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突然の一人暮らし

●●●●


「……本」


やだ。

あの冴えざえとした冷たげな顔は……雪野翔なんじゃない?!


「夏本」


そうだ。きっと彼だ。

霧の中から切れ長の鋭い眼が私を見据えている。


「夏本っ!」


きゃあっ!!


「だ、誰にも言いませんっ!」


慌てて立ち上がった途端笑い声がして、私はハッとしながら辺りを見回した。

直後にすぐ眼の前で、筒状に丸めた教科書でポンポンと手のひらを叩く先生と眼が合う。


「なにが、『誰にも言いません!』だ。どんな夢見てるんだ、お前は」


ああ夢だったのか、良かったあ。

そう思ったのもほんの束の間で、私はクラスメートの視線と笑いを一身に受けて赤面した。


「初っぱなから居眠りした罰だ。準備室から俺が忘れてきたハプスブルク家の資料取ってこい。机の上にまとめてあるから」

「……はい。すみませんでした」


大嫌いな世界史は本当に眠い。加えて寝不足だったんだもの。だけどそんな事を言えるわけもなく、私は教室を出ると資料室へと向かった。

世界史の資料室は別校舎だ。

渡り廊下へと続く両開きのドアを片方だけ押して開けると、ムッとした風が髪をメチャクチャに乱した。視界が遮られ、慌てて顔に張り付いた髪を整える。


「はあ……」


資料室は静まり返っていた。六つあるデスクのうちのひとつに数冊の資料が積み上げられていて、私はゆっくりそこに近寄るとホッと息をついた。


「オーストリア……ハプスブルク家……これだ」


……あれ?

ふと見上げた資料棚に、あと一冊ハプスブルク家関連の本が残ってる。マリア・テレジアとフランツ……これは要らないのかな?いや、二度も取りに行くはめになるよりは、一度に済ませたい。

私は背伸びしたところで届かないであろう最上段を見上げてから、手近にあった椅子を引き寄せた。


……怖っ。

脚立置いといて欲しいなぁ。

回転する椅子に上るのは安定せず凄く怖い。

棚のガラス戸にしがみつきながらソッと手を伸ばすも、クルンと椅子が回転してしまい転げ落ちそうになって冷や冷やする。


「どうしよう、取れない」


その時、


「チビ」

「きゃあああっ」


誰もいないと思い込んでいた部屋の隅から急に声がして、身体が跳ねた。その拍子にバランスを失い、椅子が回転してグラリとよろける。

ダメだ、落ちるっ!!絶対に痛い!

無意識に身体が強張り、私はギュッと両目を閉じた。


「おっと」


その時、爽やかな香り……シトラスのようないい匂いがしたと思ったら、誰かに抱き止められる感覚がした。


「チビでドジなんて救いようがねえな」


……眼を開けたくなかった。

だってもう、私には分かってしまったんだもの、この声の主が雪野翔だって。


「こ、こ、こんばんは……」

「ボケてんのかよ。眼ぇ開けろ。まだ朝だろーが」

「じゃあ……おはようございます……」

「いつまで抱かせる気だよ」



イツマデダカセルキダヨ



抱かせる?抱かせる?!

その言葉がやけに艶かしくて、私は慌てて両目を開けた。

すると想像を絶するくらい間近に雪野翔の顔があり、心臓がピタリと止まるほどの衝撃を覚えた。

こ、こんなに密着しちゃったらダメでしょう!!


「や、やだ、離して」


焦って雪野翔の瞳を見上げると、彼はわざとらしく両目を細めた。

おまけに、更に顔を近づける。


「はあ?離して?それは俺の台詞だろーが。お前がしがみついてきてるクセによく言うぜ」


……へ?!

そう言われてよくよく見れば、なんと私は無意識のうちに雪野翔の服をギュッと掴んでいたのだった。

こ、こ、こ、殺される……!


「うわっ!あのあの、すみませんでした」


慌てて雪野翔の服を離すと、彼はそんな私をマジマジと見つめた。


「ふーん」


へ?……なに……?

眼を見張る私をよそに、彼はそう言うとニヤリと笑った。

その流すような眼差しに、ゴクリと生唾を飲んで硬直する私。

だって、悪い微笑みがこんなに似合うなんて、あり得ない。絶対暴走族だわ。

そう思いながら恐怖で固まっていると、雪野翔はとんでもない一言を発した。


「そんなに胸、擦り付けんな。地味な割には大胆だな。誰もいないからって……誘ってんのかよ」


ビクッとして俯くと、確かに胸が当たってる……。


「……キャーッ!」

「うるせーんだよ、殺すぞ」


ああ、あの夜、犬神様の祠に行った自分が怨めしい。

私はあの夜、竹林を突っ切ろうとした自分を再び後悔した。


●●●●


それから数日は、何事もなく平和に過ぎ去った。なのに突然、


「瀬里。パパがね、急遽北海道に赴任しなきゃならなくなったの」


は?


「なんで?!」


スーツケースに荷物を詰め込みながら、ママは忙しいのか早口で私にこう説明した。


「明日から北海道支社に勤務する筈だったパパの同僚がね、事故に遭って入院しちゃったらしいの。で、急遽パパが行かなきゃならなくなっちゃって」


驚いて言葉も出ない私に、ママは続けた。


「北海道支社に搬入した最新の機械を使いこなせるエンジニアが、パパと、事故に遭っちゃったパパの同僚の高瀬さんしかいないらしくて、三ヶ月間はあっちに勤務しなきゃならなくなったのよ」


ママはタンスの中から下着を引っ張り出しながら、


「ほら、パパって凄く淋しがり屋さんだし、ママが大好きじゃない?」


知らねえよっ!と言いたいところだけど、パパとママは確かにラブラブだ。


「だからね、ママも付いていこうと思うの」

「あのママ、私は?」


戸惑いを隠せない私にママは、


「三ヶ月くらい瀬里はひとりで平気でしょ?現金とカードを預けておくから」

「えー……」


三ヶ月間も一人なんて正直嫌だった。眉を寄せる私にママは、


「大丈夫よ。パパの会社の社長さんがね、『娘さんが心配なら、うちの息子をボディガードに使ってください』って言ってくださってるの」


……なにそれ。


「もうすぐパパがお連れしてくるわよ、社長の息子さん」


その時、見計らっていたようにインターホンが鳴り、ママが嬉しそうに私を見た。


「おみえになったみたいだわ。瀬里も降りてきて」


なんなんだ、このあれよあれよという展開は。

私は眉を寄せたまま溜め息をつくと、階段を降り始めた。


「雪野社長、いらっしゃいませ」

「加奈さん、お邪魔します」


加奈とは私のママの名前。


「雪野、娘を呼ぶから上がってくれ」


パパの嬉しそうな声が耳に届く。

しかし、パパも社長を苗字で呼び捨てとは。

……ん?まてよ。……雪野?


「ほんと、急で悪いな夏本。俺からも娘さんにお詫びを言わせてくれ。ほら、翔。お前もお邪魔させてもらいなさい」


しかし、デカイ声だな。そして凄く嫌な予感がするじゃない。

ショウ?

今までの会話を総合して考えると、どうやらパパと社長は苗字で呼び合うくらい親しいらしい。

おまけに社長は雪野さん。

しかも息子はショウ。

雪野+ショウ=雪野翔

嘘でしょ、ちょっと待って。

けれど誰も待ってはくれなくて、私はリビングのソファに座る人物を見るなり硬直した。

だって、雪野翔がそこに座ってたんだもの。


「瀬里さん、この度は突然の事ですまないね。心細い時はいつでも息子に頼ってくれたらいいから。聞くところによると、息子と同じ高校なんだって?なんなら送り迎えをさせるよ。ほら翔、瀬里さんに挨拶しなさい」


私が蝋人形のように突っ立っているにも関わらず、雪野社長はニコニコと笑った。

一方、雪野翔は私に見向きもせず、ママに向かって爽やかに笑っているではないか。


「娘さんは僕が送り迎えしますからご心配なく」

「あらー、頼もしいわぁ。どうぞ宜しくお願いします。瀬里もご挨拶なさい」


……なにが頼もしいのよ、危ないって思わないのっ?!

けれどフワリと微笑んだ雪野翔は、どこからどう見ても好印象の王子様で、普段学校で見せる鋭く冷たい表情は微塵も出していなかった。

なに、この笑顔。絶対嘘よ、この笑顔は。


「北海道と言えば海鮮だな!まあ、高瀬も両足骨折は大変だけど命には別状ないし、見舞いに行ったらヘラヘラしてたから、一安心だな」

「そうね。命に別状なくて本当に良かったわ」


私の胸の内なんてまるで気づかず、大人三人はやたらと盛り上がっている。

そんな中、雪野翔がフッと私を見た。

ギクリとする私に、彼は私にしか見えない角度でニヤリと微笑む。

ひえっ!!

その顔はまるで、『逃がさないぜ』と言っているようで、私は背中に伝う冷や汗を感じながら、ただただ彼の整った顔を見つめるしかなかった。

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