同居って本気ですか?
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翌朝。
ああ、顔がにやける。
だって、キスしちゃったんだもん。大好きな人と。
ちょっと大人になった気がして、私は嬉しかった。
ウキウキしながら登校しているとラインの着信が短く鳴って、スクバからスマホを取り出す。
それから、画面をタップして更ににやける。旬からだ。
『昨日は楽しかったな。今日は暇?暇なら一緒にDVD観ない?』
観たい。旬と一緒にいたい。
『うん、観たい!じゃあ帰ったらね!』
私がそう返信すると、旬から笑顔のスタンプが帰ってきた。
ああ、幸せ。
私は、スキップしたくなるのを抑えながら学校までの道のりを急いだ。
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「瀬里、愛華先輩が呼んでるよ」
朝イチで、浮き足立つ私を谷底へ蹴り落とすような一言が耳に響いた。
私にそう伝えた志帆ちゃんの表情が険しい。
「愛華先輩、二階の渡り廊下で待ってるってさ」
愛華先輩って確か、私と雪野翔が抱き合ってた現場を見た人だよね!?
やだ、どうしよう。
「瀬里……大丈夫?」
立ち上がった私を、明日香ちゃんが心配そうに見上げた。
大丈夫じゃない。
早鐘のような心臓が痛いくらいに響いて、私は思わず胸に手をやりながら明日香ちゃんを見つめた。
愛華先輩と私に接点なんかまるでない。ということは絶対に雪野翔の事だ。
私は大きく息を吸い込むと教室を出た。
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「夏本さん?」
「……はい……」
二階の渡り廊下には何人も人がいて、私達を気に止める生徒はいない。
愛華……佐川愛華先輩は、頷いた私を真正面から見つめている。
物っ凄い勝ち気なギャル系だったらどうしようと思ったけど、愛華先輩はとても女子力の高い可愛い感じの人だった。
「突然ごめんね。でも、聞きたいことがあるの。……雪野君の事なんだけど」
やっぱりだ。
どうしよう、どうしよう!!
愛華先輩は続けた。
「非常階段での話、知ってるよね?……私、雪野君が好きなの。あの日彼が抱き締めてた女子がストレートのロングヘアだった気がして……もしかして夏本さん、心当たりないかなー、なんて」
伏し目がちにそう言った愛華先輩は胸の前で不安気に両手を握り締めている。
そんな仕草もよく似合っていて……凄く可愛い人……。
どうしようなんて思いながらも、到底本当の事なんて言えるわけがなかった。
話しているうちに、雪野翔が犬だって事に辿り着いてしまいそうで、話せない。
だからといって『イマカレです』なんて嘘ついて愛華先輩を悲しませるのも嫌だ。ましてや大勢の女子を敵に回すのも面倒だし怖い。
おまけに雪野翔も怖いし。
やだやだ、どーすりゃいーのー?!
心臓が痛いくらい脈打ち、私は愛華先輩を見ていられなくなって眼をそらした。
その時、
「コイツじゃねーよ」
反射的に声のした方を見ると、スラリとした長身の男子生徒が私達がいる反対側のドアから入ってくるところだった。
「雪野君……」
愛華先輩が、ビクッと身体を震わせた。
「佐川。俺の事、詮索すんな」
みるみる愛華先輩の眼に涙が浮かび上がった。
「だって私……」
雪野翔は私達の真横まで歩を進めると、侮蔑の表情で愛華先輩を見下ろした。
「俺の事はほっとけ」
「……ごめんなさい」
涙声で小さく呟くと、愛華先輩は身を翻して駆け出していってしまった。
余鈴が鳴り始めたせいで周りの生徒は教室へと消えていき、後には私と雪野翔が残った。
「……あんな言い方、ない」
悲しそうに眉を寄せた愛華先輩が可哀想で、気がついたら私は思わず呟いていた。
「あー?」
雪野翔がグッと私を睨んだ。
ひえっ!
切れ長の瞳が苛立たしげに瞬いて、私を凝視している。
こ、怖い。
けど、何度かの接触を経て少しだけ免疫力がついたのか、私の心がここで引き下がるのを拒否していた。
が、頑張れ、頑張れ私!
震えそうになる両の拳を握り締めて、私は雪野翔を見上げた。
「あんな言い方、ないと思います」
だって、愛華先輩は雪野翔が好きなんだもの。好きな人にあんな風に言われたら悲しいに決まってる。
すると雪野翔は驚いたように眼を見開いて私を見つめた。
「愛華先輩が可哀想です」
「お前みたいなバカを見てると寒気がする」
氷水をかけられたように、全身がヒヤリとした。
怯んだ私を察知したのか、雪野翔が私に一歩近付きニヤリと笑った。
「お前に何が分かんの」
私は一歩下がった。
「佐川の何を知ってんの。俺の何がわかるんだ」
もう一歩彼が私に近付いたから、私はまた一歩下がって雪野翔を見上げた。
「ついでに言うと……アイツ」
アイツ?……なに?誰……?
「片瀬……旬だっけ?バスケ部の」
ドキンと鼓動が跳ねた。
思わず眼を見開く私に、雪野翔は不敵な笑みを見せて頬を傾けた。
「アイツがお前に惚れてるとでも思ってんの?」
……ひどい。
あまりの言いぐさに、私は思わず言い返した。
「雪野先輩に関係ないじゃないですか」
「佐川の事もお前に関係ねーだろ」
雪野翔はそう言うや否や、引き続きニヤリと笑い私を見据えた。
「……じゃあな。後で泣くなよ」
言い終えると同時に踵を返し、雪野翔は渡り廊下から姿を消した。
─アトデナクナヨ─
ヤな奴!
でも私はどうしようもなく不安で、重い扉を開けると無我夢中で駆け出した。
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夕方。
「これ!俺がずっと観たかったDVD」
旬がラブストーリーのDVDを嬉しそうに私に見せた。
「ラブストーリー私も観たかったんだ。上がって!」
「じゃあ……お邪魔します」
私はリビングに旬を案内しながら、少し笑った。
「旬、何飲む?アクエリ系か、炭酸系?コーヒーもあるし、」
「瀬里」
「ん?」
後ろから私を呼ぶ旬を振り返ると、優しく腕を引かれた。反動で体が傾く。
「あ」
「瀬里……」
屈んだ旬の顔が近付いて、私の唇に柔らかい感覚が広がった。
ゆっくりと顔を離して旬が私を覗き込むから、カアッと顔が熱くなる。
やだ、凄くドキドキする。
「あ、あの旬、飲み物……」
「……そんな事よりさ、瀬里」
旬が私の手を引いてソファに座らせると、隣に腰を下ろした。
「旬……?」
旬がテーブルに置いたDVDがカシャンと鳴る。
それから私の腰に腕を回すと、旬は首筋に顔を埋めて囁いた。
旬の息がかかって少しこそばい。
「……瀬里、俺とシたくない?」
「えっ?」
ビクンと身体が跳ねた。
旬の言葉と、耳に押し当てられた唇の感覚に。
「キスより先……進みたくない?」
旬の声が旬の声じゃないみたいで、私は思わず硬直した。
キスより先……。意味は……分かる。でも、でも。
「瀬里ってさ、初めてだろ?初めてが俺とじゃ……嫌?」
そう言った後、旬は私の首筋にキスをした。
「っ……!」
その反動でビクンと身体が跳ねる。
……どうしよう、身体が動かない。てか、声も出せない。
こんな感じ……なの?初めてって。こんな風に……?
なんか違うような、分かんないけど。
動きもせず、何も言わない私の態度を『YES』ととったのか、旬の手が私のシャツの裾を少し捲った。
「や、あ、の」
その時バン!と音がした。旬が弾かれたように私から身を離す。
「怖がってる女に何してんだよ」
雪野……翔……!
旬の身体の脇から声のした方を見ると、リビングのドアに片腕を叩き付けたまま身を預けてこっちを見据える雪野翔の姿があった。
「雪野……先輩……!」
旬の驚きに満ちた声が耳に届いた頃、雪野翔はリビングに足を踏み入れ、旬の身体を片腕で押し退けた。
「どけっ!」
それから雪野翔は私の腕を引っ張り、ソファから起こすと短く言った。
「仕度しろ。行くぞ」
……え?
行くって……何処に……?
眼を見開く私を一瞥すると、雪野翔は旬に向き直った。
「片瀬」
バスケ部の旬よりも背の高い雪野翔は、至近距離から旬を見据えて低い声を出した。
「帰れ。今後一切コイツに近付くな」
長めの前髪から覗く切れ長の眼が鋭く光り、旬が息を飲むのが分かった。
「行けっ!」
「は、い」
掠れた声を出した旬は、私を振り返ることなく去っていき、後には私と雪野翔だけが残った。
「スーツケースに荷物詰めろ」
突っ立ったままで驚きを隠せない私に、雪野翔は短くそう言うと再び私の腕を掴んだ。
「あ」
引っ張られた途端、足が縺れた。
ペタンと床にヘタリ込んで、私は初めて自分が震えていることに気付いた。いつの間にか、腰に力が入らなくなってる。
「おい」
雪野翔が私を冷たく見下ろして、チッと舌打ちした。
『怖がってる女に何してんだよ』
確かさっき、雪野翔はこう言った。
そうだ……。私、怖かったんだ。旬が何だか怖かった。怖くて、声が出なくて、身体が動かなくて。
「あ、あの」
私が雪野翔を見上げた時、彼がしゃがんだ。
「きゃ」
「しょーがねーな」
フワッと身体が浮いた。
「ちゃんと掴まってろ」
ぶっきらぼうな口調でこう言うと、雪野翔は軽々と私を抱き上げた。
たちまち、社会科の準備室で雪野翔に抱き止められた記憶が蘇る。
男の子っぽい雪野翔の身体が頬に当たって、私はゴクリ喉を鳴らした。
やだ、緊張する。
そんな私になどお構い無しの雪野翔は、
「お前の部屋、どこ」
「に、二階……」
「抱いて上がってやるから、暫く休んだら荷物まとめろ」
「あの、なんで」
「今からお前は俺と暮らしてもらう」
はあ?!