、立ち上がる。伊達眼鏡が失くなっているが、どうせこの状況じゃ大して役には立たないだろう。
「あたし達がここにいるのは、あなたのお蔭なの。あたしとあなたが今ここにいるのは、摩利支天さまのお蔭なの」
「は、はぁ……」
「だから、お礼を言いたいなら、あたしに続けて唱えてね」
「オン アニチ マリシエイ ソワカ」
「おん あにち……まりしえい そわか……?」
どこかで見聞きした言葉のような気がするが、よく覚えてないな。
少女は微笑む。
「たぶん伝わってると思うな。ゲンミツには意味合いが違うけど、あなたが唱えたからね」
「そうか、それなら良いか」
何故か腑に落ちたから、良しとしよう。
「さて……怪我が無いならそろそろ移動したいんだけどな」
「聞きたいことが多すぎるなあ」
「あなたは恩人だから教えてあげたい、けど時間がないの」
「そうか、助けられただけでもありがたいと考えるよ」
……しかし、何故俺が「恩人」なんだ?
「あとでお話はできるから、今はとにかく生きて帰るの。ついてきてね」
彼女はそう言って踵を返す。俺はその後ろ姿を見て、どこか既視感を抱いていた。
辺りを警戒しながら、薄暗い廊下を進む。
「歩きながら聞いていいか」
「答える保証がなくてもいいならね」
「俺以外に、生き残りはいないのか?」
「被害者らしい人を何人か見つけたの。残念だけど……たぶん、手遅れね。昏睡状態から回復できないと思う」
「意識がないのか」
「生気体を食べられちゃってたの。食べた相手の『三体』を抹殺できれば、回復する可能性が僅かに」
そんな会話をしているうちに、他よりもやや造りの豪華なドアの前に着いた。
「他の部屋は全部確認済みなの、この先に、親玉がいるはずなの」
「俺がいても足手まといじゃないのか?」
「あたしとあなたは逃げる予定だけどね、その前に一度、会っておいてほしいの」
乗りかかった船。誰に会えと言うなら、会っておくさ。
「一応警戒したいから、ドア開けてね」
俺はノブを回し、ドアを引く。彼女はドアの先を確認する少しの間の後、部屋の中へ進んだ。
「ついてきてね」
部屋に入ると、これまでの部屋、廊下よりずいぶん明るく、広かった。そして奥では、老人と男が対峙していた。後ろ姿を見せている男は、長い棒のようなものを肩に担ぐ。
そしてその先に立つ老人は、赤松の姿をしていた。
「な、何故貴方が」
バーでこの病院の噂を聞かせてくれた彼が、何故ここにいるのだ。
「……フフッ、ここまで予想通りに動いてくれるとは、私もまだまだ捨てたもんじゃない」
赤松は一人納得した様子で微笑んでいる。俺はただ彼の顔を見ていた。声も、話しぶりも、表情も赤松本人のものだと感じる。
「……貴方は本当に良くや」
突然赤松が消えた! いや、消えたのは腹部から上だ、彼の上半身だけが一瞬に消え失せ、主を喪った下半身は血を噴きながら床に崩れた。
「やっぱりテメエか、クソ親父が!!」
男のがなりたてる声が聞こえた、のち赤松のいた辺りに赤黒い煙状の何かが渦巻いて集まり、やがて同じ色をした人影を形作った。
「お前がターゲットの方の赤松だな」
男は肩から棒を下ろして、棒の先、九十度ほど曲がった部分を人影に向けている。
「あなたのお蔭で、あたし達はここへ来れた。ありがとうね」
「あ、あぁ……」
「後は、こいつを殺れば依頼通りなの」
赤黒い影は舌打ちし、身を屈める。
「こいつら大人ばかりで美味くねえだろうが、ちょっと我慢して喰ってくれよ」
『ぢがだ……い゛…………ぐう……』
気味の悪い澱んだ声が、頭の奥に響くように感じた。
「いンや、お前はこれ……バアルのようなもので殴り殺されるンだ確定なンだ」
「ノブ、Destroy them All、ね!」
「オーケー、フレンド!」
男の背中から、威圧感のようなものがひしひしと伝わってくる。
「さ、行きましょうね」
「え、助けなくていいのか?」
「あいつは馬鹿だから、連携とかできないの」
「おい聞こえてンぞ」
男は振り向かずに突っ込む。
女は声を張り上げる。
「あいつは馬鹿で馬鹿力だからー、独りで自由に闘った方が強いの!」
「行きましょうね」
「頼むぜ、兄ちゃん!」
「大丈夫。あいつは負けないの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
俺達は何とか、大きなエレベーターを見つけ地上へ戻ることができた。
「助かった、か」
「あたしはノブを待つわね」
「明日いつものバーに来てくれたら、いろいろお話するね」
「わかった、奢らせてもらうよ」
立ち去る前に、俺は手荷物を確認した。ペン型カメラやボイスレコーダー、電子タバコ……大方の電子機器は壊れてしまっていた。まあ仕方がない。
車が動かせるか、ちょっと不安だな……お、日の出じゃないか、気持ち良いもんだ。
お天道様の下、大手を振って歩けるなら、たまにはそれもありかな……
暑い。前後左右、どこを向いても何故か陽炎が揺らいでいる。俺は少しだけ後悔しながら、汗だくで駅まで歩いた。