あなたを助けたい
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もう、今までの私じゃない。
誰かの影に隠れて縮こまっていた私じゃない。地味で目立たない私だけど、先輩の力になりたい。
だって、好きなんだもの。
私は手の甲で涙をグイッと拭うと、思いきり駆け出した。
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「翠狼っ!!」
あの地下室のある大きな屋敷なら覚えていた。私はなんとかタクシーを捕まえると翠狼の屋敷へと向かい、そのインターホンを連打した。
「翠狼、翠狼っ!」
「……なんの用だ」
予想に反して背後から翠狼の声が聞こえた。
咄嗟に振り向くと、黒塗りの車の窓から翠狼がこちらを見据えていた。
「助けて、翠狼っ!先輩が……白狼がっ」
翠狼は、更に表情を険しくして唇を引き結んだ。
「翠狼っ、先輩、なんか変だったの。大変な事をひとりで解決しようとしてるのかも知れなくて」
「俺には関係ない」
翠狼が私から顔をそむけた。
「なに言ってんの?!関係あるに決まってるでしょ?!」
気付いたら私は翠狼に駆け寄り、その窓ガラスに拳を打ち付けていた。
「先輩は天狼神の子孫であるあなた達の為に、仲間の為に何処かへ向かったんだわ!それをあなたはそんな風に……」
ダメだ、時間がもったいない。こうしている間にも先輩の身に何かあったらと思うと、いてもたってもいられない。
私は身を翻すと大通りを目指して駆け出した。タクシーを拾って、一度先輩の家へ戻ろう。先輩の部屋に、何か手掛かりがあるかも知れないし。
だって前に先輩が言ってたもん。人狼にも派閥があるって。なら、先輩を支持している派閥だってあるはず。
その中の誰かに連絡を取って……!
「乗れ」
いつの間にか、翠狼の車が私の傍らにピタリと付いて徐行していた。
「早くしろ」
「う……うんっ」
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車は閑静な住宅街からすぐに大通りに出た。
「凰狼派の仕業かもしれない」
「凰狼派って?」
「俺達は今、大きく分けて三つの派閥がある。派閥の意味は分かるか?」
派閥って、よく日本の政治家とかが作ってるやつでしょ。なんとなく、分かってる……つもり。
私が焦りつつも頷くと、翠狼がわざとらしく眼を細めた。
……なにその、ホントに分かってんのかよ、的な眼。
「……」
「……」
やっぱり信用していないらしく、翠狼が派閥の意味を分かりやすく説明してくれた。
「派閥とは、利害関係が一致した者達の集まりだ。考え方の違う者を排除しようとする者が多い。そして俺達人狼は人間とは違い、話し合いを優先するよりは力でそれを示そうとするヤツが多い」
やだ、そんなの先輩が危ない。翠狼は続けた。
「まず白狼を支持している白狼派。俺を支持している翠狼派。最後に凰狼ってズル賢い野郎を指示してる凰狼派だ。ちなみに凰狼派は俺達のように天狼神の子孫ではなく、真神の子孫だと信じられている。日本にいる人狼は俺達天狼神の子孫と真神の子孫しかいないんだ。ごく少数の凰狼派が俺達の仲間になる決心をしたのは、今から約千年前だ」
せ、千年前!
「ズル賢いって、翠狼より根性悪いって事?!……痛っ!殴んないでよっ!」
「お前が一言多いからだろーが」
私はポカッと殴られた頭を撫でながら翠狼を見つめたけど、ふと我に返った。そう言えば、翠狼……車に乗せてくれるって事は……。
「翠狼……もしかして、助けてくれるの?」
私が翠狼を見上げながらそう尋ねると、彼は決まり悪そうに横を向いた。
「人狼王の件とは別だ」
……別……?
どういう事か尋ねたけど、翠狼はこの事についてもう何も言わなかった。代わりに、
「白狼の足取りはおおよそ見当がつく。ヤツは祠だ」
「祠って、あの竹林の中の?」
翠狼が軽く頷いた。
「あの祠の下には、俺達人狼族の隠れ家があるんだ」
隠れ家?!あんな小さな祠の下に?
「あの竹林の敷地内の地下には、人狼族の世界がある。そういう隠れ家が日本全国に何ヵ所かあるんだ」
私が驚いていると、
「多分白狼は、凰狼派に呼び出されたんだろう。凰狼派の奴らは千年前に俺達の仲間になったが、やはりどこかで劣等感や負い目を感じてたんだろう。そんな中、わずか十歳の白狼が天狼神の石に選ばれた時、ついに不満が爆発した」
そんな……。
なにも言えない私の前で、翠狼は続けた。
「分からなくはない」
少数である凰狼派は、肩身の狭い思いをしてきたのかも知れない。
一族の中には先輩よりも遥かに年上で優れた人も沢山いるのに、その人たちを飛び越える形で天狼神の石が先輩を選んだという事実。
「……もうすぐ着く」
翠狼はそう言ったきり、車を降りるまでもう何も言わなかった。
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「下がってろ」
竹林の中の祠に着くなり翠狼は鋭く言い放つと、祠の前の小さな鳥居の手前で私を振り返った。
「しっかり立って歯を食いしばってろ。今、地下への扉を開ける」
周りは竹だらけだし、眼の前には小さな鳥居とその先の祠しかないのに、どうやって地下になんか……。
当たり前だけど、ここにはそれらしい出入り口なんか存在しない。
けれど翠狼が真剣だったから、私は言われた通りに歯を食い縛り、彼に頷いた。
「行くぞ」
「うん」
私の頷きを確認したかと思うと、翠狼は右手を胸の高さに上げて正面へ突き出した。
その途端、ゴオッいう風が起こったかと思うと、辺りの竹がユラユラとゆっくり揺れ、鳥居の向こうにある祠がグニャリと歪んだ。
な、なに?!
よく見ると祠が歪んだというより、鳥居と祠の間の空気……というか空間が渦を巻いていて、まるで水飴のようだった。
「人間にはちょっとキツいかも知れんが、俺の腕に掴まれ」
「……分かった」
この先に先輩がいるなら、この先にいる先輩に会えるなら、私は絶対耐えられる。
歯を食い縛ると、私は翠狼の腕を強く掴んで鳥居をくぐった。
「あああっ!」
全身を針で刺されるような痛みがした。ほんの一瞬なのに、意識が飛びそうになる。翠狼がなぜ歯を食いしばれといったのかが、よく理解できた。
「平気か?」
「大丈夫」
額から流れ落ちる冷や汗を拭いながら辺りを見回して、私は眉を寄せた。だって、さっきの竹林と何も変わりがなかったんだもの。
正午を過ぎ、夕方にさしかかる太陽の陽射しも風も、すべて同じだ。
ただ違う点と言えば、沢山の人が急に目の前に現れたということと、私達が祠からかなり離れた場所に移動していた点だった。
私が訳がわからないといった顔をしていたせいか、翠狼が身を屈めて私の耳に口を寄せた。
「地上と変わり映えしないように見えるが、ここは地下だ。まあ実際には地下ではないがさっきの世界より下にある世界だ。それから……ここに人間を入れるのは原則禁止だ。おとなしくしてろよ」
なんか良く分かんないけど……質問する時間はないし何を訊けばいいかも分からないから、私はとりあえず頷いてから状況を飲み込もうと人々の動向を見つめた。
先輩は……先輩はどこなんだろう。人が多すぎて分からない。
けどみんな同じ方向を向いているから、その先にいるんじゃないだろうか。
いつの間にか翠狼の姿も見えなくなっていたけど、私は構わず人々の間を縫うように歩を進めた。
その時、
「白狼っ!王の座を辞退しろっ!お前のような未熟者を王に選ぶなど、天狼神も神でありながら耄碌したとしか思えん!お前の耳のその石は、もはやただの石に過ぎん!天狼神の魂など宿っているものか!」
鋭い声とその内容に、私の心臓は刺されたようにビクリとした。
先輩……先輩!!早く、先輩を見つけたい。
その時、低い声が響いた。
「俺をバカにするのはかまわない。だが偉大なる天狼神を侮辱し、その名を地に落とそうとする者は誰であろうが許さない!」
……先輩だ。先輩の声だ!
私は必死で人混みを掻き分けて、先輩の姿を探した。
「白狼!今ここで俺達と決闘しろ!白狼派と凰狼派の正式な決闘だ。立ち会いは翠狼派の代表、翠狼にやってもらう!」
う、そ。
私はなりふり構わず、隣の人の腕を掴んだ。
「ねえ、決闘って、正当な決闘って、なに?!」
「なんだ……お前、誰だ」
「ごめん、今は詳しく話す暇がないの」
私に腕を掴まれたのは長身の男の子で、彼は驚きながらも私の問いに答えてくれた。




