『ABCの屑』 ~Ant~ 【一話読み切り】
「えいっ! えいっ!」
そこはどこにでもある公園だった。
昼下がり、小さな百日紅の下で一人の少年が遊んでいた。
「えいっ! えいっ!」
「少年よ 何をしているんだい?」
「黒い虫! いっぱい居るよ!」
「君はその虫に何をしているんだい?」
「水をかけてる!」
「どうして水をかけているんだい?」
「水をかけると動かなくなる!」
その少年は屈託のない無邪気な表情でそう言った。
「動かなくなるから、水をかけるのはどうしてなんだい?」
「おもしろい!」
「そうか…面白いのか」
「おじさんもやってみる?」
「… おじさんはいいよ」
「面白いのに?」
私はいい人間ではない。
それでも黒い虫に笑顔で水をかけるこの少年を見て恐怖を覚えるん人間ではあるようだ。
私はこの年になるまで会社のトップとして尽くしてきた。
そのためにはどんなことだってやってきた。
それは私の誇りであり、決して恥じるようなことではないと思っている。
それも昨日で終わった。
満員電車に乗ること…給料日を待つこと…会社を休む理由を考えること…
今の私にはどれも必要が無くなってしまった…
「先生…今までお疲れ様でした。」
「あぁ…ありがとう。これからは君達の時代だ、老いぼれはせいぜい死ぬまで生きるさ」
長年勤めていた会社を辞め、私は強い喪失感と少しの後悔を感じていた。
「えいっ! えいっ!」
仕事をすることもなく、行く場所を失った私はこの公園に度々訪れるようになった。
あの少年は毎日来ているようだ。
「今日は雨だ… こんな日でも彼らは居るのかい? 傘もささずに君は何を見ている?」
「居るよ! いつもより 忙しそうだよ!」
「そうか… 雨というだけで彼らには大事なのだろうな…」
「動けなくなっっちゃった」
「小さな水たまりも…彼らにとっては十分な脅威なのだろうな…」
「もう いらないね…動かなくなっちゃったし…」
「しっかりと働いて生涯を終えたのだろう…」
「たっくん 傘もささずに何をしてるのまったくあんたって子はー」
少年の母親が青い子供用傘を持参してやってきた。
私は少しばかり安心した。
それはこの少年に対して人間ではない可能性を考えていたからだ。
この子の周りに漂う空気がそうしていた。
「働くなった蟻と話してた!」
「もう ほら 帰るわよ」
「うん! バイバーイ!」
私にもきっと…この動かなくなった固体のように働いていた時期があったはずだ…
この年までみっともなくずるずると下り続けた…
雨が洗い流してくれるとは思えないほど…私は汚れ切っているのかもしれない…
「君達を見ていると まるで自分を見ているようで…気味が悪くなるよ」
『・・・一緒にしないでください。』